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 局長室内、デスクの傍の窓辺にて、

 王立魔導研究所、魔書・魔生物研究局・局長、

 イングリッド・デローズは、

 いつも控えさせている若い奴婢をガラスに押し付け、スカートを自らたくし上げさせ、裾を咥えさせ、声を押し殺させ、にやつきながらその股を弄んでいたが、


 今しがた邪魔が入ったことに忌々しげに鼻を鳴らすと、淫らな粘液で穢れた己の手を、指先付近にある他人の太腿の内側で拭って清め、放心する様を眺めながら、禿げた頭と両側に生え残っている髪を撫でつけ、時間をかけて、襟元を正し、室内に振り返って、


「入りたまえ」


 と、声を放つ。


 肥えた腹の上のベルトの金具を気にしながら、背後で慌てて身支度と呼吸とを整えている奴婢の立てる、衣擦れと、泣きそうな気配と、鉄の首輪が鳴る微かな音を存分に楽しみ、口許の歪みを誤魔化すため、剃り上げた顎をさすっていると、


 ノブが回り、徐に扉が押し開けられ、やや前傾姿勢の、研究所指定のローブらしき、正視に堪えない白いボロをまとったモノが、足を引きずりながら、開いた隙間から滑り込むように、入ってくる。



 ソレが、大仰な仕種で振り返って、扉を閉めている間。



 知らず、眼を眇めている。

 あれは誰だったか、と、考えを巡らせるゆとりがある。



 間もなくソレがこちらに向き直り、改めて背筋を伸ばして、

「失礼します、局長」と、忘れもしない男の声を放つので。



「あぁ、君か」と、イングリッドは半ば辟易しながら、温和を装い答え、デスクから離れて、泰然と、腰のあたりで手を組み、胸を張ってそちらに歩み寄る。



「アイギー・ロウです、アポも取らず申し訳ありません」と、男も、身体を庇うように足を引きずって、傍目から見ると慌てるような足取りで、近づいてきながら、口を開く。



 ふん、と、滑稽だと言いたげに鼻を鳴らす、イングリッド。「見ればわかる」



「いやー、覚えていてくださって、光栄です」室内中央にある、応接用のソファーセットの脇で、傾きながら、足を止める。



「杖はどうしたね?」訊ねながら、右手を差し出す。「三本足が売りだろう?」



「いえ。今日はちょっと、すみません」笑って謝りながら、左手を差し出す。「右手も無くしまして」



「ほう」と、少々、嫌らしく表情を歪めて、「右手も?」改めて左手を差し出し直し、数秒、親しくない程度に握手を交わす。



「いや、まあ、話せば長くなるんですがね、」



「要点だけ言えばいい」と、わかりやすく、苛立って言うものだから。



 恐らく、と、アイギーは思う。後ろの奴隷とお楽しみ中だったのだろうけれど、「そうですか。」シメたな、と、内心でほくそ笑み、「実はですね、」などと口を開いて、ちょうど手もと近くにあった、おあつらえ向きのソファーの背もたれを持って、体重を支え。



 かくかくしかじか、隠匿できる部分は隠匿しながら、

 もっともらしい真実を交えて、説明し。



「——————という訳で、我が家の封蝋まで、ご丁寧に偽装した手紙型の罠が発動しまして、被害の仔細・詳細な報告などは、追って誰かしらがしに来るでしょうが、


 それに研究室を丸ごと吹き飛ばされた際に右手も無くしましたし、義足も痛めまして、おまけにどうもまた・・、 これではっきりしたのですが、命を狙われているようなのです」



「何度目だね?君は。 あ?」苛立ちを紛らわせるため、瞑目してこめかみを掻きながら、極めて威圧的に、イングリッドは言う。「今年に入ってから。え? 君の身に降りかかったテロルの数は、 これで何度目だね?」



