樹の棲家の宴


 三人模様のお弁当作戦も、既に軌道に乗り、季節は早くも冬のおもてを拵えていた。

 今年は、冬の使者の訪れが駆け足で、朝の冷え込みが一段と厳しい。その朝の、透徹した冬空の底を、ひとり占めして他を寄せ付けない、澄まし顔の富士山が、今年も、雄大な着物の裾を翻して、がんと日本の冬の横座よこざを塞ぐ姿の美しさは、電車の車窓から、それを眺めながら通勤する慎一にとり、今年はまた、格別であった。まるで極上の酒に酔わされるかの、せ返るような美しさを覚え、その窒息感に自惚れていた。

 何もそればかりではなく、慎一は、自身の目に映るもの、耳に届く音、鼻をくすぐる匂い、肌に触れる感覚、そして、それを頼りに巡り逢った想念、いわゆるひとつの解答、その全ての中に、飾り気のない、素顔の自身の存在が戻りつつある事を、こころから喜んでいた。以前にもまして、研ぎ澄まされた、意表をくような比喩を多用した、如何にもの慎一らしさが、新たな息吹きのゆきいを密にして、遅れ馳せながらの顔を、散見するようになっていた。


 ……美しいものとは、

 有形無形の、かたちを超越した存在に対し、その価値を付与する、刹那の意識世界に於いて、数多の現実的ファクターを、一網打尽に無条件帰納させる、偶像崇拝になぞらえた、有意義性の世界観、〝美しい〟 とする、その対象の総称である。

 それらの聖像は、どこまでも、さるにても美しく、よって、美しいという一念のみが、自由を許されたドグマティズム、尚以て、この意識を惹き付けてグレードアップする、カリスマ性をも内包する。流儀として、いつも、いつ見ても、いつまでも美しく存在し、たとえかたちが滅びたとしても、その概念をいだいた人の記憶に、美しさはそのまま象嵌されて遺る。この過程に於いて、有形物であれば、無形へと、存在形態を変化させるものの、かたちに関係なく、意識そのものに、何等変更は存在しない。

 かたちの超越は、時間軸の観念をも、奔放に操作可能なアビリティを誇り、有形に於ける視覚的観念と、無形に於ける記憶的観念の狭間を、相互に時間移動し、視覚は記憶を、記憶は視覚を喚起する。当然、一度記憶付けられた対象は、正に、いつでも、どこでも、何度でも、自由自在な活動権利を認められ、それを発動した瞬間、再び当該対象の時間識が、伸縮無尽に動き出す。故に、無形の想念に至っては、その価値を羽搏はばたかせ、美しき有形に比肩せんとばかりである。つまり、記憶世界に対して、強かなインパクトを与えた、〝美しい〟 なる観念の、主体性を欲しいままにする、絶対的創作活動であり、美しさのスタンダードとは、〝絶対性〟 である。

 しかし、現実世界に於いて、時間というものは、絶対的な制約の中で、抑圧されつつ存在している。それは時として、慎一の場合、老化なる、動かし難い事実を、筆頭に挙げねばならない。この、心身の拡散的低下、それを補わんばかりの、内面的凝縮の意識は、明らかに本能的に、絶対の美に対する憧憬を拠り所として、たとえば、失われた若さ、要するに時間を、空想の渇望によって癒そうとする。全体的な推進力低下の状況下にあって、かくも絶対性なる観念は、現実と妄想、時間と記憶の狭間を、自由闊達に移動し、み出す事を楽しむかのように、伸び縮みを繰り返しながら、その飛翔を止めようとしない。

 それは、記憶の閉鎖的空間内にて、その時ここで、運命的に巡り逢ったような一瞬で、愛という、波動性の量子エネルギーを獲得すると同時に、真実なる意識に、栄達の可能性を知る所となり、これを、絶対主義として、相対的な運動に専念し、現実世界と妄想空間、つまり時空を超越して存在し続ける。


