第03話 フェチとの遭遇

 さわはなあつは通学カバンを手にぶらさげ、ごみごみした喧騒の中を、友達と雑談しながら歩いている。

 雑談といっても、敦子はもっぱら聞き役相槌役だが。


 ここは都立武蔵野中央高等学校。彼女の通っている学校だ。


 はしもとどうおおしまえい

 と、沢花敦子。

 もう学校も終わり、夕刻、仲良し四人組は、前後二人ずつの陣形で下校のため昇降口へと向かっているところである。


「そん中でもさあ、さすが新商品だけあってサワーチョップマロンコロネが、最高に美味しかったあ!」

「へええ。名前から味の想像がつくような、つかないようなだけど。そんな美味しいってんなら、あたしもハナキヤに行ってみようかなあ」

「ふふん。もうすっかり話題になっちゃってるからねー、最っ低でも一時間待ちは覚悟した方がいいよ、君い」

「うええ。なんだよお、留美もそんとき誘ってくれてればよかったのにいい」

「んなこといわれても。なんにも知らなくて、たまたまだったんだもん。やっぱ日頃の行いかにゃあ」

「にゃあじゃないよ。だいたい日頃の行いで運不運か決まるんなら、あんたとっくに車にひかれて死んでるでしょ! まあハナキヤは高いから、どのみちバイト代が入るまでは無理だけどさ。だから今日はあ、どうしようかなあ。敦子はさ、なんかリクエストある? 敦子っ」


 橋本香奈は、敦子の脇腹を肘で軽くつついた。


「どこでもいいよ、あたしは」


 敦子は、特に考えることなく即答した。


「主張しないんだからなあ」

「だって、そういうとこってよく知らないし」


 世間全般お店全般、どこが美味しいとか、どこの服がおしゃれとか。

 素っ気ないのは、それだけが原因ではない。そもそも、ごくごく普通の女子の会話自体が苦手なのである。

 じゃあどんな会話ならば得意なんだ、といわれると頭をかいてごまかすしかないのだが。


 好きなのはアニメや漫画だが、会話するには当然のこと相手が必要なわけであり、敦子は一度も熱く語ったことがない。

 アニメ好きであることを隠してはいないものの、話題が合う友達がいないためだ。

 ごくごくたまに話題を振られて答えることがある、とまあそんな程度だ。


「イシューズだ!」


 橋本香奈が、突然びくり肩を震わせたかと思うと、小さな声でこそっと叫んだ。


「うわ、ほんとだ」


 大島栄子の顔が、楽しい会話による笑顔から急転直下、不快指数百へ。


 え、なに、イシューズって?


 と、敦子がきょとんきょろきょろしていると、前方から、三人の男子生徒が肩を並べて近寄ってきた。


 あれだろうか、ひょっとして。


 三人のうち、二人はオカッパ頭で、黒縁眼鏡で、大きく仕立てた制服がそれでもはち切れてブチブチとボタンが飛びそうなくらいぶくぶく太っている。

 残る一人は反対に、二人にすべて吸い取られているのではというくらいガリガリだ。


 彼らが近づいてくるにつれて、話し声がはっきりと聞こえてきた。


「…確かに、レンドル殿の意見、いいえて妙ではあるが、しかしあそこはメニーロウを助けずに、むしろ売り飛ばすくらいのキャラ立てを発揮して欲しかったのでござるよ、拙者は」


 肥満オカッパ黒縁眼鏡の一人が、ネチョネチョ甲高い声を張り上げた。


「いやいや、世の中の暖かさに段々と変わってきたってだけだろう。種族にかかったキュルキュレムの呪いなんて嘘だって、段々と気付いてきた、ってことなんだよ」


 肥満オカッパ黒縁眼鏡のもう一人。


「いや、であればこそ、まずはそんな己への葛藤というか混乱がなければならない。論理破綻とか、そういった類のものではないにせよ、柴崎監督の作品としては、やはり整合性がとれてないとしかいいようがないでござる」

「整合性、というよりは、演出上の問題か。作品を見る人への、アラとか、辻褄だな。そのちょっとしたところによって、視聴する者への納得を与えることに失敗してしまっている。そういう意味においては、作り手の独りよがり感は否めない、か」


