第25話 貴方の願いを叶えましょう。

「さ、さみい……」


 裸でアリにしがみつき、豆の木の上へ登っていく。

 何この状況……。いかん、冷静になっちゃダメだな。


「あー、うー……寒いよ~」


 濡れた体で高い場所へ行くと寒いんだな。

 うん、勉強になった。死にそう。


 ていうかアリも一直線に登っているけど、お前は大丈夫なの?

 俺はもう、手がかじかんで、疲れがヤバい。


 しがみついているのも、限界が……。


 あぁごめんよ、シャルロット……なんだかとても眠いんだ。


「――こっちだ、騎士様。健気に登ってきたじゃないか」


 その声を聞いて、目が覚める。

 その姿を見て、闘志がメラメラと湧いてきた。


 ペンギンだ。いや違う。

 諸悪の根源である、樹精霊ドライアドだ――


「待たせたな」

「ホントだよ。もっと早く登ってこいよな」


 アリと同時にそこへ辿り着く。

 そこは一面の緑色だった。豆の木の幹が地面になるよう、ぐるぐると円を描くように丸められており、大きな植物を使って造り出した舞台になっている。


 これが決戦のステージか。ラスボスと戦う、闘技場だ。


「失せろ――ここで今から一方的な虐殺が始まる。一緒に殺されたくなければ、行け」


 ドライアドの言葉を受け、アリは急いだ様子で幹の下へまた戻っていく。


「はっ、まさか洪水を起こして、アリを乗りものにするとはなぁ。呆れるぜ。お前は島に生きる生物に申し訳ないとは思わないのか? えぇおい」


 っ、どの口が物を言うのか。

 そもそもアリをけしかけなければ、こんなことにはならなかった。


 みんなも村を捨てずに済んだんだ。


「シャルはどこにいる」

「下にいるよ。見えないか?」


 パチンと指を鳴らし(え、ペンギンの手でどうやって)、ドライアドは緑色の地面にニュっと穴を作った。穴から見えるのは、島が水に呑みこまれていくものだ。

 いや違う……そこから見えた光景は、とてもじゃないが信じられないものだった。


「しゃ、シャル……!」


 それは、この植物の地面から生えているブランコだ。

 シャルは物っすごく長いそれに座って、ガチガチ震えていた。目をぎゅっと瞑っている。


 当たり前だ、あんな場所で放置され、空の中で揺れているなんて恐いに決まっている――

 落ちたら、死んでしまうんだぞ。


 命の恩人を、守ると誓った相手を、俺は見ているしかできなかった。


「何してんだ、てめぇ……!」

「ほら見てみろよ、シャルロットは泣いてる表情も可愛いだろう? グエケケケ」


 愉しそうに、ドライアドは嗤う。


「あぁ早く二人だけの世界を作りたいよ。お前ら人間共をぷちっと殺してさぁ! そうすれば毎日、あんな顔をじっくりと見られる。やめて、やめてって懇願しながら泣くんだ。たまらないよな!!」


 その言葉で――ブチ、と俺の中の何かがキレた。


「ドライアド、てめぇは絶対に許さねえ!!」

「へえ、やる気が高まったな。いい覚悟だ、予言通りにならないといいな? いいか、この試練に失敗したら、お前は死ぬことになるぞ」

「死ぬのはお前だ、ドライアド。俺が殺してやる……!」

「やってみろ。人間風情が!!」


 前に進むことは、出来なかった。

 植物の地面から、さながらクラーケンのように緑色の触手が踊り出て来る。


 それは豆の木の、幹だった。


 それは縦横無尽に暴れ回り、無慈悲に人間へと襲い掛かった。

 咄嗟に剣で受け止めたが、あまりにも巨大な質量だったため勢いを殺せず、吹き飛ばされる――


「ぐ、ふ……っ」


 ごろごろと無様に転がり、倒れた。

 一発で全身打撲だ。おそらく骨も折れているだろう。


 あまりにも重い、一撃だった。


「ハハハハハッ、情けないなぁ? 殺すって言葉は口だけかぁ?」

「…………が、は、ぁ……ふざけろ、ボケ」


 ぺっと口から血を吐き出し、立ち上がる。

 頭に血が上ってる。冷静になれ、そうしないと勝てない。

 俺には武器が剣しかないんだ、それすら試さないで、どうやってシャルを助けるというんだ。


 ここは相手が造った陣地、全てドライアドの支配下だ。

 地面は植物、つまりどこからでも攻撃が可能だ。


「はあ、はあ、はあ、はぁ――ふー……」


 力を抜け。無駄な力を全て技に変えろ。

 ゆっくりでいい。思い出せ、あの時の俺は、どう剣を振っていた?


