十一夜

『この愚か者‼』

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 また食べてしまった。あれだけ血税血税言っておきながら、食べてしまった。コーヒーも悠長に飲んで朝のティータイムを楽しんでしまった。

 これは罪である。悪である。死ぬべきである。私は贅沢してはいけないのだ。それなのに贅沢してしまった。朝から何をやっているんだ? 何をしているんだ?

『朝御飯が早すぎたのに、また食べて良い? ふざけるのも大概にしろ‼』

「だって朝はお腹が空くから……」

『無駄な脂肪が付いているだろ‼ それで何とかしろ‼ この阿呆が‼』

 もう一人の私は怒り爆発である。最もな意見だ。朝御飯を早めに食べたのは自分の意志。コーヒーをもう一杯飲みたいなんて、ワガママだ。納税者に対して失礼である。そしてまた食費が足りなくなって、風呂に行けないのである。目に見えたシナリオだった。他人の税金を貪り喰っている自覚が足りない。こうなったら死ぬしか無いんじゃなかろうか……?

『良い? お前は見えない人の力を借りて生きているの。それを忘れたら、二度と元の生活には戻れないよ? グループホームにでも入る?』

「それは……」

『嫌でしょう? だったら食事は我慢して、読書するなり身支度するなりをして備えなさい。お前のするべき事は働く事だけなんだから。血税以上に働いて、少しでも還元する事がお前の使命なんだからね?』

「はい……」

 私は何て愚かなのだろう。それすら諭されないと分からないなんて。図書館は唯一血税を使わない場所。建物自体が血税で出来ているから、安心して利用出来る。そこで知識を溜めて、知恵に変えるのだ。それが私に出来る事。それしか出来ないと言っても過言では無い。私には何の力も無いから、せめて毎日出勤してオーバーワークになるまでボロボロに働くしか無い。ぼろ雑巾のように使い捨てされれば良い。灯油が無くて寒くても、それは仕方の無い事。少しでも固定費を減らさなければ生きていけない。食費を減らせば簡単だが、これ以上削る事が難しい。大食いもここまでくればバカである。胃袋が小さくなれば良いのに……。そうしたら毎日小さいパンを買うだけで済む。どうして私だけ上手くいかないのだろう? 他の年金受給者は上手く生活をやりくりしている。テレビを買い、スマホは最新機種、ゲームは課金を適度にして遊んでいる。私は全て食費で消えている。愚かだ。死ぬべきだ。寿命よ早く来てくれ。親より先に死にたい。そうすれば後の事は任せられる。私が生きていく余地など、最初から無いのだ。病気になった時点で、私は生きる権利を失った。生かして貰う義務に変わった。私は今月も血税を貰う。そしてそこから家賃やら何やらを捻出して、ギリギリの生活をしていくのだ。私は悪の子。だから血税を喰っても空腹は止まない。悪魔の子。ホント、死ねば良いと思う。どうして私が生きる事を止めずに生きているのだろう? 周りからしたらいい迷惑だ。いっその事、病院に行くのを止めようか? そうして【幻覚】に苦しみながら自分を罰するのも良いかも知れない。いつか治ると言われているけど、治る見込みが全く見えて来ない。私は生きて良いのだろうか? 死ねと言われれば死ねる気がする。血税を払っている人には、私の命を終わらせる権利を持っている気がする。だから死ねと言われれば、たとえ楽しい人生が待っていたとしても私は待たない。首を吊る。ただ犬の存在が心配だ。ガス室に送られる事だけは勘弁して欲しい。人見知りが激しいから、貰い手も少ないだろう。ましてや1匹は血統書を無くしている。それは前の飼い主の責任なのだが、責任を取る処か車に金をかけているから無理と言っている位だ。血統書を探す気も無いのだろう。その状態で貰い手が見つかるのかと言えば難しい。全く、可哀想な人に貰われたものである。私ならそんな事をしないのに……。


