第03話 ふ、ふ、ふた、ふた、ふたりきりっ
落ち着かない。
落ち着きがない。
そわそわ、そわそわ。
パソコンに繋がっていないマウスのボタンを、意味なくカチカチ押したり。
肩を左右に揺らしたり。
落ちたフケを下敷きで集めたり。
鼻毛を抜いて数えたり。
逆でもなんでもないのに、言葉の頭に「ぎゃ、逆にいうとっ」などと無意味に付けてしまったり。
なぜ落ち着かないのかというと、理由は明白。
沢花敦子と二人きりだからである。
女子と二人きり、しかも自分の部屋、という生まれて初めての体験に、定夫は興奮し、緊張し、すっかり落ち着かない精神状態に陥ってしまっていたのである。
ここはアニメ制作本部である、山田定夫司令官の自室。
沢花敦子が声の収録のために仲間に加わってから、はや数日が経過していた。
八王子は池袋の本屋へ行くため、今日はここへこられない。
トゲリンは、用事を済ませてからくる予定。
つまり、現在この部屋にいるのは、定夫と敦子の二人だけ。
壁を破壊して部屋を拡張して構わないなら、その壁の向こうに現在もう一人いるはずだが、代わりに定夫が地球の果てまで吹っ飛ばされることになるだろう。
つまり、やはりここには二人きりで、そうである以上は興奮緊張してしまうのも仕方ないのである。
仕方ないといっても、対する敦子の方はそんな心の機微とは一切無縁のようで、先ほどから学校の制服姿で床に正座して、パソコンモニターに映るアニメ動画をじーっと観ている。
彼女にお願いされて定夫が再生したものだが、なんでも自分の演じるキャラをもっと理解したいためとのことである。
これで何度目の観賞であろうか。
その都度、定夫はびくびくしてしまうのだが。
敦子が仲間に入ってからまだ日も浅く、役割としても声のみの参加。他人、という関係では既にないものの、少し離れた存在であることに違いはない。
という関係性の彼女に、自分たちの作ったアニメをじーっと観られているということが、どうにもダメ出しされているような気がしてしまって、つい緊張してしまうのである。
まあ定夫の場合は単に、じょじょじょっという緊張の方が大きいのかも知れないが。
さて、パソコンに映っていた動画の本編部分が終了して、黒い背景にスタッフ紹介の字幕が表示されている。
音は無い。
完全な無音である。
「うーん」
敦子は正座したまま、腕を組むと首を小さく捻った。
「ど、どどどむっ」
作画や演出のダメ出しでもされるのか、と、焦る定夫。
敦子はハッと我に返ると、笑みを浮かべ、
「あ、あ、すみません、また、あたしの中のほのかが、少し変化したなあと思って。でも、どこが変わったのか、言葉に出来なくて、考えてしまってたんです。……マイクを前にすれば分かるかも知れないので、後で録り直してみてもいいですか?」
「わ、わ、わかっ、分かたぬん」
ダメ出しでなくてよかった。定夫は脂肪まみれの胸をなでおろし、頷いた。
「ありがとうございます。ああ、それと、一つ気になったことがあるんですが」
「な、なな、なな、なにがでしかっ」
「もしかしたら、失礼なこと聞いちゃうかも知れないんですけど。……オープニングは、曲も歌もしっかりしてて、作画もキャラは可愛らしく演出も凝ってて、とても力が入っているのを感じるんですが、どうしてエンディングはこのように地味なんでしょうか?」
「んぬ? あっ、ああ、ああ、ももっ、そそっ、そるは単に、うう歌をっ作る能力が、我々に、ないから。……オップ、オプニングは、人から貰えたものだし、きょく曲へのっ感動がアニメをつつつる作るきっかけ、原動力になり、ひっ必然、気合の入った出来になったのだが」
「ああっ、そういえば以前に教えてもらいましたね、その経緯」
音がない以上は、なにか小細工をするよりは、開き直ってあえて地味にすることで、手作り感、アマチュア作品としての味が出るのではないかと定夫たち三人は考えた。
要するに、苦肉の策なのである。この、無音でテロップのみというのは。
「つまり、ちゃんとした歌があるなら使いたい、ということですか?」
「ま、まあ、まあっ、そそそそそそそれはっ」