 ……そして、寂しさを募らせずには置かない、この冬なる季節は、殊更のように、老いという観念をおだてて、慎一に、あの夏の、省子とふたりで眺めた、桜橋の落照を彷彿とさせたのも、自然であったかも知れない。あの夕日も、雪を頂いた富士山も、慎一にとって正しく真実の、絶対の美であった。だからこそ省子とて……


〈美しい、化身であり……事の始まりには、愛しかない……〉


 しこうして、美を意識した人、誰あろう周藤慎一は、その美の対象、たとえば岡野省子なる存在を、能持のうじの説法の如く、たって忘れまいとする存念を燃やすのも、無理もない。

 省子に出逢ってからというもの、相互に引き寄せられた、素直な感覚によって、世界が一変したからである。それは……


〈やはり……愛しているから……〉


 愛の女神が下賜した曙光に、慎一の内省経緯は照らされ、精神世界の風景を変えたのだ。そしてこの内的レジスタンスは、全方向統一のエルドラドを求め、更に拡大したがってうずいている。



 愛すればこそ

 愛あればこそ

 世界は美しい



 あの夏の夕日のように。

 厳冬を物ともせす、悠然と鎮座する、

 霊峰富士のように。

 さるにても、如何にぞこの冬という奴は、森羅万象しんらばんしょうの悉くを、寂黙の境界へいざなうのか? おぼめく希薄な影の如き、それでいて壮大この上ないヴェールで、全てを包み込み、繰り言を風に乗せて投げ掛ける。

 人は、影を作る。

 矛盾も、嘘も、無言も、寂しさも、諸々のネガティヴは、並び連なって本流に迎え容れられ、反面教師たる、漆桶しっつうの色相に隈取られ、乱れながらも閉じ込めて体を成し、影を知る。影色を持つに至る。

 それ故の、だからこその光への憧憬、希求は……潜在的無意識の世界にて、今は忘れてしまっている、かたちのない記憶、遡ろうものなら、果てしなく手繰り寄せねばならない過去期に、紛れもなく現実の影は、影という体を経てこそ、再びの光明たり得る事、暁光に繋がっている事が、体験付けられた記憶を遺しており、この領域から、いにしえの遍路巡礼の如く、形骸化した記憶を温め直したい、柔らかな触手が延び、純朴で直向ひたむきな想念を掴んで離さない。

 影ありて、影知りてこそ、光がある。

 光ありて、光欲してこそ、矛盾なる影がある。

 美しさも、愛も、そして真実も、影を透過する光によって、光となって、本質を現し、本物になってゆく。かたちにこだわらず、濃縮され、濃厚に仕上がる。目に見えぬ、無形物の充実たるが、目に見える、価値ある有形を生み、証左となる。


 光は、影に落ち、その影は、光をも掴む。


 ……冬の気に教えられるように、冬籠もりする間にも、蓄えられた夢は、うごめき、ただ、春の訪れを待ちながら、光を欲している。低気圧の南下の所為せいかして、こころまで乱れがちの今日この頃ではあったが、折しも年の瀬、御用繁多のみぎりかこつけて、一切合財の禍事まがごとは、もう既に、年明けのどんど焼きが追っ払ってくれるものと、信じて疑わない、気の早い江戸ッ子、その内の三人が、りにって、みはるでのお弁当作戦に関わっていたのである。

