歳月不待
「良いお年を……」
で別れ、年末年始休暇を
「新年明けましておめでとう! 」
から始まった、三者三様による、お弁当通信作戦の、本年仕事初めの朝である。
省子と慎一、もうそんなに若くはないカップルとて、恋人は恋人、ふたりにとって初めてのクリスマス、正月の初詣等々、年末年始は何かと多忙で、昨年来の繁雑振りのまま年を越し、漸く一段落したと想うや否や、早くも仕事が待っていた。
一年は、実に
我々は、そんな一年の途中経過を、準備段階から、つまり
四季の明彩豊かな日本は、この狭い国土の仕切りの中で、尚以て凝縮するかのように、長い年月を奉じて、繊細かつシンプルな、いわば日本らしさ、日本のこころを、その内容の充実に込めて、〝季節感〟 なる器を用い、作り上げて来た歴史がある。四季の移ろいにこころ寄せ、その始まりも、
主張をしないという主張。薄らぎの世界との出逢い。それが、日本の美の心髄である。
日本人たる精神性、『薄ごころ』 の。
記憶……
それは、自身という、最短距離の存在が具有する、異次元の
近過ぎて、手が届きそうなのに、それなのに届かない、
そして、その浮かび来る表情と表情の間隔も様々、同時に複数個表れたりもし、我々は、折々身の置き所に窮し、満足な対応に至らぬ場合さえ、残念ながらないとはいい切れない。
……さりとて、殊この三人に関しては、歳月という時間を、無駄にも蔑ろにもしよう事など、到底考えられない、全くの無縁であると断言出来る程、昨年来、交流に自信を深め、盤石の関係性を構築して来たのである。
忙しいという事は、さるにても愉しい。大変は大変だが、それはまた、楽しいという事の裏返し、謙虚な人の、照れ隠しの挨拶のようなもので、大変結構な幸せである。多言を要しない。人生を楽しみ、深く味わう。一度切りしかない、それぞれの人生を、わかっているからこそ、言葉にせずとも。
定食屋〝みはる〟 には、いつもこんな空気が充溢している。常連客達は、その、無料サービスお代わり自由の空気丸ごと、食べに来る。今年も、商売繁盛間違いなしであろう。
……省子と慎一。
ふたりの共通意識の器は、本物を遺し、本物が遺った感覚に占有を命じている。
別々の独立生命体は、別々の肉体を纏い、その内部に別々の自我を定住させるべく、別々のプロセスにて鍛錬を習熟し、相対性の波間を、浮いつ沈みつ遠泳止む事なく、如何にかこうにか生命活動を繋げて、とある接点を契機に、一視同仁の順風に煽られ、接近、そして接触、交換……現在に至るに、連担性のクオリティに重きを置いている。
確かに、歴史は浅い。緒に就いたばかりの関係性にもせよ、共にそれ以前の経験が、直情径行のままの共通意識を怖れ、可及的速やかに本物志向を以て、歴史の未成熟とて補わん事も、交換作業の一環である。
それ故に、本物は、尊い共通意識の証左をも、遺し得ると考えるに及ぶ事も、自然な成りゆきであろう。
〈リアルに、自身に聞く、自身に問う。自身を以て、考える。先ず、自身だけで温める。第一に己の〝個〟 を意識し、平明に
生活基盤たる、人生の根っ子の拡充、即ち安定化が、ふたりにとっての急務、最優先の懸案事項である事は、他言を待たない。
「省子ちゃん達は、初詣どこへ行ったの? 」
「はい。両親とは、除夜、地元の氏神様。慎一さんとは……二日に、明治神宮へ」
慎一は幸運にも、今年の正月は五連休が取れていたのであった。
「へえ〜、凄い混雑だったでしょう? ……日本一の人出だからねえ」
「足下が、砂利で真っ白になっちゃって」
「アハハハ、そうでしょう! ……私もね、岡野さん
「そうなんだあ。じゃあ来年一緒に行きましょうよ、ママ」
「若手同士で行って来なさいよ! 私なんか放っといてさあ」
「アハハハハ……」
慎一の泊まり勤務用の、二食分のお弁当を拵えながら、朝のまだ客のいない店内に、ふたりの笑い声が
学大の街は、正月気分覚め
そして、この、ぼんやりとした境界線から漏れ出して、展がり続けるような空気感を、正月なる、季節感の器を用いて透過すれば、形を成さぬ空気とて、