エンディングテーマがあった方が、より作品は引き締まるに決まっている。
OVAなども黎明期を除いては、わざわざ三十分ものの尺で分割して話を作り、それぞれにオープニングにエンディング、アイキャッチ、次回予告、とわざわざテレビアニメ風に仕立てているくらいなのだから。
「だったら……」
敦子は顔を赤らめ、ちょっと恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「こ、こんな歌はどうかな、というのがあるんです。たまたま、ほのかのエンディングとして合いそうな歌が」
「え。うっ、うっ、うた?」
豚といわれたと思ったわけではない。
聞き取れていたが、返す言葉が浮かばず聞き返しただけだ。
「はい。……あたしが中学生の頃に、作ったものなんですが」
なおも恥ずかしそうな顔の敦子、自分の携帯電話を操作してメモ帳アプリで自作の歌詞を表示させると、定夫へと渡した。
「べったべたの、クサい歌詞なんですけど」
敦子は照れたように笑う。
「でで、でではでは拝見」
携帯画面に表示されている歌詞に、目を通していく。
女子の携帯に触っていることにドキドキしながら。
『そっと目を閉じていた
波音ただ聞いていた
黄昏が線になって
すべてが闇に溶け
気付けば泣いていた
こらえ星空見上げる
崩れそうなつらさの中
からだふるわせ笑った
生きてくっていうことは
辛く悲しいものだけど
それでも地を踏みしめて
歩いてくしかないよね
笑えるって素敵だね
泣けるって素敵だね
もう迷わず
輝ける場所がきっと
待っているから
星は隠れ陽はまた登る
暖かく優しく包む
永遠の中
出会えたこの奇跡に
どこまでも飛べる きっと』
確かに、本人のいう通りクサさい。
クサいというか、単なる直球ストレートというべきか。
内容としては、人生の応援歌であろうか。
ひねていない。
敦子殿らしい、嫌味のまったくない素直な詞だ。
我々の作るアニメは、古く懐かしいものを最新のセンスで作る、ということを目指している。そう考えると、これは確かに良いかも知れない。
この歌詞が、一体どんなメロディに乗るのだろうか。
「あ、あのあのっ、きょ、曲はっ、どどっ、どどっ」
「ああ、そうですね。……ちょっと恥ずかしいけど、ここで歌ってみてもいいですかあ?」
「ど、どっ」
定夫は頷いた。
「メロディは繰り返すだけなので、一番だけ歌います。……では、行きます」
そういうと敦子は、腕を小さく振ってリズムをとりながら、歌い始めた。
敦子っぽくない、ちょっと低めの声で。
定夫は、携帯電話に表示されている歌詞を見ながら、その歌声を聞いた。
なんといえばいいのだろうか。
この懐かしい感覚を、なんと表現すればいいのだろうか。
バラードはバラードなのだが、昔のアニメ的というよりは、
なんだろう。
そうだ、合唱コンクールの歌のような、とでもいえばいいだろうか。
ゆったりとして、奇をてらわない、シンプルなメロディライン。
普段は高くほんわかした声の敦子であるが、この歌に合わせてということなのか低く抑えており、それがメロディに深みをもたらしいてる。
うっとり聞き惚れている間に、歌が終わっていた。
「お粗末でしたあ」
アカペラが終了し、高い地声に戻って恥ずかしそうな笑みを浮かべ頭を下げる敦子であったが、すぐその顔に疑問符が浮かび、小首を傾げた。
「あ、あのっ、どうかしました?」
ガタガタブルブルと震えていることに対してであろう。定夫の肩が、全身が、そして黒縁眼鏡のフレームが、傍目にも分かるくらい激しく。
敦子の問いに、ようやく定夫は口を開き、震える声を発した。
「すすっ、すっすっ、すっすっ、凄いっ。ぎゃ、逆にっ、逆に凄いっ」
なにが逆なのかは分からないが、感動に打ち震えていることに違いはないようである。と、そんな彼の反応に、敦子は改めて照れたように笑い、頭を掻いた。
「いやあそんな、ただ自分で歌を作ってみたというだけで、ええと編曲っていうんですか、カラオケみたいな、ああいうのはないんですけど」