 夢の続きは、まだまだこれから……である。


「ねえ省子ちゃん。ここでさあ、二階で三人で、忘年会やろうよ! 」

 ある日の朝、仕事を終えたばかりのみはると省子の、二階での着替え中のやりとりである。

「えー良いですねえ! でも、本当に良いんですか? ……」

 嬉しさを隠せない時でも、遠慮は失くせない省子である。

「もう……当然でしょう、堅い話は抜きにしてさ、ねっ、飲もうよ! 」

「はい! 私、ママと一度飲みたかったんです」

「じゃあ決まりだ。やっぱり、土曜の夜にしようね、今週どうかな? 」

「私はいつでもOKです。その日は慎一さんも日勤だから、多分大丈夫だと想う……」

「連絡しといてね。時間は、えーっと夜七時で……私からもこのあと伝えとく」

「わかりました! 」

 三人共、特にイケる口ではなかったが、大いに盛り上がって、正にイケる飲み会になる事必至である。それぞれがますますはらを割り、どもえの膝詰め合戦? 笑顔の競演? 黙して一致する和やかなこころ持ちのまま、遺り僅かの今年を、忘れ難い、全身全霊を洗われたような、一年であった今年を、何とか無事に乗り切れそうな、満足感に浸る、その、今年誕生した母娘おやこである。そして、間もなく現れるであろう、息子とて、全く以てその通りのはずである。

 こんなにも、新年が待ち遠しい年末は、人生にそう何回もないだろうと想えるぐらい、今年は三人にとって、重要な意味を持つ一年であったに違いない。 膨らむばかりの新年への期待も、無理からぬ所。忘年会は、ふんどしを締め直す、決起の宴? たらしめる事も、極く自然な流れであろう。さばかり明るい三人にしてみれば、酒の席は正にそれに限る、発散の場にしたく、ましてや一年納めの会である。弾けない訳がない、

 女ふたりに相対する、野郎かひとり。慎一は、如何に料理されるのだろう?



 その、土曜当日の夕方、夜の部の店の営業を臨時休業した、定食屋〝みはる〟 の、一階店舗の厨房カウンター内、省子にとっても今では自宅さながらの、勝手知ったる調理台上が、当店女店主と女臨時従業員の視線を、丸取りして逸らさせない、完成度の意見交換を催促していた。勿論、ふたりの合作についてである。

 通常営業時と何等変わらぬ熱気と匂いに、五感をくすぐられたふたりであった。省子は、その商売繁盛振りを、想像するに難くない回答を、の当たりにして、その上いつもにこやかに振る舞い、慎一だけにとどまらず、この店に集う客のみなみなへこころを砕く、みはるの骨折りに、想いを馳せずにはいられない。一度ディナータイムにでも、定食を食べに寄りたかったのだが、まだ実現出来ずにいた。

 普段と変わらない顔をして、普段と変わらない料理を拵え、普段と変わらない顔触れに食べて貰う、そんな、別段変わった事もない、奇をてらう訳でもない普通の日常、みはるの生活のスタンダード、そこには、変わらない笑顔、変わらない愛……変える必要もない、だから飾らないこころが、そのままのこころで、身過みす世過よすぎしていた。笑顔も愛も、そこにあって普通、初めから当然備わっている代物である。隠したり、偽ったり、そして失くしたり出来ようものなのか? みはるなら、飾り気のない、裏表のない意見を、自然に言葉にしてしまいそうである……それが良い。それが良いからこそ、みんなみはるに逢いたくて、やって来る。

 逢いたい人、一緒にいたい人、そして、待っていてくれる人。小坂みはるは、そういう人である。誰しも、至近距離の家族に想える。何れ、忘れられない人に、なる。たとえ、逢えなくなっても……。

「さて、こんな所かな? 省子ちゃん、二階へ運ぼう。気を付けて……」

「はい。三人分ですよね、それにしても凄い! 」

 揃って、慎一へ馳せる想いは、


〈今宵は何をしても、終始喜色満面である事……当然! 〉


 と、結論付けている。

 料理の中心は、慎一の大好物の魚類、あの手この手で、刺身を盛り合わせた舟盛りあり、煮付けあり、唐揚げあり、酒が進む事け合いで、宴についの花を添える母娘おやことて、確かに酒池肉林? の宴に、気が逸るのである。

