第02話 異次元会話

 宇宙があり、

 銀河系があり、

 太陽系があり、

 三つ目だか四つ目だかに地球があり、

 成層圏があり、

 アジアがあり、

 日本列島があり、

 本州があり、

 東日本があり、

 関東地方があり、

 東京都があり、

 武蔵野市があり、

 都立武蔵野中央高等学校があり、

 校門近くに植えられたケヤキの木を、ぐるり取り囲むように三つのベンチがあり、

 そのうちの二つに、彼ら四人は腰を降ろしていた。


 山田定夫と、トゲリン。

 八王子と、先ほどいきなり声を掛けてきた女子生徒。


 定夫たち二人は超肥満なので当然のことぎゅうぎゅうで見ているだけでも暑苦しい状態、反対に八王子たちは空間スッカスカ、何故このような組み合わせなのか。


 それはさておき、定夫たちは現在ようやく落ち着きを取り戻していた。


 先ほどの阿鼻叫喚絵図を、もしも誰かが動画に撮っていて彼らに見せたならば、あまりの恥ずかしさに自ら命を絶つ者が出たとしても不思議ではなかっただろう。


 と、それほどに狼狽していたわけであるが、繰り返すが現在は落ち着いて完全におとなしくなっていった。


 女子生徒の掛けた言葉、「いつもアニメの話をしているから、ちょっと興味を持って」という、それにピクリ反応して、じたばた暴れ泣き叫んでいたのが嘘のようにすーっと収束したのである。


 おとなし過ぎるくらいであるが、反動というよりは単に女子との接し方が分からないからであろう。


 とにかく、

 「そこで座って、ちょっと、お話しませんか?」と恥ずかしげに顔を赤らめる女子生徒に促されるまま、ケヤキの木の下のベンチにこうして腰を降ろしているというわけである。


「とと、問うが、何故、せ、拙者どもが、アニメファンであると。あいや、結果的には事実関係としてなんら相違ないわけではあるが、いわゆる、その論理的判断に至った過程が気になり」

「ですから、廊下でそういう話をしていたのを聞いたからですってば」

「ああ、そうでござった」


 日本語を無意味にこねくり回すわりに、人のいうことはあまり聞いていないトゲリンであった。


 今度は女子生徒が、質問の口を開いた。


「あの、あなたたちが、イシューズと呼ばれている有名な三人組さんなんですよね」

「い、いわれては、いるらしけど……。どど、どゆっ意味なのかなあ」


 八王子がカチコチ笑いで尋ねた。

 みな、女子と喋り慣れていないのである。


「ええと、なんでも精神的悪臭を放っているからだとか……あ、あ、いえっ、わたしは別にそうは思っていませんけど、世間的にっ」


 前へ突き出した両の手のひらを、ひらひら振る女子生徒。


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、定夫たち三人は寸分の狂いもなく同じタイミングでがばっと腰を上げ立ち上がっていた。


 彼女から数メートル離れたところで、顔を突きつけあった。

 今にも泣き出しそうな、情けない表情の顔を。


「やっぱり、そういう意味だったのか」

「靴とか、そういうことではないのでござろうな、とは思っていたが。うすうす」

「しかし、あの女子もさあ、本人たちの前でいうかなあ。精神的悪臭とかさあ」

「空気を読めないタイプなのかも知れないな。我々以上に」

「どうやら敵ではなさそう、と思っていたが、分からなくなってきたでござるな」


 ひそひそこそこそ。

 こそこそひそひそ。


「あ、あの、なにか」


 女子生徒がベンチに深く座ったまま、黒縁眼鏡の奥でちょっと困ったように微笑んでいる。


「いやいやいやいやいやいやいやいや」


 三人は、右手をぱたぱたしながらベンチへと戻り、先ほどと同じフォーメーションで座った。つまり、定夫とトゲリンでベンチぎっちぎち、女子生徒とガリガリ八王子はスッカスカだ。