「たしか今回で四度目―――、でしたっけ?」しれっと、虚覚えを装ってそらんじる、アイギー。



「『死んでも死なない』とは君の事かね?え?」皮肉をたっぷり籠めて言う。



「まさか、不死者じゃあるまいし」ちょっと笑ってしまう、アイギー。「人並みの切った張ったですぐですよ。手足も片方ずつ無い身ですし、」



 ふん、と、鼻を鳴らして少し笑う、イングリッド。僅かに和やかさを取り戻し、「掛けるかね?」ちらと、ソファーを見て進める。



「いえ、このままの方が、ちょっと楽なので」と、へつらって笑いながら断りを入れる、アイギー。座ると長くなるので、「申し訳ありません」



「いや、構わんよ」言いながら、顎をさすり。


 わかりやすく、軽蔑しきった眼差しを目の前のソレに向け、


「それで?不運な君の事情は酌めたが、要件は何かね?私も管理者として忙しい身だ、そんな何の益も無い報告だけを『し』に、わざわざその不満足な足を引きずって来たわけでは無いのだろう?えぇ?」

 

 ちらと、後ろのデスクを振り返り、


「君の今回の功績のおかげで私も何かと仕事が増えそうだからねえ?」口許を歪めて見せる。



「さすが局長、寛大だ。その上お話も早い、」と、微笑を絶やさず。



「おべんちゃらはいい。続けろ」と、苛立ちを隠さず。



「はい、できればですね、 休暇を頂きたいのです」単刀直入に、アイギーは言う。



「休暇ぁ?」いぶかしげに、眉をひそめるイングリッド・デローズ。「いま?こんな状況でかね?」


「はい。状況が状況ですので、時間が必要だと考えます。


 国益の末端に繋がる機密を保持するためにも、一旦は私が、そもそもの席を外すべきかと。


 宗教的、また思想的なモノに憑りつかれているそれらが存在するならば、ですね、怨恨にせよ、まあ無いとは思いますが、技術的な物を狙ってにせよ、わたしがここを離れて行方を晦ませれば恐らく——————、

 わたし個人を攻撃するにしたって、王都の施設を直接狙って吹き飛ばすような連中ですから、誰でもいい可能性も多分にありますけれど、今回の獲物であるわたしの身柄を狙って、判然と動くだろう、と思われます。


 まぁ、こんな事は保安委員だの警備機関だのがやるようなことで、そもそも私どもの気に病むようなことじゃない気もしますが、他所に掛る負担や迷惑を考えればその方が手っ取り早いでしょうし、最悪私が命を落とすようなことがあっても、私一人の欠損で済むわけですし、向こうが多少動きさえすれば、尾も出すことでしょう、


 要はこちらをただの遺跡巡りの解読屋で、引き籠りのデスクワーカーだと見ている訳ですから、実態を知らぬ者がやった、と、考えられる訳でして、出遭いさえすれば付け入る隙は大いにあるでしょうし、尻尾を掴んでしまえばまぁ、 あとは、警備の者が総出で煮るなり焼くなり、どうでしょう? おとりですよ、おとり」


「ふむ」と、イングリッドは顎に手をやり、視線を右に流して、考え込み、 「理はあるかな?」と、零す。

 厄介払いになる上に諸問題の種子の一つを一時的とはいえ放逐できるならば、と、極短時間。

 思索にふける。


「君の問題だ、何かあったところでどうせこちらが理屈を捏ねるより速く、 勝手に、 君が処理するのだろうし」



「さすが軍属のイングリッド様、話が早い」フードから覗く口許を、へらへらと歪ませるアイギー。



「元だ、  アイギー君。確か前にも言ったはずだが?」威圧を籠めて訂正する。「それで、期間は?」



「三月ほどあれば」行って帰って、を考えると、恐らく、最低でもそれくらいはかかるだろう。「この際ですので、フィールドワーク―――、あのー、実地を巡ってですね、碑文の調査や植物の採取などもかねようかと、 思いまして、はい。」