なぜなら、似たように形を成さない、目には見えないこころとて、愛というトランスミッションを以て、増幅されようものなら……見える。見えて来るだろう? 見ようとするだろう? 無論、
……省子は、みはるに促されるまでもなく、当然来年の初詣を想像している。それは慎一とて、定めし同様であろうとした、新年らしい、慎しみ深いプライドに裏打ちされた、
この、当然の想像の内容物は、勿論、大同小異の相を成して、連なって存在しているのだが、最重要視せざるを得ない問題、省子と慎一ふたりにとっての、実現という問題を、正に今年、決めなければいけないとする、問題意識は、今はまだ、この段階に於いて、想像の域を出てはいない、微妙な由ある
そして既に、個々の
正しく、勝負の一年である。
〈決める!! 〉
想像は想像に非ず、やはりの希望、隠せぬ希望、げには、確信なり。
本年最初のお弁当を受け取り、今、慎一は、こうして東横線の車内にいた。今年も相変わらずの荷物の重さが、若干正月
その左袖口から覗く、腕時計を巻いた手首に浮き出た、太い血管越しに流れる、目黒の街の風景を、ここへ来て漸く真に取り戻した、モラリスト然たる社会人の、常識的な面体そのものの目線が、いつもながらの街の佇まいに、冷静を保っている。
つい先刻、例年通り、簡単に交わした、みはるとの新年の挨拶の、その互いの口上にも、そして目の輝きにも、
〈例年には見られない、〝
慎一は、そう感じていた。
まるで航空機の離着陸訓練の、タッチ・アンド・ゴー
折しも中目黒駅のホームに飛び込み、すぐ
この短い橋を渡る度、慎一は、空想の囚われ人に甘んじる事も、最早ライフワークのように、常態化していた。どうしても、ありとあらゆる人に、許して欲しい。殊に、省子に。
〈……だから、省子も、俺も、それぞれに、目黒川と隅田川の流れに、浮き草の如く、漂うしかなかったのだろうか? 当てのない、水の紀行を誌しながら、右往左往する事も辞さず、時に陰に隠れ、じっと、何かを待っていた、何かを探していた、何かを掴みたかった。泳ぎに泳ぎ、流れに流れ、浮く事に疲れもしよう、されば沈みもしよう、この漂流者達は、一も二もなく、根を、根っ子を求めて彷徨っていたのだ。諦めというこちら岸と、忘却という向こう岸に架かる、色のない、目に見えない橋から転がり落ち、無情という名の川に嵌まり、矛盾という水に溺れに溺れ、
そして、センチメンタルな川の流れは、根っ子の存在の可能性を、本能的に察知させて、美しく運命付けられた、それに相応しい色相に、質的変貌を遂げ、その温度を上昇させ、忍びに流した涙の腐心に、今こそ報いんとばかりに、水が水を誘うように、省子と慎一それぞれの掌中に、
根っ子を握らせたのである。
遂に、見付けた。
必然の幸せを、偶然の事のように素直に喜び、偶然の不幸を、必然の事のように内省に遡れる、謙虚なこころが、必然の不幸を、偶然の事のように、尤もらしく操作したりしない、
真に、凜として、真っすぐ一本、咲いて立つべく、その根っ子を得るに至った。
……電車は代官山を発ち、
大切なものを得る為には、欲しがるばかりではなく、それ以前に先ず棄てる、余計なものを棄て去る事、それから始まる話である。欲しいのなら、棄てる事が先決、必須条件であり、欲しいものも手中に収める事は出来ない。トレードオフの
学大の自宅を塞ぐ
そこへ吸い込まれても、順路を迷わない、習慣付けられた行動を
適宜、瞬時に判断して、時に人波を
その条件のひとつ。何事にも、余得なるものが伴い、人の幸運にしても、忘れた頃にやって来たりするものである。去年の夏、省子とふたり、忘れものを探すように、
〈美しい、隅田川の夕日に出逢えた事だって、言葉は相応しからぬにもせよ、
想わずにはいられない。
謙虚たればこその、嬉しい誤算、つまり選択した感覚を否めない。あの、故郷の落日が忘れられず、こうした自由な回想さえ許容される事が、今では楽しい習慣の、成立条件を満たしている。
自由とは、バランス。その継続という目的成立の為に、必然欠くべからざる条件である。
不肖、慎一は、いつもと変わらぬ通勤風景に馴染んだ、微細なひとつの
