九夜

 体がどんどん醜くなっていく。

 体重増加が止まらない。食べていないのに、増えていく。夜は液体にしたのに、体重が増えていくのだ。原因は分かっている。何故か筋肉が付いてきているのだ。筋肉は脂肪より重い。分かっていても私は太ってしまったのだと後悔する。筋肉もやせ細れば良いのに、どんどん筋肉が付いていく。一体、どうして? 私は悩みに悩み抜いた末に、鏡の中の私に話しかける。

「どうしよう、筋肉が付いてくる」

『どうしようも出来ないね。極力運動しないようにするのが一番だけど、普段運動らしい運動はしていないし……。筋力が落ちる事があっても筋力が付くなんておかしい』

 もう一人の私も答えあぐねているようだ。無理も無い。職場は2階なのにエレベーターを使って通勤している。階段を使うような事は一切していないハズなのだ。だから筋力が付いていく謎の現象に悩まされている。このままでは50キロになってしまう。デブの仲間入りである。ただでさえデブなのに、50キロデブになったら、みんなの笑いものにされてしまう。きっとお菓子を食べるから筋力が付くんだ。余計なカロリーが筋力を作る元になっているとしか考えられない。つまり豆乳生活が一番筋肉が付かない方法なのだ。それを止められようとしている私は、悪魔に魂を売ってでも良いから、阻止しなければいけない。ガリガリになるためにはそうするしか方法が無いのだ。【幻聴】は言う。今まで私の人生が失敗してきたのは、太っていたからだと。痩せれば痩せた分だけ成功を収める、と。実際、周りの友達は痩せていて、出世コースを走っている。痩せているからちやほやされる。そして出世の道を歩かせて貰える。一方私は太っているから、周りはちやほやしない。暑苦しい、ムサイ、気持ち悪い……そう言ったありとあらゆる悪の感情が向けられ出世コース処か、一般就労の道さえ閉ざされた。痩せれば全てが上手くいくのだ。実際、痩せてから、私の人生は大きく好転し始めた。ちやほやされるし、細いと羨ましがられる。もうデブだから道が通れないと言われる事も無くなった。酒樽が似合う女とも言われ無くなった。細いね、良いね、と褒められるようになった。全ては50キロを切り48キロになってから言われるようになったのだ。それなのに今では49キロまで体重が増え、50キロまでカウントダウンが始まっている。つまりまた悪の道へと突き落とされるという事だ。もうあんな思いはしたくない。だから痩せなければ。46キロになれば最高にみんなから褒められるだろう。体形を維持している処か痩せて美人になった私。自分を律する事が出来るから仕事が任せられる。そういう事態になるだろう。実際、そうなった。それをまた元の体重に戻って皆から怪訝に扱われるのであるなら、死んだ方がマシである。悪魔に魂を売ったって良い。痩せる事が出来るのであるのなら……。

「筋肉なんて要らない。脂肪も要らない。痩せたい。ガリガリになって、皆からちやほやされたい」

『着たい服も選びたい放題だもんね。今より痩せなきゃ、今年の夏もデブの服を着るしか無いよ』

「それは嫌だ‼ やっと皆から認められたのに。これ以上太るなんて、私が赦さない」

『そうだね、私も赦さない。こうなったら、朝のコーヒーはブラックにする。そうしてまた胃を壊せば、食べなくなる。痩せれるかも知れない』

 ふとあの痛みが蘇る。私は胃が丈夫では無い。だからコーヒーという刺激物は胃壁を破壊し、吐血する。その痛みが想像絶するし、正直もうあの痛みは体験したくない。でも痩せるためなら……血を吐いて痩せるなら、ブラックコーヒーも良いかも知れない……。

「でもミルクは入れたいよ。胃壁に悪い」

『何寝ぼけた事言っているの? 胃壁に悪いからこそするんでしょ。胃に優しいコーヒーの飲み方をするから、目が覚めなくて何度もコーヒーを買う羽目になる。つまり食費が嵩む。そしてカロリーの問題。ブラックコーヒーを飲めば、6キロカロリーで済むんだよ? ミルクなんか足したら一体どれだけのカロリー摂取になるのやら……』

