幻覚勇者―ネクロマンティック・ディストピア―

田山 翔太

第1話 エピローグマイナス2

 妄想と戦っていた。

 妄想の中で戦っていた。


 周囲の状況が把握できない。ぐるぐる世界は回ってる。

 いつもの事だ。いつも吐き気がして、止まらない。


 ……人間と魔物。あいつらの違いって何さ。

 生きて、動いているなら倒しちゃ駄目なの?


 人間は、いつも僕を馬鹿にしている。

 魔物みたいに食らいかかってきてくれるなら楽なのに、彼らは僕に分からない流儀で、腰を低く見せていながら、魔物以上に醜悪な『感情』って凶器を向けて、気付かないうちに、気付きにくいやり方でこちらを攻撃する。

 笑顔で攻撃してくる。


 魔物は魔物で、僕の事を食べようとしてくる。

 痛いのは嫌い。怖い。

 ……自分がやられて嫌な事を、なんでやるの。そう思って聞いてみたけど、彼らは言葉が通じないのが大半。

 偶に言葉を話す奴もいたけど、こっちの話なんか聞いてくれない。


 ……自分が戦う意味ってなんだろう。

 僕は誰の為に戦ってたんだろう。


 誰にとって得で、誰にとって損なら良い人なの? その逆は?

 お金持ちなら良い人なの? あるいはその逆?

 貧乏な人は心が綺麗? ……お金を捨てたら、良い人になれる?


 誰を助ければ、正義なんだろう。

 誰を倒せば、世の中は良くなるんだろう。

 少なくとも、魔物を皆殺しにしても、世界のぐるぐるは止まりゃしないのだけは分かった。

 この吐き気を止めてくれるものは、この旅では見つけられなかった。


 ……最後には、自分はいつも一人きりだ。

 知ってる。

 みんな、僕の事を嘲笑ってる。

 僕さえいなくなれば、後は万事うまく進む。どうせそうなんだろ?

 そうやって、僕をのけ者にして、いいじゃないか。勝手にやれば。止めやしないよ。

 ……なのになんでそのくせ、こっちを放っておいてくれないの。


 優しい言葉をかけてくれる人は、その言葉の中に欺瞞がある事を自覚してた。

 恥知らず。

 恥知らず。

 恥知らず共が。

 ごめんなさい。


 ……もう死にたかった。

 ずっと死にたかった。生きるのは、ただただ辛い。

 人の視線にさらされるのが、ひたすらに苦痛。


 もう世界は平和になったんだっていうなら。


 ……一人にしてくれよ。

 このぐるぐるを止めてくれ。

 あんたがたと話をしてるとさ、あんたがたを見てるとさ、吐き気がどんどんひどくなっていって辛いんだよ。

 いい加減一人にしてくれよ。


 それも駄目だって言うならさあ。


 ……なあ。もう、死んでもいいだろ?



◇  ◇  ◇



 固い石畳の上、その全てに毛足の長い絨毯が敷かれている。

 稀に途切れる所も見えるが、そこにはハーブを織り交ぜた緩衝材が敷かれており、そこに歩みのまま足裏を乗せれば爽やかに匂い立つことから、敢えてそのようなつくりにしている事がうかがわれた。


 玉座に続く長い長い廊下。

 左右の壁を見れば、これでもかという程に絵画が並ぶ。いずれも画家が技巧を凝らしたものであろうし、また当世の趨向に照らされているものでもあろう。

 城の主が選んだのであれば、その者の趣味は悪くないのではなかろうか。

 宗教画や高貴な生活を描いたものにまぎれ、時には農民の畑仕事の様子も描かれている辺り、主の心配りが垣間見え、そしてそれが許される権限、風潮、国としての方針……本当に様々な事が読み取れる。


 ここを通る者に、様々な事を邪推させてくれる。


 しかし少なくとも、今現在そこを歩む男にとっては、これらは奇怪にねじくれた線と暴力的な色の集まりが、素知らぬ風に額縁の中に捕らえられているようにしか見えなかったようだ。

