謹賀 - Happy new year! Ⅲ -

 ◇本話は「馳走 - Happy new year! Ⅱ -」の続きとなっております。

 その為そちらを先にご覧になってからお読みいただくことをお勧めいたします!




 ◇◇◇




「カップル……カップル……」


 あれから数分、いくらか落ち着いたものの、依然としてリアの脳裏にはフィアーの言葉が延々と響き続けていた。


「まあまあリア、落ち着いて」


 それに対し、他人事のようにたしなめるフィアー。

 ―――これには流石のリアも怒りを抑えられなかった。


「落ち着けるかー!」


 ―――大体、目の前のこの男は、義姉の乙女心をなんだと思っているのか。

 ことある毎に「お姉ちゃん」呼びをしたり、かと思ったら今度は自分達はカップルであるなどと吹聴したりと、フィアーはいちいち思わせ振りなことをしてくる。


 その度に心を掻き乱されるこちらの身にもなってほしいものだ、とリアは頬を膨らませ流れ遺憾の意を表明する。


「いや家族割もあるっぽかったけど、身分証出せとか言われちゃったら詰んじゃうからボクら」


 だがそれに対してフィアーはあくまでも理詰めで返す。


「……まあねー」


 そう、フィアー達は未だに身分証を持っていないのだ。

 ワルキア王国ではIDカードがあったが、ここでは自らを証明する身分証の類いにはならないだろう。


 ―――リアがうつむき思案してるその最中、フィアーはメニュー表を取り出しながらウキウキとした表情で本日の食事を選び始める。


「ま、とにかく……美味しくご飯をいただこうじゃないか!」


 その表情は満面の笑みだ。

 リアと初めて出会った頃では考えられないほどに華やかなその笑顔は、ワルキアで初めて串揚を食べた時とも比較にならないほどに満面のものだった。


「ほんと、フィアーって美味しいもの食べるってなると感情全開だよねー……」


「これでも前よりはだいぶ戻ったほうだよ?普段も」


 そんな会話を気さくに交わしながら、フィアーは卓に置かれた呼び出しボタンを押下する。


「じゃ、注文するね」



 チャイムが鳴り、店内に鳴り響く。




 ◇◇◇




 ―――注文から十数分が経過した。


 フィアーは慣れた様子でサクサクと注文をこなした。

 適宜リアに「○○は食べたことはあるか」、「○○は苦手だったりするか」と意見を求めながら、リアには呪文の羅列にすら見えるメニュー名を列挙していったのだ。


「商品名から全く内容がわからなかった……」


 リアは注文表を眺めながら、呆気に取られたような表情を浮かべる。

 商品の画像が載っているものならまだいい。名称だけ記載されているような物は、そもそもどういう食べ物なのかが一切想像できなかったのだ。


「あぁ……特にこの店は特殊だからね」


 そんなリアのぼやきに、フィアーは気遣う素振りを見せる。


 ―――思えば、初めてここに来た日もそうだった。

 フィアーも最初は、メニューに並ぶ難しい言葉の羅列に商品の概要すら分からずに困惑したものだ。


 そんな感慨に浸っていると、先ほどの店員が現れる。


「お待たせ致しました!」


 手には大きなお盆を持ち、その上には大きな白い皿が載せられている。

 彼女はそれを片手で持ちながら、もう片方の手でテーブルの上にその皿をゆっくりと置く。


「こちらお先にお寿司の盛り合わせ「紅の饗宴サバト」となります!」


 皿の上には、握り寿司がずらりと並んでいる。

 ネタは瑞々しく、鮮度の良さが一目でよく分かるほどに輝いていた。


「ありがとうございます」


「ごゆっくりどうぞ!」


 フィアーのお礼に対し、満面の笑みで返す店員。

 そして彼女は他の客に呼ばれ、小走りでその場を去っていった。


「これが、ジャパニーズ・スシ……!」


 思わず、テンプレートな台詞を口にしてしまうリア。

 ―――彼女は、生魚を食べたことがほとんどなかった。

 ワルキア王国が内陸も内陸、大陸中央部であったこともあり、新鮮な魚が手に入ること自体が稀だったのだ。


「外国人のような発音だなキミ」


「実際それに近いしねー」


 ―――そう、ここではリア達は異邦人だ。

 もちろん現在の自分もそうなのだが、改めてそれを認識すると少し落ち込んでしまう。


 フィアーがそうしてちょっと落ち込んでいるのを知ってか知らずか、リアは並べられた寿司に夢中だ。


「それにしてもこれ!色んな種類のが乗っかってるんだね……!」


「マグロに、サーモンに……こっちは寒ブリだったかな」


 並べられたのは紅いネタばかりの鮮やかな寿司達。

 マグロ、サーモン、寒ブリ、赤貝等々。

 これこそが商品名である「紅の饗宴」の由来だ。


「旬のものが多くのってるのを頼んだから、1貫ずつ食べようね」


