第05話 笑いたければ笑うがいいさ
職員室のドアが、ちょっと頼りない感じにこそーっと開いた。
「失礼しましたああ」
語尾伸ばし。といっても敦子ではなく定夫である。
定夫がのろーっと廊下へ出てきて、続いてトゲリン、八王子、敦子殿。
みな、肩を縮めてしょんぼりした顔である。
ドアを閉めようとした敦子は、中にいる
「もうやんじゃねえぞ!」
定村先生の(ハゲ頭でけっこう怖い)、低いガラガラ声。
敦子は涙目で肩をぷるっと震わせると、恥ずかしそうな顔で深く頭を下げ、ドアを閉めた。
「はーあ。怒られちゃった」
八王子が、ふうーっと小さくため息を吐いた。
「本当に、すみませんでした」
元気ない四人の中で、最も肩を縮こまらせ、申し訳なさそうな顔をしているのが、敦子であった。
「なにいってんだよ。敦子殿がいなかったら、おれたち間違いなく生皮剥がされて殺されてたから」
「そうそう、命の恩人だよ」
定夫と八王子が慰める。
「でも……」
敦子はなおも、申し訳なさそうに俯いている。
一番テンション高くノリノリで歌い騒ぎ踊っていた、その絶対値の分だけどんよりと落ち込んでしまっているようであった。
なんの話をしているのか。
順を追って説明しよう。
昨日、定夫たちは、かねてより画策していたアニメ制作会社への抗議活動のため、東高円寺駅に集結した。
たち、といっても三人だけで、敦子は参加しなかった。
もとより反対派だったこともあるが、一番大きな理由としては、夢をめぐって喧嘩してしまっことだろうな、と定夫は思っていたのであるが、後で本人から聞いたところ本当にその通りだったらしい。
ただし、怒っていたからではなく、単に顔を合わせにくいという理由とのことであった。
とはいえ色々と心配で、こっそり東高円寺駅を訪れて、こっそり遠くから様子を見ていたのであるが、ところがなんたること、定夫たちがまほのファンに怒声罵声を浴び、追われ、逃げ出して行くではないか。
慌ててあとを追う敦子であるが、見失ってしまった。
どうしようかと考えた末、まずは警察に連絡した。
追う男たちのただならぬ様子に、本当に定夫たちが殺されかねないと思ったからだ。
アニメファンの狂気、というのもそれなりに理解しているつもりだったし。
警察に連絡したあとも、土地勘のない中、自分の足で定夫たちを探し続けた。
そして、見付けた。
ぶーーーっ、という放屁の音が風に乗って微かに届いてきたのだ。それがなんの音だったのか敦子は分かっていなかったし、定夫も教えてはいないが。
とにかく音の方へと走ってみれば、なんだかとんでもないことになっていた。
駅では四人か五人くらいだった男たちの数が、なんと二十人ほどに増えているのだから。
住宅街の袋小路。
太った男たちが、びっちりぎっちりとひしめき合って、それぞれ怒号怒声を放っている。
その隙間から、ちらり見えるのは、
「助けてくれえええい!」
やはり定夫たちであった。
土下座して、頭をぐりぐり道路にこすり付けている。
警察に、彼らはここだと伝えたわけではないし、到着を待っている暇はない。
凄まじい怒気殺気に、怖くて、怖くて、涙が出てきたが、敦子は袖で涙を拭い、顔を上げ、拳をぎゅっと握ると、飛び出していた。
震える身体ながらも足をぐっと開いて立ち、男たちの背後から、叫んでいた。
「もも、もうやめましょう! こんな、無意味な争いは!」
と。
ここからは皆様もご存知の通り、沢花敦子リサイタルショーである。
つまり、
結果的には、
警察を呼ぶ必要は、まったくなかったのだ。
むしろ、呼んでしまったがために、署に連れていかれ、事情徴収まで受けることになったのだから。
男たちに追われ、囲まれ、殺されそうになったことを、であればまだいい。格好はつく。
二十人で住宅街で大騒ぎし、歌い踊ったことについて、取り調べられ、厳重注意を受けたのだ。
逮捕するほどのことでないとはいえ明らかな近隣迷惑行為、学校に伝えるから、と。
というわけで本日、職員室に呼ばれて生活指導の先生に怒られていたのである。
廊下を歩き続ける、四人。
まだ敦子は、どんよりしょんぼり肩を落としている。
他の者もしょげ具合としては同じようなものではあるが、さすがに敦子がここまで酷いと、必然、慰め役に回らざるを得ない。
「いやあ、だからさあ、呼んでくれてなかったら、そもそもおれら三人、生きてここにいなかったから」
「そうでござるニンニン。縛られ川に沈められていたか、もしくは土左衛門になって川を流れていたか」
もしも定夫とトゲリンがそうなっていたら、日本の川に迷い込んだ久々のアザラシか、などとニュースになって騒がれていたことだろう。
