第04話 無意味な争いの果てに

 はあ、

 はあ、


 のぼりを振り回しながら、全力で走っている三人の男たち。

 その名、アニオタ新撰組。


 はあ、

 はあ、


 金欲の亡者どもに天誅を、と野望に燃えていた新撰組も、いまや野望どころか生命が風前の灯火。

 ひいはあ、死にそうな顔で、泣きそうな顔で、逃走を続けていた。



 「ほのぼのなくして」

 「『未来』なし」

 「原点回帰  新撰組」



 のぼりを両手にぶんぶん振り回しいるのは、捕まれば八つ裂き決定なんのその、と余裕こいているわけではない。ただ脳内が真っ白で、手放せばよいのではという正常な思考回路すらが働いていないというだけであった。


 はあ、

 はあ、

 はひい、

 はひい、

 ぶひい、


 すっかり息も切れ切れ。

 心臓、止まりそうである。


 いつ誰かの、いや全員の心臓が止まっても、不思議ではない状態であった。

 まほのの音声収録にあたり敦子殿にジョギングトレーニングを施され鍛えられていなかったならば、とっくに倒れていたかも知れない。


 もし倒れれば、追っ手に捕まること間違いなく、肉体を八つ裂きにされることもほぼ間違いないだろう。


 鍛えている、といっても、一般高校生からすれば底辺レベルもよいところであろうが、それでもなんとか捕まらず逃げ続けることが出来ていたのは、追う側もまた、定夫らと似たりよったりのデブで、すっかりバテバテだったためであろう。

 お相撲さんたちが追いかけっこをしているようで、ある意味の大迫力ではあったが。


 しかしこの、追いかけ続ける男たちが見せる執念の凄まじさはどうか。はひはひいいながらも、怨念情念が身体を突き動かしている。


 この男たちの方こそ、いつ心臓が止まってもおかしくないのではないか。ラーメンばかり食べて血管もドロドロであろうし。


 そもそもアニメの内容をめぐる対立という因縁程度で、初めて会ったいわば他人を何故こうまで執拗に追えるのか。

 定夫には不思議でならない。


 「はにゅかみっ!」の主人公ことのりことを演じるゆいの声がダサくて嫌い、とブログで発言していた者へ、定夫も、千件を超える苦情レスを書き込んだことがあるが、思考の方向性としては、まあ似たようなものなのではあろうが。


 「めかまじょ」の変身シーンが、いかにアニメ的リアリティを無視した最低なものであるかを、掲示板ごちゃんねるでとうとうと説明している輩に、いかにアニメ的リアリティに忠実でなおかつ視聴者を楽しませる素晴らしい演出に満ちたものであるかをとうとう説いたこともあるが、それもまた同様か。


 そう考えてみると、結局、おれとやつらは同じ穴のムジナだったのかも知れない。

 おれたち、いい友達になれたかも知れないのに、どこでどう、出会いを間違っちまったんだろうなあ。


 などとカッコつけている余裕など定夫には、いや、定夫たちには、これっぽっちもなかったのであるが。

 何故ならば、


 ついに、追い詰められてしまったからである。


 定夫たちは、

 住宅街の、狭い袋小路に。


 通り抜けられると思って曲がったはいいが、そこで道が終わっていたのである。


 はあ、

 はあ、

 はあ、

 はあ、


 男たちと、定夫たち三人、全員で汗をだらだらだらだら、はあはあはあはあ。ふらふらふらふら。いまにもぶっ倒れそうである。


 ここにいるみんながみんなバテバテなので、だからこの場この瞬間さえ逃れることが出来れば、そのまま逃げおおすことも可能かも知れない。だが、この狭い道は太った男たちがびっしりと塞いでおり、そもそもの逃げるスペースがまったく存在していなかった。アリすらも逃げるのは難しいであろう。