小さな
〈……形骸化したプライドという矛盾、エクスキューズを集め、用意しないから、背負わないから、シンプル。故に、幸せへの近道。
時間は、止まらない。
人生は、二度ない。
人は、二度死なない。
諦めては、いけない。
子供達に、惜しみなく愛の雨を注がねば、今、地球上に降り頻る、悲しみの涙雨は、止まない。
〈解放というものだろう……〉
正に、解放期の入口に立ち至ったと、新鮮なこころ持ちに浸るのであった。
……半蔵門線に、揺られるばかりである。
車内に囚われの身を、押し合い
そのドアの脇に、反対側のドアから追い詰められ、この佇立スペースを辛うじて見付けた慎一は、流れる黒い硝子の鏡の中で、他の乗客と目を合わせないようで、たまさかの一致にも動じるふうも見せない、自身の経過を観察しながら、地下鉄特有の走行中の轟音に、かつて、
所要約四十五分の、さして長くはない通勤時間は、地球内部空間に浮かぶ、駅という光の島々を、次々に架け渡す轟音列車の、光の明滅を
〈乗っちゃ不思議と安心する、、、〉
最近の慎一は、そう気付いた。
やがて、次が降車駅。段々と、駅の島の迎撃の兆候
〈解放された! 〉
それは省子とて、勿論同じであろうと想えた。光は、収縮期から拡大期へ、今正に移り変わろうとしている。一方の拡大は、同時に他方を吸収縮小させる。
もう間もなく、この地下を脱出すれば、地上は如何にも明るく眩い朝であろう。
……浮き草は、普段は黙り込んで静まり返り、身を潜めるように、無意味という餌を
その〝
〝
〈何かを掴みたくて、欲しくて、ひたすら追い駆けて、受け容れられていない、乗り遅れてしまった、マイノリティの孤独、葛藤を、振り払うように、届かない何ものかに手を延ばし、もっと延ばして、やっと届きそうで、でも届かない何ものかが、こんなに近くに見えるから、やっぱり手を延ばすけれど、それなのにどうして? なぜ? こんなにも遠く隔たっている、記憶なる迷宮に浸入し、誘われるままに、尚も追い駆ければ……求めてばかり、拒んでばかりの自身を、想い知らされ、無意味を裁かれ、余計なものを放棄し、シンプルな自身を受容するこころを
そして、ここで、得た。得られた。
記憶という、近くて遠い自身の
〈それにしても、なぜ? わからなかったのだろう。どうしてだろう? 〉
とにかく、長い旅であった。どんなにか、長かった。今はただ、平々坦々とした心地良さに、酔っていたかった。安定と平和を、知る所となった。冷たい雨も、もう
……かくして、午前の、一階受付
慎一は、ただ、ただただ省子の笑顔が好きだった。いつも自身の隣りで、笑っていて欲しかった。いつまでも、そんな笑顔に触れていたいと想っていた。自身の記憶世界を席巻して離れず、間違いなく、自身を幸せにしたのである。笑顔に、愛に、存在そのものに救われ、解放され、復活し、ここから悉くが、既に始動している自覚をも直伝され、ありとあらゆる手掛かりたり得る予感に、血湧き肉躍る。こころが、語る。
〈俺は……この笑顔に出逢う為に、生まれて来た。この笑顔に触れる為に、生きている。そして、俺は、この笑顔を守る為に、ただその為に、存在している……〉
存在理由を決定した。
省子に逢いたくて、逢いたくて、、、ただそのままに、小さな灯台を守るような、それだけで、
〈生きてゆける。
誰もいない排他の、孤独の暗い波間を漂う浮き草は、灯台の仄明かりを、寄る辺と結論付け、
〈どうして、こんなに楽しいのだろう? ……〉
かつてのネガティヴは、無意味な事に意義を与えた虚像を、半ば麻痺した臭覚が、自らの燻る体臭の違和感に気付きながらも、尚も正当化し、他に抵抗、自らに無抵抗な、矛盾だらけの実像を作り上げ、生意気な子供が、大人になり切れずに、
消し難いネガティヴは、愛によって、覆い隠されただけなのである。嫉妬、屈辱、怨恨の、無視出来ぬパワーを生む、負の情念は、消せない……消えようともしない。
そしてそれは、喜ばしきプラス感情、愛と同じ……消え
ただ、、、生きようとする正負双極の、生命の緊張関係が、数多の負の非合理を、最終的に、一点の正の論理に懐柔させる代わりに、永遠という、永世中立の
