「紅蛇は声を出さないでコミュニケーションできる方法を考えたよね。好きよ」なんとも言えない。

 私は「聞く」や「読む」に比べ、「話す」という行為を行った回数が極めて少ないと実感した。話し方がわからない。単語ひとつひとつの発し方、会話の始め方、なんだか、よくわからなくなってくる。


 先生に「紅蛇はタイミングがいい」と言ってくれた。タイミング。言うべき時は、雰囲気でわかる。

 何を言っているのかは、場の空気感、声のトーン、息遣い、表情、仕草、動き、見えても見えないそこにある感情で、ほとんどを理解できる。全て見れば、理解できたの。けど、それだけでは生きていけなくて、自分も何かを喋らないといけなくて、私はその訓練を怠ってしまった気がしてならない。


 愚痴のやり方がわからない。


 イラつくことを他者に伝えることができるけど、それは愚痴とかとは違って、何か違う行為のように感じる。

 クラスで女の子たちが別の子の愚痴とか、悪口とか、「ああいうとこ、駄目だよねえ〜」って言っているのが、不謹慎な感じだけど、憧れてた。

 自分の思ったこと、自分のこと、家のこと、友達のこと、学校でのこと、好きな子のこと、嫌いな子のこと、色々なことを別の子に、何一つ悩まずに言っているのが、羨ましかった。

 私もあなたのように、色々なことを自分ではない、誰かに、何も考えずに言いたいって。

 きっと彼女たちは彼女たちなりに悩みながら、そのことについて話しているのだろうけど、私には自分の痛み、悩み、悲しみを他者と共有できる彼女たちこそ、強い人たちなのではないのだろうか、とか思ったりもした。逆の可能性もあるけどね。共有しないと、自分一人だけが背負い込みことになるから。それすらできないからこそ、弱いと考えることもできるね。けど私は、そうは思えなかった。


 他者と、自分の意見を共有する。


 凄いことよね。

 今まさに私がやっている行為が、そうだと言われそうだけど、ちょっと言いたいことと違う。私のは、他者のことは考えていなくて、自分の中身を整理するためだけに書いている。

 小さい頃は、絵を描くことで、自分を落ち着かせることができた。今は、文字を書くことになっただけ。絵は、なんだかよくわからなくなっちゃった。私、何が描きたいんだろうって、もどもどしてるから、少し休憩。それに、顔ばっかり書いちゃうから。


 よし、落ち着いてきた。今日こそは早く寝ようと思ったんだけどな……。まぁいっか。


 そうだ。今日、「紅蛇は何をしても、紅蛇らしさが滲み出るね」的なことを言われた。

 なんとも言えない。私らしいって、なんだろう。

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