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———人の手が僅かに入ったのも今は昔、長らく放置されていたと思われる、少々開かれた林の切れ間にアイギーが辿り着いたのは、太陽が中天より仄かに西に傾きだしたころである。


 

 ここまで約、ひと月半ほど。長かった、と、立ち止まって一息だけついて、瞑目し、さっと首を振って、胸懐でまだちらちら燻り続ける感傷を追い払うと、ザックを背負い直し、幽邃な翳りを湛える、木立のアーチの中へと踏み入る。



 這い出た木々の根に気を配りながら足を進め、張り出した枝々でトンネル状になっている道のようなものをしばらく進むと不意に、開けた場所に出る。



 太陽の光が燦々と眩い円形の辺り一帯は、枝が払われている上、何か結界のようなものに覆われ、野の草木の侵食が阻まれており、見れば中央に立札が一つ、立っている。



 左方の奥に眼を向ければ、少々朽ちてはいるものの簡易的な石造りの祭壇があり、野営地にでも使ったのか、ところどころに人の滞在した痕跡も見られる。


 おまけに、とばかりに、地は拓かれ、芝まで敷き詰められており、暇人の仕業かよ、と呆れながら、足を進め、昔はこんなもの全部なかったんだけどな、と、訝しみながらケバケバしい立札に近づき、立ち止まって、文字を眺めれば、どうにもまだ新しいものらしく、



『 警告 

  現在、貴殿のいる一帯はすでに王領内の禁猟区であり、

  教会指定の第一級危険地帯でもある。

  身の安全を得たければ、即刻退去されることが望ましい。

  また、ここより先、 人外魔境につき、 一切の人命、保証せず。

                     救世教会騎士団北方支部

                   執行部長 サニー・ティンバリー』



 などと書かれており、恐らく、教会の連中のなかでも、極めて暇な者が若手を連れて、訓練などと称していたずらに魔物でも虐めにきたのだろうけれど、なんにしても。



 趣味わりいなぁ。



 と、我知らず物思いに耽ってしまう程度には装飾にせよ何にせよ、悪趣味である。



 彼らは頭が固い上に、常から、融通も利かなければ他所他人の忠告も聞かない。



 他所の事は言えなかったが基本的に胡乱であり、自分たちの教義を自分たちの都合でその都度々々に解釈した上で極力順守・実行、結果、負であれば陰蔽することに血道を挙げている、と対外的には思われる、死んだ方がいい変態どもである。



 様子から察するに、一ト月から数週前にこの辺りに滞在していたのだろうけれど、出遭わなかったのは僥倖であり、こんな辺境で、単独ひとりで、軽装で、傍目に妙な男が、森に似つかわしくない王都の施設のローブ姿でふらふらしていれば、どんな難癖をつけられるか。なんて、わかったもんじゃない。



 一応、吐き気のするそれらの内容を頭の片隅にはとどめておくことにして、ヒトんちの近所でなにやってんだかこいつらは、と、鼻で笑って、その警告札を避けてとおり、山麓の方と思しき方角へ、木々の間をすり抜け、林の奥へと、足を進める。



 木の肌に手を突き、苔むした根を避け、この約一か月程度で自然とついていた体力に感謝しながら、徐々に密度の濃くなる自然に足を取られ、あゆみを妨げられつつ、棘の生えた野草の数々を掻き分け、群生していた毒花毒草を迂回して進むうち、皮膜から染み出るように、



 靄が、四囲に漂い始める。



 この辺りの幽世、魔の領域に入った証拠であり、実家のある、春夏秋冬がごちゃまぜの、四季の森、と呼ばれる、森の入り口に辿り着いた証しでもある。



 妙な懐かしさを覚えながら、進むにつれ視界がホワイトアウトしていく中、



 懸命に腿だの足だの杖だの腕だのを動かし、何度か何かに蹴躓き、少々慌てたりもしながら、できれば家にほど近い、春の森に出やしないかと、期待して数分とも数十分とも数刻とも取れるあいだ、進んでいると、


 唐突に。

 何者かの腕に背を強く押され、もとい、

 突き飛ばされ。

 

 声を挙げそうになりながらなんとか倒れまいと歯を食いしばって蹈鞴を踏み踏み、

 二、三歩よろめいて

 振り返ると。

 

 

 青々とした繁茂する緑が視野一杯に、明瞭に、広がっている。


 唖然としながら心なしか先刻よりも強くなった木漏れ日の揺らぎの中、抜けたのだ、いや、入ったのだ、と、気づいて、まてよ、落とされたのか?などと考えながら辺りを見回せば、どこにも、先ほどまでの眼球に纏わりつくような靄はなく、完全に消失しており、様相一変。植生の変わりようから察するに、



 辿り着いたのは、夏の森である。



 四季の森はどこも、時間が留まっている。停止ではなく、どこぞの誰かが何かの目的でそうしたのか、全てが、残留している。といっても、過言ではない。

 

 時間の流れ、それ自体が、独自である。中でも、夏の森はその明美さ寧静さとは裏腹に、非常に厄介で。



 ——————目に見えぬ毒であふれているから、長居はするな。



                 そもそもからして。



       近づくな、 と。




 アイギーは幼少の頃から、家人より、教え込まれている。

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