空の彼方

第22話 事故

　そんな話をしていたら、マンションに着いた。

　家に入ると、彩は買ってきたエプロンをして、料理に取り掛かる。

　1時間ほどして、ちらし寿司が出来上がった。

　早速、食べてみるが、これが美味しい。

「美味い！」

「また、また、本当ですか？」

「本当だ。こんな美味いちらし寿司食べたのは初めてだ」

「へへへ、嬉しい」

　夕食が済み、片付けが終わると8時になった。

「そろそろ、帰らなければいけないな」

「そうですね。本当に泊まっちゃおうかな」

「だめだ…」

「親御さんに会わす顔がない」

「そのとおり」

「では、帰ります」

「ああ、送るよ」

　玄関でパンプスを履いた彩がこっちを見て、玄関を出ようとしない。

　これはきっとキスを待っているのだう。

　この前もしたから、きっとしてくれると思っているに違いない。

　だが、ここでキスをすると、気持ちが抑えきれなくなるのが怖い。

　彩の思いをここは理性で拒否をする。

　彩にはこんなオヤジより、きっと似合う人がいる。俺の事は、一時の迷いでしかないだろう。

　俺が彩と他人でなくなってはならない。

「もう。やっばり、杉山さんは意地悪です」

　彩はそう言うが、ここは惚ける事にする。

「何も意地悪してないぞ。その証拠に、これから駅まで送るから」

「はあー、もう」

　そう、この前の事は事故だったんだ。

　俺にも、彩にも、そう思うのが一番だ。

　そして、いつかは忘れてしまう事だろう。

　駅まで行く途中、彩はちょっとお冠だった。

「じゃ、気を付けて帰るんだぞ」

　改札の手前で彩に言う。

「また、来週来ます」

「そんなに毎週来なくても…」

「いえ、来ます」

　彩は帰って行った。

　彩が帰った後の部屋は、ほとんに広く感じる。

　彩は怒ったのか、月曜日はSNSを送ってこなかった。

　電車の中で、右手で吊革、左手に鞄を持ち、胸ポケットにスマホを入れていたが、結局終点まで、スマホを取り出す事はなかった。

　夕方、会社を出て、電車に乗ると、見計らったように彩からSNSが送られて来た。

「お仕事、お疲れさまです。帰りもメッセージを送らずに意地悪しようと思ったけど、私には無理でした」

　と、あった。

「彩ちゃんが優しい子って事は、俺が一番、分かっているから」

「そういう優しい事を言う。意地悪なのか、優しいのかどっちなんですか？」

「自分は意地悪しているつもりはないが」

「いいです。もう気にしていません。はーとまーく」とある。

　それからは、普段のSNSが、朝と夕方の電車で来るようになった。

　土曜日になった。彩は来るだろうか。

　胸がドキドキし、朝から年甲斐もなく、そわそわしている自分が可笑しい。

　本当は、自分自身を偽らなくてもいいんじゃないか。

　あの子の気持ちを受け止めれば。そんな思いが頭の中を駆け巡る。

「ピンポーン」

　来た。

「彩です」

「ああ、今開けるから」

　いつもの土曜日どおり、彩が部屋に来る。

「おはようございます」

「おはよう」

　なんだか、気不味い雰囲気がある。

　二人黙って、テーブルで向き合う。

「あ、あのー、朝食作りましょうか」

「あ、ああ、そうだな。いつも悪いから今日は俺が作ろう」

「いえ、私が作ります」

「いや、でもいつも作って貰っているし…」

「では、二人で作りまょう」

「そうするか」

　キッチンに二人並ぶが、狭いキッチンでは明らかに、自分が邪魔だ。

「痛っ」

「あっ、ごめん」

　彩が包丁で指を切ったようだ。指先から血が滲んでいる。

　そう大きく切った訳では、なさそうだ。

　彩にぶつかったのは、こっちが悪い。

　俺はすかさず、血の出ている指を取って口に含んだ。

「あっ」

　彩は、含まれるままにしている。

「ちょっと待って、今、絆創膏を持ってくる」

　水道水で指を洗い、消毒して絆創膏を貼る。

　既に絆創膏を貼る頃には、血はほとんど出ていない。

「ごめん。とっさに指を咥えてしまって、オヤジの加齢臭が移ったかもしれない」

「うふふ、そんな事はないですよ。加齢臭は消毒しましたし」

「えっ、やっぱ加齢臭だと思っていたんだ」

「あっ、すいません。そんなつもりじゃ」

「ははは、いや事実だから反論のしようがない」

　貼った絆創膏のところを見てみるが、血はもう出ていなかった。

「続きは俺がやろう、指示を出してくれるかな」

　彩は切る材料を俺に指示すると、後の工程は自分でやった。