三十夜

 遂に【幻聴】は姿を現さなかった。でもそれで良い。【私】はもう違うのだから。朝起きて水で顔を洗った。台所を綺麗にした。トイレ掃除もした。廊下の拭き掃除もした。聖書も読んだ。エスプレッソも飲んだ。これ以上どう少女に成りきれというのだろう? 完璧だと【私】は思っている。もちろん朝御飯も食べた。緑色の食べ物が今の【私】に必要らしいので、昨日はホウレンソウを今日はハーブを食べた。今日の昼に緑色の食べ物が出たらちゃんと食べるつもりだ。ピーマンだったら食べないが……。でも冷凍食品なので、ピーマンが出て来る確率は低い。ピーマンは冷凍出来ないから。だから完璧に少女に成りきれていると思う。もちろん【私】の【個性】は出ている。師匠である少女のようにミサに出て。お祈りをする事はしないが、聖書の素読はしている。カインとアベルの兄弟の話を読んだ。神様はワガママだと思うのは【私】がクリスチャンじゃ無いからだろうか? でも片方の貢物を無視するのは如何なものか? これは人間に対しての問いかけなのかも知れない。人は傲慢な生き物だぞ、と言っているような気がしてきた。しかしあれだ。エスプレッソの飲みすぎで胃が痛い。今日の昼もコーヒーを飲むつもりでいるが、果たしてそれは良い事なのだろうか……。エスプレッソを飲めないから、代わりにコーヒーを飲む。そうやって生きていくと食費が圧倒的に足りない。1日500円以下になる可能性が出て来た。でも先払いなので、明日の朝御飯は確保してあるのだ。だからカツカツになっている訳では無い。問題はエスプレッソのお金をどこかで確保しないといけないという事だ。コーヒー代に入れておこうか……。うーん、悩み処ではある。エスプレッソは高いので、200円はする。それを毎日何杯も飲んでいたらいくらあっても食費は足りない。最高でも2杯にしておこう。いくら近くのコンビニがエスプレッソを大量入荷したとはいえ。何杯も買っていては破産する。今計算した処、1日400円しか使えない事が判明した。1日400円で生活するとなると、あの八百屋に頼るしかない。108円でホウレンソウが買えるのだ。破格の値段だと言って良い。よく潰れないものだと感心するが、今は助け船なので、そこで買い物をしていくしか無い。エスプレッソの飲みすぎで破綻しているのが切ない。でも少女に成りきるためにはエスプレッソは欠かせない。本当はもっと安いエスプレッソを買いたいのだが、やはり先払いになってしまうので、食費が目減りしていく。食費を削りながらでもエスプレッソは必ず飲まなければならない。少女に成りきるためだ。それくらいの苦労は惜しまない。もう肉を買う生活は止めよう。その代わりそのお金をエスプレッソに回す。それ位の事をしないとエスプレッソが買えない。私はまともな食事は良いから、エスプレッソで生きたい。朝御飯はエスプレッソにしようか? それは名案かも知れない。だって少女も朝御飯はエスプレッソを飲んでいた。つまり朝御飯はエスプレッソのみ。少女に成りきるためにはエスプレッソのみの朝御飯が一番なのだ。今、気づいた。そうか、エスプレッソのみにすれば、400円でもなんとか買える。少なくとも1杯は飲めるのだ。それなら即行動に移さねば。もう朝御飯は食べない。エスプレッソのみにする。体に悪いと言われても構わない。【私】は少女に成りきりたいのだ。少女そのものに成れなくても、限りなく近い存在になりたいのだ。そのためなら健康を捨てても構わない。【私】は全てを捨ててまで自分と決別したいのだ。もう過去には戻らない。自分と決別して新しい【私】になるのだ。そのためには少女に成りきる。少女と同じ食生活をする。それで不健康になっても構わない。【私】と少女は表裏一体位になりたいのだ。だから少女がやっているであろう事は何でもやる。朝御飯はエスプレッソのみ。しかも2杯だけ。お腹が空いても我慢する。だって少女はそれで満足しているのだから。だから【私】もエスプレッソだけで満足する。それが【私】の生きる道。だってお菓子を買っている時点で少女と違うから。だからせめて朝御飯位は合わせないと。そうじゃないと【私】は変わらない。それは間違っている。少女に成りきれないのであるなら、成りきりなんて止めてしまえ。それが出来ないのであるなら、徹底的に成りきるのが正しい生き方だろう。食料はまだ冷蔵庫に残っているのだから、それを食べれば良い。新しく買うから、可笑しくなるのだ。もう朝御飯は買わない。どうせパンを買うのだから。少女もパンを食べて生活しているだろう。ご飯を食べる風習は無いはずだ。でも米はあるから、適度に消費しないとパトロンが怒る。パトロンを怒らせたら、食料を買って貰えなくなる。そうするとダイレクトに食費がかかる訳であって【私】のお財布事情が切なくなる。エスプレッソが買えなくなる。それは一大事だ。少女に成りきるためにはエスプレッソは何としてでも買わなくてはならない。少女とは切っても切れないアイテムなのだ。それを捨ててしまったら【私】は成りきっているとは言えない。それならうどんを啜っている画像を載せた方がまだマシである。少女らしからぬ行動ではあるけど、それ位マシという事だ。【私】はもう昔の【私】に戻りたくないのである。そのためには色々やってきたが……成りきるのが一番だと結論付けた。【私】は少女になる。年齢は離れているしスリーサイズも分からないけど、少女に成りきる。そのために色々犠牲にして、太る事も止めておきたいし、一石二鳥である。これ以上太ったら、少女からかけ離れてしまう気がする。