 寒ブリなどは特にそうだ。

 極寒の中で育ったブリは、よくしまった身に極上の脂を持つ。


「うん!頂きます!」


「それを醤油につけて食べるんだ」


「こっちにもショーユがあるんだね……じゃ、これにつけて……」


 リアは慣れない手つきで寿司に醤油をつけると、パクリ、と口のなかに放った。


「!」


 ―――その瞬間、リアは目を見張る。


「どう?」


「すっっっっごく、美味しい!」


 リアの表情は満面の笑みに染まる。

 その様子に、フィアーも嬉しそうに少し微笑んだ。


「よかった、生魚ダメな人もいるから少し心配だったんだけど、一安心だな」


「お魚を生で食べるってとっても新鮮な感じだけど、すっごく美味しい!ご飯にも少し味がついてるし!」


 どうやら酢飯の味もお気に召したようだ。

 この世界の人間の中でもかなり好みが分かれるところではあるが、リアはとても気に入ってくれたらしい。


「気に入ってもらえてよかった、ボクも食べるか

 な」


 リアの満面の笑みを一番の調味料に、フィアーも一貫寿司を摘まむ。

 真っ先に手に取ったのは寒ブリだ。


 薄いピンクと赤のツートンカラー。

 その身にほどよく入った脂の差し色からも、そのネタがとても新鮮なものであることがよく窺えた。


 フィアーはゆっくりと、小皿に注がれた醤油にネタをつける。

 これはこの土地の地醤油だ。元々味噌の製造が盛んな土地だけに、醤油の味にも趣というものがある。

 だしが入ったその醤油は、コクの面においても他の醤油に比べ抜きん出ている。


 ―――そしてついに、フィアーは寒ブリを味わう。


「―――!」


 ―――フィアーに衝撃が走る。


「やはりこの時期はブリが美味い……!」


 そも、寿司を食べたのなど何年ぶりだろうか。

 ワルキアに居た頃にはそもそもなかったし、それより以前などなおのこと食べられる機会はなかった。


「しっかりと引き締まった身と、濃厚な脂……」



 それだけに、この味わいは戦慄に脳裏に雷のような衝撃をもたらす。


「冬はやはり海産物が極上だな……」


 冬、というと誰もが想像するのは極寒、豪雪と辛い環境だが、それは同時に食に大いなる潤いを与えるものでもある。

 厳しい環境を生き延びた魚達は特にそうだ。身が引き締まり、それに比例して味や食感もよりよいものへと変わる。


 フィアーがひとしきり寒ブリの味に対し感慨に浸っていると、対面のリアが一貫の寿司を見ながら声をかけてくる。


「フィアー、この紅い球体のって何……?」


 その視線にあったのは軍艦だ。

 海苔で巻かれたご飯の上に乗せられた、宝石のように透き通った真紅の真球が数多く乗せられているそれは、沢山ある寿司達の中でも特に、その存在感を示していた。


「あぁ、イクラだね。サケの卵」


「お魚の卵か……美味しい?」


「ボクはすき」


 その言葉を聞くと、リアはその表情をパッと輝かせて寿司を手に取る。


「じゃあ……頂きます!」


 ―――自分への信頼の暑さが、逆に怖い。

 フィアーは内心、少し不安だった。


 魚卵だって、好みが分かれるものではある。

 自分が好きだから、と信頼してもらえるのは嬉しい限りだが、それで食べてみてやっぱり苦手、となってしまうと流石に申し訳がない。


「!」


 ―――イクラを口に入れた瞬間、リアの表情は劇的に変わる。


「どう?」


「プチプチとした食感がすごく新鮮……噛む度に、美味しい味が口の中に広がっていくような感じで……」


 その噛み締めるような表情は、真に美味しい食物を食べた時にしか出せないものだ。

 リアのその姿を見て、フィアーは安心してつい微笑む。


「リアにも気に入って貰えたようで、よかった」


「ん……フィアーの連れてってくれる店ってだいたい美味しいイメージあるよね」


 寿司を味わい終えたリアは、フィアーに話しかけた。

 ―――自分達の現状がこうなってからしばらく、フィアー達は街から街を転々とし、その街の美味しい店を行脚するのが通例となっていた。


「美味しい店を探すのが趣味だったからね、昔は。まさか、今でもこの店が残っているとは思ってなかったけれども」


 そして、今はこの街。

 数十年前まで、一地方都市であった極東の都市。


 今ではここは、この国の第三首都だ。

 ―――繰り上げのようなものではあるが。


 フィアーにとっては馴染み深い地であるこの街ですら、復興が進んだ首都圏以外は瓦礫の山と化している。


「―――もっと、色んな店があったんだよ」


 そうしてフィアーは、遠くを仰ぐ。



 ―――その瞳の先に写るものはきっと、朧気にしか残留していない儚い記憶の残滓だった。


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