『今日は全く使えなかったね』

 第一声。今日の私は何も出来なかった。ただ無心に登録すれば良いのに、ストーリーを読んだり、漢字表記の国の読み方が読めなかったりと、散々だった。挙句、集中力を無くし、最後の30分はただパソコンの画面を眺めていただけである。全く使えない。死ぬべきだ。どうしてこんな子供が産まれてしまったのだろう? この世の全ての負の感情を背負いこんだ子供は私位だろう。私は何も出来なかった。他の人はサクサクと登録を進めているのに、私は登録出来ない。登録出来ない、つまりは商品が客の目に留まらない。つまり売れない。つまり在庫ばかりが倉庫に増えていく。売れない。国の補助金を貰う。血税を使う。出勤しているので私にも給料が当たる。つまり血税が当たる。つまり無駄な税金を使わせてしまった。イコール罪。罪には罰を。何が良いかな? 首吊り? リストカット? 断食?

 私の中であらゆる罰が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。もはや私の脳内ば罰ゲーム状態だ。しかも死ぬ確率の高い方法を選んでいる。早く痩せたいのに体は痩せない。それも罪だ。この贅肉は血税で出来ている。私は無駄な血税は使いたくない。だから痩せる。いや、正確には『血税をなるべく使わないで食べる方法を選ぶ』だ。だから晩御飯が液体のみという場合もある。それは仕方の無い事だ。だって私には贅肉の塊なのだから……。化粧も本当はしたくない。出来ればすっぴんでいたいが、職業訓練である以上、化粧は最低限の嗜みだ。化粧品も血税を使っているが、これは仕方ない。なるべく安い化粧品を選んで買っている。特に10代が使う化粧品は安い。もう年だが、見た目化粧をしていると分かれば良いのだから問題無いだろう。少なくともクマを隠せればそれで良い。クマが酷いから、疲れているような顔に見られる。仕事量を減らされる。無能になる。それだけは避けたい。

『今日は全く使えなかったお前に、最高のプレゼントを送ろう』

 何かを思いついたのか【幻聴】はニヤリと嗤って言った。

『2月14日のバレンタイン。脳内錯覚男に貢いでやりな』

 なんですと? あの車男にチョコを送れと? それではますます勘違いをして彼氏面をするでは無いか。セフレとの関係が壊れてしまう。セフレはSEXで運動させてくれるから、有難い存在なのに。車男は私をマグロにさせるのが上手だから、動かなくても勝手に射精してしまう。それは私の望むダイエット運動では無い。それなのにチョコなんか送ったらますます舞い上がってしまうでは無いか。それは困る。酷く困る。

『ちなみに拒否権は無いからね。呪うなら今日無能だった自分を呪え』

 クスクスと嗤う【幻聴】に、私はどん底に叩きつけられたような錯覚に陥る。あの男を彼氏なんぞにしてみろ。車の維持費で金を無心させられる。毟り取られる。それだけは嫌だ。止めて欲しい。私の貯金は犬のためにある。犬が万が一病気になった時のためにとっておいてある貯金なのだ。それを奴に取られる位なら、今すぐ死んだ方がマシである。だが【幻聴】は聞き入れてくれない。ただクスクスと嗤って私に命令する。チョコを渡せと。安物の大量に売られているチョコでは無く、手作りしろと。台所には柵が無い。万が一チョコを落として犬の口に入ったら中毒で死んでしまう。悪魔だ。悪夢だ。もし犬が死んでしまったら、私は生きる活力を失うだろう。目の前が真っ暗になった。

『これは罰だよ。お前は今日、ろくな働きを見せなかった。もし男に貢ぎたくないのなら、死ぬ気で明日倍の量をこなせ。犬を殺されたくなければ、やれるだろう?』

「……分かりました」

『明日が楽しみだ。どれだけ登録するのかな? もし今日と同じ位だったら殺すからね?』

 犬を。

 ケラケラと嗤いながら【幻聴】の声は止んだ。犬が殺される……。これは冗談抜きで本気で【幻聴】は考えている。いくら掃除しても溶けたチョコは絨毯にへばりつく。それを犬が舐めたりしたら……。ああ、考えるだけでも恐ろしい。吐いたりするのかな? 苦しいのかな? どうか殺さないで‼ そのためには私が頑張るしか無い。必死でやろう。人間死ぬ気になれば、なんだって出来る。そう、心を殺す事も。