「どっどっ、どのように呼ばれているかは別として、せせっ拙者たちがっ、そのその三人であることは、事実としては相違ないようではあるが」


 トゲリンが代表して返答。つっかえつっかえであるが。


「でもなあ、有名な三人、とかいわれてもな。ぼくたち、ただアニメの話をしているだけなのにね」

「だよなあ」


 ぼそぼそぼやく八王子と定夫。


 それを聞いた女子生徒は、ニコリ微笑みながら、


「他の人たちがどう思っているかは知りませんけど、その、アニメの話をしているというのが、いいなーって思ってたんですよねえ、あたし。……羨ましいなあって」


 定夫の胸に、ズンだかガガーンだか、衝撃の旋律が走った。要するに、驚いたのである。


 アニメを嫌悪していないということに。

 自分達にそうした嫌悪の感情を向けないどころか、どちらかといえば好意的であるということに。


 だが、驚くのはまだ早かった。

 ズンでもガガーンでも表し足りない衝撃的な言葉を、女子生徒は続けたのである。


「あと、アニメを自分たちで作っているなんて、凄いなあって」


 と。

 眼鏡の奥の彼女の瞳、本当に心から凄いなあっと思っているような純粋な眼差しであった。


「よ、よ、よ、よく、そそっく創作っ、してしているなどるどっ」


 驚きの表情で、座ったままぐいっと身を乗り出そうとする定夫であるが、腹の脂肪が引っ掛かって乗り出せず、諦めて立ち上がった。

 じろ、と額から脂肪の汗が滲み出て、袖で拭った。


「ああ、あたしの知識にない人名が出ていたから、じゃあ、ひょっとして、作っているのかなあ、っと」


 えへへ、と女子生徒は笑い、頭をかいた。


 彼女のその言葉に、トゲリンと八王子は素早く立ち上がり、既に立っていた定夫とともに、ベンチから飛び退いた。

 何故だか知らないが横っ飛びで、たんっ、たんっ、たんっ、と。


 三人は、顔を突きつけあって、こそこそひそひそ。


「知識にないから、即、創作系」

「事実としては、まことその通りではあるが」

「アニメ知識に相当な自信がある、ということだよね。実際あるかは別として、自信は凄い」

「すなわち、アニメ好きだということか」

「すなわち、同じ……畑」

「すなわち、拙者どもを壊滅させる部隊の先陣、鉄砲玉、ではない、ということでござるのか」


 トゲリンのこの言動、やはり彼も定夫とまったく同じ思考であったようである。まあそうでもなければ、あんなに必死の形相で逃げるはずもないが。


 ちら、と三人は、女子生徒の顔を見た。

 殺される恐怖もなくなり、アニメ好きであることも分かると、なんだか、急に彼女に対して親近感がわいてきた。


 同時に、何分か前まで阿鼻叫喚の雄叫びを張り上げて、大号泣しながら地面を這いつくばり命乞いしていたことが、たまらなく恥ずかしい気持ちになる定夫であった。


 おそらくは、トゲリンも同じような気持ちだったのであろう。

 ごまかすように、大きなネチョネチョ声を彼女へと張り上げた。


じようっ、し、しからば問おうっ!」


 と、女子生徒へ、おずおずと踏み出す。まだ、と踏み出す勇気はないようである。様々な意味において。


「はい」


 女子生徒が、微笑したまま小首を傾げた。


「『ほのよいサクラ』の、劇場版の監督は?」

たかヤッ太さん」


 女子生徒、即答であった。

 トゲリンは、定夫と八王子のいる位置へと戻ると、また三人で顔を寄せ合ってひそひそ。


「まさか即答されるとはな」

「い、いや、ま、まだ、安心は出来ないでござる」


 トゲリンは顔を上げ、またおずおずと、何故か内股で女子生徒へ踏み出して、


ななもりななの所属事務所は?」

「ハイテンション」


 またもや即答に、一瞬たじろぐトゲリンであったが、気を取り直し、ニチョニチョ声で大昔の野球ラブコメの物まね。


「も、もうっ、動かないんだぜえ」

「第26話」


 問題の意味を先読みしたようで、またもや即答であった。


 ぐ、と一歩引くトゲリンであったが、強気になって一歩(内股で)踏み出し、


じようおりやまざきやまねが共演しているアニメは、あるか、ないか?」

「ある。OVAの『ゲートボーイ』と、『なつきトワイラル』の予約特別特典パイロット版。ゲーム内のアニメシーンでもいいなら、『モナクシティ3』に、山崎やまねがむねみせいや名義で出演している」