 ……かくして、二階和室の卓袱台ちゃぶだいに準備は整い、慎一の到着を以て、即ち胃の腑に消える作業開始の合図であった。


「乾杯〜っ! お疲れ様でしたあ! 」

 中ジョッキが割れてしまいそうな、熱い挨拶によって、その戦端は開かれた。

 臆せず喉を鳴らして、美味そうに飲み干した、最初の一杯のビールに、今年一年分の全ての、

「あぁ〜っ……」

 を込めた、それを拾わぬ社交辞令を、やっぱり相揃えた三人組である。

 みなそれぞれに、

「凄いねえ……、美味しそう、美味うまい! 」

 だの、

「箸が迷う〜」

 やら、飛び交わしつつ、ジョッキの空きを相しゃくして、何もかも交換し合って、あっという間に宴もたけなわを迎え、師走の今宵は更けてゆく。

 年も押し詰まり、新年からつつかれ、濃縮されたような、落ち着く暇のないアトモスフィアが、街に漂う十二月。世の中の誰もが、そこを踰越ゆえつして、そのまま来たる年へ飛んでいってしまいたい、宿願の籠もる師走。それは、特に省子にとって、慎一と出逢ってから、毎日の通勤の、かむろ坂下降、まるで滑走路を助走するが如き、自身の姿を想い起こさせる。


〈……ここ〝みはる〟 でお弁当を作ってから、駆けてゆく。忙中に一時いっときの閑、憩える時間を、きっと誰かが、たとえば私を良く知る某々なにがしそれがしが、ご褒美を授けてくれた……〉


 ……不思議ではある。でも、自然な流れに近付きたがる感覚であった。かつての苦心を忘れさせる程の充実を、目の前の現実という証左が、語り掛ける。手にしつつある、掴み掛けているかたち、〝自分らしさ〟 が、まるで洗いたての野菜のように、こんなにも親しみを以て、食欲を充たそうとする。誰彼選ばない、〝生きる〟 という事の平等、その意識を、新鮮な顔をして、格好を付けないで、


〈あの悩ましい時期は、何だったのか? 〉


 なる、ひとつまみの疑問の上に、極くナチュラルに、その欲求は解消のメニューに加えられ、


〈報われるという事は、こういう事なのか……〉


 なる、回答を被せて、優しく納得させる。

 この〝らしさ〟 とは、確かに、省子本来の謙虚さに包まれていた。〝らしさ〟 を、如何にして得るかを考えた時、畢竟ひっきょう、〝如何にして棄てられるか? 〟 に掛かっていると、想い至った。

 さればこそ、自身の内面に尋ね尽くした。聞くより他にない。

 心象なる風景を眺めると、初めの内は錯綜して、それにしてもわからない。事実、くじけてしまい、鬱したのかも知れない。それでも、道を開かねばならない。

 時に、いつも同じ場所ではなく、立ち位置を変えてみた。小忠実こまめに移動を重ね、違う場所から眺めてみる。すると、ほんの僅かではあるものの、小さな変化に必ず巡り逢え、それが非常に嬉しいものであった。新たな発見に、仄明かりが灯る想いがした。微細な断片を収集する作業は、時間を要し、急いでもすぐに答えの出る性質のものではなく、かつ、その答えはひとつとは限らない、気の長い、折々辛く、かえってストレスを伴うものであった。

 であるから、尚不安にもなろう、差し当たりの解答を求めたがりもしよう。しかしながら、取りあえずというからには、それ以上でも以下でもなく、ましてや勝ち負けでも、多い少ないでも、過剰に比較するものでもない、自分だけのものである。暫定は飽くまで暫定、それを導いたのは自分、その先へ導くのもまた、自分しかいない。自分の中の真実に、触れたような気がした。

 小さな喜びを幾つも編み込む内に、集めたデータが豊富になってゆく内に、この風景は、解答を、省子が求めていた回答を、提示するに至ったのである。

 本心を知った。

 飾り気のない、平時の自身の夢が、ストレートに届けられた。忘れたくない、隠したくない、偽りたくない想いに、再び、向き合う事が出来たのである。原点は、一点の揺らぎもなく、そのまま清適に息をしていた。

