第04話 闇の向こうの光を信じて

 定夫の部屋は、普段と様子が違っていた。

 あ、いや、オタ臭プンプンという意味では、まこと普段通りであるが。


 では、なにが違うのか。

 窓枠に、べたべたと目張りをしてあるのだ。


 音漏れ防止のために、隙間という隙間を埋めているのである。

 厚手のビニールテープを何重にも貼って、その上に防音性能を持つシートを貼り、さらにテープを貼っているという徹底ぶりだ。

 三人みんなでゴーゴーやパラパラなどを踊った日には、三十分と経たずに残らず窒息死してしまいそうなくらいに、びっちり隙間なく。


 なんのためか。

 防音のためであるが、どうして防音が必要なのか。

 それはアニメの吹き替えにあたり、近所迷惑防止と、情報漏洩阻止を狙ってのものである。


 窓枠だけではなく部屋のドアにも毛布を置くなどの防音対策がされているが、これは単に山田一家に聞かれてしまうことの恥ずかしさ防止のためである。


 六畳間、そこから学習机とベッドの面積を除いた三畳分ほどの中央には、ダンボール箱が胸の高さほどに積まれており、その上にマイクが置かれている。

 音声収録のために、三人でお金を出し合い購入したマイクだ。本体からUSBケーブルが伸びており、パソコンに繋がっている。


 価格は、九千円。

 割り勘とはいえ、アルバイトもしていない高校生には高級過ぎるマイクだ。プロの現場用途ならば、安物過ぎる低ランク品なのだろうが。



「だからひと、ひとりにてこずってい……」

「だまれー、ちゃくちゃくとこちらにゆうりなじょう、きょうはととのいつつあるのだー。ビ、ベ、ヴェルフ、ヴェルフはいるか」

「はっ」



 彼らは今、男性キャラだけのシーンの、吹き替えに挑んでいた。

 練習と、録音環境シミュレートを兼ねてのものであり、本番ではない。


 しかし、もしも偶然であれよい音声が録音出来たならば、その音声をそのまま採用するつもりでいる。


 自分たちはどう考えても下手くそであり、何十回も、何百回も、納得いく演技が出来るまでチャレンジするつもりであり、納得いく演技などおそらくそうそうは出来ないだろうからだ。


 つまり、そういう意味において既に収録本番は始まっているのである。

 始まってはいるが、しかし、くどいようだが三人とも演技力はさっぱりであった。


 くどくもなる。


 酷い。

 あまりにも酷い演技であった。


 録音を聞いてみるまでもない。

 収録している最中に、自分のあまりの棒読みに、もうどうしようもなくもどかしく情けない気持ちになってくる定夫であった。


 定夫は、耳が肥えているということには自信がある。

 だてに長年アニメオタクをやっていない。

 だてに声優の演技や声質にこだわりを持っていない。

 利き酒ならぬ、利き声も得意中の得意だ。

 たまにナンバとミツヤの声がどっちか分からなくなるが、女性声優なら取り違えたことは一度もない。

 カナイとコーロギの聴き比べも楽勝だ。


 などとそんな、最近のライトなアニメファンが知るはずもない声優のことなどはどうでもよくて、なにがいいたいのかというと、耳は間違いなく肥えているのだから「自分たちのなにが悪いのか、どう悪いのか」、は誰にいわれるまでもなく分かっており、分かっているのにそれをまったく改善に生かせない、そんな自分が情けなくなってくる、ということなのである。


 とにかく、トライアンドエラーを繰り返し、少しずつ経験を積んでいくしかないのだろう。

 プロ声優を目指すつもりなどはないが、「たまたままぐれの名演技」が生じる可能性を少しでも高めるためにも。

 しかし……


「はー」


 定夫はふと虚しい気持ちになり、ため息を吐いていた。

 まことどうでもいい話かも知れないが、ため息を吐くに至ったプロセス、その心の機微についてとりあえず説明すると、


 まず、アニメの主人公は女の子であり、その友達も当然ながら女の子であるということ。

 ジャンルとしてはバトルものだが、脚本的に力を入れているのは主人公と友達との掛け合いであるということ。


 つまり、

 自分たち担当分の音声は、要するに枝葉の部分、切り捨てても惜しくない部分、ということ。


 名のあるキャラとはいえ、視聴者にとってはキャラAキャラBキャラCといっても過言でない、そんな声を延々ひたすら練習していることに、不意に虚しさが込み上げてしまったのだ。


