ガーデンメイド・チルドレン -アフロディテの解剖-

扇智史

ガーデンメイド・チルドレン -アフロディテの解剖-

 光明寺こうみょうじ水南みなが殺されてから、早くも2年が過ぎた。


 [ガーデン]由来の遺伝子を持つ【ガーデンメイド】アイドルとして一世を風靡した美少女アイドルは、その人気の絶頂期、20歳の誕生日を迎える直前に非業の死を遂げた。


 犯人は、ゲノムデザイナー・鹿毛山かげやま一郎いちろう――光明寺水南の遺伝子をデザインし、その後もプライベートで水南を支えてきた彼は、今は殺人犯として刑務所に収監されている。逮捕以後、彼は事件についていっさい口を閉ざしたままだ。

 手塩にかけて育てた娘のような存在を、鹿毛山はきわめて残酷な方法で殺害した。目を抉り、腹を割き、内蔵を引きずり出し、手足を切断し、さらには無惨な死体を執拗に撮影して記録したその所行を、人々は、悪鬼か狂人の為せる業として恐れ、糾弾した。


 その一方で、光明寺水南の人気は死後も衰えることなく、むしろそのカリスマ性はますます高まっている。ウェブ上に残る彼女のライブやコマーシャル映像には[みーな三回忌]タグがつけられ、無数のコメントがストリームを流れていく。

 そして、その同じタグに紐付けられて、光明寺水南のアバターをまとったパフォーマーや、彼女の3Dモデルが唄い、踊る動画が、数限りなくアップされている。代表曲とされる【ジェットスケーター!】、ファン投票1位を獲得した【重症ラブポイズン】、グループ活動時代の隠れた名曲【A・B・D】……どれもこれも、多数のパフォーマーやプログラムによって模倣され、再演され続けている。


 水南の素体モデルは、ここ5年間で最も多くダウンロードされた3Dモデルだと言われる。生前に水南が残したアクトは、一挙手一投足どころか指先の曲げ伸ばしに至るまで解析され、モーションデータは万人が共有できるように配布されている。


 かくして、数百、数千の光明寺水南が、ウェブ上を乱舞する時代が訪れた。


[やっぱ2周年の横浜がベスト][ストリート時代が神だって][ソロになってから活き活きしてたろ][ラストライブの価値がわからん奴はゴミ][いつだってかわいいよ!][何がいいの? まふぃんの方が格上][消えろアバオタ]


 そうした雑多なコメントを添え物に、【ジェットスケーター!】のサビを彩るハイジャンプが、【翼、ハンドメイド】のイントロの艶めかしい指先が、【ばらばら女神】の超高速BPMに乗せたアオリが、日本中、世界中のクリップフォンで再生される。


「今でも、みーなは愛されてるって実感します」


 【天使のど忘れ】を再生しながら、感慨深く口にするのは、時田ときた乃恵乃のえの――かつて水南たちとともにアイドルグループ【シンメトリックス】を結成し、”ののん”の愛称で親しまれた女性は、現在もシンガーとして活動している。


「昔からあの子は別格でした。私がセンターで唄ってても、あの子のパートに入った瞬間に、空気が変わるのが分かるんです。現場の空気も、ネットの向こうの視線も、みーなが全部持っていってしまう」

「……あのルックス、何なんでしょうね。背は高くないし、胸も大きいわけじゃないのに、すごく均整が取れてて、でも近寄りがたいって感じでもなくて……いくらガーデンメイドだからって、あんなの計算で作れっこないと思います。奇跡ですよ」

「それに、みーなの魅力は彼女の努力で出来てたと思います。うちのメンバーでもいちばん練習熱心でしたし。人より1センチ高く飛んで、1秒でも長く声を伸ばす。いつだって自分の限界に挑んでるような、そんなとこのある、自分に厳しい人でした」

「オフでは面倒見よくて、優しかったですよ。いつも飲み物買ってきて配ってくれたし、ご飯もよく奢ってくれました。なんか、人に施すのが板についてるって感じで、つい甘えちゃって。まあ、いつもグレープばっかで辟易しましたけど……大好きだったみたいです」