「か、完璧だっ!」


 トゲリンは、がくり膝をつき、手をつき、四つん這いになった。


「そして、完敗でござる……」


 と、打ちひしがられているトゲリンの前に、八王子が立った。

 き、っと女子を睨み付ける。


「じゃあ、じゃあ、次はぼくの攻撃だ! 人気がなくてすぐ絶版……」

「『ずうっとクズクイズ』」

「なんで分かったあ!」

「分かりますよお。作品を読んだことある人は、ほとんどいないでしょうけど、不人気ぶりが騒がれたじゃないですかあ」


 クイズをテーマにしたライトノベルで、八王子の問題通り、すぐ絶版になっている。

 人気作家であるむらかみさいの、黒歴史的な作品だ。


「くそお。なら次だ。『魔王少女ララ』で、一回だけ…」

「レインボーカスタネット」

「なはんで分かったぬあああ!」


 レインボーカスタネット、ララのパワーアップアイテムの一つだ。あまりの人気のなさに、一回しか劇中に登場することはなかった。


「ぼくの負けだあ。畜生! 畜生!」


 八王子は、トゲリンの横で四つん這いになると、地面を殴り、そして、まるで甲子園の土のようにガリガリと引っかき始めた。


 一人残り、女子生徒と相対している定夫。


 残るはおれだけ、か。

 戦わねばならぬ宿命ならば、戦おう。

 受け入れねばならぬ運命ならば、受け入れよう。

 幻魔に、おれは勝つ!


