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家の内は、薄ぼんやりとしたランプの明かりに満ちており、台所で料理に勤しんでいたらしい、奥さんが顔を覗かせ、男に声をかけた後、「そちらは?」と、エプロンで手を拭きながら訊ねるので、自己紹介と事情の説明をし、急な来訪の詫びを入れていると、
旦那に対して、「まったくこの人はいつもこう、」と、呆れながら、半ばあきらめたように笑って、お説教が始まり、男がすまんと苦笑しながら笑って頭を掻きだす、
かたわらで、肩に担がれたままの子供がこちらを見て、企むように破顔して片手を差し出してくるので、微笑を返しながら、その手を取り、「よろしく」と、握手を交わす。
奥さんがもう一人前分、追加で食事の支度をしはじめ、その間に男が荷を分け、子供に、服を着せた木彫りの兵隊を渡してやり、団らんの中、
手持無沙汰のアイギーは、所在無く家の中を眺め、生活の色の濃さに反して手入れの行き届いている具合に感服し、褒めると、
「よせよ。ボロ家だぜ?」と、男がうれしそうに笑う。
数十分もすると、食卓に料理が並び始め、「適当にかけててくれ」と、男に言われたので礼を言ってテーブルにつき、更に数分もすれば、皆がそろって、皿から立ち上る湯気を前に、土地の神に祈りを捧げるので、アイギーもそれに倣って、何を祈るでもなくただ黙然と眼を閉じ、家長の「じゃ食べるか」という合図を待ってから、
向かいでフライング気味に勢いよくスープの具を掻っ込みだした子供と、負けず劣らず皿に向かう隣の男に苦笑しながら、「いつもこうなのよ」という呆れ気味の奥さんに笑い返して、相伴にあずかる。
出自や旅の目的、仕事について、手足の欠けている己の身体の事や、都市部の暮らしについての話に伏せる部分を伏して華を咲かせながら食事を終えると、後片付けのために席を立った奥さんと男に代わって子供の相手をし、どうも字の書き方を識らない、ということらしいので、互いの暇つぶしも兼ねて自分の名前を表す文字を教えてやるうちに夜も更け、奥さんが子供を寝かしつけるため連れて行き、
ダイニングに残った男と明日の行程について話しをし、早朝に出て、森の手前の丘陵まで、ということで改めてまとまりがついた後、就寝のため、納屋の方へ行こうとすると、戻ってきた奥さんに止められ、男にも「いいよ。盗られて困るようなもんもないし、気にすんなよ」と言われ、あまり遠慮するのもはばかられたので、ブランケットを借り、しかしベッドまでは申し訳なかったので、「床と壁があれば大丈夫だ。ここはあたたかいから」と笑って、支度を整えると、食器棚の傍に腰を下ろし、一夜を明かす。
翌日。明かり取りから入った朝の気配に瞼を開くと、すでに夫妻が起きてきていたらしく、辺りに、密やかに、家事の始まりの音と空気が漂い始めており、寝過ごしたことを謝って、ブランケットを畳んで返し、「律儀なのね。うちの人も見習わないかしら?」と、奥さんに笑われながら、荷物の確認を済ませると、手早く準備を終えた男と共におもてへ出て、奥さんと、遅れて起きてきた子供にも見送られながら、そこを後にする。
「いい家族だな」と、ロバの上から男の背に声をかける、アイギー。
「ん、だろ?」と、パンをかじっていた手を止めて振り向き、口許を歪める男。「俺の財産だ」
「確かに。その価値があるよ」と、笑い返して、貰った硬いチーズの端っこに噛り付く。「ちょっとうらやましい」
「やらんけどな」あっはっはっは、と、朝っぱらからハイテンションな男の笑い声が、靄がかった朝の原野に響く。
一つ目の小高い丘を越えた頃、徐々に太陽が昇り始め、ちらと振り返ると、見渡す限りの足の短い草原に光が降り落ちている。小休止をはさみながら、更に丘を幾つか越え、昼過ぎまで歩き、一つ高い大地の起伏を登り詰めると、眼前視界一杯に、パノラマで広がるアータイの山々、その白んだ峰々と、麓に広がる森林と、裾野を守りひた隠す樹海とが、厳然自若と現れる。
「送ってやれんのはここまでだ」と、遠く絶峰を眺めながら、男が言う。「だいたいとっくにもう禁猟区に入ってるしな。バレねえとは言えいたくはねえからよ」
「いや、すまない、 ありがとう」と礼を述べながら、アイギーはロバから降りてザックと杖を取り、「最後の最後で本当に世話になった」と、笑って左手を差し出す。
「いいって気にすんなよ。だいたい十分すぎるくらい御代はもらってんだ、」と、少々物憂げに笑い返して、その手を取る、男。
ちかくでロバが、草を食み出している。
互いに、手を離し、
「まだ歩くのか?」そう、心配そうに問うてくる。
「あぁ、少なくとも森には入るよ」と、山を眺めて、アイギーは言う。仄かな冷気を孕んだ風が、陽光のあいだをすり抜け、頬を撫でる。「実家、そっちのほうだから」
「そうか」と、間を置いて返ってくる声音には、多分に憂いが籠められている。「この辺りは魔物なんてめったに出ないし、野犬だなんだもまあ、少ないんだけどよ、」
「大丈夫だよ」意を酌み笑って、隆々とした背を軽く一発叩いてやる。「運は悪い方だ」
一瞬、呆気にとられた男が、「あっはっはっは」と高らかに笑うので、アイギーも釣られて笑い、少し呼吸を整えた後で、「まあ、帰りに余裕がありゃ寄るよ、家からなんか土産持って来るからまっててくれ」と、断って、斜面を、おっかなびっくり、降りはじめる。
ちらと振り返り、「奥さんと子供にもよろしく」と、軽く手を挙げれば、
「おう」と、男もまた、軽くこぶしを挙げて答えてくれる。
笑い返して、足を進める。
アイギーはそれっきり、振り返らない。男が、いつ去ったかも、知らない。
草原を歩きながら、気持ちのいい奴だったな、と僅かに思い返しもするが、それも泡沫である、と言い聞かせ、思い込む。すぐさま露と消えるよう願い、祈り、胸の内の、慈愛憐憫人情への一切を蒸発させようと努め、ただ、森を目指す。
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