第02話 あつこ殿
「沢花さん、やっぱり別録りにする?」
休憩の最中に、八王子が不意に敦子へと尋ねた。
「ああ、はい、それでお願い出来ますか? まだまだ修行の身。感情移入には、妥協したくないですから」
なんの話かというと、もちろん吹き替えの話であるが、複数キャラを同時に吹き替えてしまうのか、それともキャラごとに一回ずつ吹き替えて重ねていくか、どちらにするかということだ。
先ほどは担当全キャラ並列で器用に吹き替えていた彼女であるが、本番ではもっとしっかり魂を込めたいということなのだろう。
野菜のような名前の宇宙人が主人公の格闘冒険アニメの担当声優のように、まるで混乱することなく楽々と複数キャラを演じられる神のような人もいるが、彼女にはまだそこまでの経験も自信もないし、別録りにすることで、しっかり感情移入をしているんだという自覚を持ちたいのだろう。
沢花敦子のプロ顔負けのこだわりに、地味ながら清々しい感動が熱く全身の血管をめぐる定夫であった。
その清々しい感動を、興奮したようなネチョネチョ声がすべて吹き飛ばした。
「さ、さわっ、あ、敦子殿っ! これ、このイラストの声っ、なんかっ、アドリブでっ」
がさごそバッグから取り出したノートを広げると、なにやら鉛筆描きの女性のイラストが。
水着アーマーを着て、大刀を背中に佩いた女戦士が、荒野の中、巨岩に腰掛けている。すぐ横には、ボールのような毛むくじゃらの妖精。
沢花敦子は難しい顔になって、うーんと考えたが、整いましたとばかりすぐ笑顔になると、抑えた低い声で語り始めた。
「わたしの名前はオーロラスカイ。アリフェルドを旅する女剣士だ。このもさもさしているのが、相棒のモーラ。神にいたずらしてこんな姿だが、もと人間、わたしの幼馴染だ。今日ここに……しっ、モーラ、どうやらきたみたいだぞ。覚悟? とっくに決めているさ。神殺しになるか、神に殺されるか。サイはもう投げられている。いい目が出ていると信じて、進むだけさ」
「おーーっ!」
拍手喝采の三人。
ただ定夫はそれよりも、トゲリンが沢花さんを下の名前で呼ぶことにチャレンジしてみていることの方が遥かに気になっていたが。青春、一歩リードされたみたいで。
「魂入ったああああ!」
トゲリンは自筆イラストを高く持ち上げてネチョネチョ声で絶叫した。
「では敦子殿っ、これはどうだっ」
八王子も、トゲリンの真似をして敦子殿。
床に置かれているアメアニ最新号を手に取り広げると、豹の毛皮を着たぼさぼさ髪の野生少年キャラを指差した。
深夜の五分アニメ「ともアニマ」の、ギャチンパだ。
「あーあーだ、あーあーっ暇だ。おっ、これはなんだっ。おいっ、ムイムイ、なんか落ちてるぞ。人間世界の、ガラスとかいうのの入れ物に、赤い砂が入ってる。綺麗だな。食べ物かなあ。オラちょうど腹ァ減ってたから丁度い……ウギーーー、口の中が焼けたアアアア!」
少年役もかなり器用にこなす敦子であった。
先ほどは、声を低くすることで渋い女性キャラを演じたが、今度はもっと声は高く、少しガラガラさせることで男の子であることを上手く表現している。
なるほど、声が低いから男の子、ではないのである。
「おーーーっ」
トゲリンと八王子が拍手をしている横で、山田レンドル定夫は一人ドギマギ焦っていた。
順番からして、次は自分がお題を出さなければならないのではと思って。
な、なにを出せばいい。
というか、どう喋りだせばいいんだ。
迷っていても仕方ない。
くそっ、やってやる。
「ではっ、あ、あつ、あつ、あつっ、あつ、あつ、ちょっちゅ、ちょっちゅ」
トゲリンや八王子のように冗談ぽく敦子殿と呼ぼうとするが、つっかえつっかえで言葉にならず。
焦りが焦りを呼んで、すっかり頭は真っ白。
適当に床を這わせていた手が、ベッドの下にある本のようなものに触れた。
「これはどうでござる!」
何故かトゲリン語で叫びながら、その表紙を敦子へと突き出した瞬間、手にしたそれが女子に見られてはいけない類の雑誌であることに気付き、びっくりして目玉が飛び出しバリンと眼鏡レンズを突き破った。
「まおおーーっ!」
定夫は必死に隠そうと雄叫びをあげながら、手にした本を身体の中に巻き込むようにして回転レシーブよろしくごろり床に転がった。
ボギリ。
「手ギャハイヤアアア!」
以前に不良生徒に蹴られねじられ、バレーボールのスパイク直撃を受け、ようやく治りかけていた手に、肥満した自らの全体重をかけてしまったのであった。
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