「ただ、ずっと、自分の世界を崩さなかったっていう印象はあります。休み時間も曲を聴き続けて、ちょっと近寄りがたい感じでした。あんな風になれたら、っていう憧れは、ええ、ありましたけど……でも、どこかで、手が届かないと諦めてたと思います」


 時田乃恵乃が光明寺水南を語る言葉に、悲愴さはない。水南の死から時が経ち、気持ちが整理されたこともあるだろう。しかしその落ち着いた言葉遣いからは、時田にとっての水南が、一種の信仰の対象となっているかのような雰囲気さえうかがわせる。


 過去の光明寺水南についての評価は、作曲家・十条じゅうじょう久仁彦くにひこのテキストからも知ることが出来る。鹿毛山一郎の旧友でもあった彼は、【シンメトリックス】に初期から楽曲を提供した、アイドル・光明寺水南の産みの親のひとりとも言える存在だ。


『光明寺水南の評価に、彼女が【ガーデンメイド】であるという出自が作用したことは疑いない。”過去の動画の再生を見ているよう”とさえ評された彼女のダンスは、確かに常に高い完成度を誇っていたが、人々のイメージほどに寸分違わぬ挙動を再現していたわけではなかった。』

『多くのステージのログを比較検討しても、彼女のパフォーマンスにおけるモーションの変動は、同時期の他のアイドルと比べてそう小さいわけではない。むしろ、ひとつのステージを経るごとにジャンプは高く、指先はまっすぐに、そして視線はずっと遠くを見すえるように進歩している。』

『進化するアイドル、という彼女の本質を、【ガーデンメイド】という出自と、彼女の容姿がもたらす非人間的なイメージが覆い隠していた。しかし、アイドルの本性は常に言葉や印象によって隠蔽されるものだ。それを思えば、水南はただしくアイドルであったとも言えよう。』

『ただ、私はデビュー前の光明寺水南を知っている。私にとって彼女は今でも、ひんやりした地下の貸しスタジオで、ホロモデルのお手本と相対しながらダンスを踊っていた幼い女の子であり、鹿毛山の膝に寄りかかって御褒美をねだる、打算を秘めた少女である。』


 幼少期の水南が、鹿毛山一郎の自宅を頻繁に訪れていたこと、そのマンションの地下にあった貸しスタジオでアイドルへの夢を育んでいったことはよく知られている。時に美談として、時にゴシップのきっかけとして、様々な側面から語られるエピソードだ。


 水南がアイドルとして本格的に活動を始めたのは、14歳の時。当時のインディーズアイドルの例に漏れず、彼女はSNSでメンバーを募り、ストリートパフォーマンスを動画配信することで、自分たちの存在を知らしめていった。

 彼女のグループ【シンメトリックス】が早くから注目を集めたのには、十条久仁彦が楽曲提供した、という話題性があったことは疑いようがない。しかし、一見の客を魅了し、ファンにしてしまう求心力が彼女たちにあったことも、また事実である。


「そりゃ、あれを見たら惚れますよね」


 塚西つかにし仁太じんたは、デビュー曲【カーボン・コーリング】の動画を観たときの光明寺水南の印象を、恍惚とした表情で語る。


「画質も音もあんまりよくなかったですが、そんなものを突き抜ける魅力がありましたね。一生懸命で、躍動してました」


 彼は後に、【シンメトリックス】のメジャーデビュー資金を集めるクラウドファンドに投資し、クラウドプロデュースにも参加している。1千万近い資金を集めたファンドと、視聴者の意志を効率的に汲み取るクラウドプロデュースは【シンメトリックス】の躍進に大きく力を貸した。


「【シンメト】自体、いいグループでしたよ。SNSで集まったグループって意外と馴れ合いになることも多いんですけど、【シンメト】にはいい意味で緊張感がありました。あのテンションを保てたのも、たぶん光明寺水南の影響が大きかったと思います」


 かくして【シンメトリックス】はトップアイドルへの道を一瞬で駆け抜けた。ストリートからメジャーデビューまでがわずか1年、その後も順風満帆だった彼女たちのスター街道。その先頭を、ひとり独走したのが、光明寺水南だった。

 グループとしてのメジャーデビューから1年半、光明寺水南はソロデビューを果たす。デビュー曲【翼、ハンドメイド】のPVは配信初日で30万ダウンロード、その後も売上を伸ばし続け、不振の音楽業界にあって記録的なヒットとなった。


