第06話 さあやるぞ、アニメ制作最終章!

「あ、あの、いいですか?」

「ははっ、ははひはいっ!」


 心の中でヒーハーヒーハー雄叫んでいた定夫は、敦子に話し掛けられていたことに気付き、驚いて肩を震わせた。


「すみません、ちょっと失礼します」


 なおもびくびくしている定夫の前で、敦子は立ち上がると、うーんと難しい表情を作りながら部屋の壁や窓を調べ始めた。


「窓枠の目張り、音漏れ対策ということなんでしょうけど、それはそれでいいんですが、この部屋じゃあまり声が反響しないかなあ」


 難しい顔のまま呟くと、くるり定夫たちへ向き直った。


「引越しでガラガラになった部屋って、とても音が反響しますよね。反対に、物があると、音を吸ってしまうんです」


 物、すなわちベッド、すなわち学習机、パソコン、テレビ、コンポ、エアコン、カーペット、テレビゲーム機、壁にかけた学生服、めかまじょ一号とりのフィギュア、「はにゅかみっ!」の、ことのりことのフィギュア、本棚の漫画本、雑誌、アニメDVD、CD。


「とりあえずはこのままで進めていって、でも最終的には大きなシートを壁に張ったり、机やベッドを覆っちゃいましょうか。または一日だけスタジオを借りちゃうか。シートも安くはないので」

「いひ、えやっ、おお、おれたちたちっ、ええ演技下手だからからっ!」


 拝むような片手を、顔の前でぶんぶんぶんぶん振るうレンドル定夫。

 言葉が聞き取れなかったのか、意味が理解出来なかったのか、敦子は黒縁眼鏡のあどけない顔に小さな疑問符付きの笑みを浮かべた。


「下手だから日数をかけて何千回でも録り直して、よい音声を選んで使おう。かような考えでいたのでござるよ」


 トゲリンが補足する。


「ああ、なるほどですねえ。そういうことでござるか。じゃあ、とりあえずのところ、これからも発声のトレーニングだけはしっかりやって、どうするかは結果で判断しましょう、ということで、いまのところ部屋はこのままでいいですね」


 そういうと敦子は元の位置へ戻り、座り直した。


「あたしの担当するキャラクターのこと、把握したいんですが。まずは主人公。どんなタイプの声にするか、もう一度、キャラの背景や関係性を整理したいので、設定資料を見せてください」

「あう、どど、どむどぞっ」


 定夫はいわれるまま、印刷した資料を両手に持って敦子へ差し出した。


 敦子は、定夫から受け取った資料をぺらぺらめくりながら、うーん、と唸った。

 眼鏡を外し、レンズを拭いて、眼鏡をかけ直すとまた、うーん、と渋い顔。


 ぽかんとしている三人の視線に気付くと、「すみません」と笑いながら頭をかいた。


「あたし一人では、『これしかないっ』って思える声がなかなか浮かんでこなかったので、考え込んじゃいました。……まず、主人公のほのかちゃんですが、どんな声にしましょうか」

「え」


 問いの意味が分からず、定夫はきょとんとした顔になっていた。


 誰だって、そうなるのでないか。

 現にトゲリンも八王子も、不思議そうな表情になっている。


 それはそうだろう。

 どんな声もなにもない。もうタイプは決まっているのだから。


 設定資料にだって、どんな性格なのかしっかり書いてあるわけで。

 ただそれに従って演じればいいだけではないのか。

 それとも演技の世界には、さらに進んだ、突き詰めた、なにかがあるというのだろうか。


 そんな彼らの表情、疑問を察したか、彼女はにこり微笑み、答えた。


「声の出し方、といっても、色々とあるんです。性格が明るい、暗い、無邪気、大人、子供、とか、そういう分け方でひと括りに出来るものではないんです。性格と年齢、顔のタイプ、それが分かれば声が作れる、というわけじゃないんです」


