第05話 あたしにお兄ちゃんはいません。豚ならいます

  かんかんかん、と足音が響いている。


 江戸時代の侍、といった風体の男が、小さな少女の手を引いて荒廃したビル街を走っている。


 二人を、目に狂気を宿した群衆が武器を手に手に追いかけている。


 「ポータブルドレイク」。深夜枠で放映中のアニメだ。


 人間が次々ゾンビと化していく世の中が舞台。

 ポータブルドレイクという特殊細胞の覚醒によって自らのゾンビ化を食い止めることが出来た男が、いずれゾンビ化していくであろう人類からの逃亡の果てに、世界の破滅と、その先にある微かな希望を知る物語だ。


 やまさだは、居間のソファに肥満した肉体を沈めて、54型プラズマテレビでそのアニメを見ているところである。


 現在は夕刻。十七時四十分。

 深夜アニメであるからして、当然録画しておいたものの再生だ。


 以前利用していたレコーダーは、前番組の放送時間延長などに対応出来ず、録画されていないことが実に多かったのだが、現在の機器はしっかり追尾してくれるため取り逃しがなくて快適である。

 ころころ放送時間の変わる扱いの低さに対しての不満は、また別であるが。


 テレビアニメはリアルタイムで見てこその醍醐味である、と唱える者がいる。定夫も概ね同意ではあるが、しかし深夜アニメに関してはあてはまらない、と思っている。

 草木も眠る時間帯よりも、人間の息吹満ちる時間に見る方が絶対にいい。


 どのみち数ヶ月後にビデオを販売する目的での放映であるため、リアルタイム視聴にこだわりが生じにくく、ことさらそう思ってしまう。


 さて、画面の中では、もしかしたらゾンビウィルスに感染したかも知れないというだけで首をはねられかけた少女の手を引いて、とりあえず逃げ延びた主人公が、ビルの屋上に立っている。

 見下ろすは、ウジオカンパニーの跡地である廃工場。


 実は工場は廃棄などされておらず、地下で稼働しており、そここそがポータブルドレイクという人工細胞を開発しているところ。という情報を聞きつけて、ゾンビと人間と双方から逃げつつ、ここまで辿り着いたのだ。


 と、いうところで話は次回へ。

 あと二話で、いよいよ最終回である。


 エンディングテーマのイントロが始まった。

 続いて流れるは、スタッフロールと、まつの力強くも悲しい歌声、そして合間に差し込まれるチェロの旋律。


 重厚な物語の余韻にどっぷりと浸からせてくれる、素晴らしいエンディングテーマだ。

 曲とシンクロした絵もまた素晴らしい。


 自分の部屋にある小さなテレビで誰への気兼ねもなく好きに観るのもいいが、リビングの大画面で味わうのもこれはこれで格別である。アニメの世界に入り込んだような気分になれる。


「わたしは輪廻を拒む。あなたとの一瞬が唯一だからあ♪ ハァァァ♪」


 感極まって、つい裏声を張り上げる定夫。


 の姿を、ドアの陰から妹のゆきが見つめていた。

 部屋の向こうから、

 顔を半分だけ覗かせて、

 じとーーっ、と、

 最大限の軽蔑を込めたような、いや間違いなく込めている眼差しで。


 気付いた定夫は一瞬びっくりしたような表情を浮かべたが、すぐ平静を取り繕って、ポテトチップスを一枚つまんで口に放り込んだ。

「気持ちわる」


 幸美は、表情変えずにぼそり呟いた。


「き気持ち悪くないッ!」


 定夫は、黒縁眼鏡のレンズを光らせて、ばつ悪そうに声を荒らげた。


「こんなのばっか観てて、ほんっと気持ち悪い」

「うるさいんだよ。観たらダメって日本国憲法で決まってんのかよ。第何条だよ。それともホッブズのリバイアサンにでも書いてあるのかよ。マルチンルターーッ!」


 小難しい言葉を無意味に並べ立てているうちに、ますますわけの分からないことを叫んでしまう定夫であったが、幸美の軽蔑しきった表情はぴくりとも揺らぐことなかった。


「アニメ観てばっかりで外に出ないから、いつまでもデブでオタクなんだよ」

「デデっデブとオタクを結びつけるのはややめろっ! そうさ、確かにおれはデブでありオタさ。そこを認めることにやぶさかではない。しかし、その因果関係の決め付けに、なにも根拠はないだろ。せめて論拠を示せえ!」