「やった……」

 もう一人の私が課した課題をクリアした私は、ホッとした。何せ愛犬が殺される処だったのだから。私の体が乗っ取られる事は過去に何度かある。私が望まなくてもノルマを達成しなければ、もう一人の私は間違いなく犬を殺していただろう。そう考えるとゾッとする。私を制御出来ない私。危険すぎる。

『まずはおめでとう。これで無能から脱却出来たね』

「犬が殺されなかった事にほっとしている……」

『犬なんて代わりを探せばイイじゃない。問題は無能になる事だよ』

 もう一人の私は冷酷に言い放つ。ノルマが達成出来たから上機嫌だけど、もしノルマを達成しなかったら、何をされていたのだろう。犬を目の前で殺す? 保健所に引き渡す? 警察に迷子犬として届ける?

 いずれにしても良い未来はやって来ない。良かった、死ぬ気でノルマをこなして。

『明日も同じ調子で頼むよ? もし出来なかったら……分かっているね?』

「はい……」

 今は目の前の作業に集中しよう。犬を殺されたら生きていける自信が無い。このまま自殺してしまうかも知れない……。【幻聴】を殺すには私を殺すしか無いのだから。

『それにしても今日は凄いじゃない。最高新記録とまではいかなかったけど、一番成績が良かったから』

「そうしないと犬を殺していたでしょう?」

『当たり前でしょ?』

 冷たい言葉。【幻聴】は犬の事をただの同居人としか思っていない。だから平気で殺そうとするし、私を脅す。まるで玩具のように替えが利くと思っている節もあるし、これが私の中に潜む悪魔だと思うと、正直殺したくなる。でも薬でいかに押さえつけても監視はしているし、薬が切れた頃に行動する。私ではどうする事も出来ないのだ。私がもっと強かったら……。そう思ってしまう。どうして私は弱いのだろう。昔から弱かった訳では無い。小さな頃は強い相手にも立ち向かっていく程の勇気を持ち合わせていたし、嫌な事は嫌とハッキリ言えた。しかし小学校を転校してから状況が変わった。ダメな事でも良いと言える空気を読む力が無ければ爪はじきにされたのだ。女子生徒からは省かれ、男子生徒からはからかいの対象になった。何かを言おうとすれば【空気】がそれを赦さない。沈黙していくしか無かった。そうしていくうちにストレスが溜まり、時々爆発するようになった。その爆発は妹を虐めるという形で解消された。不条理な喧嘩を吹っ掛け、暴力で幼い妹を抑えつけ、従わせ、屈服させた。未だにそのしこりは残っている。家族の環境も変わった。私が爆発するたびに祖父母が飛んで来て、母親に教育がなってないと愚痴を零した。母親は耐えるだけ耐えて、円形脱毛症になった位だ。それが中学生になると状況はさらにエスカレート。弱い者を迫害する悪魔になっていた。【空気】さえ読めれば仲間に入れて貰える。だから仲間に入って、弱い者イジメを繰り返した。問題にならなかったのは先生がことなかれ主義だったから。臭いモノには蓋をしろタイプ。表沙汰になる事は無かった。そうして高校生になると、完全に孤独になった。少数派のグループに入り、大多数の女子を軽蔑した。私達が偉いのだといつも言っていた。授業中、平気で通販カタログを広げて、欲しい商品を漁っていた。この時バイトが禁止されていたので高額で無ければ、親は買ってくれた。親は私が大人しければそれで良かった。無事に高校を卒業して就職してくれる事を祈っていた。幸い成績も中間くらいだったので、就職の見込みは十二分にあった。

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