 眉をしかめる、イングリッド。「この期に及んでも仕事熱心でけっこうなことだな」



「もし万が一、都の外ならば、事があっても市街にも人命にも影響や被害はないでしょうし、」付け加えて、言う。「一石二鳥かと」



「ふむ。」と、相槌を打ち。僅かに頭を巡らせるだけの間を空け。「では、君のその案でいこう」言いながら、こたびの件をどう処理し、上へ報告するかを考え始める。



「ありがとうございます」と、アイギーは、深々と頭を垂れ、軽く膝を折る。



「構わんよ」もう私の案になったのだから、と、降って湧いた災難に対する身の振り方を構築し始める。「まあ、せいぜい気を付けたまえ」



「ご忠告有り難く存じます」まなじりを下げる、アイギー。



「これ以上いらん仕事を増やされても困るのでね」


 ふざけおって、と内心でふつふつ、負の情動を募らせる、イングリッド。


「さしあたって修繕の手配に、土建屋だの内装工だのとの交渉にだ、アイギー君。私がどれだけの時間と心を砕かねばならんかわかるかね?え?」先を思い、少々、故意に、辟易落胆するさまを見せる。「君が直接報告しにくるだけマシになった。とはいえ、 だ。わかるかね?」



「申し訳ありません」と、口で謝るものの、それらの外注先の上部とイングリッドとの間に、甚だしい癒着があることを、アイギーは知っている。



「膝を折れとは言わんが、ある程度の覚悟をしておくのを進めるぞ?」にやにや、嬉々として、表情をゆがめる。「君の権威や功でどうにかなる部分もすでに限られているだろうし、いつまでも、前任者の頃と同じだとは、思わん方が良いのではないかね? え?」



「勘弁してくださいよ」と、ほのかに冗談めかして下手に出て、怯える素振りを見せる。なにか事があれば毎度であったが、こういう手合いは、へこんだところを見せねば終わらない。「できれば手心を、」



「まぁ、相応の結果を私に持ってくることだ、アイギー君」話を遮って、淡々とイングリッドが言う。「君だって社会に出てからそれなりになるだろう?えぇ?何年目だね?



「十五~六年くらいでしょうか」悄然と、口を開いてみせる。



「なら、理解はしているだろう?」歩み寄り、肩口に手を置き、顔を近づけて。「何事も上への口聞きは私がしてやるのだからねぇ?」と、


 フードの中を覗き込む。



「いやぁ、イングリッド局長、」と微笑を貼り付けて応じながら、手や顔をどかそうにも、退かすための手がなかったので、「私にできる限りで、善処させていただきますよ」クソ七面倒くせえなこいつ、と、内心で毒づく。「私の見つけた範囲で、になりますが、 局長の利益につながりそうなお話は、なるべくお持ちしますから」



「いや、アイギー君、そうは言っとらんよ?アイギー君」身体を離して、満足げに、朗らかに、酷くにやつきながら言を吐く。「それはよくない。そういうのはいけないなぁ?心を新たにして事に当たってくれるだけでいいのだ、私は。わかってくれるね? 君も大人だろ?」



「えぇ」と軽く、首肯しながら、

 イングリッドの肥えた身体の上の、ちいさな台に乗っているように見える、

 下卑きった顔を眼に写して。


 善処という名の手っ取り早い物理的な方法、を、思い描く。


 己の想像の範囲で済ませるだけ、まぁまだマシか、などと、刹那的に、上の空で考えながら。


「心得ました」と、アイギーは笑顔を浮かべる。



「なんにせよ、聞き分けがいいというのは美徳だなぁ?アイギー君」


 生やさしく、生あたたかくイングリッドは言いながら、アイギーの顔をもう一度覘くと、溜飲が下がったのか、背を向け、


「休暇の申請書は書いていきたまえ」


 後ろ手に手を組んでデスクに戻りながら、興味のかけらも持たずに言う。


「日付は今日でいい」



「わかりました。ありがとうございます」礼を言いながら、ソファーから手を離し、踵を返そうとして、バランスを崩して蹈鞴を踏んでしまう。情けなくよろめきながら、このまま帰ろうかと一瞬、ためらって考え込み、やはり、どうしようもなかったので、


「あのー、すみません」と、改めて声をかけ直す。



「なんだね?」デスク前で、表情に浮かぶ不満を隠そうともせず、イングリッドがこちらに振り返る。「まだなにかあるのかね?」



「本当に申し訳ないのですが、杖かなにかをお借りしてもいいでしょうか?