 それから3ヶ月後、【シンメトリックス】は解散する。ラストライブの映像は【シンメトリックス】最大のダウンロード数を記録した。それを置き土産に、光明寺水南はさらにソロ活動へと邁進していく。

 この頃から、【ガーデンメイド】という光明寺水南の生まれが大きく取りざたされるようになる。【ガーデンメイド】としてはもっとも年若い彼女らの世代は、この時期、スポーツや芸能などの年少者が活躍する分野で社会進出を始めていた。水南は、その象徴へと祭り上げられたのである。



 十条久仁彦は、彼の発行するプライベートログマガにこう記してもいる。


『【ガーデンメイド】という出自は、彼女の個性であり、武器でもあった。当時氾濫していたアバターアイドルの中で、生身の彼女が突出していくために、その言葉の後ろ盾を必要としたのである』


《生身の顔出しなんか古いよねー!》《どうせ劣化すんじゃん、見た目!》


 光明寺水南と同時期に活躍したアバターアイドル【まふぃん】が、ストリーム配信したライブの最中に、そんな挑発的なMCを繰り広げた映像が残っている。これに応じるコメントは、[よく言った][うおおおおお][まふぃん神][みーなとか終わドル]といった、【まふぃん】を持ち上げるものばかり。彼女はコメントに答え、笑顔を作って《みんなさいこー!》と手を突き上げる。その挙動にも声にも、不自然さはない。

 ホロCGである【まふぃん】のリアクションが、ソフトで作られたモーションなのか、実体の挙動をトレースしたものなのか、視聴者が判別することは困難だ。その微妙なはざまに存在するスリルこそが、アバターアイドルの人気の所以だとも言われる。


 アバターアイドルに対抗するように、光明寺水南は【シンメトリックス】時代から生身のコミュニケーションを重視した。ライブや交流イベントで生きた彼女に触れられることが、実体を持つ水南の強みだったし、クラウドプロデュースもその方向性を推奨し続けた。

 しかし、そのために常設のステージを持ち、その上ツアーで全国を飛び回る仕事ぶりは、10代の少女に過度の負担を強いた。【シンメトリックス】解散の理由に、メンバーの学業優先が挙げられた裏には、水南の精力的な活動についていけない他のメンバーの不満があった。


「俺らまで振り回されっぱなしで、へとへとだったからね。みーなちゃんはそりゃ楽しかったろうけど、他の子はたまらなかったっしょ」


【シンメトリックス】と光明寺水南のステージを撮り続けたチームの一員で、後に撮影チーフとなった樋口ひぐちしゅんは、当時をそう回想する。


 アイドルのライブにおけるカメラワークは、ボーカルパートの割り当て、ステージ上でのメンバーの振り付けや立ち位置、そして各人の見せ場を理解した上で的確に捉えるカメラワークやスイッチングが求められる。

 樋口は曲を聞き込み、ダンスを熟知し、職人芸と言われたカメラワークで賞賛を浴びた。スイッチとズームとパンアップを駆使し、メンバー全員が飛翔するかのような臨場感を演出した【雪の嵐】のライブ映像は、ハリウッドの複数の専門学校で模範例として授業に利用されている。


 光明寺水南は、樋口とそのチームを信頼し、【シンメトリックス】時代から、大半のライブの撮影を樋口に任せていた。樋口もその信頼に応え、彼女について全国を飛び回った。


「ステージを引き締めてたのもみーななら、ステージの下の言い争いもみーなが中心ってわけですよ。俺から見りゃ、プロとしちゃ、みーなが正しかったです。でも、その前にあの子たちは、ティーンの女の子だったんですよね」


【シンメトリックス】の元メンバーで、現在も表立った活動をしているのは時田乃恵乃だけだ。光明寺水南殺害事件の後、彼女たちはいっさい公式な取材に応じていない。彼女たちの告白と題して出回るテキストも、信頼できるものは皆無と言っていい。

 かつての仲間との関係のこじれは、生身のアイドルが持つ危うさを象徴している。家族関係、スタッフとの軋轢、そして鹿毛山一郎――肉体と心がもたらすゴシップや中傷が、しばしば彼女の名声に傷をつけた。