 ついには、ポータブルゲーム機用ゲーム「ほーてー」の主人公であるあるぞうの真似をして、指をぴっと突きつけながら「異議あるぞーっ!」と叫んだ。


「日本語喋れ、ぶあーか」


 幸美はぷいとそっぽを向いて、中学制服のスカートを翻すと、とんとんと階段を上っていった。


 居間にぽつんと立ち尽くす定夫。

 虚しい風が吹いた。

 ころんころんと、タンブル・ウィードが転がっていく。西部劇などで荒野を転がる、枯れ草の塊である。


「また、やってしまった……」


 後悔の念にかられたように、ぼそり呟いた。


 妹の幸美は、別に取り立ててかわいい顔ではない。

 兄の贔屓目で見ても、並である。松竹梅でいう、竹というよりは、梅の上であろうか。

 鼻がもう少しダンゴでなければ、多少はかわいいかも知れないが。ほんの多少は。

 もうちょっとだけ目が大きければ、多少はかわいいかも知れないが。ほんの多少は。

 ではあるものの、しかし、せっかくの妹なのである。

 いない者にとっては、実に羨ましいシチュエーションなのである。


 オタだデブだと猛烈に嫌われてはいるが、考えようによっては、いわゆるツンデレ《の、最近広く認知されてしまっている方の意味合い》のようであり、かわいらしいというものではないか。


 分かっている。

 ああ、分かってはいるのさ。


 素晴らしきシチュエーション。「妹が腐女子なわけがない」「これから妹と○○します」「モテない兄だなんて思われたくないだけなんだからねっ!」などの主人公に、勝るとも劣らぬ境遇に身を置いているということを。


 だがしかし。

 これが性というものか。

 先ほどのように、オタクを否定されると、ついついいつも激昂してしまう。


 いや、オタの否定はいい。

 デブとの関連性を、根拠なく決め付けてくるところが許せない。


 事実はどうか分からないが、全国的な統計が取れているようなものではないわけで、ならばそれは単なる先入観による決め付け、言いがかりというものではないか。理論的ではないというものではないか。


