第04話 声は腹から!

 いっちにっ、

 いっちにっ、

 いっちにっ、

 いっちにっ、

 ふぁいとっ、

 ふぁいとっ、

 いっちにっ、



 河川敷沿いのサイクリングコース兼散歩道を、四人はジャージ姿でジョギングしている。

 このような程度の運動負荷をジョギングといえるのならば、であるが。


 定夫、

 トゲリン、

 八王子、


 へとへとばてばて、ぜえはあぜえはあ、数秒後にでも死んでおかしくない苦しそうな表情。

 酔っぱらいのような千鳥足のため余計に体力を消耗しているようにも見えるが、さりとてどうしようもないのだろう。


 しかし酷い走りである。

 疲れているということは鍛えられている。とでも思わねば、とてもやっていられないレベルだ。


 唯一まともなのは、先頭を走るさわはなあつだ。

 一人元気に、大きな声を発している。

 先ほどの掛け声は、ほとんどが彼女によるものだ。


 十メートルほども先行した彼女は、くるり後ろを振り返ると、もも上げをしながら、


「いい作品、作りたくないんですかあ!」


 ぶんと両腕を振り上げた。


「そ、そりゃあ……」


 ふらふらひらほれ朦朧とした意識の中で、定夫は口を開こうとした。

 しかし口の中が粘っこくなっており、疲弊しきった現在の筋力で開ききること容易ではなかった。


 普段は、誰に聞かれずともアニメの話をぺらぺらぺらぺら、ゾンビ並みに口の筋力だけは発達しているのではないかという定夫なのだが。


 そ、そりゃあ、作りたい。


 口が開かない代わりに、心の中でツィッター。


 作りたいけど、

 しかし、死んだら作れない。

 休まねば。

 せめて少しだけでも休まねば、多分そろそろ心臓が止まる。間違いなく、カウントダウンは始まっている。

 心臓が止まったら、たぶん、死ぬ。「気づいたらゾンビになってましたザデッド」のなかじようゆきでもない限り。


「すっ、少しっ、休ませて、くれ、敦子殿っ」


 定夫は、はあはあひいひいの中、なんとか懇願の言葉を絞り出した。


 「敦子殿」が出たついでに説明しておくが、

 定夫の言葉がつっかえつっかえ聞き苦しいのは、疲労に息切れしているからであり、敦子に対してのお笑いメガトン級な喋りの固さは、この一週間でかなり取れていた。


 トゲリンたちのように敦子をなんとか下の名前で呼ぶことが出来るようになってからというもの、好きなアニメを語り合うなど雑談も増え、とんとん拍子とまではいかないもののわずか数日間で普通に喋れるようになったのだ。


 普通に喋る、といっても一般人健常者的な普通ではなく、あくまで素の自分を解放出来るようになったというだけのことであるが、出会ったばかりの時の喋り方を思えば格段の成長であろう。


 だが、

 しかし、


 同じ高校に通う女子生徒と話せるようになったことによるわくわくライフなどは、これっぽっちも待ってなどいなかった。


 最初はちょっぴり期待したけど、その期待は一瞬にして蹴り砕かれた。


 声の担当になった敦子の指導が、かなり厳しいのだ。

 鬼コーチなのだ。


 演技指導は勿論のこと、なにより辛いのがこの体力作り。

 腹から声を出すためにも、そして息切れしない声を出すためにも、最低限の体力はなければならない、という考えのもと、その最低限の体力をつけるのが目的だ。


 最低限、であり、敦子にしてみればそれほどのことはしていないのだろう。

 だがそれ以上に、定夫たちに元々の体力がないのだ。

 だからこその体力作りなのであるが。


 しかし、

 ほんの一分走っただけで死にそうなのに。

 自宅から遥々と川まで行って、土手を走って、戻ってくるなど、正気の沙汰じゃない。

 休ませてくれ……

 でないと、死ぬ。


 

 いっちに、

 いっちに、

 いっちに、

 いくぞお、おーっ



 相変わらず、元気よく声を出しているのは敦子だけで、残る三人は、



 ひっひはいいあああ、

 いっひひゃっひ、

 いっひりっひゃ、



 親が見たら泣きたくなるであろう、実に情けない有様だった。


「があ、あ、あつっ」


 敦子殿はっ、はしりる、走れる、から、いいけど……

 くそ、喉が焼ける……


 敦子は、声優を目指すためにジョギングと筋トレを日課にしているくらいだから、しっかり走れるのは当然というものだろう。日々の努力が偉いわけであり、ズルイとは違うのは定夫にも分かるが。