 堅実に、ゆっくりと事を進め、トラブルの種を潰していけば、息の長いアイドルになれたかもしれない。しかし、光明寺水南はそうした安定を拒絶するように疾走し続けた。

 十条久仁彦に言わせれば『その速度ゆえのはかなさこそが、光明寺水南の本質の一部だった。』のであり、塚西仁太の証言によれば「プロデューサーたちも、最後にはあの子についていけなくなったんです」ということになる。


 19歳、彼女の晩年となった最後の10ヶ月間において、ダンスと楽曲のパフォーマンスはいっそう神がかっていった。【ジェットスケーター!】も【重症ラブポイズン】もこの時期の楽曲だ。そこに宿っていたのは、魂をもぎ取るような速度と、隣り合わせの危うい悲壮感だった。


「……死を予感してた? そんなわけないだろ」


 事件の直後、十条久仁彦が顔出しでインタビューに応じた、珍しい取材映像が残っている。不愉快げに眉をひそめ、長い髪を掻き乱した十条の表情には、アバターもエフェクトも挟まない素の疲労がにじんでいる。

「水南は、これからまだ完成していく子だった。終わったなんて、いつも誰かが言ってる悪口さ。私生活も充実してたよ。半年前には鹿毛山と海外でリフレッシュして、ますます活躍してこうって、その矢先……」


 十条の深い嘆息と沈黙には、見るものの息を詰まらせる重苦しさがある。


 水南の最後の楽曲となった【ばらばら女神】に話が及ぶと、十条ははじめて苦笑を見せる。


「確かに、死ぬ間際っぽく聞こえるかもね。けど、そういう意味じゃなかった。あの子はもともと、ああいう感じがあったろ? 粉々になっても、偶像であり続ける。そういう雰囲気さ」

「しかし、ほんとに一郎がみなみちゃん殺したのかな……はは、冤罪とか疑ってるわけじゃなくてさ。いろんな奴がいろんなこと言うだろうけど、何も信じられる気がしないよ。あいつら、親子以上にずっといっしょにいたんだからさ……」


 鹿毛山一郎と光明寺水南の関係は、【ガーデンメイド】とゲノムデザイナーというだけのものではない。実質的な親代わりとして、鹿毛山一郎は、光明寺水南がまだ林田はやしだみなみという名の子どもだった時代をも、ずっとともに過ごしてきた。


 林田みなみの実母は、林田晴子はるこという資産家の女性だ。しかし【シンメトリックス】がストリートデビューした時点で、林田みなみは鹿毛山一郎の自宅に居住している状態だった。晴子はみなみの養育費を鹿毛山に渡しているだけで、親としての責務を放棄していたに等しかった。

 晴子がみなみを産んだのは、[ガーデン]由来のオープンソース遺伝子を駆使した改変技術が普及した【ガーデンメイド】黎明期だった。裕福な家庭に育ち、新しもの好きだった晴子は、興味本位で自分の卵子を提供し、【ガーデンメイド】の娘、みなみを出産した。


 晴子の意志の気軽さは、デザイナーとして鹿毛山一郎をチョイスしたことからもうかがえる。


「あいつ、一種取ったばっかりで、ヒトゲノムいじるの初めてだったんだよ。めちゃ緊張してた」


 十条は、笑い混じりに当時の鹿毛山一郎について語っている。

 娘のデザインを決めるに当たっての晴子の要望は、遺伝病リスクが低く健康な、そしてそれなりの美貌を持った体だった。前者は基本的なオープンソース遺伝子セットで対応できたが、後者を満たすために鹿毛山は様々な[ガーデン]製の遺伝子の組み合わせをテストした。


 そして生まれた林田みなみは、晴子が望んだようなおとなしい人形じみた子どもではなく、活発に遊び、ダンスと歌に憧れる力強い少女だった。当時の映像に残る彼女のしなやかな手足と、ととのった顔立ちには、のちの光明寺水南の面影がうかがえる。

 にもかかわらず、林田晴子は、自分の望むように育たないみなみからすぐに興味を失った。晴子にとってのみなみは、幼児が3Dモデル遊びでプリントしたおもちゃだった。気に入らずに飽きてしまえば、リサイクルされるだけ。