その人を愛せないのは、他の人や環境の
その人を恨めないのは、他の人を愛しているから。
だから……忘れると、いう事になるのだろうか? ……その人の事も、何れ、他の人さえ……。
人は、生きている限り、とある想いと、その対極にある、つまり正負の感情の、人知れぬ協力関係、ともすれば付和雷同に過ぎない、かかる可能性、薄ごころから忘却へ至らしめる、雪融けの春を待つかのような、遥かに願う作業、この
風前の灯火であった由美子への愛は、強大なマイナスへの、
愛しもすれば恨みもしよう、それが必要であるが故、その感情を具有する生き物の、愛たるは、喜びばかりではなく、時に悲しみ、怒り、寂しがり、妬み、恨む事さえある、全ての感情の可能性が内在する、多面体である。人間の存在そのもの、正しく人間である。愛するとは、愛というものは、存在全てを預け合う、人間にとって基幹たる生命活動であり、たとえ、それが消えそうになったとしても、再び対象を求めて、生きようとする
愛する生き物なのだから、失くしてもまた、探して、生き続ける。
ネガティヴによって覆い隠されていた、慎一の愛の魂は、今、省子の
疑問を投げないように、
傷付けないように、
深く想いを致す自身がいる。
先鋭的になってしまえば、
正に、本末転倒、
悪しき料簡と、
何れ、時間の経過が、
由美子に纏わる、プラスもマイナスも、
懐かしい記憶の薄ごころをして、
〈……許せる……そんな日が、いつか、訪れる。もう、良い……良いんだ、、、〉
静かに、祈った。
失くした愛、失敗の悲しみ、寂しさは、しっかり
省子と慎一は、自身の中の虚像をぶっ壊したのである。それには、愛の力が必要であった。かくして、真っすぐな樹は守られ、更に伸びてゆかんとしている。さればこそ、いざとなれば、自身の匂いはわからない、そこへ逃げ込めば良いとする、エクスキューズを用意していた過去を、後悔こそすれ、今のふたりなら、マイナスをプラスに転じられ、
……いつもながらのお弁当に、身もこころも満たされてゆく、その夕食を頬張る真っ最中の、休憩室の慎一であった。
今日は、ひとりである。本日も何事もなく、至って穏やかな内に、泊まり勤務の時間は過ぎていった。この休憩時間も、まだたっぷり遺っており、つい数日前、新年の挨拶に、ひとり鳥越の実家へ帰った時、どうしても言い出せなかった想いが、今の〝まさか〟 、まるで
食べ終え、その想いを、電話で直接、両親へ伝えたいと……気が
母のスマホに、直電を入れる、、、
「あ、慎一? 」
母の声が、優しく響いた。
「うん、こんばんは……」
「こんばんは。仕事中? 」
「うん。でも休憩中だから大丈夫だよ」
「あっそう、どうした? 」
「あのね、お母さん。こないだ……言えなかったんだけど……」
「
「……俺もさあ、また、幸せになれそうかなあって……」
「そうなの? 本当? 」
慎一の、予想に
「ううん、実はさあ……」
「由美子さんと和解したの? 」
「違うんだ。ごめんね……お母さん、今は、それしか言えない、ただ……」
「ただ? 」
母の目は、〝ごめんね〟 の後を追い駆けるように滴り落ちた、息子の言葉の隙間に、
〈この子は……〉
「お父さんとお母さんとお兄ちゃん達に、ただ、どうもありがとうって……言いたかった……」
「慎一? 」
母は、語尾上げて、なだらかに続ける。
「多くは聞かないよ。でもね……不用意に、人のこころを傷付けてはいけないよ。わかる? ねっ、みんな信じてるんだから、けじめは付けなさい。男として……」
「うん。ありがとう、お母さん」
「いつでも待ってるから、またいらっしゃい、実家なんだから……」
「……」
さっきの慎一の
電話口で
通話を、終えた。
実家に心配掛けまいとする意地が、母の説諭に、頑なな武装を解き、従順に応じる自身を、事今日に至り、何の抵抗もなく受け容れる、昔のまんまの、悪戯小僧の受難、両親からの叱責を回想する、慎一であった。
……〝子は親を超える〟 と良く言うが、果たしてそうだろうか?