 はあ、

 はあ、


 と、息を切らせ肩を上下させながら、追っ手と逃亡者、デブ同士で見つめ合うしかなかった。


 はあ、

 はあ、


 この状態になってから、どれくらい経過した頃であろうか。


「お前、らかあ」


 男の中の一人が、はあはあ以外を口から発したのは。

 その言葉を受けて、隣のデブが続いて、


「原作者、を、詐称しっ、ファン、を、愚弄したのはっ!」


 その言葉がきっかけとなり、ついに、不満爆発猛抗議の火蓋が切って落とされた。

 どどどわわわーーーっ、と一斉に定夫たちへ向けて怒声が投げ付けられた。怒声というか、抗議というか、殺害宣言というか。


「舐めやがって!」

「クソ野郎!」

「全身の皮をはいで、ドブ川に流してやろうかあ?」

「ホノタソみたく胴体両断してやろうか? 少しはファンの痛みを知れ!」

「そうだ! 善良なファンを小馬鹿にしやがって。ファンの気持ち考えたことあんのか!」

「なにさまだ!」

「なあにが『聖地巡礼ごくろうさんバーカ』、だよ!」

「憐れな諸君に裏話を教えてやろうか、とか上からデタラメばかり書きやがって」

「挙句の果てに天誅だあ?」

「お前らみたいのがいるから、まっとうなアニメファンがバカにされんだよ」

「デブ!」

「むなくそ悪い面ァしやがって」

「覚悟出来てんだろうな!」

「なんとかいえよおい!」


 無数の男たちに口々すごまれて、じりじり後ずさるアニオタ新撰組の三人。

 どぅ、と背中に壁が当たった、その瞬間であった。


「ひきいいいいいっ」


 涙目でガタガタ震えていた定夫は、大きな口を開けて、幼児の金切り声のような奇声を張り上げると、

 巨体を宙へ天高く舞わせ、着地と同時に正座姿勢で両手をついて、


「許してくれえええい!」


 頭をぐりぐりぐりぐりアスファルトへとこすりつけ始めた。

 俗にいうジャンピング土下座である。

 頭をこすりつけ、尻をくいくい振りながら高く上げた瞬間、


 ぶーーーーーっ!


 大きな屁が漏れた。

 定夫は恥らっている余裕もなく、というか気付く余裕すらもなく、なおもぐりぐりがすがす頭をこすり、叩きつけ続けた。


「たたっ」

「助けてくれえい!」


 トゲリンたちも、定夫の両脇で土下座に参加。同じように頭をこすりつけた。同じようにといっても、屁は漏らさなかったが。


「バカにしてんのか!」

「謝って許されることじゃねえんだよ!」

「屁ぇこいてんじゃねえよ!」

「覚悟出来てんのかって聞いてんだろ? 早く答えろよ!」


 土下座や、定夫のガス漏れは、男たちの怒りには火に油だったようで、彼らの怒声はより激しく殺気に満ちたものになった。


「まほのをバカにしたこと謝れ!」

「謝った上で、死ね!」


 わめき叫びながら、地に頭をこすり付け続ける三人へと、ずいっずいっと近付いていく。


 定夫は、死を覚悟した。


 死体になって、石神井池にでも捨てられるのかなあ。

 無数のブルーギルにたかられつつかれてるとこ発見されるのかなあ。

 トーテムキライザーのラスト、どうなるんだろう。

 めかまじょも、とりおりが解体されるとか聞いたけど、ひょっとして合体への伏線なのかな。ストロ○グザボ○ガーみたいに。

 そうだ、コーラ飲みかけだったっけ。もう気が抜けてるんだろうなあ。


 迫りくる死への恐怖から脳が現実逃避を始めていた、そのためであろうか、

 聞こえるはずのない声が、鼓膜を震わせたのは。

 ここにいるはずのない声が、脳裏に反響したのは。


「もも、もうやめましょう! こんな、無意味な争いは!」


 幻聴?