 時折なにか彼の恐怖を煽る琴線に触れたのだろう、ただの絵を見てびくりと肩を震わせる様子は、成人を前にする男性としては情けないとの表現を通り越している。

 男の隣を歩く近衛の兵は、ただ、それに対して何ら反応することもなかった。声を掛ける事も最早しない……何かする度に彼が怯える事が分かっているからだ。


 近衛は、隣を歩く彼の事を尊敬している。

 だから彼の、そんな情けない様子を見たくはない。

 己の声一つで無様を晒す彼と言う存在の真実を、目の当たりにしたくない。


 故に、ただ職務を果たすため、玉座への案内役を粛々と務めている。


 ……玉座の間の前までたどり着いた。

 その室までは、近衛の者は入らない。

 今この瞬間において、王に呼ばれ、そこに立ち入る資格を持っているのは、この目に映る彼だけだ。


 世界を支配していると言っても過言ではない、この国の頂点たる王。

 その王ですら片付けることが出来なかった難事を、目の前の彼が果たしたというのは、既に城に限らず、城下にも伝わっているところである。


 彼を案内した近衛は黙って脇に控え、門衛が扉を開ける様子を前にした彼の横顔を見る。


 その偉大なる男は、怯え、その目を潤ませていた。

 古今類を見ないほどの偉業をなしたはずの彼の足は、王に謁見するに当たり、震えていた。



◇  ◇  ◇



 豪奢な城の中、その中でも取り分け装飾に費用が掛かっているであろうその室内で、王が一人の青年を立ち上がって出迎えた。


 一国の頂点たるものが、そのように礼を示す相手など、自分と同格か、それ以上の相手しかありえない。


 いまだ二十歳に満たないであろうその青年は、そうされてしかるべき功績を残した傑物であった。


「おお、おお、勇者アムネスよ、よくぞ無事戻った!」


「………」


「そなたが世界を覆う闇を払い、魔王を屠ったことで、これから世は平和となるであろう」


「………」


「わしも、この国の民も、いや全世界のものがそなたに感謝しておる。望みがあればなんなりと申してみよ。そなたにはその権利がある」


「………」


「ああ、いや、先にやることがあったな。そう、誉むべきはそなたよ、そなたを称える宴の準備もそろそろ頃合ゆえ、今しばし城内で待つがいい。存分に疲れを癒し、そなたの武勇伝を民や兵士達に語ってくれぬか。王子も姫も、そなたの武勲をその口から語られるのを楽しみに……」


「――……い……すか」


「! な、なんじゃ、よう耳に届かぬ。今一度申せ」


 膝をつき、頭を垂れたまま。

 面を上げろと言っても聞かぬ男である。王はその事を知っていた。

 故にただ、彼を労う言葉を……反応がなくとも……かけ続けていた。それがどうだ、言葉が返ってきた。

 この男から、真っ当な意思表示が返って来た。

 それが大変に珍しいものであることを良く知るがゆえに、王は喜色さえ浮かべて問う。


「か……帰って、いい……ですか?」



 しかし、期待は裏切られた。

 王はため息をついた。



「……勇者アムネスよ。そなたもこの旅でわかったであろう。世の中とは、左様に単純に回っているものではない。そなたの務めは未だに終わっておらぬ」


「ご…ごめ、ごめんなさ……でで、でも」


「……頼む。これが最後じゃ。そなたの存在を衆民の前に明らかにしておくれ。皆に、希望の確かな形を与えておくれ。そなたは……」


 ――勇者であるのだから。


 王は、国のみならず世界の頂点と称しても差し支えないこの国の王は、頼む、ともう一度繰り返した。


 その言葉を、目の前の青年が耳にした瞬間。


「う、ううう、ううううう」


 いくらかの、悶えるような呻きを挟み、その直後。

 うえええええ、と、彼は子供のように泣き出した。


 王は彼に……アムネスに聞かれぬように……より大きな声で泣かれぬように。また一つ、そっとため息をついて、頭痛を耐えるかの様に片手で頭を抑えた。

 

 分かっていたことではある。彼がこの様な人間であるのは、王は十分以上に知っていた。


 しかしそれでも、この精神薄弱な青年にしか、この国のみならず、世界を救うには役者が不足していたのだ。


 この国の軍事力をもってしても、あるいは他国と協同して兵士を送り込んだとしても、かの暴虐なる魔王を倒す事はできなかっただろう。


 それほどまでに、かの敵も、その部下達も強大であったのだから。


 

 そしてそのような絶望の根源に泣きながら向かい、泣きながら剣を振るい、泣きながら帰ってきたのがこの男だ。



 ……その体には、傷一つついていなかった。


 彼が柔らかな肌をしているのは知っている。


 彼が城を出る際に嫌がって暴れ、転んだ際に出来た肘の擦り傷。今はもう残っていないその傷跡は、その様子を目撃した誰もが失望と共に覚えている。


 肉体的に恵まれている訳でもない。そこらの体格のいい者に殴らせれば、二晩は痣も消えまい。

 いつ会っても潤んだ目をしている軟弱なこの男は、それでも誰よりも強いのだ。


 ……ただの一度も、この世の誰も、彼を傷つけることが出来なかった。

 彼は、勇者となって向こう三年……ただの一度も攻撃を受けることがなかったのだろう。改めて視線を向けても、やはりささやかな傷の一つも見受けられない。


 敵の中には、触れただけで全てを燃やし尽くす魔人もいた。

 息の一吹きで目に映る全てを凍らせる魔女もいた。

 島と見間違えるほどの大きさを持つ竜もいた。


 その体の頑強さが常人と同じというのなら……彼が生きて戻ってきた以上、やはり彼は、一度もその身に彼らのあらゆる暴虐を受け止めた事がないのであろう。


 全てを、ただ、目の前の男は滅ぼした。

 恐らくは一方的に。


 笑い話にもならない。彼を唯一傷つける事が叶ったのは、我らが居城の床石であった。不名誉とも言い切れまい。


 初めてこの青年と出会った時のことを、未だに耳朶を叩き続ける嘆きが否が応にでも思い出させてくれる。


 何せ、この響きは、その時と何一つ変わらないのだから。

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