 アニメ作品っぽい話題について、小難しそうな日本語をわざわざ選びながら論議している。


 彼らと、敦子たちとが、すれ違う。

 敦子は教室側へと避けながら、すれ違い様に、眼鏡の奥で横目をちらり彼らへと向けた。


 ぽい、ではなく完全にアニメの話だよなあ、これは。メニーロウ、しばさきへん監督、とくれば「たそがれのインフィニティー」しかない。

 ライトノベル原作で、現在深夜放映中のアニメ。わたしも録画して見てる。

 ストーリーは面白くないし残酷すぎて大嫌いだけど、好きな声優が何人か出ているから。


「ああ、そうそう、トゲリン、絵のことなんだけどさあ」


 一見まともそうな外見の(オカッパ二人に比べて相対的に)、ガリガリ男子。


「絵とは、すなわち仮称ほのかちゃんのことでござるかな?」

「うん。仮称ほのかちゃん、の髪型のことなんだけど、ぼくちょっと考えたんだけど、あれもう少し寝ぐせっぽくさあ……」


 歩を踏むたび、彼らの声が遠く小さくなっていく。

 須藤留美は足を止め、ため息を吐きつつ背後を振り返った。

 続いて、大島栄子、橋本香奈も。

 みんながそうするものだから、最後に敦子も、よく分かっていなかったが彼女たちの真似をしてため息を吐きつつ振り返った。


 去り行く男子三人の背中を見つめる彼女たちには一様に(敦子除く)、嫌悪、侮蔑、嘲りといった感情が満面に浮かんでいた。


「ああやだやだやだあ! イシューズとすれ違っちゃったよお!」

「フミ先輩から聞いてたけど、ほんっとに、ござるとかいってたあ! やだあ!」

「この前なんかさあ、ニンニンとかいってたよお。いいえて妙だね、とか、確かそん時もいってたあ」

「うぎゃ、キモすぎいいい! 会話で普通使わないよ、そんな言葉」

「アニオタは身不相応に学校なんかこないで、おとなしく家に引きこもってパソコンカタカタ叩いてろ!」

「制服、消毒しなきゃ消毒! ぜーったいに空気感染したあ! オタ菌がっ、オタ菌が、繊維の中にまでえ! それは、いいえて妙でござるなっニンニンッ」

「やーっ。菌を感染さないでえ!。絶対に咳しちゃダメ!」

「あーあ、あとは下校するだけだったのに、最後の最後で最低最悪な日になったあ」

「ほんとほんと。あたし今日の占いは総合運最高のはずだったのに、インチキ占いだったあ!」


 行きかう他の生徒たちの人目がなければ、唾を床に吐き捨てていたのではないか、というくらいの勢いで、三人の女子たちは口々に罵りの言葉を吐き出しまくっていた。


 敦子は、そんな彼女らの会話をまったく聞いていなかった。まったく、耳に届いていなかった。

 最初に感じた疑問が、頭の中をぐるぐる回って、それどころではなかったのだ。

 でも、いくら考えても疑問の答えが出ることはなく、やがて、ぼそり口を開き、尋ねた。


「なあに、そのイシューズって?」

「いますれ違った、チンドン屋みたいな二年生だよ。学校で有名な、キモオタ三人組。敦子、ひょっとして初めて見た? もう九月なのに見たことなかったの?」

「うん。初めて。でも、どうしてそんなふうに呼ばれているの?」

「言葉から想像つかない? 超をいくら付けても足りないくらいのアニメオタクで、だからプンプン異臭を放っているからだよ。すれ違った時、凄かったでしょ? もあむああん、って」

「特には、感じなかったかなあ」


 小難しい顔になって、ちょっと前の記憶を探ろうとする敦子。

 そんな、真面目に受け答えしようとする彼女の肩を、橋本香奈はがっしと掴んだ。


「それ敦子の鼻がおかしい! だってお風呂に入る暇があればひたすらアニメ観ているんだから、クサいに決まってるでしょ? アニメ観てない時はパソコンでエロゲームやってんだから。で、お風呂も入ってないんだから」

「仮に毎日お風呂に入ってしっかり洗っていたとしてもさ、でもアニメオタクなんだから、なんか精神的悪臭ってものがあるじゃない?」

「そうそうっ、精神的悪臭。留美、うまいこといった!」


 ボロクソである。


「敦子もアニメ好きはいいけど、ああまで堕ちちゃあダメだからね。お風呂に入っているのにプンプン漂いはじめたら、生き物としておしまいだからね」

「はあ……」


 それは加齢臭ならぬ、なに臭というのだろうか。

 まあいいや。

 におい始めたら考えよう。

 しかしさっきの二年生たち、楽しそうにアニメの話をしていたなあ。

 羨ましいな。

 わたしなんか、人生で一度もないもんな。あんな熱く、楽しそうにアニメを語るなんて。語る相手がいなかったし。


 ああ、そういえば、なんか聞いたこともないキャラの話をしていたけど、あれもアニメなのかな。

 なんだっけ、

 カショーほのかちゃん、とかなんとかいってた気がする。


 わたしが聞いたこともない作品だなんて。ここ数年のアニメの主要キャラなら、絶対にピンとくる自信あるのに。

 つまりは、主要キャラじゃない、ということなのかな。あらすじに名前が出るような、主要な。


 単なる女子高生BやCなのに、あまりに萌えてしまったので、勝手に名前を付けていたり、とか。

 それとももしかして、自主制作アニメだったりして。


 と、先ほどのアニオタ三人組にちょっと興味を持つ敦子であった。

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