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 局長室をあとにしたアイギーはその足で総務のとなりの事務課に寄り、事情を伏せられるだけ伏せて伝え、休暇の申請書を用意してもらうと、



 向こうから振られた、「なんか、研究棟の方が騒がしいみたいですね」という話しにこたえつつ、



「局長にはすでに話を通してある」と、断りを入れ、この際だから、と、余っている有給も使えるだけ使い、さっさと記入を済ませ署名して提出をし終えると、施設を出て、一度、自宅に戻る。


 

 足を引きずりながらたどり着いたのは、貧民街にある、アパートメントの一室である。



 着くとまず、義手義足を交換し、ローブを換え、さっそく、準備に取り掛かる。元々身軽に身軽にと生きてきたこともあって、持ち物も人付き合いも少ない上に、年に数回は短期長期に関わらず野外調査に出かけることもあって、旅の支度などは慣れたもので、手早く最小限に事を済ませると、


 階下に住まう大家に断りを入れに行き、今度は少し長くなる、と言い置いて、留守を頼み、もう何年と世話になっていることもあって快い了承を得ると、普段あまり見ない昼時の街中の喧騒に紛れ出て、市街地にある、市民向けの銀行に向かう。



 長い受付の順番待ちを終えた後。




「本日はどういったご用命でしょうか?」と、窓口でにこやかに言う行員に、



「いや、急遽ですね、ちょっと長期の調査旅行に出ねばならなくなりまして、」と、今日何度目かの、適当なこじつけで場を取り繕ったものの、


 提示した額が、普段の利用額とは大幅に異なったため妙な疑いや勘繰り、もとい、邪推の類を持たれたのか、やれ本人確認だ審査だなんだと急に言い出して、


 慌ただしくごそごそ、複数の行員に窓口の向こうで蠢動されもしたが、


 結局。


 預金の半分ほどをごっそりと引き出すことに成功すると、


「お気を付けくださいね」と、酷く訝しがられながら外まで見送られたものの、


 かといって、特に引き止められもせず、


 面倒事を回避できて少しほっとしながら、今度は馬の手配におもむき、頑健で聞き分けの良いものを二頭、諸々の馬具、飼料用駄馬、馬役の人間等々、付属品つきで個人でリースしたいと頼み、しかし当たり前だがすぐには出せぬと断られたので、明朝早く、城壁の西門前に回してもらう事にして、


 ここでもあやしまれたものの、

 どうにか、言い訳に言い訳を重ねて、


 行き先、値引きや保険、雇う人間の質と待遇、期間の話しになり、何とかお安く抑えられるだけ抑えて契約を結び、書面の上で握手を交わし金銭を払い終えて事業所を出るとすでに、



 陽が、傾き始めている。



 終始身体の事を冷笑されたこともあって、慣れているとはいえなんだかなぁ、と少し疲れてやるせなくなりながら、王都でも外れの方の見慣れない街並みの夕映えを眺めて歩き、


 ――――――ふと、そういえば、と思い立って、繁華街に最近できたらしい百貨店とかいう大きな箱モノに寄ることにして、足を速め、なんとか閉店の前にたどり着くと、近くにいた案内係をつかまえ、軽く説明を受けておおよそを把握した後、


 一階の奥の乾燥菓子を扱う店まで行って、手土産をいくつか見つくろい、オーソドックスなガレットクッキーの袋を二つと、最近ちまたで流行っているらしい、カラフルな小さな砂糖菓子の瓶詰を、店員が謳うままに二つほど、過剰にならないよう包んで貰って、


 茶色い荒い紙の袋を抱えて建物から出ると、そろそろ、夜の蒼い帳が降り始めているので、一日を終えて足早な人々の流れに混ざり、帰宅することにする。


 貧民街に向かうにつれ、漂い出した夜気が肌に張り付き始め、仄暗さ・夜の仄明るさは増していき、陽が落ち切る前になんとか自宅のある建物にたどり着くと、


 一応、と、数か月分の家賃を先払いするため、大家に顔を見せに行き、



「すみません、留守中たのみます」と、戸口で、買ってきたクッキーと一緒に、賃料を渡す。「つまらんものですけど、」



「気にしなくていいのに」と、大家のおばさんはエプロンで手を拭きながら、困ったように笑う。「食事は?」と、品とお金を受け取りながら。



「あー、」そういえば、昼夜と何も食べていないことを思いだし、「まだ、 みたいでした」ちょっと苦笑してしまう。



「ちゃんと食べないと持たないよ?」ったくいつまで経ってもだらしないんだから、と零して、「旦那は飲みに出ちゃったし、あまりもんでよければあるけど、あんたどうする? あがってくかい?ここじゃなんでしょ?」