 ごくりとつばを飲むと、サイオニクス戦士レンドルは毅然と顔を上げ口を開いた。

 ハルマゲドンを阻止するために。


「こ、こっこっこっこっこここここ、これならっ、分かるまるまいっ! 受けてみろ! 『アニモン』の、クーリキと、ガイオウと、ホッカ…」

ぶしようさん」

「…の、誕生日と血液型は」

「八月八日。オフィシャルプロフィールにはA型と書かれているけど、検査したらB型だったと、『今夜もアニメオウ』第247回で話していた」

「お、お、同じ畑だっ!」


 定夫は驚愕に目を見開き、叫んでいた。

 自分たち側だ。彼女は自分たち側の存在だ、と。


 まさか、本当に実在していたなんて。

 この滅びゆく世界に、生存者は自分たち三人だけだと思っていたのに。

 滅びの世界というかなんというか都立武蔵野中央高校で。


 しかし、なんたる知識量か。

 特に、声優のことに関しては、かなり詳しいようだ。


「ル、ル、ルプフェルをっ、とりごしまなみの声でえ」


 定夫は、ちょっと無茶振りしてみた。


「なーんでなーんで、なーんでこうなるーー。あたしの天才頭脳の勝利の方程式があああ」

「めかまじょの追加戦士、みやもとなえの変身の声」

「ほな今日ものっりのりで、行っくでーーーーっ! ワンツースリーフォー」


 本当に、物凄い知識量であった。

 まあ細かいこと細かいこと。いわれて気付くような、細部までが完璧だ。


 負けた……


「完敗じゃああああい!」


 定夫はゴツイ声を作って叫ぶと、トゲリンと八王子の間に肥満した肉体を割り込ませて、目の幅の涙を流しながら自らも甲子園の土を掘り始めた。


 ざくざくざくざくやっている三人を見ながら、女子生徒が苦笑し、後ろ頭をかいている。


「あのお、完敗、とかなんとか、意味が分からないんですがあ」


 分からずともよい。

 負けは、負けだ。

 老兵は潔く散ろう。

 しかし本当に凄いな、この女子。

 特に、声関連。

 知識だけじゃない。

 演技力も素晴らしい。

 無理して喉で声を作ることなしに、キャラを演じ分けている。特徴の把握がしっかり出来ているということなのだろう。

 ああ、そういえば……

 先ほど、廊下で声を掛けられた時、

 そ、そうだっ……


 定夫は立ち上がり、不細工な顔を女子生徒の方へと向けた。

 乾燥して粘っこくなっている口を開いた。


「こ、こここ、こっこっこっこっ、ここ声っ、ややや、ゆゆゆ、やらやる、とかとか、とかとかっ」


 女子と話すこと意識しすぎるあまり、またしどろもどろに戻ってしまう悲しい山田レンドル定夫であった。


 きょとんとしていた女子生徒であったが、やがて、柔らかな微笑を浮かべると、自分の胸にゆっくりと右手を当てた。


「あたし、声優志望なんです。あなたたちが以前に廊下で話していたことが気になって、ネットで検索したりして、たぶんこのアニメを作っている人たちなんだろうなーって思ってました。さっき、後ろで会話を聞いていて、声優を探しているとか。きっと、そのアニメのことなんだろうな、って。興味あることだったものだから、あたしつい無意識に叫んじゃったんです。……すごく恥ずかしかったですけど」


 そういうと、にんまりと笑みを浮かべた。


「やっといえたあ」


 と、すっきり笑顔、


 の女子生徒へと、定夫はずいずいっと威勢よく迫っていた。

 迫ったはいいが、女子を前にすっかり強張った顔。

 なんとか口を開き、声を発した。


「ど、どんどど、ど、じじじらせさく、あににににめっ、かわかかかい、こえこここえこえ、るりるまま、こりっ、こりっ」


 山田帝国の使用言語であるレンドル語を日本語に翻訳すると、「どうして自主制作アニメであると見抜いたのかは分かった。確かに我々は声をどうするか困っている。こりっ、こりっ」ということだ。なお最後の部分は翻訳不可のため原文ママである。


「さっきの演技、とても上手だったし、やってくれる?」


 八王子は、定夫のレンドル語を通訳することなく、定夫の言葉を続けた。


「面白そうですね。それに、自分の将来の夢にも繋がりそうで、ご迷惑でなければ是非とも参加したいです。……あ、改めて自己紹介します。あたし、さわはなあつといいます。一年生です」


 そういえば先ほど、アツコとか名乗っていた気がする。何故か英語で。


「ええと……」


 女子生徒、沢花敦子が頭に手を当てながら、三人を見る。


 視線が合った瞬間、定夫はびくり飛び上がるくらい大きく肩を震わせた。


 ま、まずは、自分が自己紹介せねばならないのだろう。目が合った手前。

 でも、なんていえばいいんだ。

 名前だけ、いっておけばいいか。とりあえず。

 よしっ。


 意を決し、お腹に手を当て一呼吸、二呼吸、

 口を開いた。


「お、お、おりっ、おりおれっ、おられはっ、ややや山田っ、ミラノフ、じぇなくてっ、れれんレンドルっ、さっさっ、さっ、ばっ、おっ!」


 緊張のあまり、つい昨年までのミドルネームを名乗ってしまう定夫であった。

 どのみち、つっかえるわ間違えるわまともに聞き取れていないだろうが。


 続いて、


「せっ、せっ、拙者はっ、梨峠っ、その名っ、健太郎。あっ、トゲリンと呼ばれているでごぅざあるぅーっ!」


 定夫よりは遥か格段にマシだが、やはり相当に緊張してしまっているトゲリン。

 途中から腰落とし首振って手のひら突き出しカブきまくっているのは、その緊張のためなのかどうなのか。


「ぼ、ぼくは、土呂由紀彦。みんなから八王子って呼ばれている。出身地なんで。ぼくたちみんな二年生。よろしく」

「なに普通に喋ってんだあ。気取るなあ!」


 女子に対して順応してきているのかすらすら喋る八王子に、定夫はなんだか悔しい気持ちになって、思わず掴みかかっていた。


 がっぷり四つ。

 体格差は熊と子犬。

 しかしお互い異様な非力で押し押され。


「別に気取ってないよ!」

「さっきまで砂の海を、助けてーって泣きながら泳いでいたくせに!」

「レンドルの方が酷かったろ!」

「むまーーっ!」


 ぎゅいーと力を入れる定夫。


 などと不毛極まりない争いをしている彼らの頭上に、キンコンカンコンとチャイムの音が鳴り注いだ。

 四時限目の終了を告げるチャイムに、さあっ、と四人の顔は青ざめるのだった。

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