「……ごめんなさい……」

『良い? 少しでも痩せないのなら、少しでもカロリーを摂取しない方法を考える事。今の私達は危機的状況に陥っているんだからね?』

 確かにそうだ。私達は今、デブの道を歩もうとしている。どうしよう……。痩せたい。その願いすら神は叶えてくれないのか。やはりこの世には悪魔しかいないんじゃないのだろうか?

「今日はコーヒー飲みすぎて食費嵩んじゃった。どうしよう?」

『コーヒーは朝の一杯と昼の一杯だけ。それ以上飲んだらデブになる。それでも良いのなら好きなだけ飲めば?』

「ごめんなさい。我慢します」

 幸運になれる本に書いてあった。朝コーヒーを飲むと幸運になると。それは間違いだ。食費が嵩んで無駄な出費になる。幸運になれる本など、所詮は夢物語に過ぎないと痛感した。買わなくて良かった……。380円も出していたら、豆乳が買える。私は豆乳生活から離れられない。止めろと男は言ったが、止められない。低糖質にならないと、体重が減らないのだ。運動もしていないのに筋力が付いていくのはおかしな現象だが、事実は事実。受け止めるしかない。

『それよりも問題はお前が無能な事だ。また仕事減らされたでしょう? あれって眠いからだったよね? また【給料泥棒】になりたいの?』

 グサリと心に刺さる言葉。そう私はまた仕事を減らされた。時間内に仕事が終わらなかったから、休憩時間を取らないで作業をしたら無理に仕事をさせすぎたとして、仕事量を減らされたのだ。それは私にとって屈辱的な事以外何者でも無い。つまり私は【無能】のハンコを押されてしまったのだ。それはつまり【給料泥棒】に直結する。前の職場で言われていた事がまたここでも言われてしまうのか……。私はどこに言っても無能なのだ。使えない。そんな人間は死んでしまった方が良い。何せ血税で生きているのだ。少子化が謳われている時代に私は荷物以外の何者でも無い。死ぬべきだ。生きる価値など存在しない。だから一刻も早く死ぬべきなのに、体は生きようと足掻く。矛盾。私は死ぬ運命にあるというのに。実際死ねと遠回しに言われた事がある。私の考えは甘ちゃんだと。なるほど、だから私は惰性に生きているのだな、と思った。その人とは縁を切った。向こうから申し出た事だ。曰く、甘ちゃんと生きている時間が惜しいと。甘ちゃんと交流を共にすれば自分も甘ちゃんになるから嫌だと。私にそう言って来たのだ。だから私は全ての連絡方法を断った。向こうも清々しているだろう。二度と関わらなくて済むのだから。私は甘ちゃんで無能でデブ。血税を喰らう亡者。死ぬべき存在。どうしてそれが理解して貰えないのだろう。周りは気のせいだと言うが、だったら眠いと言った時に【帰るか?】という質問はしないだろう。私はどこに言っても使えない存在。皆が言っている。下の下の下だと。だから少しでも見栄えを良くしようと痩せるのだ。それすら取り上げられたら、私の生きる道は閉ざされる。完全に死ぬ道へと歩かされるのだ。いや、実際皆は死んで欲しいのだろう。だからこうして仕事量を減らし【無能】のレッテルを貼り付け、クスクス嗤っているのだ。

「貯金額がまた減った。これ以上減ったら生きていけない」

『つまり死に時でしょ? マヨネーズがあるから、マヨネーズ啜って生活すれば良いじゃん。生保にも入れないんだから、年金で生きていくしか無い。最も家賃が高いから生活費は1万位しか残らないけど。それで食費を賄って生きれば良いんじゃない? マヨネーズ生活良いかもよ? 高カロリーだから死ぬ事は無い』