 とはいえ別に彼女もアスリートを目指しているわけでなし、やはり定夫たち三人があまりにも酷いというのが、この能力差を生み出している主要因だろう。


 酷いのも当然である。なにせ定夫たち三人は、CDケースを持ったり、USBメモリを挿し込んだり、リモコンのスイッチを押したり、せいぜいそんな程度にしか自らの筋肉を使ってこなかったのだから。


 苦しいのも、走れないのも、千鳥足なのも、当然なのである。


 敦子の指導による体力作りを始めてから、もう一週間。少しくらいは体力がついているのかも知れないが、回復しないうちに翌日のトレーニングを迎えるものだから、ぱっと見には日々酷くなってさえ行く有様であった。


「しょうがないなあ」


 また敦子は振り向いて、しばらくもも上げを続けていたが、三人が右に左にふらふらしているだけで一向に近寄ってこないことに、諦めたか動くのをやめた。


「じゃあ、ちょっと休憩しますか。それから、ついでというわけじゃないけどここで発声練習をしましょう」


 と、女神様から救いの言葉が投げ掛けられた、その瞬間である。


 三人の男たちは同時に、路上にぶっ倒れていた。

 頭から。

 ごちっ、と凄まじい音を立て、額をアスファルトに打ち付けていた。


 受け身を取る体力すらも、残っていなかったのである。

 痛みを感じる体力すらも、残っていなかったのである。


 定夫はごろり上を向くと、大の字に寝転がった。

 トゲリンも、八王子も、同じようにごろり。


 ぜいはあ、

 ぜいはあ、

 はあ、

 はあ、

 はあ、


 広がる空を見上げ、いつまでも苦しそうな表情で酸素を求める定夫たち。


 はあ、

 はああ、

 ぜいぜい、

 ぜい、




 ……そして十五分の時が経過した。




 ぜいぜい、

 うおお、

 はあ、

 はあ、はあ、

 がああ、

 ぜいぜい、

 ぜい、


「いい加減、回復してくださあい!」


 青空の下に、敦子の怒鳴り声が轟いた。


「いつまでぜいはあやっているんですかあ。三人とも、体力なさすぎですよお」

「あ、あ、あと、三十分」

「ダメですっ。あと三十秒にしてください!」


 鬼であろうか。

 三十秒間、精一杯ゼイハアした定夫たちは、観念し、よろけながらなんとか立ち上がった。

 相変わらず足元ふらふらで、肩を大きく上下させている状態であるが。


「ここまで回復しないほどスタミナがないのに、よく最初の一分で倒れませんでしたね。というか、よく最初の一歩を踏み出すことが出来ましたね」

「ア、ア、アニメ作るんだ、って、頑張って、しまったから。後さき考えず」


 息切れ切れ八王子。


「あ、あ、後さき考えて、ささ、最初の一歩で、倒れておけばよかったでござる」


 ト、ト、トゲリンも息切れ切れだ。


「だから、そうならないよう、しっかり鍛えて下さあい!」


 というと敦子は気を取り直した様子で、道路脇にあるコンクリートの階段を降り始めた。

 散歩道から河川敷へ入り、舗装路を歩いて川の方へ。


 ふらふらと、三人も続く。

 舗装路を外れ、草を踏みつけ、川の流れぎりぎりのところで、敦子は立ち止まり、くるり振り向いて定夫たちと向き合った。


「それじゃあ、発声練習を始めます。お腹に両手を当てて。はい! フフフフフ!」



 フフ フフフ、

 フフ フフ フー、

 フー、



 疲労が抜けておらず、へろへろだ。


「もっとしっかりと、お腹から声を出す! フフフフフ、はい!」


 敦子はぽんぽん手を叩きながら、三人の前を行ったりきたりしていたが、

 不意に定夫の前で、足を止めた。


「はい、続けて、フフフフ」


 いいながら、ゆっくりと手を伸ばして、定夫のむにょんむにょんのお腹に手のひらを当て、ぐっと押した。

 ゆっくりと手を引いた、その瞬間に、拳を突き出していた。

 腹にズブリめり込んで、ぐほごほっ、と定夫はむせ返った。


「お腹が全然動いてません! レンさんお腹を使っていないから、跳ね返せなくて、そうなっちゃうんです! 声は腹式で! これ出来ると、出る声がまるで違ってきますから。しっかり意識していきましょう! 分かりましたか?」

「イーーッ!」


 定夫は右腕振り上げ奇声を張り上げた。

 なお、いまさらではあるが、レンさんとは定夫のことである。山田レンドル定夫、のレンさんだ。


「トゲさんもっ!」


 ズドッ!