 小学校に上がるよりも早く、みなみはリサイクルされる代わりに、新しい親を見つけ出した。鹿毛山一郎は、育児を放棄した晴子の償いとばかりに、みなみの面倒を見るようになった。みなみは鹿毛山の愛情によりかかるように、彼の家に入り浸った。


「責任感の強い人で、過保護でしたね。いつもみーなを送り迎えして、遅くなる前にいつも向こうから連絡してきて」


 と、時田乃恵乃は回想する。生涯独身だった鹿毛山にとって、みなみは実子のような、あるいはそれ以上の愛情の対象であったようだ。

 十条と親しかった鹿毛山に接近することで、みなみが音楽やアイドルに興味を持つのは必然だったと言える。そして駆け出しとはいえ、遺伝子デザインという花形職業についていた鹿毛山は、自宅マンション地下のスタジオを長時間借り切り、みなみの自主レッスンのスペースを確保できた。

 その運命的な結びつきのうちで、鹿毛山にとって最も予想外だったのは、自分が手がけた娘という贔屓目を越えて成長するみなみのパフォーマンスだったに違いない。彼女の輝きは鹿毛山の目を奪い、ついには十条に対し、彼女のための歌を作って欲しいと懇願させるに至る。


『もちろん初めはただの親馬鹿だと一笑に付すつもりでいた。しかし、【クラクララブ】を踊る林田みなみを目の当たりにし、私の脳裏には、彼女のための曲想があふれ出した。』


 十条の回想は韜晦的で他人を煙に巻くことも多いが、この文章には、当時の真情を伝える率直さがある。

 十条の楽曲製作と時を同じくして、みなみはアイドル志願者の集うSNS【ジャンプアップ】でメンバーを募る。100人以上が募集に応じ、みなみと鹿毛山による選考の結果、時田乃恵乃を含む4人が採用された。

【シンメトリックス】と、光明寺水南の誕生である。


 林田晴子が、実の娘の活動についてどれほど関知していたかを知りうる資料は存在しない。現在、林田晴子は都内の精神科病棟に入院しており、外からのいかなる面会にも応じていないという。


 一方で、鹿毛山一郎は、光明寺水南と【シンメトリックス】のレッスンとデビュー、そして躍進を至近距離で見届けた。水南のブレイクとともに、遺伝子デザイナーとしての彼も多忙な身となったが、ライブやイベントにもまめに顔を出す彼の姿がしばしば目撃されている。

 鹿毛山の熱意を[美しい家族愛]と賞賛する声もあれば[ただのロリコン]と見なす揶揄や[過剰な製造物責任]という辛辣な評価もある。鹿毛山の犯行動機としても、水南との関係を性愛に結びつけたり、水南のゲノムに鹿毛山が固執したためだという憶測がまことしやかに語られた。


 自分のゲノム配列をオープンソース理念に基づいて解放しようとする光明寺水南に対し、配列を自分の制作物として知的財産権を主張した鹿毛山との意見対立が事件の引き金であった、とするストーリーは、遺伝子工学への警鐘としての分かりやすさゆえに人々の耳目を騒がせた。

 ヒトの遺伝子操作とオープンソース遺伝子に関する権利の問題は、21世紀を半分以上過ぎた今なお、きわめて錯綜している。デザインされたゲノムから産まれた人間が、自身の遺伝子をどう管理しうるのか、という難題にも、答えは出ていない。

 完全に同じゲノム配列を持つヒトを産むことは、法的にも規制されている。しかし【キャラ遺伝子】の問題が示すように、特定の遺伝子の組み合わせが莫大な利益を生むこともある。幾多の訴訟が提起され、裁判官や法学者の間でも解釈が分かれているのが現状だ。


 だが、鹿毛山はそうした生臭さから距離を置いていたように思われる。事実、光明寺水南のゲノム配列は大半が公開され、一部の配列を模倣した【ガーデンメイド】が多数産まれている。アイドルとの自己同一化を求めて、自身の細胞に彼女のDNAの一部を導入する人々さえ現れたほどだ。