 集中しろ、動くものを、全て切る――


「ああああぁぁぁぁっ!!」


 四方の地面から触手が出てくる。

 まだ距離がある、近づかれたらまた吹き飛ばされるだろう。

 質量の差で、そのまま押しつぶされる。


 一瞬でも遅れたら、死ぬぞ。


 無心で剣を振る。

 一度、二度、三度、四度。


 四つの斬撃が――同時に飛んだ。


 暴れまわっていた緑色の触手が千切れた。所詮は幹だ、いくら太くても剣で切れる。

 そしてこの精霊剣で切ったそれは、もう世界から繋がりを断ち切られたように、動かない。


 世界最強の精霊剣が、効果を断ち切る。


「な、おま……それはさすがに、人間じゃないだろ!?」

「もうお前と話すことはねぇ!!」


 驚愕の表情を浮かべるドライアドに向かって、一直線に進んでいく。

 走る、走る、走る、走る――


「……っ」


 咄嗟のガードだったんだろう。

 地面からわき出た新たな触手が、ドライアドの周りを囲む。


 だが、今の俺の前に、その障害物は意味を為さない。


「ふ――っ」


 一刀両断、切れないものなど、何もない。


「――仕舞いだ。覚悟しろ、ドライアド」


 ペンギンの首に剣先を突きつけながら、睨みつけた。

 だがドライアドは、不敵な笑みを崩さない。


「けけ、本当にふざけた奴だ。どれだけ努力を重ねたら、その境地に達せるんだよ」


 呆れたような口調で、挑発してくるのだ。


「僕を殺せると思うのか? 僕があげた、その樹で出来た剣で」


「この剣だからだよ。これは――『折れず、曲がらず、決して壊れない、精霊術を受けてもヒビすら入らない、むしろ効果を打ち消せるほどの力を持った樹の精霊剣』だ。

 そしてお前は自然そのもの、精霊術そのものだ。だから、この剣の効果で打ち消せる」


「……正解だ。頭の弱い人間にしては、よく頑張ったじゃないか」


 その舐めた態度を、もっと早くに後悔するべきだったな。

 これが人間の力だ。お前が叶えた、願いの力だ!


 シャルを、返してもらうぞ――


「――待って、イオリ!!」


 その言葉で、俺は止まる。

 剣を動かすことが出来なかった。


 だってそれは、今から助けに行くはずの、女の子の声だったんだ。


「だめ、切っちゃ、ダメ……ドライアドを殺しちゃだめ!!」


 いつのまに、登ってきていたんだろう。

 自分で危機を脱するとは、なんて強い女の子だ。


 瞳に涙を溜めながら、それでも“自分に嫌がらせをしてくる相手”をかばってしまう。


「シャルの優しい所は大好きだ。でもごめん。こいつは、こいつだけは許せない!

 村のみんなを巻き込み、シャルを悲しませる、こいつだけは……!」


 冷静になったつもりだった。だけど全然ダメだ。

 目の前のこいつを、ペンギンを、切りたくてたまらない。


「そうだよ、シャルロット。これは僕とイオリの問題だ。ひっこんでろ」


 かばわれたドライアドでさえも、その優しさには嫌悪感を出している。

 そんな俺達の様子を見て、シャルロットはぎゅっと拳を握った。


「それに、精霊術を使ったな。そうじゃなきゃここには来られない。イオリとの約束なんだろう? いいのかなぁ、そうやって約束を破って……」


 煽るようなドライアドの言葉を受けて、ぶるぶると、震えていたのだ。


「ふざけないで!!

 いつも勝手なことばっかり、どうして私の言葉を無視するの!!

 どうして、私の気持ちを無視するの……!

 そっちがそうなら、私だって約束なんか守らないもん!

 二人とも嫌い。大嫌い! お願いだから、戦わないでよ……ドラちゃん!!

 私を置いて、勝手に死のうと、しないでよぉ……っ」


 そして、そう言いながらシャルは膝から崩れ落ちてしまう。

 剣先をペンギンから外さないまま、俺はその言葉を繰り返した。


「…………死のうとしてる?」


 どういう、意味だ。


 ちっ、とドライアドは舌打ちする。

 ペンギンの口で、器用に企みがバレたことを悔やんでいた。


 おい、それはまさか、本当のことなのか。


「お前、わざと俺を怒らせて、この状況を作り出して、負けようとしてたのか……?」


 どこかでおかしいと思っていた。どうして俺は勝てたんだ、と。

 相手は神様、世界に七柱しかいない精霊なんだぞ?

 簡単に勝てるわけがなかった。この世界を造ったと謳われる存在に、精霊術も使えない、この俺が。


 はあ、と。ペンギンはゆっくりと溜め息をついた。


「あーあ、バレちゃったか。これで僕がいなくなるのは難しくなっちまったな」

「ドラちゃん、どうしてこんなこと……」


 そして種明かしを、してしまう。


「僕がいたら、シャルロットはいつも悲しそうにしてしまうからだよ。

 誰だって、好きな子を泣かせたいわけ、ないだろう?

