第6話、それぞれの部活

 部室から、ユーフォニウムの音色が聴こえている。

 金管の音色は、校舎によく響く。 特に、ユーフォニウムは丸い音色が心地良く、優雅だ。


「 どう? 自然に息を入れた方が、深い音色になるでしょ? ハイトーンも、出やすいし 」

 杏子の言葉に、沢井は嬉しそうに答えた。

「 そうですね! あたし、アンブッシュアとか・・ あまり気にした事、なかったですから 」

 杏子が言った。

「 がむしゃらに吹いたって、ハイトーンは出ないわよ? それよりは、自然な息の入れ方と、しっかりしたアンブッシュアで、中音域をロングトーンするの。 そうすれば、自然にハイトーンは出るようになるものよ? ・・これからの課題は、自然な跳躍が出来る、リップスラーね。 それが出来なきゃ、ハイトーンなんて到底、無理だもん 」

 沢井が答える。

「 そう言えば・・ 中学の時も、リップスラーが苦手な人は、ハイトーンも出せなかったような気がします・・・! 」

 ウインクしながら、杏子は言った。

「 でしょ? それにはまず、基本のアンブッシュアの確立よ 」

「 はい! ・・杏子先生、このアーバン教本、借りててもいいですか? 」

「 もちろんよ。 そのために持って来たんだから。 ちょっとボロいけどね 」

「 楽器屋さんで色々、探したんですけど・・ どれにしたらいいか、分かんなくて 」

「 ファースト・ディビジョンでもいいんだけどね。 ティップスとか、トレジャリー・オブ・スケールとか、もっと色んな教本をやってみるべきね。 他にも・・ う~ん・・・ あたしが学生時代の話しだから、ちょっと古いかもしれないケド・・ トレバー・ワイとか、ベスト・イン・クラスとか・・ ディビジョンのように、全体練習が出来る教本もあるけど、金管ならまず、アーバンをやってみなさい 」

「 はい! ・・そう言えば、亜季も、なんか教本ないかって、言ってました 」

「 小山さん? あら、意外ね。 う~ん、フルートかあ・・・ アルテスの総合教則本か、モイーズの日課練習ってトコかなあ。 ちょっと高いけどね 」

「 あ、千穂・・ 」

 部室の入り口に、女生徒が立っている。 小柄な身長で、腰辺りまである長い髪をしている。 杏子は、初めて見る生徒であった。

 沢井が紹介した。

「 クラリネットの2年で、高井 千穂っていう子です。 ミーティングの時は欠席してました 」

 高井は、ぺこりとお辞儀をすると、杏子に言った。

「 ミーティング、お休みしてすみませんでした。 高井です 」

 杏子も挨拶を交わす。

「 初めまして、鹿島 杏子です 」

「 あの・・ 吹奏楽部、廃部って聞いたんですけど・・ ホントですか? 」

 少し上目使いに、高井は聞いた。

 杏子は、小さくため息をつくと、寂しげな笑みを見せながら答えた。

「 このままなら・・ 今年度中でね。 あなたたち次第よ? 」

 下を向いたまま、高井はポツリ、ポツリと言った。

「 あたし・・ 塾でよく部活、休むんですけど・・ ホントはブラス、続けたいんです。 出来れば、3年の引退まで・・・ 」

 杏子は、イスに腰掛けると答えた。

「 みんな、そう思ってるわ。 廃部にしたいなんて、誰も思ってないんじゃないかしら。 要は・・ みんな、用事にかこつけて、『 遅刻してでも出席する 』という努力を怠ってるだけ。 あなたもね・・・! 」