 分かったような、分からないような、いわれてみれば当然な気もするが、考えてみたこともなく……


 定夫も、他の二人も、頷くことすらも忘れて黙ってしまっていた。


 敦子はちょっと間を空けて、話を続けた。


「考えてみて下さい。世の中には同じような性格で、似た感じの容姿の人はいっぱいいます。声帯も同じようなものだとして、ならば声も同じはず、と思いますか?」


 八王子は、首をぷるぷる横に振った。


「そうですね。喋り方の癖、喉の使い方つまりどこから声を出すか、人それぞれ違いますよね。同じ声帯で同じ性格であっても、高く喋る人、ぐっと押さえた低い越えを出す人、ゆっくり喋る人、喉にこもるような発声をする人、お腹から突き上げるように声を出す人、逆に全然腹筋を使ってなさそうな人」

「分かったような」


 定夫。


「分からないような」


 トゲリン。


「お二人。レンドルさんと、トゲリンさんって、声の感じはまったく違いますよね。でも、たぶん声帯は似てますよ。声の出し方が違っているだけで」

「えひ?」


 そう、なのか?

 そんな似てないと思うが。

 いや、まったく似てない。

 でも、達人がいうのだから……


 似てないとは思うけど、

 ちょっと、試してみるか。


 定夫は、すぶぶぶっと息を吸い込むと、


「おっすオラトゲリン! 今日もコミケにバイセコー!」


 トゲリンのニチョネチャ声を真似して叫んでみた。なお台詞自体にはなんの意味もない。


「確かに、そっくりだ」


 と驚いている八王子の声を掻き消すように、


「失敬な! そんなニチニチした声などしていないでござる! しからば、それがしも……アニメ好きなだけでぇ、石ぃぶつけてくんなよう」

「そこまで暗い喋り方などしていないっ!」

「でも、似てるなあ」


 そんな三人に、敦子はにっこり微笑んで、


「分かりました? 声は、声帯だけじゃないということなんです。周囲環境、歴史、縦の繋がり横の繋がりで、いくらでも変わってくる」

「いや、おみそれしたでござる。あれ、違うな」


 八王子が、トゲリンのニチョニチョ声を真似しようとしてみるが、まったく似ていなかった。


「単なるこだわりかも知れませんが。あまりに細かいところまで意識しても、実際の発声にまったく影響はないかも知れない。でも、常にたくさんのことをイメージしておくことで、演じる際に無意識に滲み出てくるものが絶対あるはずなんです。と、あたしは信じています。……では、とりあえず、キャラごとにいくつかの声を考えて、それぞれを当ててみましょうか。まずは、主人公の台詞ですが……」


 と、敦子はあらためて台本を開きめくって、声の確認に使えそうな台詞を探し始める。


「つっ、ツンデレで」


 ごくり唾を飲みながら、個人的な趣向性癖を解放するトゲリンであった。


 隣でも、ごくり唾を飲む音。

 定夫である。

 身体を震わせながら、両の拳をぎゅっと握り締めている。


 これからいよいよ本格的に音声収録への挑戦が始まるということに、覚悟を決めると同時に、襲う緊張や重圧と戦っていたのである。


 同時に、今日という日を忘れぬよう心の奥に日付をカリカリ書きとめていた。


 何故ならば、ついにこの部屋に、生身の、2Dの、リアリアリアルじょじょじょじょじょしじょじょっ、

 いやいやいや、そうではなくっ、


 スピーカーからの音ではない本物のアニメ声が、初めてこの部屋へとやってきた日だからである。


 それにより自分のアニメ作りの情熱が再度高まり、そして改めて、自分はアニメや声優が好きなのだと再確認させられることになった日だからである。


 さあ、やるぞ。

 アニメ制作の、最終章だ。


 絶対に、後世に残るような名作を作り上げてやる。


 定夫は、熱い闘志を燃やしていた。これで脂肪も燃えてくれたら、というほどに、静かだが熱い熱い炎であった。

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