〈子が親を超えられる訳がない……〉
慎一は、子供の頃からそう想っている。
東京の下町の場合、かつて、終戦の年の大空襲で、一面の焦土と化した、忘れざる悲しい歴史の記憶がある。
親達戦中派世代は、この、
多言を要せず、その、辛酸を
誰を恨む事もなく、恨む暇さえなく、ただひたすら黙々と働き、他人に助けられ、時に助け、この身に受けた
あの戦争で、全否定の
それが、日本という国である。
そんな親を、超えられない。
大切にしなければいけない。
慎一は、普通に、そう想っている。
〈愛するこころは教えられたが、恨みごころなど……学んでいない! 〉
自身の
確かに、人間には、コンプレックスが存在する。しかし、ルサンチマン然たる感情の、非生産建設は、自身の不道徳なアイデンティティを拡大するだけの、害にこそなれ益にはなり得ぬ、行き過ぎた精神行為であり、自由からは逸脱している。
かかる自由を、果たして許容して良いものか? 修身の不備は、終身に響きはしまいか? 無理が通れば道理が引っ込む。大切なものを、失くしはしまいか? 現実問題、人はひとりで生きている訳ではない。思案所である。
幸いにも良心は、恨みに堕ちる自身を怖れる。危険予知本能から、回避せんとする自己保存が働き、その対象を、内省世界に隔離した上で、理性的に扱い、反面教師化し、悪しき前例の抑止力、恨みの前段階なる役目を負わせる。
そしてまた、愛という根っ子を求め、彷徨い流れもしよう生き物にとり、恨みは、現実逃避なる、韻律を物ともしない歌を
恨み以上の、不幸はないと知っている。
人を恨む事など、絶対に間違っている。
日本人なら、
そんな事は教えられていないはずである。
それこそが、
日本人の、
日本人たる精神の、
恨みごころ、ここにあらぬ日本人の精神を以て、しかるべきである。
愛があれは、ただ生きている限り、それだけで、生きてゆく手段にこだわらず、生きてゆく事そのものが、目的、そして幸せに成り代わり、尚も生き続けてさえいれば、きっと希望に巡り逢える事を、信じられる。歳月は、生きる事が、目的である事を教えてくれる。それが、愛という、自己啓発……だから、素晴らしい。生き続けなければ、何としようか?
