第14話 散歩

 窓を開けていれば、日差しは強いが、涼やかな風が入って来る。

 その風に乗って、電車の音がする。

 駅から15分も歩けば、電車の音もほとんどしないが、それでも風の向きによってはたまに電車の音がしてくる。


「えっと、どこか行きます?」

「ああ、ジムに」

「会社ですか?」

「それって3回目だよね。今のは分かっていて聞いた?」

「えへへ、そうです。また突っ込まれるかなと思って」


 そうやって笑う彩の顔は眩しい。

 心が鷲掴みされるようだ。

 彩に手を出すと許してくれるだろうか。男の部屋に来ているのだから、その覚悟はあるだろう。

 俺が連れ込んだ訳ではなく、自分から来ているのだし。

 頭の中で悪魔が囁く一方、天使が彩には手を出してはいけないと言う。

 事実、俺の腕の中で泣く彩を見たくはない。


「昼食も済んだし、そろそろ帰ってもいいんじゃないか?」

「いえ、これからスーパーに夕食の買い出しに行かないと」

「えっ、スーパーに行くのか」

「そうですよ、男性はもちろん荷物持ちですからね、フフフ」

 この笑顔があれば、どんな重い物でも持てそうな気がする。


「カレーの食材の残りがあるので、夕食はハンバーグにしようかと思いますが、いいですか?」

「ああ、勿論だとも」

「では、買い物に行って、夕食の準備に取り掛かりましょう」

「まだ、夕食には早いだろう、さっき、昼飯が終わったばかりだし」

「えっと、この近所を見てみたいです。それに食べた分、動いてダイエットしないと」

 今どきの女子大生ぽい事を言う。


 俺たちがエレベータに乗ろうとした時、同じ階の奥さんが一緒に乗ってきた。

「あら、杉山さん、こちらは娘さん?」

 やはり、そう見えるだろうな。

「『彩』といいます。よろしくお願いします」

 その挨拶は誤解を生みそうな感じがする。

「あら、『彩』さんって言うの、よろしくね。杉山さんも単身赴任大変ね」

「え、ええ、まあ」


 エレベータの中でそんな話をしていたが、エレベータが1階に着くと奥さんはさっさとエレベータを降りて歩いて行く。


「『娘さん』って言われちゃった」

「まあ、歳を見ればそう見えるだろうな」

「『奥さん』って言われた方が、新婚さんみたいで良かったな」

 それはどういう意味だろうか。正直に受け取っていいものだろうか。


「いや、どう見ても夫婦には見えないだろう」

「ですよね。パパ」

「パパは止めてくれ。別の意味のパパに取られ兼ねない」

「ホホホ、そうですね。でも杉山さんがパパだった方が良かったな。遊園地とか連れて行って貰えただろうし」

 彩はエントランスを歩き出した。


「この辺りに公園ってありますか?」

「小さいのなら、そこの角を曲がって、ちょっと行くとあるけど」

 彩は、俺の言った通りを歩いて行く。

 俺はその後ろを歩いて行く。

 女子大生の跡をつけるストーカーだなと思いつつも、一定の間隔を開けて同じ方向に歩く。


 しばらく歩くと公園が見えて来た。

 彩は公園に入って行く。

 俺も彩について入って行く。

 子供たちがブランコや鉄棒で遊んでいる中に、大人の俺たち二人が居る。

「子供たちが多いですね」

「この近くに団地があるし、会社の社宅なんかも多いからね」

 それでも少子化で昔に比べたら、子供の数が少ないように感じる。


「この辺りって、井之頭公園って遠いんですか?」

「ちょっと遠いな。歩くとかなりあるかな」

「でも、行ってみましょう。私、行った事がないですし」

 彩と一緒に井之頭公園を目指す。


 初秋だというが、昼間はまだ暑い。うっすらと額に汗が出る頃、公園に着いた。

 まずは動物の居る方に行ってみる。

 小さな動物園だが、彩はキャキャと言って楽しそうだ。

 遊園地にも行った事がないから、動物園にも来た事がないのかもしれない。


「彩ちゃんは、もしかして動物園に来るのも初めてかい?」

「いくら何でも、動物園ぐらい来た事があります。遠足ですけど」

 家族とは来た事がないということだろう。

「あっ、ボートがありますよ。乗りましょう」

 彩が指差した先にスワンボートが見える。

「井之頭公園のボートにカップルで乗ると別れる、というジンクスがあるけど…」

「えっ、そうなんですか?じゃ、止めます」

「でもまだ、付き合っている訳じゃないから、別れるって事はないと思うけど」

「でも、嫌なんです。折角、お友だちになれたのに。だから、乗りません」


「このまま歩いて帰る?それとも、電車で帰る?」

「電車で帰れるんですか?」

「ああ、吉祥寺の駅が直ぐそこだから」

「では、電車で。でも吉祥寺の駅前も探索したいです」

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