第07話 アニメの話は楽しい

「本当に大丈夫なんですかあ?」


 敦子は心配そうに、定夫の顔を覗き込むように見上げた。


「ほがあ、いつものことだからっ」


 定夫は、ついっと自分の鼻を人差し指で撫でた。

 ほがあの意味はよく分からないが、少なくとも若大将の真似をしているわけではないのだろう。

 いじめられっ子というわけでもないが、クラスで一番底辺の身分であることに違いなく、カンペンで意味なく頭をカンカン叩かれるとか、クラス委員で一番嫌な係を押し付けられるなどは、日常なのである。

 こっち見たというだけの理由で女子に右ストレートをぶち込まれて鼻血を出して倒れるなどは初めての経験であったが。


 定夫と敦子の二人が歩いているのは、南校舎の四階つまり三年生の教室がある廊下。


 何故に三年生の廊下などを歩いているかというと、定夫が三年生だからである。


 そう、これまで説明する機会を逃してしまっていたが、時は流れて定夫たちは三年生、敦子は二年生に、それぞれ進級しているのだ。「魔法女子ほのか」のテレビアニメ化が決定した、その数か月後に。


 とはいっても、最上級生の風格オーラなど定夫には皆無であったが。一年生にカツアゲされていても、誰も不思議に思わないだろう。


「ごきげんよう」

「うおっす」


 五組の教室から、トゲリンと八王子が出てきた。廊下を歩いている敦子たちが、窓から見えたためだろう。


「ごっきげんよおおおっ!」


 敦子はぴょんと跳ねて着地ざまズッガーンと右腕を突き上げた。これほど、ごきげんように相応しくない言い方もないだろう。


「なんの話してたのさ」


 八王子が尋ねる。


「鼻血の話が終わって、敦子殿に借りた漫画の話をしようかと思ってたとこだよ」

「ああ、異界グルメでござるな。略してイカグル、アキナイ堂出版の週刊カチューシャに去年より連載中、先週火曜日にコミックス第一巻が発売されたばかりの」

「そう」

「ぜーーったいに面白いんだから。トゲさんも八さんも、よろしければお貸ししますから読んでみてくださあい」

「しからば、レンドル殿の次に拙者が」


 というトゲリンの顔を、改めてじーっと見ながら八王子がぼそり、


「あのさあ、まったくどうでもいい話なんだけどさあ、年度が変わったというのにトゲリン、キャラ変えてないよね」


 質問というよりは、気付いたことをつい口に出したという感じだ。


 なにをいっているのか、八王子に変わって説明しよう。

 トゲリンはいつも自分にキャラ設定をかして、そのキャラを演じている。

 そして、時々キャラが変わる。

 といっても喋り言葉が変化する程度であるが。


 なにかの影響を強く受けてある日いきなり、ということもあるが、これまで必ず変化していたのが心機一転の進級タイミング。


 だというのに、いまだ去年からのサムライ言葉のままだよね。と、八王子は疑問に思ったわけである。


「いやあ、いわれてみれば。なんだかすっかり固まってしまったでござるなあ。生まれた時分からこんな喋り方している気がするでござるよニン。五十年後もこうだったらどうしようという不安もありつつ」


 トゲリンは、ネチョネチョ声で笑いながら、後ろ頭をかいた。


「ザンス言葉使ってたこともあったくせになあ。半年間くらい」


 定夫が茶化す。


「えー、トゲさんが? 信じられない。……聞きたいっ!」

「といわれても、いまさら恥ずかしいザンスよ。ミーももう最上級生ザンス」


 ぷーーーーーっ。


 敦子は吹き出していた。

 お腹抱えて指差して、あはははは大爆笑だ。


「これを聞いてて本当になんとも思ってなかった当時の自分たちの感覚ってなんなんだろうな、って思うよ」


 と、定夫がぼそり。


「あの頃トゲリンが一番いじめられてたのって、その喋り方が原因だったんだよね」

「知らない! なんで教えてくれなかったザアアアンス! あの時、あの時っ、ミーははすもとしんに足掛け転ばされ顔を蹴られて、鼻の骨を折ったんザンスよ! てっきりキャラ立ちが甘いから殴られるんだと思って、日々必死にザンスの練習をしていたんでござるぞうおおおお!」

「お、戻った。ござるに」

「ザンスに違和感というところに、二年という歳月を感じるなあ。おれたちの成長ということかも知れないな。たちというか、おれと、八王子の」

「ほかっ、ほかに、なんかトゲさんの面白い喋り方ってないんですかあ?」


 トゲリンの魂の絶叫そっちのけで、三人が盛り上がっていると、


「敦子いたああ!」


 階段から、一人の女子生徒が姿を見せた。


「あ、香奈。どうしたの?」


 女子生徒は敦子の友達、はしもとであった。


「物理の教材。あたし一人に全部運ばせる気なんかよ」

「いけない、忘れてたっ! ごめんね」

「これからだから、まあいいんだけど、もう行かないと。物理室反対だから」


 橋本香奈は敦子の手を掴み、軽く引き寄せながら、定夫たちを一瞥。


「敦子借りますね。というか返してもらいますね。ほら、行くよっ」


 階段へと、ぐいぐいと引っ張って行く。


「ちょっと香奈っ、階段で引っ張ると危ないよっ! そ、それじゃレンさんたち、またねっ!」


 敦子はぐいぐい引っ張られながらも階段の途中で振り返り、腕を振り上げて「ほのかウイン!」のポーズを作った。


 慌ててウインポーズを返しかけていたオタ三人の姿は、踊り場を折れたことで完全に敦子の視界から消えた。


 と、そこで不意に橋本香奈は足をとめて、くるり振り返ると、敦子のコラーゲンたっぷりのやわらかなほっぺたを左右に引っ張った。


「まったくもう。まあた三年生のところなんかにきてんだからなあ」

「えへへえ」


 敦子はほっぺた引っ張られたまま、頭のてっぺんをこりこりとかいた。


「へへーじゃないでしょ。アニメの声当てを手伝うんだとかいって、あたしたちとの友達付き合いがすっかり悪くなっていたけど、でも、もうそれとっくに終わってんでしょ」

「うん。でもアニメの話をしているのが楽しくて、つい」

「ついもなにも、わざわざ四階まできてんじゃん。よりによってイシューズなんかのとこにさあ。……あんたまさか、あの三匹のどれかと、付き合ってたりなんかしてないでしょうね」

「それはないよお」


 敦子はおかしそうな顔で、手首返して縦にぱたぱた振った。腕を広げたムササビのように、むにょんとほっぺの伸びた顔のままで。


「じゃあ今日の放課後は久々にあたしたちに付き合いなさい。セカンドキッチンと、ジターグズでカラオケ、どっちがいいか選ばせてあげよう」

「ジダーグズでカラオケ! あそこのギガ唐揚げポテト美味しい! それと、『ポータブルドレイク』のエンディングが入ってるかも知れないし」

「あんた最近、すっかりオタを隠さなくなったわね」

「うん、まあ事実だから。でも、もともと隠してはいなかったよ」


 わざわざ主張しなかっただけ。

 「主張しない」を最近やめただけだ。

 それが周囲には、大きな変化と取られるということなのだろう。


 今日は久々のカラオケか。

 「ポータブルドレイク」の歌、入っているかなあ。

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