 いや。


 男たちも、それぞれ背後を振り返っている。

 ということは、つまり……


 定夫は、顔を上げた。

 男たちが肉の壁になって向こう側が見えないので、土下座を解除して立ち上がっていた。肥満にかかわらずジャンピングまでしてしまったので、足はずきずき痛んだが構わず。


 定夫は、小さく口を開いた。


「敦子……殿」


 やはり、男たちの向こうに立っているのは、沢花敦子であった。

 この殺伐とした雰囲気のためであろうか、彼女はすっかり涙目になっていた。


 心配で東高円寺駅まできてみたはいいが、このようなとんでもない事態になっており、警察を呼ぶ暇などないと恐怖をこらえて男たちへと声を掛けたのだろう。

 しんと静まり返った中、敦子は、いまにも泣き出しそうな震える声で、続く言葉を発した。


「みなさんも、ほのかのファンじゃないですかあ」


 かすれ消え入りそうな、情けない声で。


 なんなんだこいつは、部外者が口を出すな、というような、殺意に興奮しきった男たちの態度であり表情であったが、不意に彼らのその表情に変化が起きた。

 一人の、疑問の言葉をきっかけに。


「なんか、オリジナル版の声に似てないか?」


 その、言葉に。


「た、確かにっ」

「ほわんとした頼りない感じが酷似しているかも。あつーんに」

「確かに、あつーんっぽい」

「え、あの新エンディングの人?」


 新参古参、色々なファンがいるのであろう。

 ぼそぼそがやがやする中、デブの一人が、一歩前に出て、敦子へと問い掛ける。


「ひょ……ひょっとして、本人、ですか?」

「え、ち、ちが…」


 慌てて否定しようとする敦子であったが、


「その通り!」


 定夫たちは、アニオタ肉の海をもにゅむにゅ素早くかき分け泳ぎ、通り抜け、敦子の前へと立った。


「ひかえいひかええい!」


 トゲリンが叫ぶ。

 八王子が続いて、


「ここにおわすは、ほのかオリジナル声優なるぞ!」

「水戸の黄門様、いや、あつーん様であらせられるぞ!」


 肛門様において色々やらかしてるのは、むしろ定夫の方であったが。


「うおおーっ!」

「降臨!」

「キター!」


 怒り殺意もどこへやら、いま男たちの顔に浮かんでいるのは歓喜の表情であった。

 こうして敦子と家来たちは、十八人のデブに取り囲まれ、キラキラ眼差しを受けることになったのである。


 定夫とトゲリンを入れて、デブ二十人。単なる住宅街の袋小路にデブ率九〇パーセント強の、まさに異様な光景であった。


 だが、まだまだ。

 むしろここからが、異様な光景の始まりだったのである。


「なな、なんかっ、プリーズ、ホノタソの声で喋ってくれプリーズ!」


 野球帽をかぶったデブが、息をはあはあ興奮しきった顔を、敦子へと寄せた。


「プププリーズ」


 周囲の男たちが続く。

 いまにも敦子へ飛びかかって頬にすりすりしたり舐め回したりしそうな興奮具合である。


「え、えっ……そんなこといわれても」


 真面目な敦子は、困った様子で考え込んだ。


「じゃあ、いきます。……『そういう嫌味をいまいって、どうなるんですかああ?』」


 やり込められて涙目になっている時の、ほのかの台詞である。

 どどおおおおん、と男たちは大爆発した。


「ハッピーラッキー!」

「もう一声っ、プリーズ。一声っ。あつーん、プリーズ」

「ハニー! ハニー、お願いっ!」


 飢えた子犬のように懇願する男たち。

 まほの大ブームは、テレビアニメ版によりもたらされたものであるが、その影響によって、裏サイトで視聴出来るオリジナル版も有名であり人気なのである。


 つまり敦子の声は、彼らの知る「正真正銘の裏ほのかの声」なのである。

 はあはあするなという方が無理というものなのであろう。


 とはいえ振られて困るのは、敦子である。

 難しい顔で考えている。


「ええと、弱ったなあ。どうしよう。……あ、じゃあ、これいきます、『ほのかの、ほのかな炎が、いま激しく燃え上がります!』」


 うおおおおおおお!

 吠える燃える十八人のデブ。


「ポーズ、やってポーズやって!」


 デブが一人、右の握り拳を天へ突き上げた。


「ほのかウイン!」


 敦子は叫び、彼と同じように右拳を突き上げた。


「ウイン!」


 デブ全員が声を合わせて、ウインポーズ。


「ウイン!」


 頼まれていないのに、敦子もういっちょ。


 果たして誰が気付いたであろうか。

 敦子の顔に、なんともぞくぞくとした、喜悦にも似た表情が浮かんでいることに。


「う、う、歌もっ!」

「そ、そうだ、歌を聞きたいっ!」


 懇願する男たち。


「えー、歌ですかあ? それじゃ、『素敵だね』を歌います。アカペラでもいいですかあ?」

「はーい。もちろんでーす」


 こうして敦子は、自分の右拳をマイクに見立て、歌い出したのである。



  ♪♪♪♪♪♪


 そおっと目を閉じていた

 波音、ただ聞いていた……


  ♪♪♪♪♪♪



 二十人近いデブたちは、すっかりノリノリで、敦子の歌声に合わせて肩を大きく左右に揺らしている。

 押し寄せる感動をこらえきれず、涙目になっている者もいる。


 いつしかみな、まるでコンサートのペンライトのように、掲げた右手をゆっくり大きく左右に振っていた。


 「素敵だね」は、歌手不詳の曲であり、イベントで誰かが代理で歌ったりしたことは一度もないはずなのに、なぜこうまで見事に合わせることが出来るのか。

 これがオタの本能というものなのだろう。


 曲の一番が終わり、続いて二番に入った。


 敦子、先ほどの涙目もどこへやら。

 実に楽しそうな顔で歌っている。

 すっかり、ハイになっているようであった。

 魔法女子ほのかの歌手として、ファンの前で歌っているという、この現実に。


 盛大な拍手が起きた。

 曲が終了したのだ。


 敦子、ぺこりと深く頭を下げる。

 その顔には、にんまりとした幸せそうな笑みが浮かんでいた。

 彼女はすぐさま、


「では次の曲はあ、挿入歌用に考えていた未発表曲です。『キラキラスパイラル』、聞いてくださあい!」


 誰も曲をリクエストしたわけでもないのに、勝手に歌い出したのである。



  ♪♪♪♪♪♪


 きらきらきらきら

 きらきらきらきら

 きらきらきらきら

 きらきらきらきら


 素敵な連鎖がとまらなーい


 すきすきすきすき

 すきすきすきすき

 すきすきすきすき

 すきすきすきすき


  ♪♪♪♪♪♪



 おおおおおおお!

 吠える燃えるデブたち。


 未発表曲に対して思っていたより受けがよかったためか、敦子はさらにさらにハイテンションになって、スカートめくれるのも気にせずぴょんぴょん跳びはねながら歌い続ける。

 一番が終了し、


「続いて二番、いっくぞおーーっ」


 どっかん右腕を突き上げた。


「うおーーーっ!」


 デブたちの大絶叫。何故か定夫たち三人まで一緒になってペンライト、いや腕を振り回している。


「君たちっ! そこで、なにをしてるんだっ!」


 野太い声に振り向けば、パトカーから降りてきた、警察官が、三人。



 こうして、アニオタ新撰組の生命をかけた(つもりの)デモ活動は、結局のところなにも成すことなく終了したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る