「かっ、きゃっ、かっ、構わないっ! つつっ作ろう、このこの曲きょくっ、絶対にいい! つつっ使いたい! ……どっどどどどうにかして、へへ編曲を、したいところであるが」
「こんな感じかなーという伴奏の音色は、頭の中にはしっかり入っています。譜面に起こすことくらいなら、出来ると思います。以前に、ちょっとだけかじっていたことあるので。といっても楽器は全然ひけませんけどね。小さい頃にピアノを習っていたくらいで」
「なら、う、う、打ち込みで、やろう。あ、あつっ、あつっ、あう敦子殿にががが楽譜だけ、作ってもらっれ、うち打ち込みじぇ。八王子が、コンポーザーソフト、もも持ちてるっ」
「なんですか、それ」
「かっ簡単にいうとっ、るいるいっ、音楽を、プログラム演奏させさせるソフト。八王子、『はにゅかみっ!』のパッションエブリデイとか、みっ耳で聞いてコピーして打ち込んで、かっかなり忠実だったし、そ、そ、そ、それだけでなく、きっ器用にアレンジなんかも、していたし。ああ後でほほっ本人に相談して、みるけど、おっおそらく技術的には問題ないかと」
「うわ、凄いんですねえ、八さんって」
「たたたた確かに。パ、パッコン使わない創作系は、おれ同様に、てんでダメだけど、パソコン使ってのての作業だと、一人でなななんでもハイレベルでこなしてしまうところはある」
「期待大ですね。引き受けてくれるといいなあ」
「それで、歌は、あ、あつっ、あつ、あつっ、あつっ、敦子殿っががっ歌う、と」
「え? あ、あ、あたしがですかあ?」
曲を提供するだけのつもりだった。ということなのだろう。
「さっきの歌、上手だったし、もっ問題ない、思うけど。主人公の、声優でも、あっあるわけで」
「うーん。それじゃあ、挑戦してみようかなあ。ちょっと緊張しちゃいますね。……あのお、実は曲だけじゃなくてえ、エンディングの映像も頭に浮かんでいるものがあるんですよね」
「映像?」
「はい。モノクロ水彩画の止め絵で、なにか着ているのか裸なのか分からないような、シーツにくるまったほのかが丸くなって眠っているんです。でも最初はアップで、なんの映像か分からなくて、ゆーっくりカメラが回りながら引いて、だんだんと全体が映っていくような。あ、あの、は、裸といっても、全然いやらしい感じじゃないですからね」
敦子は顔を赤らめ、笑った。
「かか、かか、かなり合う気がっ、するな、さ、さっき聞いた歌の、イメージにっ。でででは、では、その絵は、トゲリンに依頼しよう。水彩で美少女をかか描いてみたいとかとか以前いってたたら、きっとやってくめるかとっ」
「はあ、凄いんですねえ、トゲさんも」
「まっ、まっ、まっ、まっその」
八王子とトゲリンばかりが褒められて、ちょっと傷つく定夫。だから田中角栄の真似をしているわけでもないが。
「労力的にも、お二人には大変な作業を強いることになっちゃいますね。あたしに画力とか楽器ひく才能とかあれば、あたしがやっちゃうんだけどなあ。残念ながら、そういうのさっぱりなんで」
「へ、へけっ、編曲はっ、コピープーストも多いし、作業が波に乗ってしっしまえば早い、とか以前に八王子がいてたっ。絵も絵で、止めだから、い、一枚描いてもらえればいいし。とは、とはいってもっ、トゲリンのことだから、相当にきっ気合を入れたもの描いてしまいそうな気も、す、するするけどっ」
「監督のレンさんと、三人組とも凝り性だから、あそこまでの作品が出来たんですものね」
「いや、おれなんか、ぜ、全然で。‥‥でも、でも、エ、エンディングの、アイディア、出してくれたことは、た、たつ、たたっ、助かたっ。確かに、字幕だけのエンディングの味気なさ、いいのだろうかという、複雑な気持ちもあったから。な、な、な、なんか、これで、すべてのピースがかっ噛み合いそうな、気が、するよ」
定夫は脂汗いっぱいの顔面を、ティッシュで拭った。
「そういっていただけて、ようやく少しだけお役に立てた気がします、あたし」
敦子はちょっと嬉しそうな表情で、ふふっと笑った。
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