 そう言いながらドア枠に寄りかかり、顎でかるく部屋を示す、大家さん。



「いやー、でも、 いつもで申し訳ないですし、」と、遠慮を口にしだすと、



 おばさんは無視して、ドアに触れもせずさっさと室内に戻り、「あんたガタイは良いんだからちゃんと食べないと!」などと喚きながら、キッチンの方へ行ってしまう。



 こうなると、手が付けられないことを経験則でアイギーは知っているので、おとなしく言葉に従い、「すみません」と謝りながら、中へ入りドアを閉める。



 見知ったテーブルについてしばらく待つと、おばさんがよく作るミートボールの浮いた野菜のスープとパンが出されたので、礼を言い、スプーンを手に取って口に運ぶ。



 親しみのある味が、いやに沁みる。自分にとって母の味なんてものがあるのなら、きっとこんな感じなのだろう、と。美味いという好意的な味の感想とともに思ったままを口に出せば、



「なにもうやだねぇ、急に。 褒めても何もでないよ?」と、ちょっと照れくさそうな、答えが返ってくる。


 向かいの席に着いたおばさんが、さっそく、とばかりに、土産のクッキーをばきぼき容赦なく咀嚼しながら、「今度はあんたどこまで行くの?」と、雑談を振ってくるので、


 相手のわかる範囲で答えながら話しに興じて、流れの中で、出ていく際に一旦、鍵は返して預けておくことを伝え、食事を終えると、また礼を言って。


 明日は特に早いので、と丁重に断り、恐らく旦那が酔っぱらって帰ってくるまでにすべて始末してしまうつもりなのだろう、クッキーの箱を後生大事に片手に持ったままのおばさんに見送られ、自室に戻る。



 どうみても殺風景な部屋をうろうろしながら今一度、荷物の選別をし、土産を詰め、予備の義手義足を入れる位置をどこにしようか迷い、確認を済ませ、就寝したのは深夜であったが、なかなか寝付けず。




 妙な期待と興奮、旅への不安と昂ぶりに苛まれながら、


 浅い眠りと緩い覚醒を繰り返し。




 明けて翌日。近所の小さな鶏舎からする、いつもの躁叫と、朝絞めの一羽の断末魔を耳にしながら、硬いベッドの上に起臥し、束の間、茫然と、カーテンの無い窓から入る、夜の死を知らせる余りにも淡い早朝の光を眺め、深く息を一つ吐いて、気を入れ直し。


 支度に取り掛かって全てを済ませ、朝食代わりにと、自前で調合している体内の魔力の流れを整える丸薬を一粒と、常備している、酷く硬い角砂糖を二つ口に放り込んで、噛み砕いてゆっくり咀嚼、嚥下しつつ、辺りを眺めまわし、


 いつもの癖で、仕事用のローブを纏いながら、 あ、 と思うも、脱ぐのも億劫なのでそのままに、最終的に不備がないことを確認すると、


 少し大きめの革のザックを肩に掛け、部屋を後にする。

 

 階下の大家の家に寄って鍵を渡し、



「まあくたばらないようにね」と、含み笑うおばさんからエールをもらい、



「どうも。じゃあ行ってきます。 旦那さんにもよろしく」と、笑い返して、左手を振り、アパートメントを出る。



 杖を突きながら、通り慣れた道を進み、二、三、顔見知りとすれ違って挨拶をかわしつつ、石畳で舗装された辺りまで来ると、大通りを左に曲がって進路を西に向け、まだ眠っている街並みを眼に映しながら、漂う朝もやの中を、歩む。


 微かな冷気に混じる、人々の生活の臭いを鼻腔に満たしては、取り留めのない感慨を覚え、苦笑しそうになる。


 無事に旅から帰り着いた際、フランに何を奢るかを考えるうち、城門のある長い通りに出て、遠方、番兵の詰所の辺りに、幾つか大小の影が、ちらほら見える。


 西門の前までたどり着くと、契約に則り、馬車道の端、路肩に馬が四頭並んでおり、



「アイギー・ロウ様ですか?」と、傍に控えているまだ幼さの名残が強い兄妹に声をかけられ、


 そうだ、と答えればどうも彼らが今回の馬役らしく、昨日交わした契約書も持っており、なるべく安く、とは、言ったものの。



 これかー、と、若干の不安、落胆を、覚えてしまう。



「こちらで」と、促された六本足の物に、縒られたタテガミを掴んで器用によじ登って跨りながら、「大丈夫なのか?」と訊ねれば、



「二人だけで仕事を任されるようになってもう七度になりますから」と、


 多頭馬に乗る兄の方が胸を張り、タンデムで後ろに乗っている妹の方が、兄の背を掴みながら小さく何度も頷くので、


 

 ますます不安になったものの、贅沢も文句も言えないので、

 止むを得ない形ではあるが、出発する。


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