第04話 バケツは友達

 学校の廊下。


 こつぶえほのかが、立たされている。

 水のたっぷり入った金属バケツを両手に持って。


「結局、間に合いませんでした」


 バケツを持ったまま、がくりうなだれた。

 頭の中の映像が、ぽわーんと画面一杯に広がる。

 回想シーンだ。




 先生が、丸めた本をパシパシ自分の手のひらに打ち付けながら、怒鳴っている。


「惚笛、お前はここのところ遅刻ばかりして、たるんでいる! いいか、明日も遅刻をしたら、バケツを持って廊下に立ってもらうからな!」




 ぽよよよよ、と回想映像は消えて、残るは廊下に一人立つほのかの姿。


「はーあ」


 うなだれたまま、大きなため息をついた。


「この学校、相変わらず宿題が多いというのに、課外活動まものたいじも最近やたら多いし。……ちょっと遅刻するくらい、多目に見てくれてもいいじゃないですかあ」


 独り言で愚痴っていると、ほのかの眼前に、いきなり眩い光が。



 ぼむ。



 魔法使いのような黒のローブに、すっぽりフードを被った、ちょっと小太りのトラ猫、のようなものが宙に浮いていた。

 妖精、ニャーケトルである。


「お、予想してた通り遅刻して立たされたか。ニャハハ」


 低く野太い笑い声。


に、家で宿題だってやっているんだから、仕方ないじゃないですかあ」

「まあ、お前の頭じゃあ大変だろうな。せめて、他の女子の半分のオツムもありゃよかったのにな」


 という妖精の言葉が矢になって、ほのかの胸にぐさっ! と突き刺さり、背中に突き抜け、がくりよろける。

 なんとかこらえ、矢を引き抜いて捨てたほのかは、ちょっとむっとした表情で、


「じゃ、最初からそういう人に頼めばよかったじゃないですか」

「そうしたかったよ。でも、お前にしかやれねえんだから、仕方ねえだろ。だったらせめて、普段から少しでも勉強頑張って、宿題ごときで寝坊しないようにしとけよ」

「他人の成績のことなんだから、ほっといてください」

「あんな程度の宿題に必死になって、肝心な時に『ほのかなんだか眠いですー』じゃ、こっちの命がいくつあっても足りねーんだよ!」

「だ、だからって、だからって、いまそういう嫌味をいう必要ありますかあ!」


 涙目になって抗議の声を張り上げるほのか。

 教室内でのドスドスという足音に、ニャーケトルのフードの下にある耳がピンと立って、フードを押し上げた。


「あぶね。じゃ、またな」



 ぼむ。



 猫の妖精は、一瞬にして光の中に溶け消えた。

 と、ほとんど同時に、ドアがガラリ激しく開いた。

 そこには、普通にしていても怖そうに見えるごう先生の、怒った顔があった。


「うるさいぞ、惚笛! 一人で騒いで、バカか? 全然反省しとらんじゃないか! 次のせき先生の時間も、ずっと立っとれ!」

「えーーーーーっ」


 大きな口を開け、おもわずバケツを落としそうになり、とと、っと慌てて持ち直す。



『確か今日の占いは総合運絶好調のはずなのに。

 嘘もいいとこじゃないですかあ』



 はあ、がっくり。

 などとため息を吐いていると、校内にチャイムの音が鳴り響いた。


 教室の中で号令の声が聞こえ、静かだったのが一転どっと賑やかになって、生徒たちがわらわら廊下へと飛び出してきた。

 ほのかは相変わらず廊下で、バケツ両手に立ちっぱなしである。


 面白くなさそうにしている彼女へと、二人の男子が近寄っていく。


 なんだか運動も勉強も得意そうな、そんな見た目というかオーラのたかゆうに、

 背の低い、悪ガキ小学生みたいなのがしまさとるである。


「おい惚笛、手、大丈夫か? 重いだろ」


 心配そうな表情で、高木雄也が声を掛ける。


「ありがとうございます。なんとか、まだ、耐えられそうです」


 誰にでも敬語の、ほのかである。


「しかしお前なあ、ほんと最近遅刻が多いぞ。そりゃあ先生に怒られるって」

「はあ。そういわれましても」


 ほのかは、困ったように視線を泳がせる。



のことなんか、いえないしなあ』



「つうか、バケツ持って立たされるやつなんて、おれ初めて見たよ。漫画かよ」


 島田悟はネチョネチョ声でそういうと、ギャハハと笑った。

 小馬鹿にされたほのかは、ちょっとむっとした表情になった。


「親の仕事を手伝わなきゃいけないとか、なんか事情があるんなら、おれでよければ相談に乗るからさ」


 雄也の優しい言葉に、ほのかの表情がほわんとやわらぐ。


「無駄無駄あ。遅刻癖のあるやつはなにしても治らねえって。そもそもの常識感が欠落してんだから」


 下品なネチョネチョ声に、またむっとした表情に。


「いまの時間も、ノート取れなかったろ。よければ、あとで写させてやるからさ」


 ほのかの顔、ほわわん。


「バカはなにやってもバカ。一たす一はなーんだ?」

「あのお、交互に喋るのやめてもらえませんかあ! 感情が端から端で疲れるんですけどお」


 確かに、ほのかの表情筋はピクピクひきつけ起こしそうになっていた。


「ああ、ごめんな」


 などとやっているうちに、少し遅れて隣のクラスも授業が終わったようで、教室から、ほのかの友人であるないきが出てきた。青髪ポニーテールの、元気そうな女子生徒だ。

 出てくるなり、ほのかたちがいることに気付いて、


「こらあ、島田悟っ、またほのかをからかってやがんのかっ!」


 怒鳴りながらささっと素早く近寄った。


「散れっ! この男どもが!」


 追い払おうとぶんぶんと手を振り、二人はトイレ行こうぜっと立ち去ってしまった。


「あーーーー! 雄也君まで散らさなくてもっ」


 つい本音の漏れてしまうほのかに、ないきは、ははーんとニンマリ顔になって、


「連れ戻してきてやろうか?」

「結構です!」


 ヒマワリぎっちり詰め込んだハムスターのように、ほっぺたを膨らませるほのかであった。

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