「グハでござるっ!」

「八さんもっ!」


 ズドン。


「ぐぶう!」

「みんな、もっとお腹を使って! じゃあ次は、ハッヒッフッヘッホッ、でやりましょう。ハッヒッフッヘッホッ! はい!」



 ハッヒッフッヘッホッ、

 ハッヒッフッヘッホッ、

 ハッヒッフッヘッホッ、 



「お腹をよおく意識して。ハヒフヘホは腹筋使いますからね。自宅でもよおくトレーニングして、自分の身体に覚えさせて下さい。考えるんじゃなくて感じて下さい!」



 ハッヒッフッヘッホッ、

 ハッヒッフッヘッホッ、

 ハッヒッフッヘッホッ、 



「終了! では次、あめんぼあかいな。はいっ!」



 あめんぼあかいなあいうえお

 うきもにこえびも……



「舌自体はだいぶ柔らかく、回るようになってきましたね。滑舌、とてもよくなってきましたよ。……あとは、やっぱり腹式呼吸かなあ。……はい、では腹筋運動しましょう。みなさん、寝っ転がって下さい。あたしの真似をして、こんな感じに」


 四人、川に足を向けて、横ならびに寝っ転がり、後頭部で両手を組んだ。


「開始っ! はい、いーち!」


 ぐいー、と上体を起こすのは、敦子だけであった。

 定夫たちは、顔を真っ赤にしてうんうん唸っているばかりで、ぴくりとも上半身を起こすことが出来なかった。

 敦子にしてみれば、冗談なのか、というところであろうか。


 しかし、冗談ではなかった。

 いくら待てども、彼らはただの一回すらも上体を起こすことが出来なかったのである。


「うーん。……どうしても起き上がれないのなら、うつ伏せになって腕立て状態を維持、でもいいです。では、やってみましょう。あたしの真似をして下さい」


 敦子は、仰向けに寝転んだ姿勢から、くるり身体を反転させて、腕立て状態を作った。

 三人も、真似をする。ただ身体を反転させるというだけでドタンバタンかなり大変そうであったが、なんとか腕立ての姿勢になった。


「そう、そのままそのまま。こうしているだけでも、少し腹筋を使うでしょう?」

「ぐおおお!」

「ぬはあっ!」

「ぐーっ、ぐうーっ」


 少しどころか、相当腹筋にくるようで、五秒ともたず潰れてしまう三人であった。


「みなさんしっかり! 千里の道もなんとやら。もっともっと鍛えて、立派な腹式呼吸を身につけましょう! それでは腕立て腹筋もう一回っ、行っくぞおおお!」

「ぐむおおおううう」

「ぎゅぎゅるりぎゃあああ!」

「ひびいいい!」


 定夫は、ぎゅぎゅるりぎゃあなどと意味不明の絶叫を放ちながら、そして疲労と苦痛に半ば朦朧としながら、残る意識の中、考えていた。


 これは果たして、有意義な時間の使い方なのであろうか。

 ここまで肉体をいじめ抜くことに、なんの意味があるのだろうか。


 分からない。

 それは分からないけれど、

 でも、

 やらなければ、始まらない。

 始まらなければ、始めなければ、なにも成せない。


 だから、やるしかないんだ。

 やるしかないのならば、やるぞ。


 おれは、やるぞ。

 それがきっと、夢へと繋がる。

 ザ・アニメ!


「レンさんっ! 表情だけなんだか満足げになってて、お腹ついて休んじゃってますよ! さぼってる罰で、レンさんだけあと三十秒!」


 ぎゅぎゅるりぎゃあ!


 現実に戻され悲鳴絶叫の定夫であった。

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