『時代の寵児となってなお、鹿毛山は驚くほど無欲だった。彼が光明寺水南に向ける愛情はきわめて深甚であり、彼女の活躍を傍観するだけで、いわば宗教的法悦を抱いているようでもあった。ふたりの間の複雑な関係、それをまるごと呑み込むような巨大な感情であった風に思われる。』


 そう語る一方で、十条久仁彦は不穏な記述も残している。


『医者の不養生ではないが、いかに遺伝子を自在に操るデザイナーも、老いからは逃れられない。衰えがその身に刻まれるごとに、鹿毛山はますます水南の魅力に傾倒していくかのようであった。』



『様々な憶測を呼んだ、水南と鹿毛山のタイへの旅行も、どうやら過労で体調を崩していた鹿毛山をねぎらおうとした、水南から提案したものらしい。』


 ――光明寺水南の死の半年前、彼女と鹿毛山一郎のふたりは東南アジアへとバカンスに出かけている。

 この旅行に目をつけ、現地へ幾度も赴いて捜査を行った刑事がいる。臼井うすい樹音じゅねというその刑事は、皮肉にほおをゆがめて取材陣に応じていた。


『怨恨でしょう。どんなにややこしく見える関係でも、男と女のことですから』


 臼井の断定的で歯切れの良い口調は、無責任な視聴者の喝采を浴びた。

 世間の注目を浴びる凶悪事件において派手な捜査を喧伝するのは、地に落ちた威信を回復しようとする警察の露骨な人気取りの一環であると見透かし、眉をひそめる人々も多数であった。とはいえ、足での捜査により、臼井が成果を上げたことも事実である。


 件の旅行に関して当人たちからのリリースはいっさいなく、水南たちの足取りはきわめて不明瞭だった。ウェブに残るいくつかの隠し撮りスナップは、その希少な手がかりとなり、熱心なファンや野次馬の興味をそそった。

 隠し撮り写真の1枚には、現地の女性から果物を買い、そのままかぶりつく水南の陽気な笑顔が映し出されている。付加情報から、それがバンコク郊外のマーケット、夕方の写真であることまでは明らかになっていた。

 臼井は丹念な捜査によって、その果物売りの現地女性の所在を突き止め、事情を聴くことに成功した。アティヤー・ラーイーというその女性は、その写真の撮影後も、水南や鹿毛山と親しく交流していたことが明らかになった。


『光明寺水南たち一行の現地滞在中、彼女が何度も部屋に呼ばれたことを突き止めました。彼女と鹿毛山との間にただならぬ関係があり、それに光明寺水南が不快の念を抱いたという可能性が高いと思われます』


 臼井が記者会見で断言したその映像は、爆発的なアクセスを記録した。


 その映像をあらためて見つめる時田乃恵乃は、しかし、失笑を抑えられない様子だった。


「最初見たときは、馬鹿かコイツ、って頭に来ちゃいましたけど、今となっては笑っちゃいますよね……結局、肝心のことを何にも分かってないんだもん」

「みーながレズビアンだったのなんて、友達でも仕事仲間でも、みんな知ってましたよ。あの刑事さん、たぶんそういうの思いつきもしなかったんでしょうね……聞かれなかったから、私も答えなかったし、他の誰に聞いてもおんなじように言ってました」

「あの子はそのへんすごく奔放で、誰彼かまわず手を出してましたからね。あのタイの女の子も、一時のアバンチュールってつもりだったんでしょう。……私、ですか? ……さっき言ったでしょ、誰彼かまわずって。ま、そういうことです。……遊びでしたよ」

「メディアに漏れなかったのは、鹿毛山のおじさんがフォローしてたからです。今でもこういう問題はスキャンダラスですし、他のゴシップは見逃してでも食い止めたかったみたいで。おじさん、それで自分の稼ぎをだいぶ費やしたらしくて、みーながちょっと怒ってました」

「鹿毛山のおじさんも、ほんとに無欲な人でしたからね。浮いた噂なんてひとつもなかったし、仕事のこととみーなのことばっかり考えてて……あ、でも、みーなの女性関係におじさんが嫉妬ってのは、ちょっとありえないですね。あの関係は、なんかそういうのとは、違ってました」