 その感謝のかむろ坂がくれた、やっぱり普通のものであった夢に仄めく、不思議さ、これも平等意識の一端、加えて、


〈やっとこれで、人並みに追い着く目処めどが付いた……〉


 この、この安堵に、今更野暮やぼは言いっこなし、遅蒔おそまきながら、虚飾なるよろいを脱ぎ棄て、武装を解除出来た。自身にのみ疑問を向け続け、自身の内部で整理を付けて、完結なるかたちをして、〝自分らしさ〟 を遺しとどめた。マイナスという無形への可能性に傾かず、プラスという有形への可能性は、自己完結と呼ぶに相応しい、その軌道上に修正し得たふうの、安心である。

 それは、今はもう、逢えなくなってしまった人に……それでも、逢いたいと、人知れず涙し、ただ、その人の幸せを願うばかりの、慎ましやかな想い、ひとすじの光をこいねがうこころにも似た、謙虚さ、他者にいきなり疑問というストレスを向ける前に、先ず自身、一本槍の内省を前提とした、〝考える〟 姿勢を、習慣付けた証しである。自身に聞くだけ聞き、対話を繰り返す作業は、完結を放棄しない事、更に、形あるものとて、何れ遺し得る事、これらのポテンシャルを向上させる、ポジティヴな精神行為である。

 たとえば、見たら見たまま、感じたら感じたまま、想ったら想ったままに、中途半端にせず、常に結論というかたちにこだわり、自身のフレームの中だけで展開して区切りを付け、完結させる、結論へ導いたのだ。そのままにして放置すれば、自ずと他へ向けたくもなろう事に、嫌悪があった。自身にも問題があるから、そこに問題がある。自身の周囲で発生した問題は、自身の問題である。よって、自身の責任に於いて、解決する。

 そして、このかたちを作る作業には、当然の事ながら、協力者が必要である。省子の周辺には、慎一という問題が発生していたのだ。


〈……慎一さんの、愛の手が欲しい。どうしてもどうあっても、欲しい。一緒に作って欲しい。無数の欠片を、手掛かりを、大意たるは幸せの芽を、育てていきたい〉


 ……それは慎一にしても、同じ意識を持している。互いに、芽を見つけている。


〈もう、負けない。この人となら、歩んでゆける〉


 みはるの力添えを仰ぎつつ、遥かなる旅路は、本心と向き合う辛さを超克し、余計なものとは訣別し、可能性を育てるという、誰が何と言おうと行き着く所、人生なるものが、新たに大きな一歩を踏み出したのだ。

 天稟てんぴんともいうべき、謙虚なこころを伴い、黄塵万丈こうじんばんじょうたる道程をゆく。その心髄とは、別言が許されるのなら、あえて言わしめれば、自身の内面の真実に向けたクエスチョン、自身へ贈る至高のプレゼントである。疑問を他者へ向けた時、ネガティヴの歯車は回り始め、正のポテンシャルは立ち止まり、行き場に迷う。

 その疑問とは、自身へ向けるか、他者へ向けるか、ふたつにひとつ、要するに五十パーセントの問題であり、さしたる難問ではない。人目や体裁への固執は、危険極まりなく、そしてこの地点が、明暗を分ける、正に分水嶺ぶんすいれいを成す……あなどり難い、人跡未踏の峰々を眼前に、立ちすくんでばかりはいられない。決め切れず立ち止まったまま、時間を傍観する事程、辛いものはない。だから、それでも尚も、ゆかねばならない。失われた時間を、探し求めるように。


 ……飲みつ食べつ、そして喋りつ笑いつして、それぞれが、それぞれの愉悦のさまを見るに付け、より一層、酒も料理も話題とて、美味くなる一方である。折節、大きな笑いが飛沫しぶきを上げるのだが、相も揃って、酔眼が頼りない。そのみはるが、ほんのり真面目さを滲ませて語る。