「構わんよ」とイングリッドが、背後に振り返り、「おい」奴婢に視線と声で行動を促すと、すぐさま、立てかけてあった趣味の悪いステッキを持ち、主の顔色を窺って、眼で確認がとれると、足早に、近寄ってくる。一連を眺めるうちに、



「どうぞ」と、目前で、穏やかな微笑とともに差し出される。



「ありがとう」と、受け取りながら、小声で、「前より元気そうだな」


「あ、いえ、」困惑し、表情を曇らせる、奴婢。


「どうした?」と、遠方から、声を張るイングリッド。



「いやぁ、なんでもありません」奴婢の肩越しにアイギーは顔を出して、イングリッドに言う。



「私のソレとも面識があるのかね?」笑いながら、訝られる。



「前に一度中庭でこちらの彼に挨拶したことがあるだけですよ」と、愛想よく応じて、「杖をありがとうございます、局長、」受け取ったステッキを軽く持ち上げて示し、「それでは」と、会釈を送って、踵を返し、足を引きずりながら、扉へ向かっていると、召使いの彼が、先回りをして恭しく頭を垂れて扉を開けてくれるので、軽く礼を言う。


 外に出て、室内に振り返り、「失礼します」と、声を放つと。


 閉まりかけていた扉の端に、案の定、


 害虫か何かを見るような、無機質な嫌悪感を宿した目で、窓辺の陽だまりの中に佇んでこちらを見るイングリッドの姿がちらと見えるので、



 内心、失笑してしまうが、御くびにも出さず。



 眼の前で、冷然と締め切られた扉を、鼻で笑う。


 さて、と、気持ちを切り替え。丁度こちらに歩んでくる、褐色の肌をした街着姿の男とすれ違いながら歩みを進め、今のは誰だったかな?と、頭を巡らせながら、局長に関する如何わしいウワサを何件か思い出しつつ、とっととその場を後にする。


 階段を下りだしたあたりで、ノッカーの音が、甲高く響いてくる。



 




 イングリッドは、両の手で掴んでいた奴婢の首輪の金具とエプロンドレスの胸倉から投げるように手を離し、忌々しげに扉へ振り返って、



「入りたまえ」と。声を放つ。 ソファーセットの脇で、「次から次へと」と、小さく愚痴をこぼしながら、不遜不服を隠そうともせず、表情をしかめきって、後ろ手に、手を組む。



 間もなく、徐に扉だけが先に開いて。


「失礼しますよ」と、褐色の肌をした男が顔を覗かせ、入ってくる。


「貴様か」と、吐き捨てて、嘆息めいた吐息を、鼻からもらす。


「お楽しみ中でしたか?」と、恐らく上気しているだろう奴婢とこちらを交互に見比べ、へらへら笑いながら、忍ぶように歩み寄ってくるので、



「ぬかせ」と、零して、どっかりと、ソファーに腰かける。「要件はなんだ?」



「いえね?」と、口を開きながら、対面に男も倣って腰かけ、「そのー、仕事をまたいただけやしないかと、ねぇ? 思いまして」えへへへ、と、何がおかしいのか、低く笑う。



 イングリッドは不愉快さを誤魔化すため、遠慮せず背もたれに身を預け、己の顔を弄り、口許の辺りで手を止め、僅かに黙考し、「仕事か」改めて口を開く。これほど丁度良いことも、なかなか無い。



「はい」と、柔和な笑顔で身を乗り出して、落ち着きなく、膝に肘を置き、揉み手したくてたまらない、といった風情の、男。「できれば、手に負えるような代物でお願いしたいのですが、どうでしょう? 何か、」



「あるぞ」視線を右に投げながら、イングリッドは口を開く。緩やかに、身体を起こして、「一人、後をつけてもらいたい奴がいる」



「尾行ですか?」拍子抜けして、言い、僅かに笑う。



「そうだ」遮って無感動に、応じる。

 