 でも仕方ない。そういう風になってるんだ。僕の意思じゃ変えられないんだよ……。

 僕には精霊の責務がある。始めたことは止まらない。今更状況を止められない。

 大いなる力には、大いなる責任が伴う。自分の意思では、自由に使えないんだ。


 契約という規則に従わないと、動けない。


 世界のルールに縛られている。とても窮屈な存在なのさ。

 人間の方がよっぽど、自由だ……羨ましくて、ぶっ殺したくなってくる」


 そんな風に呟いて、俺を見た。

 悲しそうに、つぶらな瞳で、見つめてきた。


「僕はな――ずっと、僕の願いを叶えてくれる誰かが来るのを待っていたのさ」


 樹精霊ドライアドは、人間の願いを叶える。でも決して、幸せにはしない。


 願いは等価交換だから。絶大なる力を持つ上位存在でも、世界の摂理は変えられない。

 世界が定めた規則に従ってしか、ドライアドは力を使えない。


 語った言葉が、全て真実だとしたら。


「さあ、イオリ。やれよ、頼む、お前だって僕にはムカついてただろ、やれよ!!」


 精霊は人間の願いを叶える――それじゃあ“精霊の願いは誰が叶える”んだ?


「そういう、ことか……っ」


 これは、ドライアドが仕組んだ試練。

 俺を殺そうとすることで、自分で死のうとしていたのか。


 最強の精霊剣を持つ、シャルロットを守ると騎士の宣誓をした、俺の手で――


「頼む。もう片思いは、苦しいんだよ。だから消えたいんだ……!」

「だめ、待ってイオリ、お願い、嫌なの、もう一人はイヤなの!!」


 二人の女の子は、苦しそうに心情を吐き出す。


 以前ドライアドが、人間の姿を扮していた時こう言っていた。


『なあ、お前は誰かを好きになったことがあるか? 本気で、命を懸けてもいいと思うほど』


 その時の言葉は今よりも前向きで、好きな人に振り向いてもらう為には、というものだった。


 でも、自分じゃ相手を幸せに出来ないと分かってしまったら?

 相手は男性に恋をする女の子で、自分はその対象に成り得ない『女の子』だったなら、相手の為に身を引くという判断が出てきてもおかしくはない。


 ――シャルロットを幸せにする『才能』が、自分にはないから、と。


 状況はもう始まってしまったから、止められない。

 このユグドラシルに来た人間の願いを叶えるという噂は大陸中に広まってどうしようもない。


 それなら、その事を利用して求婚作戦に幕を引けばいい。

 自分が舞台から去る為に、巻き込んでしまえばいい。


「シャルロットはお前に、任せた。心底ムカつくが、お前なら笑顔にできる。自然と人の輪の中にいる、眩しい光のようなお前なら……」

「やだ、やだよぉ、置いていかないで、ドラ、ちゃん……っ」


 騎士として、俺が今できることは、なんだ。


 そんなの、迷うまでもないよな。


「安心しろ。お前の願いは俺が叶えてやるよ――樹精霊ドライアド」


 泣きそうなドライアド、泣いているシャルロット。

 そんな二人の女の子の為に、俺が取りたい行動は、これだ――


 剣を勢いよく、腹に突き刺した。


「かっ、は……っ」


 ――俺の口から、大量の血が飛び出てくる。


 いっっってええぇなぁ、おい……。

 でも、さすが最強の剣。鍛え上げた筋肉なんか、盾にもならないぜ。


「イオリ……!?」

「んなっ、何やってんだお前!!」


 シャル、すぐに君の涙を止めてみせるよ。


 ああ、ドライアドも、心底びっくりしているな。

 よっしゃ、度肝ぬいてやったぜ。けけ、ざまーみろ。


 これで村のみんなも、このバカな精霊を許してやってもらえると、嬉しいなぁ……。


「ドライ、アド……俺の、からだ、くれてやる……じゆうに、つか、え……」


 この試練は、どちらかが命を落とすことで幕を下ろす。

 そういう風に誘導された。従ってやるよ、神様。


 そして魂の失った肉体ならば――“この精霊は使えるはずだ”


 俺はもう、願い事を叶えて貰ったから。

 代わりに、その代償に――『男性』であるという、シャルの恋人に必要な才能を贈るよ。


 どちらかしか生きられない。

 神様の一柱である樹精霊ドライアドと、ただの人間の俺、そんなの一択だろう?


 ずっと一緒に暮らして来た家族と、たった数日しか過ごしていないぽっと出の俺。

 ……どちらを選ぶかなんて、決まってる。


 シャル、君に助けてもらった命を、いま返すよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る