 主人公との掛け合いならば、俄然やる気が出ようというものだが、如何せん女の子の声をどうするかはまだなにも決まっていない。

 という理由あってのため息だったのであるが、


「お」


 定夫は、突然なにかピンときたような表情になって、手を叩いた。


「そうだよ、八王子が作ってた音声あるじゃんか。あれ、当て込んで、やってみようぜ」


 名案なりーっ、という顔で提案をした。


 そう、女子キャラの音声データは、あるにはあるのだ。

 八王子が、唄美メグを使って実験的に作ってみたデータが。


「全然作り込んでない音声だけど。遊びで、ちょっとやってみようか?」

「や、や、やってみよう!」


 初の、女子との掛け合いシーンの収録に、定夫は俄然やる気になっていた。


 収録の段取りは、次の通りである。

 まず八王子が、アニメ動画に女子声データを配置する。

 それをカラオケでいうオケのようなものとして、合間合間に自分たちのおとこごえを吹き込んでいくのだ。


 ついに、ついに、女子と、話せる。

 と脳内仮想現実を妄想して心わくわく踊らせながら、収録に挑む定夫であったが、


 しかし……

 終えてみると、

 声を入れたアニメをいざ再生してみると、

 それはとても視聴に耐えられるレベルに程遠い、実に最低最悪な代物に他ならなかった。作品と呼ぶのもおこがましいほどの。


 すぐ気付く大きな理由としては二つ。


 一つには、合成音声の質。

 まだ作り込まれていないせいもあるが、とにかく女の子の声が無味乾燥抑揚皆無。

 文字にするならすべてカタカナ、といった喋り方だ。


 もう一つは、定夫たちの声。

 滑舌悪く、また、合成音声以上に棒読みの酷い演技。

 この掛け合い部分の吹き替えが本日初めて、ということ考慮に入れても擁護出来ないレベルだ。


 今後のためにテンションを高めようと思っただけなのに、逆にドン底のドン底にまで落ち込んでしまう定夫なのであった。


 おれには、声すらもないのか、と。


「まさかここまで酷いものになるとは。……ヘタウマ絵のアニメとかならば、おれたちみたいな声でも、味があると思わせることが出来るんだろうけどなあ」


 深夜アニメ、五分アニメ、などでよく使われる手法だ。

 作り手がまるでアニメを愛していないから出来る最低愚劣の行為と思うが、妙な味わいがあると褒めてしまう一般人が多いのも事実ではある。


 だからといって、いま作っているアニメをヘタウマ絵に作り直すわけにもいかないし、そんなつもりも毛頭ないが。


「メグの質については、ごめん、まだあまりいじってないから。だって使うかも分からないし。……ぼくたちの声に関しては、少しずつよくなっている実感はあるんだけどね。でも、他人が聞いたら酷い演技なのかなあ。とりあえず、メグちょっといじってみようかな」

「いや。八王子殿が本気でチューンすれば、メグ殿はもっと美声を輝かせてくれるとは思う。だがしかし、やはり女性キャラは肉声にこだわった方がいいと思うのでござる。生身本物というだけでなく、しっかりした演技力を持った人で」

「そうね。じゃあ、歌の時みたくさ、誰かにやってもらうってことで決定しちゃおうか?」

「実質その二択しかないんだけど、でも、それもなんかなあ……」


 定夫は、なんとも複雑そうな感情を顔に浮かべた。


「レンドル殿の心の葛藤、拙者には理解出来るでござる。外注ならば、ああ確かに上手ではあろう。しかしキャラへの思い入れがない。つまり、魂がこもっていない」

「そういうこと。歌を頼んだ時は、歌の歌詞に対しての魂はこめてくれたと思うけど、アニメのキャラに対してとなってくると、感情の入れ方はまた別だからな。ささっと器用に演じてはくれるかも知れないけど、おれたちと思いを共有してくれることは絶対にないわけで」


 むー。と、また渋い顔を作る定夫。

 腕を組んだ。


 なんだかんだと、アニメ制作はここまできたのだ。

 作画はほぼ終わって、後は音を入れるだけ。

 つまり、残るはダルマの目に黒を入れるだけ。

 いや、龍の目に一筆を入れるだけ。

 それだけで、龍は雲間を突き抜けて、無限に広がる青空へと飛び立つのだ。


 ここまで、きたのだ。

 ここまできて、いまさらアニメ制作をやめるつもりなどは毛頭ない。


 やめられない。

 絶対に、続ける。

 絶対に、完成させる。


 と、胸に宿る決心に濁りは微塵もなかったが、ただ、あまりのままならなさに途方に暮れてしまっているというのも現在の間違いない感情であった。


 どうすればよいのだろうか。

 どうすれば、この現状を打破することが出来るのだろうか。


 自然にヒントが浮かぶまでしばし休憩を、というわけにはいかない。そのままになってしまい、魂に埃がかぶってしまう。


 常に進み続けないといけない。

 考え続けないといけない。


 しかし……

 ぐるぐる回る思考。


 この、なんとも惨めな気持ち。それを作ったきっかけは、自分たちの演技の下手くそさにある。

 そこから、女性声優を使いさえすればいいのだろうかという自分たちのモチベーションの話になっていっただけで、気持ちの根本は演技の酷さ。


 千回もリテイクすればいくらだっていい演技の声など出せるだろう、

 などと、なんと声優をあまく見ていたことか。


 ガッデム畜生、と自分のバカさ加減に文句をいわずにいられない。


 だが、まだ彼らは知らなかった。

 女神は、すぐそばにいたのである。

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