 しかし、このバカンスの時期以降、光明寺水南に関する多くのゴシップや中傷が目に見えて増加してくる。水南と鹿毛山との関係への疑惑が、ファンの心理に影を落とし始めた、とする解釈は、分かりやすく共感を呼ぶストーリーだ。

 事実、塚西仁太は当時の空気をこう語る。


「ちょうど、鹿毛山一郎が、みーなの産みの親としてクローズアップされてた時期でもありますしね。よけいな憶測を呼ぶ真似はすべきじゃない、っていう意見が大勢だったんですけど、クラウドの見解を突っぱねて、ふたりは旅行に行ったわけです」

「それで案の定、人気が下がる兆候が見えてきました。それでも当時としちゃ飛び抜けてましたけど……ここまでかな、と」


【ジェットスケーター!】リリース直前、塚西を含む初期からのプロデューサーの半数近くが、クラウドから離脱している。

 とはいえ、塚西の言う”兆候”なるものがどこまで信頼できたかは、今となっては不明だ。彼が依拠した数字は、ビッグデータのマイニングによって得られた微妙な変化であり、本当に凋落のきっかけとなり得たのか、ただの誤差だったのか、後知恵で読み解くことに意義は見いだせない。

 いずれにせよ、データが予期したとされる転落よりも先に、光明寺水南の死は不意打ちのように訪れた。そこに至る理由を指し示す証言は、決して多くはなく、あいまいだ。ひとつの死は全てを変え、記憶されたあらゆる印象が何かの予兆のように人々の心中で作り替えられる。


 それでも、いくつかの証言は、被害者と加害者の双方に生じた変化を伝えている。


「……雰囲気変わったかな、とは思いましたね」


 旅行の直後、ツアーのリハーサルに現れた水南の姿を見た時の感慨を、樋口瞬はしみじみと回想する。


「珍しくステージで上の空ってこともありましたし、ミスも目立ちました。リハーサルでもつまずきさえしないみーなとは思えなかったなあ……むしろ、19になるまで全然変わらなかったってのが不自然なくらいでしたけどね。あの子も人間か、って安心したくらいです」

「まあ、そん時ゃ、旅先でいい娘でも見つけたかな、って程度の気分でしたけど……鹿毛山さんと? いや、想像もしないでしょ、そんなの」


 何も分かってないな、という顔で、樋口は首を振った。


「鹿毛山さんこそ、全然変わってないように見えたけどなぁ」


 一方で、鹿毛山と親しかった十条久仁彦は違う見解を抱いている。


「……一郎は、ちょっとずつ変わっていたのかもしれない。それとも退行したのかな。年を取ると人間、子どもに戻るって言うからさ。遺操いそう一種を取る前のあいつは、電子顕微鏡と試薬だけが友達の、無口なガキだったもんな」

「生き物がどういう仕組みで動いてるか、中で何が起こってるか、知らずにはいられない。それで生物の道に進んだようなもんだからね……だから、まあ、人間の解剖学についても、よく知ってたってわけだ」

「20年近くの間、あいつはみなみちゃん……光明寺水南を見続けてきた。若い男がオヤジになってく、長すぎる時間さ。その間に、みなみちゃんは娘みたいな存在から、アイドルに変わっていた」

「……水南の中身を知りたくなった、としても、ふしぎじゃないかもしれない。そんな風に思わなくもないよ。何せ、あいつは設計図を作っただけ。その中身がどんな風に成長したのか……研究者として、知りたくないはずないんじゃないか、ってね」


 鹿毛山一郎は、自らの最高の創造物の内部を記録し、ネットワーク上のアーカイブに保存していた。公開されないまま、警察に押収されたそのファイルが流出し、ひそかに共有されている……という噂は、静かに、しかし絶えることなくささやかれている。

 早世したポップアイコンにつきものの、郷愁的な生存説を思わせる。それに現代性を加えているのは、付随して流れるもうひとつの説――解体された肉体の筋肉量、骨格、内臓の位置に関するデータが、3Dモデルのリアルな設計に用いられているらしい、というものだ。


 いかに[ガーデン]の環境が発達しているとしても、ひとりの人間が生きて遭遇した状況を完全に再現するには、計算量はとうてい足りない。光明寺水南は、結局、彼女が生まれ出た環境からしか生まれ得ない。厳然とした事実が、その噂に迫真性をもたらしている。