四人はふらふら力ない足取りで階段をのぼり、校舎の屋上へ出た。
フェンスの向こうには、武蔵野の眺望が広がっている。
すぐ眼下、グラウンドでは野球部が練習している。
「ふーーっ」
定夫は、フェンスの格子を両手で掴み、ため息を吐いた。
いつもの癖だが、下アゴを突き出してため息を吐くものだから、油っぽいオカッパ前髪が、バサバサと汚らしくなびいた。
「なんか、むなしくなっちゃったよなあ。これまでの、色々なことが」
作品への愛情があったからこそ、物心両面さんざんに叩かれたわけで。
終着地点がそこか、と思うと、本当にむなしくなってくる。
「拙者も同じ気持ちでござる」
ネチョネチョ声のトゲリン。
表情がやり場なく、寂しそうに微笑んでいる。
「いや、同じじゃないよ。多分、おれなんかよりトゲリンの方がつらい気持ちだと思うよ」
だって、あれだけ魂を込めて作り出したキャラたちなのだから。
最終的には作品作りを大人にバトンタッチしたとはいえ、彼が生み出したキャラクターであることに間違いはないのだから。
「なんかさあ、報われなさに生きる目的もなくなっちゃった感じだよね」
八王子も、寂しげに笑った。
恨みつらみをデスリストに書く気力もない、というところか。
「そうだよな。一週間ぶっ続けでやってたロープレをクリアしちゃって、かつてのその時間帯の使い方を忘れてしまって、途方に暮れるみたいな感じだよな」
「いやそれまったく違うと思うけど」
そんなやりとりをしている中、ずっとどんより落ち込んでいた敦子が、すっと顔を上げた。
フェンスへと近寄り、がしゃっと両手で掴んだ。
「わーーーーーーーーーーーっ!」
絶叫。
顔をフェンスにぐりぐり押し付けながら、思い切り、魂のすべてを吐き出すかのような、絶叫。
肺の中の空気を吐き出しきり過ぎて、げほっとむせる。
げほごほ咳き込みながら、ゆっくりと振り向いた彼女。
口についたつばを袖で拭うと、彼らへと視線を向ける。
先ほどまでのどどんと落ち込んでいた様子とは別人かと思えるほどに、すっきりした表情になっていた。
「生きる目的が、ない? ……目的は、作るものですよ」
そういうと、彼女は笑みを浮かべた。
「作る、もの……」
八王子は、敦子の言葉を反芻した。
「そうですよ。とりあえず、またなにか作ればいいんじゃないですか? 熱い作品を」
あっけらかんという沢花敦子の言葉に、定夫たちは顔を見合わせた。
「レンさん、トゲさん、八さん、これからがみなさんという物語の新章じゃないですか。あたしは声優養成所のこと考えるとか、色々あって、参加出来るか分かりませんが、なんらかのお手伝いはしますから」
敦子は、少し間を空けると、
「いい機会なので、ちょっと恥ずかしいけどいいます。……みなさん、今日まで最高の時間をありがとうございました! とっても楽しくて、わくわくする、素敵な日々でした! 本当に、本当にありがとうございました!」
敦子は、深く深く頭を下げた。
顔を上げると、恥ずかしそうにふふっと笑った。
「あ、ああ……」
しばらくぽかんとしている三人であったが、どれほど経った頃か、定夫は、
「こちらこそ、ありがとうございましたあ!」
大きな声で、叫んでいた。
顔を上げると、照れたようにふふふうと笑い声を上げた。
「それ、発声練習の時のじゃん」
八王子がからかう。
「え、そんないい方はしてないだろ」
「したでしょ。フフフフ、って」
「違うっ。ふふっ、って敦子殿と同じようにさわやかに笑っただけで、フフフフフはいってないだろ、フフフフフは」
「いったでしょ。つうかさわやかじゃないよ全然」
などと、どうでもいい下らない争いをしているうちに、
「フフフフフ、フフフフフ」
「フフフフフ」
何故だか理由は分からないが、二人はお腹に手を当て発声練習を始めていた。
素晴らしいアニメ作品を作るんだ、と熱意を燃やして、四人で、川原や公園でさんざんにやった、腹式を鍛えるための発声を。
「フフフフフ」
「フフフフフ」
いつしか八王子と敦子も加わって、四人はいつまでも声を出し続けていた。
こみ上げるおかしさに、にこにこにやにや笑いながら、
腹の底からの、大きな声で。
フェンスの向こう、眼下のグラウンドでは、なんだなんだと野球部員たちが見上げている。
どんな顔で見上げているのか。
どうでもいい。
他人などどうでもいい。
笑いたければ笑え。
オタと罵りたいなら罵れ。
これがオタの青春。
オタの生き様。
文句あるか。
文句あるなら挑んで来い。掲示板で受けて立つ。
「フフフフフ」
「フフフフフ」
「フフフフフ」
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