「どう? 御両人、今後の展望は」

「ねえ……うん」

 省子と慎一は、たまさかタイミングさえ異口同音で、照れながら顔を見合わせる。

「俺の時間が不規則だから、余り逢えないんだけど、お弁当作ってくれるので、本当に、ありがたいと想ってる。気持ちは充分、受け取ってるから、ねっ、そりゃあもう、応えるよ。男として」

〝ねっ〟 のひと言にて念を押すように、相互の理解と決意を、アイコンタクトで確かめ合うふたりである。その様子に、微笑ましく接するみはるは、いたく感心して、そんな慎一の、既に焼酎へ切り替えた、ロックグラスに酌をした。

 慎一は、今夜は無性に酔いたくて、普段はほとんど飲まないロックで、麦焼酎の芳醇な仕業に、身もこころも煙の如くくゆらせている。はらこたえ、漂うままに、実に何ともいえず心地良い。


〈報われつつ、ある……〉


 家庭を持つ身の上でありながら、人の道を逸脱した行動に及んだ、中年男の決断によってもたらされたもの、また、それに応じて付き従うべく、芽を育んでゆかんとする省子は疎か、見届け人たるみはるとて、


〈応援した甲斐かいが、あった〉


 と、その慎一の風情から、香り高い満足を得る自然さに、尚、酔いれる。

 三人共、こんなに美味い酒を、味わった事があったろうか? 生涯行路を先んじ、幸せなる、ひとつの覚悟たるをも知悉している、みはるはいざ知らず、若いふたりにとっては、初めて知る、酒の旨さであった。時に甘露、時に苦辛、そんな味は、いつでも沁みるに違いない。


〈甘露に沁み渡る、旨い酒に出逢う日は、次はいつ、訪れるだろう……〉


 みんな、そう想えて仕方がないくらい、


 今夜の酒は、旨かった。

 ただ、旨かった。

 沁みた。

 また、この面子めんつで、

 飲みたい……。


「ふたり共、わだかまりというか、もやを……棄てられそうだし、もう、わかりつつある。見えてるよね。良かったねえ、私も、それが本当に嬉しい」

「ママ、ありがとう」

 またしても、タイミング込みの異口同音。

「後は、〝繋げる〟 っていう……」

 みはるは、感慨深げに、息を吐きながら、自身をも諭すように、台詞の幕を引いた。その幕間まくあいの遺りが、良い塩梅あんばいの酔いざまと相ち、ゆくりなくも温順な尋ね事を、その香りの中に挿し入れようとする省子がいた。

「ねえママ、愛を繋げるには、どうすれば良いの? ……」

 一見、子供染みている質問ではある。

 しかりといえども、新米のふたりにとって、無下むげに出来ない、一番大切な問題である。考えればわかる事なのだが、収まりを付けた経験者の存念を、愛あるデータとして、慎一にしても不遇の経験から、是非とも拝聴致したく、省子と足並みを揃えた謙虚な顔ばせに、みはるとて自然にほんのり引き締まる。

「うん、僭越せんえつながら……あのね、想うの。決して忘れちゃいけない、失くしちゃいけない、自らにたまうこころが、ふたつある。人生トータルで、幸せになるという目的意識。それと……やっぱり、謙虚という自問自答かな? 涙も流さないような人が、簡単に人に頭を下げるべきではないとする人が、幸せになれるのかしらねえ」

 全員、ロックに移行した、そのグラスを持つ手を一時休め、膝を詰め合っている。潤うばかりの酔眼は、この時を待っていたかのように、ますます輝きを発し始め、熱さえ息き、やや充血している。