 と、感情的になってしまうのだ。

 せっかくおれには妹がいるのに、というラノベタイトルのような状況を、まるで生かすことが出来ないのが返す返す残念でならない。


「まあ、なにがどうであれ、どのみちモーレツに嫌われていることに変わりはないわけであるが」


 脂ぎったオカッパ頭をかきあげながら、フッ、と寂しげに笑った。


 ポータブルドレイクのエンディング及び次回予告が終わったので、テレビを消した。


 さて、仕切り直しである。

 先ほどの妹とのやりとりによって、せっかくのアニメ鑑賞の感動がパーになってしまったからだ。


 冷蔵庫からコーラを取り出し大きなコップになみなみ注ぐと、リビングを出て二階へ。


 山田家の二階には、部屋が二つある。

 一つは定夫、もう一つは妹である幸美の部屋だ。


 もちろん自分の部屋の方に入った定夫は、まずはコーラをぐびり一口。開栓したのが五日前なので、単なる黒い砂糖水になってしまっていたが気にしない。


 コップを机に置くと、一昨日購入したばかりのCDを、プレイヤーにセットする。

 先ほど見ていたアニメ、「ポータブルドレイク」のオープニング曲だ。


 ダウンロード配信などもある現代だが、定夫はあまり利用しない。

 どうにも味気がないし、CDならジャケットが手に入る、つまり本当に自分の物になった気がするから。


 机の引き出しには、用途と気分に合わせて使い分けるために何種類かのイヤホンが用意してある。

 ポータブルドレイク用に、と決めているオーバーヘッドのイヤホンを頭に装着、コードをプレイヤーに接続、そして再生。



  ♪♪♪♪♪♪


 ときめきめとめと すきすきすー じゅもじゅもまほうの じゅっもっっんっっっ


  ♪♪♪♪♪♪



 パクリと訴えられそうな歌詞の、ポップな曲が流れた。


「なんだこれ!」


 鼓膜をぬろーっと舐められるような不快さ不気味さに、絶叫しながら慌ててヘッドホンを外すと、肥満した身体をぶるぶるっと震わせた。

 曲をストップし、ディスクを取り出してラベルを確認する。


 「ときめきもじゅも / cw みんなの奇跡」


 知らねえ……

 いつの間にか、ケースの中身が入れ替えられていた。


「チクショウ、きっと八王子だ」


 あいつ、確かこのアニメ好きだからな。

 よりによって、おれが嫌いで一度も観たことのない、ときめきもじゅもの歌かよ。


 まあ、あいつも別に、布教活動や洗脳活動をしているわけではないのだろう。

 単なるズボラ。人のプレイヤーで勝手に聞いて、そのまま忘れていったということなのだろう。


「いずれにせよ、変なのを聞かされたよ。せっかく仕切り直しして、失ったテンションを取り戻そうと思っていたのに」


 ポータブルドレイクのオープニング曲は、おそらく八王子が間違って、ときめきもじゅものケースに入れて持って帰ってしまったのだろう。

 仕方なく、「はにゅかみっ!」のオープニングCDをセットすると、今度は耳かけ式のイヤホンに取り替え、レッツラ再生。



  ♪♪♪♪♪♪


 君の街に行ってもいいかな

 だって抑えきれないんだもん

 恋という名の風に乗って

 ときめきの妖精 ちょんと肩に乗せて


 どんな洋服着ていこうかな

 どんな道を歩こうかな

 今日はどれだけ近づけるかな

 わたしはどれだけハッピーかな……


  ♪♪♪♪♪♪



 「はにゅかみっ!」の主題歌、「パッションエブリデイ」である。

 昔のアイドルのような爽やかポップな曲だというのに、何故だかパンクやヘビメタを聞いているかのようなノリで、オカッパ頭をバサバサ揺らしていると、突然、ブーーッブーーッ、となにかが二回、振動した。

 机の上に置いてある携帯電話だ。


 首をくいっと持ち上げ、目にかかった前髪ポジションをもとに戻した定夫は、携帯を手に取り、パチンと開いた。

 トゲリンことなしとうげけんろうからのメールがきていた。



 八王子がスパーク完成させた

 見たら驚くでござるよ、ニンニン



 と、二行きりの文章であった。

 ついこの間まではこうじよの影響で軍人言葉であったのだが、最近なぜだかサムライ言葉に目覚め、それどころか忍者言葉も取り入れて、なんだかよく分からないトゲリンであった。どうでもいいことではあるが。


 さて、このメールであるが、これはつまり、以前からみんなで取り掛かっていた例のものが、ついに出来上がったということに他ならなかった。


 アニメのオープニングを作ろう、という話になり、みんなで背景設定を考え、定夫がコンテを切り、トゲリンがキャラをデザインし、絵を描いて、八王子がパソコンに取り込んで編集。その八王子の最終作業が、完了したのだ。



 いまみてみる



 とだけ打って返信すると、定夫はPCをスリープから復帰させて、三人で共有しているインターネット上のネットワークストレージを開いた。


 本日更新分の、動画データと思われる拡張子のファイルがある。これが例の、スパークから書き出したものだろう。


 インターネット上からの直接実行も可能であるが、念のため自分のPCへとコピーし、それを実行させた。


 画面一杯に動画プレイヤーが表示されたかと思うと、続いて映像が映り、音楽が流れ始めた。


 定夫が掲示板で嘆きを書き込んだことにより、提供を受けることになった楽曲、それに合わせて、トゲリンが描いたキャラ、赤毛の女の子が動いている。


 定夫がコンテを切って、指示をした通りに、

 総天然色の、背景の中を。


 迫力、

 というと語弊があるかも知れない。しかし、間違いなく定夫は圧倒されていた。


 28インチワイドの液晶モニター。アニメを見る用途としては、とりたてて大きなサイズではないが、それでも定夫は、その圧倒感からくる風圧に、オカッパの頭髪がバサバサとなびくような思いを感じていた。


「すげえ……」


 ぼそり、口を開いた。

 すっかり中が乾いて、粘っこくなっている口を。


 潤そうと、黒い砂糖水のなみなみ入ったコップを取ったが、手を滑らせて、もにょもにょ肥満したお腹に落として、ぶちまけてしまった。

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