第04話 ぶっ

 夜。

 曇り空に、街灯りがほのかに反射している。


 住宅街の中を、黒縁眼鏡オカッパ肥満体型の男が歩いている。

 山田レンドル定夫である。


 駅前にある浜野書房で、アニメ情報誌「アメアニ」と、ライトノベル「女子小学生で勇者なんだけど文句ある? ③」を買った帰りだ。


 異変を察知したのは、真っ直ぐの道に入ってすぐのことだった。

 後ろの足音に気が付いたのである。


 誰かが、ついてきている。


 まあ、右も左も一軒家で、ここに自分の家がない限りは真っ直ぐ進むしかないわけだが。


 というわけで、別段おかしいこともないだろう、と自分を納得させ、歩き続ける。


 ちょっと気になり始めたのは、自分が止まった時であった。


 抜かさせてしまおうと止まったわけではなく、右手に持った本屋の包みを落としかけたので、持ち替えようと止まっただけ。

 ところが、後ろの足音もぴたり止まったのだ。


 不安になった定夫は、無意識に歩調を速めていた。

 すると後ろの足音も、真似するように急ぎ出した。


 もしかしたら後ろに人などおらず、静かな夜道に自分の足音がこだましているだけなのだろうか。


「しずかっ」


 確かめようと思ったわけではないが、ふと気づけばそんな囁き叫ぶ声を発していた。

 すると背後から、


「ゆうきっ」


 男の、やはり囁き叫ぶような声が返ってきた。

 こだまでは、なかった。


 怪しくはあるが、まほののファン、ということだろうか。

 本屋でアニメ雑誌を買う自分を見かけて、友達になろうと跡を追ってきたのであろうか。


 考えても埒はあかない。

 しずかっゆうきっ、と声をかわし合った以上は、無視するわけにはいかなかった。

 足を止め、振り返った。


 腹になにか、鋭い物を突き付けられていた。

 目の前に立つ、パーカーのフードを目深に被った男に。


 ごくり。

 定夫は、唾を飲んだ。


 そおっと、視線を下ろす。

 街灯に照らされ、きらりなにかが光った。


 そして、定夫は知った。

 自分の腹に突き付けられているのは、サバイバルナイフだか包丁だか、片手持ちの刃物だったのである。

 一瞬で、さあっと血の気が引き、頭が真っ白になっていた。


「が…」

「声出すなよ!」


 男が、囁くような小ささながら、しゅっと鋭い呼気を吐いた。

 目深に被ったフードの中で、眼鏡のレンズが、街灯を反射してきらり光った。


「アマチュア発信のアニメってことで、別にてめえが作者でもおかしくはねえよ。絶対にそんなはずはない、なんて無意味な否定はしねえよ」


 唐突に、パーカーの男は語り始めた。


 定夫は涙目になっていた。

 はあはあ呼吸が荒い。


 男は続ける。


「でもな、お前が作ったとか、どうでもいいんだよ。テレビの中で、もう完成している、息をしている、そんなキャラクターたちがいるんだよ。もう、生きているんだよ。分かるか?」


 はあ、はあ。


「はあはあじゃねえよ! 聞いてんのか!」

「ひひひひひーっ、そそそそっ」


 そそそそんなこといわれましてもっ。


「つまりな、お前がごちゃんでほざいていたことが真実であれ嘘であれ、冒涜なんだよ。神に逆らってるんだよ」

「ががっ」

「それを神が裁かないというのなら……おれが裁く!」


 男は刃物を振り上げた。


「はひいいいいい!」


 吸い込むような悲鳴を上げる定夫。

 急に大きく息を吸い込んだためか、ボタンがぶっつん弾けてズボンがずるり膝まで落ちていた。


「ゆゆゆぶしてくださあい!」


 定夫は、ブリーフまる出しのまま土下座、頭をこすりつけ、尻を高く持ち上げた。

 ぶい、と屁が漏れた。


「作品を、世界を、ほのかたちを、そして愛する者たちを冒涜したこと、謝れっ!」

「はひっはひっはひぃぃぃ」


 定夫は、アスファルト工事のランマーのように、がすがすがすがす頭を地面に打ち続ける。


 その時、前方から灯りが。

 それは、だんだん強くなってくる。


「次はほんと殺すぞ」


 男はそういい残して、走り去った。


「なにしてんの? 君い」


 灯りは、パトカーのヘッドライトであった。

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