 一拍ほど待って、「お安いですよ」と、笑みを絶やさず言う。眼の色が、ある種の冷たさを帯びる。「尾行だけですか?」



「死体が出るなら死体を回収してこい」眼を見据える。「命を狙われておるらしくてな、さすがに、あれは近々落っことすだろう」



「はぁ、」と、腑に落ちず。



「いつどこに行って何をして誰と会っただの、事細かな報告はいらん」



「それでいいんですか?」僥倖だと言いたげに、男は言う。



「構わん」と、イングリッドは素っ気なく答えて、膝に右肘を置く。「必要なのは情報ではなく、物だ」



「で、誰を?」ちらと視線を泳がせながら、男。



「三本足のアイギー・ロウを知っているか?」



「噂でしたら、まあ。聞いたことがありますね。」言いながら、どこかの酒の席で耳に入ったものを想起し、「夜な夜な墓場をうろついて死体漁りしてるだの、やれ山よりでかい獅子を屠っただの、人間大の虫を連れ歩いてるだの、 あとはなんだ、 最近聞いたのだと、下水に住んでるだの、腕は六本あるだの、事欠きませんけど、どれも、どうせ、 ホラで、与太話でしょう? だいたい実在してるんですか?」


 ぶふっ、と、自分で言って笑い。



 釣られてイングリッドも失笑する。「さっきまでここに居たがね。」そう言って、半ばあきれた笑みを浮かべながら、「いくつか私の知らんものもあったが、やはり人の口に戸は立てられんのだな」と、ソファーの背に身を預け直し、テーブルの上から下がる、不必要に豪奢な、照明を仰ぐ。



「それで、その三本足のお方をつければよろしいのですか?」気を取り直して、男が言う。



「そうだ」深く身を沈めたまま、イングリッドは言う。「それの死体をほしがっている連中がいる」



「そうですか」と、口許を歪めて相槌を打つ。「ちなみに、 報酬の方は?」



 言い終わらぬうちに、無言でイングリッドは懐を弄る。しまってある革袋から、金貨を二枚、取り出して、卓上に、滑らせるように、放る。「手付込の前金だが、それでいいかね」



 男が、身じろぎすらせず、凝っと、金貨を見つめ、口腔に湧いた唾液を、殊更に嚥下し、やがて、破顔する。「仕事の内容がそれで、これ、よろ、 よろしいのですか?」


「死体を持ってくるなら、追加で八枚、持ってこられんようなら、銀貨二十だ」顎を摩りながら、イングリッドは言う。「処理が素早く円滑なら色を付けてやる。リザレクショニスト共の相場よりはどうだね?高いだろう?」


「え、えぇ!」逃すまいと焦って応じる。


「不満があるかね?」身を起こしながら訊ねれば、



「いえ、滅相もない!」と、金に眼を眩ませて慌てて首を振るので、



 その様を鼻で笑う。「成立だな。  おい」と、振り返って奴婢に声をかけ、意図を酌んだ彼が、デスクから紙片を一枚、持ってきて、おもむろにテーブルの隅に置くので、それを取り上げ、男の方にまた、投げて滑らせ、渡す。金貨に当たって止まる様を眺めながら、「名簿と住所録の写しだ。覚えたら燃やせ」と、命を出す。



「ありがとうございます」落ち着いた風情を装っては入るものの、焦燥感で僅かに、手をばたつかせながら、金貨をさらって、紙片をたたんで、どちらも懐に仕舞う、男。



「王都を離れるそうだ。 すぐかかれ、盗人」冷然と言い放てば。



「確かに。承りました」と、欣喜雀躍しかねぬ様子で、立ち上がり、「よい報告をお待ちください」と、下手な会釈とともに言い置いて、踵を返し、無様さを引き連れてあわただしく、部屋を出ていく。


 騒々しさが遠ざかるのを待ってから。



 半開きの扉を、呆気にとられていた奴婢が、小さな溜息を吐き、閉めに行く。



 その後ろ姿を眺めながら、イングリッドは膝に肘を置き、身を傾けて、頬杖を突き、あの男に相応しい末路に関して、一考する。


 長年、事あるごとに使いもしたが、――――――どちらにせよ。


「アレも潮時か。」




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