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 街道に出て、声を張らずに会話できる程度の速度で馬を進ませながら、多頭馬に乗る兄の方と当座の予定について話しをし、背で地図を小さく広げる妹が少し腰を浮かせて何事かを耳打ちし、

 

 また更に話しを重ねて、煮詰めるうちに、

 

 子供二人との野営込みの強行軍は都合上、余りにも不安要素が多いため、当面は宿場を辿って、彼らの支社で都度々々に補給しながら陽のあるうちに進んでいく、という一番問題が少なそうで安全そうな案に落ち着き、足は遅くなるものの、


 不確定な何事かで彼らに死なれても面倒なので、背に腹は変えられず、と、

 

 アイギーは内心で己に言い聞かせながら、


 延々と続いている、極めて緩やかな弧を左右に描く道を進む。



 北へ。北へ。北へ。と、数週にわたって、ひた走る。



 ある日の午後、道端の原野の少し開けた場所に入り、馬を休ませる際に、兄妹と取り留めのない話を交わすと、口ぶりから察するにどうも、二人は孤児らしく、身の上をそれとなくうかがえば、そろって西方の辺境の出だそうで、他領地との前線に近い村で安穏と暮らしていたのだが、


 不運にも、戦禍に見舞われ、両親を亡くした後、伝手々々をたどって運よく、


 王都まで流れ着けたのだという。



 兄の方は、「アイギーさん、僕らはね?馬のそばで死ぬんだ」と、誇らしげに言い切り、「生きてこうして暮らせるなんて、とっても幸せだからね」などと、仄かに皮肉を孕ませてのたまうさまは、妙に、達観している。



 妹の方はといえば、口数は少ないものの、馬と会話できる少々稀有な才があるらしく、ブラッシングも兼ねて首を撫でているところに近づいて、


「俺が乗ってんのはなんて言ってる?」と気紛れに訊ねてみれば、ローブの袖口を引っ張られて頭を下げさせられ、「おじさんも私たちもね?軽いかららっきーだって言ってるよ」と、こっそり、この時ばかりは柔和に、耳打ちで教えてくれたりもしたが、


 こうして誰かと話せるようになるまで、随分と、時間が掛ったらしい。




「おまえら、変わってるな」

 と、再び走り出した馬上で笑って話しを振れば、



「アイギーさんがそれ言うの?」

 と、兄に返され、

 妹の方が地図で口許をかくしてくすくす笑うので、


 三人揃って、ちょっと、笑いあってしまう。




 北へ。北へ。北へ。と。幾つかの宿場を越え、行程通りつけなかった場合は、点在する村に寄って雨風夜露をしのがせてもらい、道中の町では一度、宵闇の中、野盗めいた暴漢数人にアイギー一人のところを絡まれ身包み剥がされそうになったりしたものの、身に収め宿す秘術の末端を見せてさくっと退治・駆逐して、事無きを経て、北へ、北へ、と、ひと月もすぎた頃、


 ようやく、王国領内最北の、

 宿場、と呼ぶには、大きな街に辿り着く。


 物流の大動脈北部の終着で、ターミナルとして栄えており、首都ほどではないにせよ、発展し、人にも物にも市にも、どこか少し冷めてはいるものの、脈々と息づく、活気がある。



 アイギーが目指しているのは、ここよりさらに北である。



 飼料物資の補給にと訪れた支店の厩舎でそのことを兄妹に伝えると、



「でもこの先は、小さい村とか、民家がちょっとあるくらいじゃないですか?」と、当然の答えが返ってくるので。「あとはもう、山脈でしょう?」



「いや、そっちの方に用があるんだ」と、苦笑しながら、「実地での調査もそうなんだけど、実家もあってね、ちょっと寄らなきゃいけない用があってな」



「なるほど」と、兄は言い、少し考え込む。「商業用のルートからけっこう外れる、ってことですよね? ここを拠点にして、この辺りに何週間か滞在されると思ってたんですけど、巡回してる傭兵とかがいないところまで行く、っていうのは、」うーん、と渋い顔で、唸って。



「まあ、言いたいことはわかるよ。いや、危険な事になるのは最初っから解ってたんだ。」取り繕って、アイギーは言う。「下手するとこっから先は、契約の内容から外れるかもしれない、っていうか、たぶん、外れるだろうし、だから申し訳ないんだが、今乗ってきた一頭だけ借してもらって、二人にはここで待機しててもらえないか? 何があって何に襲われるか、わかったもんじゃないから、」



「でも、そんなに魔物、いないよ?」訥々と、兄の横の妹が口を開く。「今日までだって、私たちだけでやり過ごせてきたし」



 ――――――事実、ここまでの道半ば、幾度か、個体にせよ群れにせよ、集団にせよ、ニアミスはあった。



「んー、」と、アイギーは口許に左手をやり、「まあそうなんだけど、」と断って、「知っている土地だから、なんていうのかな、俺一人だと立ち回りしやすいっていうのかな?逃げたり生きたりはしやすいだろうし、っていうか、馬鹿を見るにしてもやられるにしても、被害は俺の範囲で収まるし、」あのー、と、眼を泳がせ、言葉を選んでいると。



