第06話 あたしやります!

 山田定夫、トゲリン、八王子の三人は、北校舎一階の廊下を歩いている。

 先ほどまで英語の授業を行なっていた視聴覚室から、南校舎にある自分たちの教室へと戻るところだ。


「……だよなあ。メグの声は、どうにもしっくりこなかったからなあ」


 いついかなる時であろうとも、彼らが口にするのは、やはりアニメや漫画の話。


 しかしいま、彼らの表情は実に真面目であった。

 なんとなくのほんわか雑談ではなく、職人のような真剣な表情であった。


「もうさあ、決めちゃおうか。メグは使わない、人を探す方向で行くってまず決定しちゃおうか。ここで悩んでちゃ、進まない」


 なんの話かというと、自主制作アニメの話である。

 声をどうするかで制作が行き詰まっており、ついはぐらかすように一般アニメの話などをして盛り上がってしまうのだが、避けて通れない問題であるという認識は持っており、やがてこのように戻ってくる。


 だが考えても論じてもまとまることなく、やがて現実逃避。

 つまり一般アニメやゲームの話などを始める。


 と、このところの彼らの言動パターンは、すっかりぐるぐる回ってしまっていた。

 だからこそ八王子は、その状態から抜け出すべく即決を促したのであろう。


「拙者たちも、そう決めたいところであるが。……いや、人に演じてもらう、ということに関しては賛成なので、決定にはなんら問題ないのでござるが。ただ、そうなると必然ぶつかる壁が……」

「どういう人に、どう依頼をするか、とどのつまり、そこなんだよな」


 と、定夫が言葉を続けた。

 要するに、愛のない作品にしたくないのだ。


「女性声優の必要なキャラって、名のあるところだと、ほのか、香織、かるん、ないき、らせん、だよね」

「改めて列挙してみると、かなりバラエティに富んでいるでござるなあ」

「そうなんだよね。でもだからって、何人もの人に頼むなんて、現実的に無理だよね。そうなると必然的に……」

「演じ分けの出来る器用な一人に、依頼するしかない」

「器用で、なおかつ情熱のある人だな。それぞれのキャラに、しっかり魂を込めてくれる。ここ、絶対に譲れない」

「そうでござるな。我々の演技の酷さを棚にあげて、なんでござるが」

「プロでなくとも、卵でもいいから、そんな女性声優が、どこかにいないものかな。この世界、いや、出来ればこの学校にいたりなんかして、引き受けてくれたりしないかな」


 願望を語る定夫。ここの女子生徒はみな自分たちに石を投げてくると思っているくせに。

 まあ、だからこその願望である。

 だが……

 あり得ぬ夢を語ったことが、天へと届き神の奇跡を呼んだのか、




「はい、あたしやります!」




 彼らは、神の声を聞いたのである。

 天から雲間からではなく、すぐ背後から投げ掛けられた声に、定夫たちは、三人まったく同じタイミングでびっくん肩をすくませると、そろーーっと恐る恐る振り向いた。


 すぐそばに立っていたのは、一人の女子生徒であった。

 やや小柄な、痩せているとも太っているともいえない体型で、あどけないまん丸顔に黒縁眼鏡、おさげ髪で、ニキビとソバカスがちょっと目立つが、これといった特徴という特徴のない、すぐ記憶に溶けて忘れてしまいそうな、地味な外見の、女子生徒であった。


 視線が合ったその瞬間、定夫は硬直していた。

 まるで、蛇に睨まれたカエルのように。


 これまでの人生で経験のない理解不能な状況に、すっかり混乱してしまっていたのである。

 罵倒や嫌悪の言葉以外に、女子生徒が自分に声を掛けてくることなど、想像したこともなく、実際これまでただの一度たりともなかったから。


 心臓が、どっどっ、どっどっ、と激しい鼓動を刻んでいた。


 ごくり、

 と、つばを飲んだ。


 対する女子生徒の側も、なんだかはにかんだように顔を赤らめている。

 仁王立ちのようにちょっと足を広げて立っているのも、どっしり構えているというよりは、そうしないと倒れてしまうのを踏ん張っているように見える。


「あ、あ……」


 女子生徒の口から声が漏れる。

 つい声を掛けてしまったものの、言葉続かないといった感じであろうか。


 お互い、何故だかはあはあ息を切らせながら、しばしの間、見つめ合っていた。

 沈黙の作り出す異様なムードに耐えられなくなったか、女子生徒は右手をゆっくり動かし、自分の胸にそっと手のひらを当てた。


「マ、マイネームイズ、あつこ」


 なぜ英語なのかは分からないが、とにかく彼女はそう名乗ると、強張った笑みを顔に浮かべた。


「う……う」


 後ずさる定夫たち。

 と、突然くるり踵を返した。


「うわあ!」


 三人は同時に悲鳴を上げると、どどんと背中を押されたかのように全速力で逃げ出したのである。

 いまにも泣き出しそうな、それは情けなくみっともない、恐怖の形相で。

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