だからガリガリに痩せておくには、朝御飯をエスプレッソに変えておくのが一番である。食費を2万から増やすつもりは無い。それ以上増やすと生活出来なくなるからだ。コーヒーの飲みすぎで胃が痛い。でも血を吐いたって良いから、エスプレッソはちゃんと飲んでおく。もう朝御飯は買わない。少女はご飯を食べる習慣が無い気がしてきた。米だけ食べる生活に切り替える。エスプレッソはちゃんと飲んで。エスプレッソが無ければ、少女に成りきる事は出来ない。それくらい重要アイテムなのだ。【私】から【幻聴】を取り上げた先生には感謝しないと。新しい【私】に成れたのだから。偽りでも良い。自分らしさを出しつつ、自分の理想に近づける方法を見つけたのだから。有難いと思わないと。【私】は少女に成りきるのだ。壊れても良い。【私】の生活はとっくの昔に【幻聴】によって破壊されている。だから今更別の理由で壊れようとも、それは壊れる理由が変わっただけだ。もしかしなくても【幻聴】に殺されていたかも知れないのだから。救われたと思わなければ。少女の存在は【私】にとって大きなモノだ。彼女がこの世に存在しなければ【私】は【幻聴】を失ったまま、途方に暮れていたに違い無いのだから。ありがとう……。少女を生んでくれた人、作品を作ってくれた人【私】にその存在を教えてくれた人。全ての人に感謝だ。もうすぐで【私】が少女に成りきる時間がやって来る。1日の中でこれが一番楽しい。少女に成りきる時間が段々と伸びて来ているので、そのうちに完全に少女に成りきるだろう。そうすれば【私】は要らなくなる。人格破綻しても構わない。【私】は少女なのだから。少女に成りたい。少女と同じように働いていても、少女に成りきれるのは、掃除洗濯をしている時間の時だけ。その時だけは誰にも邪魔されず、少女に成りきる事が出来るのだ。今こうして日記というエッセイを書いているのは【少女】なのか【私】なのか。それすら曖昧になって来ている。それで良いのだ。【私】が消滅する事が一番理想なのだ。【少女】になれば仕事で苦労する事も人間関係に悩むことも、金銭トラブルに巻き込まれる事も無くなる。そう、少女に成りきれば。私は【少女】だ。犬を飼っているけど、少女なのだ。【私】という存在は、もはや存在しない。少女が現実で【私】が架空の存在なのだ。周りからは【私】の時間を作った方が良いと言われたが【私】は作りたくない。何故なら【私】は不完全過ぎる人間なのだから。完全な人間は少女だ。少女に成りきらなければ【私】は不完全な人間でトラブルを招く悪魔となる。悪魔というより問題児という表現が似合うかも知れない。もう誰かに騙されるのは御免だ。独りになりたい。だから少女に成りきる。少女には誰もいないのだから。仲間はいるけど、一歩外を出れば孤独が待っている。それが【私】の憧れだ。ぜいたくな悩みと言われるかも知れない。確かにそうかも知れない。でも、考えた事は無いだろうか? もし、自分が別の誰かだったら完璧な人生を送れていたかも知れないという事実に。考えた事の無い人は、それこそおめでたい人だろう。【私】は人生の大半を【幻聴】によって押しつぶされた。その【幻聴】に打ち勝つためには誰かに成りきらないと生きていけないのだ。それを理解されようとは思わない。だけど、人生を上手く歩めない人間がいる事は知って欲しい。【私】はもう後戻りしたく無い。壊れた世界で生き残るためには、完璧な人間になる必要があるのだ。そのために【私】は【私】を犠牲にする。欲望に負けない。誘惑に負けない。【私】は【私】を貫く。これが【私】の最後の自我であり【個性】だ。少女に成りきるために産まれて来たと思い込もう。今までの人生は予行練習だったと思おう。【私】は少女。両親はいない。兄弟姉妹もいない。独りで暮らしている。そう思って生きていこう。どうせ向こうだって【私】の事なんか要らないと思っているはずだ。犬を飼った時からそう思っているはずだ。犬臭い、出ていけ、部屋に入って来るな……犬を理由にどれだけ酷い言葉を浴びせられた事か。そうか、分かった。【私】を追い払うために犬を利用しているに違いない。そう思える位に酷い扱いを受けている。玄関から先に入ってきた試しが無い。いつも玄関先で臭い臭いと言いながら用事を済ませている。私が脱臭剤を置いても同じ事を言っていた。つまり何をしても家に入る気は無く、それらは全て犬のせいにしたいと思っているのだ。【私】は孤独だ。家族という存在がいてもいないに等しい。金銭面で苦しくても、助けを求めても犬を処分しない限り助けないと言う。それなら最初からいなければ良かった。半端な期待を寄せてしまうでは無いか。神様は残酷だ。だから神様にお祈りをする少女の気持ちが分からない。これだけが理解出来ない。理解出来た時こそ、私は完璧な少女に成れるのだ。そのためには神に対して理解を深めたい。そのために聖書があるのかも知れない。聖書にも偽物がるのだと知った。【私】の聖書は偽物らしい。それはカトリックとプロテスタントの違いのようなもので、善悪も偽物も本物も存在しないと思う。私は少女に成りきるため、家族を利用する存在……つまり他人として扱う事にする。もう血の繋がりは断つ。【私】を助けたいと思うのなら、犬なんて関係無いだろう。それが出来ないという事は、つまり【私】とはその程度の人間だという事だ。

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私ともう一人の私 春陽 @yo_usuke

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