「アイギーさん」と、痛ましげに、兄が口を開く。


 続いて妹の方が、悲しそうに目を伏せ、「死ぬの?」と、確信めいたことを言う。



「いや、そういう訳じゃないよ、ただ行って、ちょっと居て、帰ってくるだけだから、」あー、ははは、と、苦笑紛れに「んーっとだな、」うなって言葉をにごし、眼を泳がせ、フードの上から、頭を掻く。


 どう言ったものかな、と、悩みながら、「そのー、なんて言ったらいいか、別にそんな二人のこと邪魔扱いしてる訳じゃなくて、だな、よくやってくれてきたし、」



「アイギーさん。」と、兄の方が改まって言葉を継ぐ。眼を向けると、「アイギーさんは特別変なお客で、優しいから。そういう、」重々しい空気を発しながら、面を伏せる。「言い方になるんでしょ?」



「いや、ホントにそういう悪い意味じゃないんだ」と、慌てて、また言い訳をする。



「わかったよ」と、半ば投げ遣りに言い、意を決したように、相貌を上げる。「アイギーさんがそう言うんだから、僕らも呑まなきゃね」



「ありがとう」軽く首肯したまま、頭を垂れる。「男同士だと話しが早くて助かる、けど、ただ、ほんとに悪い意味じゃないんだぞ?」



「よしてよ」と、苦笑する、兄。はぁーあ、と溜息を吐き、「でも、まぁ、一人で行かせるのも危ないっていうか、ダメなんだよね。馬の事もあるし」



「うん」と、屈みこんで飼葉を触っていた妹が、相槌を打つ。



「そういう詳しい話は僕らじゃだめだから、支店の中でしましょう?」と、兄に建屋の方へ、促され、三人でそろっておもむき、契約書の内容を確認しながら支店にいる者と変更についてのあれやこれやの話をして、平行線場を辿り始めたので、子供たち二人には席を外してもらい、


 ある程度、といっても小銭に過ぎないがチップという名目で賄賂を渡し、


 奥地に行商へ向かう人間に同行する、なるべく指定した期間内に馬を戻す、ということを条件に、なんとか了承を得て、



「私どもの管理する範囲を越えていかれる、もしもの際は、 そうですね、その男に馬を渡してもらえれば返却してもらえるように手筈を整えましょう、 いえ、なに、請け負ってくれる者がいるのです」



 といった辺りに落着し、子供らが呼ばれて事情が説明され、数時間もすると。



 支店に、白い髭を蓄えた老人が現れ、「こちらの方です」と、紹介され面通しすることになり、「あんたもあんな辺鄙なとこまで、変わった趣味だねえ」と、にこやかに手を差し出されるので、



「いや、そっちの方に実家があるんで、 よろしくどうぞ」と、その手を握り返して、早々に、交渉が成立する。



 ただ出発は明日だ、ということで、その晩は周辺の安宿で身を休め、



 開けて翌日、わざわざ見送りに来てくれた酷く名残惜しげな兄妹にしばしの別れを告げた後、陽の出に合わせて、頭の悪そうなロバの引く荷馬車に並んで、街を出る。



 北へ、北へ、と。幾分ペースは落ちたものの、牧歌的な速度で、整備も行き届いていなければ街道ほど踏み均されてもいない田舎道を、ゆるゆる並んで、進んでいく。


 前方、彼方には、峻険な山々、その連峰が幽かに、白んで見える。


 長閑で甲高い鳥の鳴き声を聞きながら、辺りの原野を吹きすぎる風に懐かしさを覚え、いつか眺めたことのある風景の中で、郷愁に似た感慨に浸り続けて――――――、


 うわの空で十数年前に思いを馳せ続けるのにも飽きた、夕刻の頃、

 ようやく、最初の村に辿り着く。



 民家が営んでいるちっぽけな宿に寝床を取って夜を越し、翌朝、暇に飽かせて老人の荷卸しを手伝って、再び、北へ、北へと歩んでいく。



 四日ほど繰り返せば、王領内の中で、人の集団が生活している最北の集落に辿り着き、ここから先は小作農が数軒と、牧畜を営んでいる者がいくらかあるのみで、



「そん中のどれかがあんたの実家かい?」と、食事に寄った酒場で老人が訊ねてくるので、



「いや、」と、苦笑しながら首を振り、「そうじゃないよ」と、応じる。


 目の前の木のジョッキに注がれている、その土地のエールをワイルドベリーの果汁で割ったもの、を、アイギーは飲み干して。


「まだもう少し北なんだ」

 と、笑って言う。


「まだ? それより北なんてもう、アータイの山々しかないだろう」ふっふっふ、と、穏やかに笑う老人。顎髭を指で梳きながら、なんだか愉しそうに、眼を細める。



「その麓なんだよ。樹海の手前くらい」と、苦笑しながら少々の嘘を混ぜて答えると、少し驚かれ、「あんた、そんな難儀なところの出で、よくもまあ王都まで行ったな」と、笑われてしまう。