 高井は、じっと自分の足元の床を見つめている。

 杏子は尋ねた。

「 高井さん・・ だっけ? 休む割りにも、吹奏楽を続けたい理由って、なあに? 」

 高井は、顔を上げると杏子に言った。

「 管楽器の、修理屋さんになりたいんです・・・! 」

「 リペアマンか・・・ 」

 最近、よく聞く。 杏子の知り合いにも、その職についている者が2人ほどいる。

 高井は続けた。

「 リペアマンを養成する学校があるんです。 専門学校なんですけど、そこに行くつもりなんです、あたし 」

「 ご両親は、納得されてるの? 」

 杏子の質問に、高井は視線を落とし、答えた。

「 ・・あまり、良い顔はしないんですけど・・ でも、行ってみたいんです! 普通の大学へ進学したり・・ 何て言うか・・ OLみたいなの、ヤなんです! 」

 顔を上げ、じっと、杏子を見つめる高井。

 しばらくして、杏子は言った。

「 何となく、入れる大学に進学して・・ 何となく就職して・・ そんな目標の無い進路より、あなたの夢の方が現実的でいいわね。 でもね・・ あなたが考えているより、現実は厳しいわよ? 管楽器の専門店に就職出来たとしても、営業をやらされる確立が高いわ。 店としては、まず、売上よ? リペアとしての重要性を認知してる店は、まだ少ないの 」

 真剣に、杏子の説明に聞き入る高井。

 杏子は続けた。

「 メーカーの工房に入ったとしても、ライン的要素が濃いわね。 それに、いくら修理が好きだと言っても、毎日毎日、修理じゃ、気が滅入ると思うわよ? あなたが想像してるのは、修理をしながら、来店したお客さんと楽しく会話してる、そんな自分の姿じゃないの? 」

「 ・・はい。 そんな仕事が出来たら、すごくいいです。 でも、営業だって構いません。 その為に今、ファストフード店で、日曜日にバイトしてます。 接客の勉強、してるんです 」

 おそらく、両親からは反対されているのだろう。

 切実に話す彼女の表情から、杏子は、ある程度の状況を読み取る事が出来た。

「 リペアやってる人は、先生の友人にも、何人かいるの。 だから、よく話を聞くんだけど・・ 」

 杏子は、もう1組のパイプイスを出し、高井に座るよう勧めると、続けた。

「 店側としては、何の経験も無い人を、リペアマンとして雇う事は出来ないわ。 だから専門学校に入り、技術を取得する・・・ それは良しとしても、学校で習った実習通りにはいかないわよ? マニュアル通りに壊れた楽器なんて、無いもの。 音は出るけど、何となく音程がおかしいとか、もう少しキーの高低を調整したいけど、抜けが悪くならないように出来るか、とか・・・ とてもシビアなのよ? そんなニーズに応えられるようになるには、何年もかかるし、失敗もする。 経験が、モノを言うの。 大工さんのように、リペアマンも職人なのよ 」

 高井は、無言で頷いた。

 杏子は、小さなため息をつくと、続けた。

「 もし管楽器の専門店に入社したとしても・・ ハッキリ言って、リペアに関する重要な要点は、誰も教えてくれないわ。 だってそうでしょう? 自分が苦労して身に付けた技術を、どうして他人に教えるの? しかも、タダで・・・ マニュアルは自分の経験で、自分自身が創っていくの。 自分しか出来ないやり方とかね・・ 楽しそうな事や、面白そうな世界の想像ばかり考えているなら、ヘタに足を突っ込まない方がいいわ。 そのくらいの覚悟をしてなきゃ、ダメよ? 」

 高井は、真剣な眼差しで杏子の説明を聞いている。

 おそらく、こんな実質的な説明を彼女にしたのは、杏子が初めてなのだろう。 しかし高井の目には、諦めよりも、夢の実現に向けられた、新たな強い意志が感じられる。

 杏子は、楽器棚横に無造作に置かれた、吹奏不能な楽器を指差しながら言った。

「 丁度、いい教材が、こ~んなにあるじゃない。 まずは、構造が簡単なクラリネットから整備してみる? あたしだって、ある程度はリペア、出来るわよ? もうすぐ新1年生が入部してくるかもしれないのに・・ こんな状態じゃ、1年生に貸し出す楽器なんて無いわよ? 」

「 やりますっ! やらせて下さい! 今まで、やりたかったけど・・ やり方が全然、分かんなかったんです・・! 」

 沢井が、譜面の補修をしながら言った。

「 杏子先生。 ウチの部活って、凄いね・・! 部員数、少ないのに、専属のリペアマンまでいるんだ 」

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