 尚も、継続する。

「その芽は、まあ、種だね。日常の普通の生活の、たとえば街中の、そこかしこに落ちている。すぐ隣りにも、ある。優しい笑顔で……あなたを待っている。、そうでしよ? 」

 今度はみはるが単独で、を押し出し、さぬ仲のえにしを沸騰させる。釣られたふたりとて、逸れる事なく一から十まで、理解の実感浅からぬものがあった。

 ささやかな喜びは……

 その通り、小さいなりをして、華奢きゃしゃな振りを見せてはいるものの、何を隠そう間口が狭いだけの話、それを知る程に、奥へ、更に奥の方へ、躊躇ためらいを覚えるいとまさえ消され、もっとその先へ、惹かれるままにそれだけで、傍らで崩落する、狡猾な陰影とて、黙して見送る一方で、新たなる自由の回訓を、教える為に訪れ来たるある人へ、言寄せこころ寄せ、清浄無垢な灯明を、さてもこれでもかといわんばかりに、集めに集めたりと、想うが早いか待ちあぐね、正しく時宜を得た如き光暈こううんが、ここで初めて姿大きく変貌を遂げ、無限大に末広がり、やがて函蓋相応かんがいあいおうせる旅路の客となる。無論その旅は、虚心平気な覚悟を要し、流れに揺蕩たゆたうに任せざるを得ず、一服の、淡い溜め息の残影とて、それにならうだけである。あたかも、淵酔えんすいに招かれるが如く。


「その種は、やがて芽生えて、大きな一本の樹に育つ。だから、その樹の努力に応えるように、優しい言葉を投げ掛けながら、大切に、水を与え、肥やしをやり、光と風に当たらせ、丈夫な根を張らせ、大きく太く、どんな風雪にも耐えられる、強い樹に育てて欲しい……これがその存在の、全ての〝根っ子〟 になる。すると、きっと必ず、美しい花を咲かせ、立派な実を付ける事でしょう。だけど、忘れないで……この樹にだって、こころがある。花も咲かせたい、実も欲しがる。樹らしさがある。どうか、わかってあげて……そして、その実の種が、いつかまた芽生えて、樹になる事でしょう……」

 こんなに、素晴らしい事はない。

 大切にしなければいけない。

 親子の目頭の熱さは、酔余に非ぬ、年末のひと夜の夢語りであった。それでも、夢のままにしたくない想いもまた、人のさがである。生きるという事の。


〈……ふたりらしさを、ふたりだけのかたちを、如何に経巡へめぐろうとも、そんな事はわかっていても、わかっているのなら、わかっていればこそ、夢だって信じられる。信じたい。愛する人が待っているから、生きられる、生きてゆける、だから……生きる。人は、ひとりではない。されば、手を延ばす。愛する人へ。愛とは、かくある。神は人を選ばす、等しくそのこころをたまう。誰だって、誰かを愛している。誰だって、誰かに愛されている。愛したい、愛されたい……〉


 かかる声の主は、誰あろう、酩酊の独語であったのか、定かではない。

 みんな結構酔っている。いや……そう? でもなく、まだ、充分に余力を遺しているようである。料理も良く売れ、冷めても問題のない、サラダ類の一品が何点か、半分程の量を持したまま、依然待機中である。

 この、つわものどもの夢の跡ならぬ、今宵の酒宴の残骸は、その形を変えずに、もう久しい。気持ちの良いお開きの空気には、全員異を唱えるまでもない、充ち足りた匂いが籠もり、早くも次回を約束する動きがあっても、不思議ではない。嬉しい疲労感に、誰もが、