言い継ぐなら、その矛盾の教師が、恨みの手前の
よって、この手の逃げは、歓迎される、明日への逃避なる所に
恨みは、足下を見失うだけ、自身が自身ではなくなるだけの、非現実、故の非生産に過ぎない。誰しも、対象を恨みたくはない。愛なき果ての、無意味と疑問の矛盾、その冷たい
……次の休憩で、慎一にも、仮眠時間の順番が回って来るはずである。折しも、学大の母、みはるの顔が浮かぶのは、何も偶然に非ず、連環の為せる
その
「ねえ、お父さん覚えてる? 私が小学校低学年の頃、『お父さんはしのぶじゃなくて、本当はしのびなんだぞ! 忍者なんだぞ! 』 って、私に良く言ってたよね! 」
「アハハハハハ! 」
三人の爆笑が、派手に渦巻いた。
「そうだったよねえ! お母さんも覚えてるわよ……」
「ああ、懐かしいなあ……お前は、いつもお父さんの膝の上にいたんだぞ」
忍は、尚も目を細める。
「うん、覚えてる。私、お父さんっ子だったもんね。その術中に嵌まって、楽しく育てて頂きました。お父さん、お母さんも、本当にどうもありがとう……」
「なあ、省子……」
父は、静かに語り掛ける。
「お父さんもお母さんも、お前の幸せだけを祈ってる。いつもそばで見守ってるから、、頑張れ。良い報告を、待ってるよ……」
母も、優しく頷いていた。
知らないようで、、、親は、我が子のこころも行動もわかっている。親とは、そういうものである。母の教えの
今夜も、良い夜だ。
寒の入りも近く、家庭の温もりが一層恋しくなる、冬のピークを控えている。たまさか、省子も慎一も、〝家〟 なる概念を、優しさの
……家庭という根っ子。女房がどうだの、旦那がどうだの、子供がどうだの、親がどうだの、ペットがどうだの、税金がどうだの……その家の人間しか知り得ない、他人から見ればどうでも良いような事、それでも欠くべからざる、濃厚な、生活の実像の匂いに
家で散々素顔を
省子も慎一も、純粋に家を愛し、語り、さすれば、必ず後にその絆を繋げるものと、信じているに相違あるまい。いつも笑顔に包まれて、友達が我が家のように寛げる、そんな居心地の良い家庭が欲しかった。
価値ある実像を作る為には、虚像をぶっ壊してからにして欲しかった。なぜなら、両者は反比例の関係にある。自身の物差しだけを透過させる、腰高な個人主義の下に、愛は集わない。悪しき虚像が
「今年の冬は、そんなに寒くないよね」
再び、省子が切り出す。
「うん。そう言われれば、そうよねえ。比較的暖かい日が、、続いてる」
真澄は、荒れ性の自らの手を
「ハンドクリームの減り方も、今年は少ないのよ。確かに、暖かい……」
想い出したように、今年の暖冬を喜んだ。
「ううん、年配にはありがたいわな。体が楽で」
そう言う忍も、還暦辺りから出現していた、持病とまではいかない、左膝の鈍痛を、訴える頻度が低い事を自覚していた。
「じゃあ、我が家にとって、結構尽くめな冬だね! 」
「うん、そうだそうだ!! アハハハハ! ……」
岡野家は、大昔から、冗談と笑いが飛び交う、かなりオープンな、こんな感じの家庭である。忍の、苦労人故の気さくな態度が、この自宅と、五反田池田山の会社を築き上げ、一国一城の主にして、それでも尚、腰の低い座右の銘を、全身全霊に象嵌したまま、長い道程を歩んで来たのである。
真澄は省子に、そんな父の腐心の上に、我が家の幸せがある事を、幼少時から諭し、大切にされていると感じた幼ごころは、当たり前のように自然に、〝ありがとう、ごめんなさい〟 のこころを、両親に
年月は巡り、麗しく成長した娘が、あの当時の、純粋無垢な気持ちは変えずに、恋愛をして、巣立とうとしている。多少の紆余曲折は苦い良薬として、根っ子を育て、大きく太く、どんな風雪にも耐え得る、凜とした、真っすぐな一本の樹となるべく、いざ、立たんとしている。
手塩に掛けた最愛の娘は、いつの日か、嫁いでゆく。親元を離れる。絆の移譲、親にしか出来ない、子供の成長の為には必要不可欠な、その存在という役目を終えた時、親は、ただ静かに、身を引き、消えるかのように、それさえも厭わぬように、黙って頷いて、微笑んで、優しく見送りながら、いつも想い出して、やがて子を持つお母さんになろう娘を、〝大したものだ〟 と感じ入り、首を長くして、たまの里帰りを、白髪が目立つ、皺立つ相好を崩す事を憚らずに、ひたすら、、、待っている。いつまでも、帰りを待っている……娘の笑顔という、何よりの手土産を、ひとりずつ増えてゆく、絆の息吹きを楽しみに、娘にとって、子供にとって、世界一こころ強い味方である親は、きっと、ずっと……待っている……。
誰しも、待っていてくれる人がいる……愛とは、待つ事である。忘れてはいけない。決して、忘れてはいけない。愛しているから、待っている。愛し続ける限り、待ち続ける。
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