「まあ、それなりに運がよかったんだろうさ」と、答えて、空のジョッキを、ちょうど脇を通った店員に渡す。



 ここより先に行くのなら、借りてきた馬が使えない。持ち主である彼らの管理下はとうに離れているし、もとより、一人で数日数週も運用しきれるものでもない。誰の目も届かないところで律儀に契約を守るのは、帰りの事を考えるからで。会話を重ねながら、そろそろ馬を預けることを伝えると、



「足はどうするんだ?」と、当たり前の事を訊ねられるので、



「いや、人足でも雇おうかと思ってたんだけど、なんか爺さん、この辺で、あて無いかい?」と、訊き返せば、



「あぁ、じゃあいいのがおるから紹介してやろうか?言えば手を貸すだろう、まだここらに居るはずだ」と、話しが進み。



 勘定を済ませて、そのものの為人を聞きながら、促されるままに村に一件しかない雑貨屋の前に行くと、体格の良い男が、店主と話し込んで、笑っている。


 さりげなく老人が流れの中に割って入って、事情を説明してくれると、



「あぁ、爺さんが言うならいいよ!」


 と、快諾してくれたらしく、


「お、あんたか!」と、こちらに気づいて手を挙げ、「よろしくな!」という大音声と共に、


 体格のいい方が、活きの良い足取りで近づいてくる。



 自己紹介を済ませ、改めて事情を説明し、行き先について述べると、



「あー、そっかー、あそこらまわりにはなるべく近づかないようにしてんだけどよ、つーか、民家なんかあったか?」と、僅かに渋い顔をされてしまうが、


 森の手前でいい、というと、落とし所として受け入れてもらえ、料金の交渉で、手持ちの、領内中央で流通している金貨五枚でどうかと言うと、


「どこの旦那だよ?あんた」と、笑って驚かれてしまう。



「いや、そんな大層なもんでもないよ。ただの、そうだな、研究職だ」と、苦笑すると、



「おー、あんた、学者先生かよ」と、眼を瞠られてしまう。



「あー、いや、まあ、」と、逡巡し、どう訂正しようか頭を悩ませて頬を掻いていると、



 男は笑って、「頭のいい人達ってのはなに考えてるかわっかんねえからな、おれらじゃ。まあ手前までだし、送ってってやるよ!」 と勝手に納得し、隣に立って、「任せときな!」と快活に笑い、背をばんばん叩いてくる。


 武骨な手に上体を少々翻弄されながら、「お、おぅ、よろしく頼む」と、苦笑しながら答えていると、老人と雑貨屋の店主が笑っている。



「荒っぽいが気はいい奴だ、よろしくしてやってくれ」と、老人が言い。



「おまえ、そのセンセにあんまり無茶させんなよ?」と、店主が囃して続ける。



 料金を支払って話がとり纏まると、さっそく、アイギーは老人と男と共に荷馬車等を停めていた酒場に戻り、乗せてもらっていた荷物を確認しながら分けて、忘れ物がないかを確認した後で、改めて、


「世話になった」と、長い付き合いになった馬と、老人とに別れを告げ、「よろしく頼む」と言い置いて、互いに快く、つつがなく、モノを預け終えると、男が回してくれた逞しめのロバにザックを積んで、乗り、伴われて、穏やかに村を出る。



 近くを流れる川沿いの、風光明媚な景観の中を、ロバに揺られて進みながら、まだ少しアータイの山々までは距離がある、という話しをしていると、



「頑張ってもたぶん、今日中には無理じゃねえかな」と、男が言い、恐らくそうだろうと、まだ遠景の中にある峰を眺めて、アイギーも思うので、近場での野宿を申し出ると、



「水くせえな、なんだよ。いいよ、ウチ泊まれよ」と、男が苦笑しだしたので、遠慮しておこうかとも思われたが願っても無いので、お言葉に甘えることにし、丸一日かけて、平野の中にある申し訳程度の道を進み、陽が沈み星々が夕空に瞬き始めた頃、足の短い草原の中にある、納屋と舎付きの、少々大きな一軒家に辿り着く。


 放牧を生業にしている男の、持ち家だという。


 柵の間に設けられた道を進み、到着して荷を下ろし、小さな獣舎にロバを入れていると、気配や物音を察したのか、「おかえり!おみやげは?」だのなんだのとわーわー愉しげに騒ぎながら男の子が出迎えに駆けてきて、男の足に纏わり抱きつく。



「オイオイお客の前だぞ」とたしなめるものの、満更でもないらしい健脚な男は、疲れたそぶりも見せず、力強く子を抱き上げて肩に半ば担ぐように乗せ、ちょっとふざけあった後、「行こう、女房紹介するよ」と、荷物を小脇に抱え、家の方を促して歩き出すので、



「あぁ、世話になる」と断りを入れ。



 早速始まった父子の会話を聞きながら、水を差すまいと少々歩みを遅らせて、アイギーも後に続く。


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