 生きていく方法が無い。何もかも悪い方向へと流れていく。私は死ぬしか無いのかも知れない。木造の家に住めば良かった。光熱費と防犯を考えて鉄筋コンクリートの家にしたのが悪かった。そうすれば今よりもずっと楽な生活を送れたというのに。私はワガママ過ぎた。そう。だから苦しむのだ。せめて危険な1階に住んでいるのは家賃が安くなるから良いけど……。ドアが凍って開かなくなるのは困る。もう少し家賃が安くならないか、大家さんに淡い期待を寄せている。半分近くが空き家なのだ。少しは安くなるだろうと思う。でも安くなる気配が無いから、私はこれからも苦しんでいくのだろう。


「また食べちゃた……」

 最近過食が止まらない。食べ出したら止まら無い。お腹がはちきれるだけ食べて吐いている。いつからその生活になったのだろう? デブなのにこれ以上デブにはなりたくない。誰か助けて。死神でも良い。寿命をあげるからガリガリの体にして。46キロの体にして。そうすれば満足するから……。私が痩せたいのはデブって言われた事と妊婦に間違われた事にある。その時はショックで喉が通らなくて、3キロすとんと落ちた。そこからダイエットに対する執着が酷くなって、今では生活費を削ってまで、ダイエットの情報を集めている。特に食べないダイエットは私のお気に入り。その著者曰く、喰わないダイエットが最強だと。運動も糖質制限も結局は食べる事にある。食べなければ全てが解決すると。私は感動してその人の本を買った。私は食費は多い方だから、もっと削れるハズだ。そうしたら細身の体を褒められるだろう。もうデブなんて言わせない。妊婦だなんて言わせない。私はそのためだけに体を追い詰めている。それが一番体に合っているから。それが私の楽しみ。体重計に乗って痩せていたら、凄く嬉しいし、太っていたら下剤を飲んで無理やり出す。1日中下痢が続けば、体重は2キロ位落ちてくれる。だから嬉しいのだ。

「食費も嵩んできているし、このまま食欲が止まらなかったら、食べる事を無理やりにでも止める」

 そして男と寝てカロリーを消費する。そうすれば一石二鳥だ。お金を使わないダイエット。素敵だ。男と寝る事に抵抗が無いのは私の特技と言って良いだろう。例え寝る相手がデブであろうとも私は平気で寝れる。だってついてるモノがあれば、それで満足なのだから……。性病さえ移されなければ私は色んな人とSEX出来る。だってそれが私の取柄だから。仕事が出来ない以上、細い事でしか自我を保てない。それが私だから……。今日は出費が多かった。食費をまともに買ったのと化粧品が無くなってしまったのが痛かった。このままでは太ってしまうし、醜くなってしまう。だから私は痩せるため、美しくなるため出費を惜しまなかった。食費と同じ位美容費もかけている。エステこそ行かないけど、自分で出来る美しさの追求はしていくつもり。これから痩せていく私を見ていて欲しい。そう【幻聴】に告げると鼻で嗤われた。お前には一生無理だと。その食欲がある限り、痩せる事は無いと。だから私は言い返す。これから痩せていくって。46キロの道は諦めていないって。すると【幻聴】は言う。面白い事を言うね。口は喋る他に喰うためにもあるんだよって。平行線のまま、私はダイエットを続ける。絶対痩せてやる。もやしだけダイエットも良いんじゃないかと思う。栄養もそこそこあるし、何より安い。野菜がちゃんと摂れるではないか。

 でも一番の問題はそれではない。仕事の量が段々と減らされている事だ。最初は30本だったのに今では三分の二にまで減らされた。休憩を取らないからという理由だけど、休憩を取っていたら【給料泥棒】じゃないか。そう前の会社で教わった。だから休憩の取り方が分からない。つい休憩時間も働いてしまう。それが私の悪い処。でも仕方の無い事だ。そういう会社に働いていたのだから……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る