〈良い一年であった! 〉


 と総括して疑わないはず、併せて、三人の絆とて、深まるより道筋はあり得ないとする、っくの自信が、それぞれに庶幾しょきする所、新たに致す事も、自明の理であった。

「じゃあ、この辺でおしまいにしますか? ……」

 みはるの、その機を心得た言葉が、一線を引く。

「はーい、ご馳走様でしたあ! ……」

 本日三度目の、省子と慎一のタイミング込みの異口同音で応えた。三度目は、かなり間延びしていたが。

 三人で手分けをして、使用した食器類やビールの空き瓶やらを、階段に気を付けて、一階の厨房の調理台に降ろすと、みはるが、

「私が明日洗うから、そのままで良いよ」

「ママ、すみません」

 省子がみはるを気づかう。

「何か、私ばっかり喋っちゃったみたいで、ごめんね。いつもひとりだからさあ、ごめん……」

 みはるは、酔っていてもこういう人である。

「ひとりじゃないでしょう! 今夜は良い話たくさん聞けたから、ママ、どうもありがとう。またよろしく! 」

 息子は母に強請ねだった上に、軽いハグを要求して、母も素直にこれに応じると、次は女同士、最後に省子と慎一が、照れ臭そうに抱擁し合った。



「ママ、どうもありがとう、私、幸せになるから……」



「……」



 みはるは、深く頷いた。



 この、母の無言には、一ミリの嘘もない。

 これだけ気脈を通じる間柄で、嘘をける訳がない。真に娘を想うが故の、言葉の喪失、結果、無言。頭ではなく、こころの仕業としての無言である。

 引き戸の向こう側に展がる、冬の夜空は、どこまでも冷たく、理由なく閉ざされた、秘密が跋扈ばっこする辺境の風を連想させて、その地であえぎ、虐げられた涙の痕跡を、個人主義の懐に隠していた、かつての若いふたりが、まだ出逢う以前から、同じ色の涙に明け暮れ、そして今、同舟どうしゅう相救うが如く結ばれ、打算など微塵みじんもない、自然で穏和なその色合いに、本心との距離感を、恣意しい的に操作していた過去さえ、放棄せんばかりの真摯な愛を、知ったのである。

 その、染め替えのプロセスを、みはるは、


〈私は、知っている……〉


 されば、言葉に出来なかった。

 謙虚という、末頼もしい枢軸の周りで、極く極く微力を供するみはるの心根とて、正に謙虚以外の何ものによらず、涙の色をも共通である。

 そして……根っ子の脆弱な樹が辛うじて育て、リミット一杯で繋がっていた、細い糸、相身互う喪失の情念の細い糸は、いつか、切れてしまう事も、知った。

 それだけではない。

 慎一の場合、始末に困窮していた、手も足も出なかった、喪失感なる魔物、自身の内省世界の視野の遮蔽物しゃへいぶつであった、この情念が、省子という一閃いっせんの救済によって、陰鬱なおりから脱出し、事ここに至る現在、その不遇時代の経験を、むしろ逆手さかてに取らんばかりに、未来への可能性に活かそうとする精神、いうなれば、パラドックスの証左、雨降って地固まるの如き、逆転、やはり、これらの源流を成す、愛の強さが、厚みを増したのであった。

 さばかりみはるは、逞しいまでの愛の充実と、げにも表裏一体の相を成す、愛の喪失なる、消し難い感情、この、諸刃もろはの剣たる、愛の正体を垣間かいま見、夫に先立たれた我が身と、事情こそ違えども、存在そのものを失った、自我のフレームの中に、慎一は、新たに省子という愛すべき存在を、結論付けたかたちにときめいた、その背景を、欠落感を熟知する者として、それを超克した慎一に、こころからの敬意、並びに祝意を表すると同時に、


〈ちょっぴり、羨ましい……〉


 女ごころを覗かせる。

 帰する所、親子揃って、


 愛は、どこまでも深く、あなどる勿れ。


 みと知った。

 深更の街頭に、店の小さな明かりが、眠い目をみひらくように、おぼめいて浮かび、生きている。既に日付を跨ぎ、夜闇やいんの底を這う明かりの数は少なく、豊饒たる群がる影の掌中に、止むなく落ち延びた光は、ついぞこのまま我が身を棄て置くまい。今はただ瞑目めいもくして、日曜日の旭暉きょっきを畏怖しつつ、静まり返っているだけである。

 省子と慎一は、根っ子を全力で守り切る覚悟を固めた。守るべきものが、そこにあった。傷付き、空虚になった器を、埋め戻すように……。

 今年が、暮れてゆく。

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