 しかし、その一方で、事実に抗おうとするかのように、光明寺水南を作ったDNA配列を求める者は後を絶たない。身体形成に関わる部分については、彼女と同じ遺伝子配列を保持している人間は、すでに100万人を越えるとさえ言われている。

 生まれ来る赤児の未来に、あるいは偶像ならぬ己自身に、光明寺水南のほんのひとかけらの因子でも与えることができれば、幸せが約束される……そんな、信仰めいた想いが、その数字の裏側から聞こえてくるかのようだ。

 DNA配列の一部として、3Dモデルとして、アバターとして……様々なやり方で分解され、解析されながら、光明寺水南の一部は世界の隅々に行き渡る。死後も、彼女は遍在し続けている。


 彼女の死の直前、ライブツアー初日を控えた光明寺水南の控室に、時田乃恵乃が陣中見舞いに訪れている。その時のことを訊ねると、長い沈黙の後、乃恵乃はぽつぽつと語り出した。


「……いつもと同じに見えました。はい、旅行の後、ちょっと印象変わったけど、みーなはみーなでした」

「病院に行ってたの、って、そう言って笑ってたんです。鹿毛山のおじさんが、相変わらず調子悪そうだったの知ってたから、その付き添いだと思って。そう訊いたら、『秘密だよ』って。ふしぎな顔で笑うんです」

「それが予兆だって思うのは、後から回想してるからかもしれない。十条さんとか、そんな風に言いますよね。それでも、私は思ってしまうんです。あれが、みーななりに助けを求めてたんじゃないか、って。それか、自分が死ぬのを、知ってたんじゃないかって」


 ……それから数時間後、鹿毛山一郎は光明寺水南を殺害する。その瞬間のことは、いかなる記録にも残されていない。


 この取材を締めくくるにふさわしい最後の証言者を求め、筆者はタイに飛んだ。周知の通り、20XX年5月現在、タイへの渡航は厳重に制限されている。【チャトチャイ病】と通称される、新種の伝染性神経疾患が猛威を振るっているためだ。

 蚊を媒介にするとも、食物に潜む寄生虫が原因とも言われるその病は、感染者の神経系を蝕んでいく。初めは、手足のしびれなどの軽い症状だが、早ければ1ヶ月、遅くとも1年のうちには、感染者は全身麻痺に陥り、呼吸器不全によって死に至る。


【ガーデンメイド】の時代、予期せぬアウトブレイクは思わぬ脅威となり得る。未知の病原体に対し、[ガーデン]のチェック機能は人体の免疫と同じ程度に無力だ。目立たないタンパク質欠損を持ったオープンソース遺伝子が、知らぬ間に普及する可能性は決して低くはない。

 病原体の変異が予測できない以上、その種のリスクは、遺伝子をデザインされていない人間にとっても同じとも言える。しかし、病原体がヒトからヒトへ感染するよう変異したとき、遺伝子に同じ欠損がある人間同士での感染率は非常に高まることが予想される。

 今のところ【チャトチャイ病】はヒト間感染は確認されていないが、患者、あるいは感染の恐れのきわめて高い――特定のタンパク質欠損を持つ人間は、遺伝子検査によって変異を特定され、隔離される。


 酷暑の下、バンコクのある総合病院に彼女はいた。彼女の胸元に抱えられた乳飲み子に、【チャトチャイ病】感染リスクの高い遺伝子変異が認められたのだ。

 不自由な生活を強いられながら、彼女は、赤道直下の陽射しのような快活な笑みを崩さない。娘をあやしながら、子守歌を唄っている。アジアの旋律とはかけ離れた、激しく鋭い曲調を、母親らしくおだやかで安らかな響きへと変えて唄い続けていた。

 短い面会時間が終わるころ、彼女はようやく筆者に気づいたかのように顔を上げた。彼女は、赤児の顔を自慢げにこちらに見せながら、小首をかしげる。アティヤー・ラーイーが発する、タイ語ののどかな調子が、耳に心地よく届いた。


「かわいいでしょう? ミナと、あたしの、娘なんです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ガーデンメイド・チルドレン -アフロディテの解剖- 扇智史 @ohgi_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