第04話 裁判長どうですかーっ!
「せせっ静粛にっ!」
実際の裁判では木槌など使わないというし、どのみちトゲリンも八王子も、定夫よりよほど静かであったが、つい口や手が動いてしまったのだから是非もない。
あれから、二週間が経過した。
つまり、歌声収録をインターネットのサイトで依頼してからだ。
本日、ついに製作物がCDとして届いたため、みなで定夫の部屋に集まって、
まず最初に聴いたのは、メグの歌声だ。
といっても、二週間前に八王子が一時間ほどで作成してからというもの、もう何度も何度も聴いているものであり、定夫としては「久々に聞くが、やはり曲は悪くはないよな」という程度の感想しか抱けなかった。
メグだからというだけでなく、曲自体への慣れや飽きもあるわけであり、いまさら生身の音声を聴いたところで、やはりもうそれほどの感動は得られないのではないか。
と、定夫はそう思っていた。
曲を聞いてみるまでは。
だが、
CDをセットし、聴き飽きたはずのイントロが流れ出し、そして、続く歌声を聞いた瞬間……
なんと形容すればよいだろうか。
三人を包み込んだもの、そう、それは宇宙であった。
完全たる無重力体験であった。
ただひたすらに純。不純物どころか、そこには無すらも存在していない、そんな矛盾した表現に矛盾すら感じない、ただただ広大無限な、純であった。
疾風怒濤の嵐のような感情が、明鏡止水の中にただ浮いていた。
一体これは、なんということであろう。
ただ、人が歌う。
ただ、それだけのことで、聞き慣れた歌がかくも違うものになるのか。
「しし、しかもっ!」
定夫は無意識に、上ずった声で独り言を発していた。
しかも、自分の依頼によって、つまりは、自分のために歌っている曲なのだ。
興奮するのも、無理はないであろう。
しかも、女性が。
しかも、にっ、にに二十代の、
しかも、二次元ではない、しかも生身の、女性が。
この同じ空の下、どこかに現実に存在している、どこかで自分と同じ空気を吸っている、生身の、女性が。
地球という共同家屋の、天という名の一つ屋根の下にいながら姿を見たこともない、生身の、女性が。
宇宙船地球号の乗組員、宇宙戦艦地球号、ぼくが古代なら、そうあなたは森っ!
脳内ではどうでもいい言葉ぺらぺらの定夫であるが、実際には、しししかもっなどと上ずった独り言を発したきり、感極まるあまりまるで言葉など出ておらず、うっくうっくと不気味に呻いているだけであった。
言葉が出ないのは、トゲリンも八王子も同様であった。
トゲリンの感極まり方は、定夫とはまた別方向で不気味であった。顔も身体も微動だにしていないというのに、眼鏡のフレームだけが沸騰したヤカンの蓋のように激しく細かくカタカタカタカタ震えているのだから。
気持ち悪さには目をつぶるしかないとして、とにかく彼らは、それほどまでに感動していたのである。
雑談の場としてすっかり慣れきっていたこのオタ部屋に、あらたな風、あらたな歴史が刻まれた瞬間であった。
「メグよりも、こっちのが断然にいいね」
静寂を打ち破ったのは、八王子のぼそりとした呟き声であった。メグの歌声も好きな彼であるが、この感動はまた別物ということなのであろう。
「そうですなあ」
トゲリンは腕を組むと、カタカタ震える黒縁眼鏡の奥でそっと目を閉じうんうん頷いた。
せせっ静粛になるまでもなく、山田レンドル定夫裁判長の判決を待つまでもなく、満場一致で決まりのようであった。
「これがおれの、いや、おれたちのアニソンだ」
定夫は、興奮にすっかり汗ばんだ拳を、にちゃっと握りしめた。
「たちではない。拙者と八王子殿は感動のおこぼれを頂戴しただけで、これはレンドル殿のアニソンでござるよ。ささ、胸の中に収められい」
「いいんだよ。千円ずつカンパしてもらったんだし。仮にそうでなくたって、トゲリンや八王子との交流があったればこそのおれがいて、
「しからば、我々三人のアニソンということで。遠慮なく共有をばさせて頂くでござる」
などと、定夫とトゲリンが照れ合いながら所有権を云々しているところであった。
八王子が、ある種の衝撃的な疑問を、さらりと口に出したのは。
「でもよくよく考えるとさあ、これ別にアニメじゃないからアニソンじゃないじゃん」
その無垢な疑問に、一瞬にして凍り付く黒縁眼鏡オカッパ頭の二人組であった。
しかし、
しかしである。
その八王子の発した何気ない一言こそが、この物語の始まりを告げる鐘だったのである。
話を続けよう。
「そ、そそそそういえばっ」
何故だかうろたえるトゲリン。
「気付かなかった。……バカだなおれ、つうか曲を作った奴もバカだよな」
定夫は、オカッパ頭をガリガリ掻いた。
脂ぎった頭髪にこびりついていたフケが、日本海溝のマリンスノーのようにはらはら落ちた。まったく幻想的な光景ではなかったが。
「うむ。虚しい、というかもったいない気持ちでござるなあ。せっかくの、またとない神曲であるというのに」
「まあそうだけど、でもだったらさあ……アニメを作れば、アニソンになるじゃん」
八王子はそういうと、ふふっと笑った。
「アニメを?」
きょとんとした顔の定夫。
ずりん、と黒縁眼鏡がずり下がったのを、慌てて直した。
「つつっ、作るとな?」
トゲリン。
どんな物理法則がそこに生じているのか、黒縁眼鏡のフレームがカタカタ細かく揺れながら、ずり上がっていった。
「そ。トゲリンは絵が上手でしょ。漫画描いてんだから。紙にでも書いてくれれば、ぼくが取り込んで修正、彩色して、スパークのデータにでもするから。で、レンドルが総監督で、あとコンテも切ったり……」
スパークとは、簡易アニメ作成ソフトの名前である。
無償版と有償版があり、無償版でもそこそこのものは作成可能だ。
定夫は黒縁眼鏡の奥で、なんだかぽわんとした表情を見せていた。
思考が定まらなかったのである。
なにに思考すればよいのだろうか、ということすらも、定まらなかったのである。
それで、ぽわんとした顔になってしまっていたのである。
かつて幾多のアニメを見て、小説、というかラノベを読んできたが、創作的な活動をしたことなどほぼ皆無であったから。
中学生の頃に、ちょっとだけ小説執筆にチャレンジしたことはあるがすぐに挫折、というその程度で。
でも……
だんだんと、意識がはっきりしてくる。
思考が、定まってくる。
確かに、トゲリンは絵が上手だ。
美少女の絵しか見たことはないが、上手なことに違いはない。
そもそも最近のアニメなど、美少女しかいないのだ。ならば美少女さえ描ければ充分であろう。
どのアニメにしても、特に「主人公男子高校生モノローグ突っ込みもの」などは、美少女と、適当作画の男子キャラ、しか出てこないのだから。
ということであるならば、描いた絵を取り込んで、曲に合わせる、というそれだけでも、そこそこのクオリティのものは出来上がるのではないか。
だってトゲリンの描く絵は間違いなく上手であり、そして提供された曲は、間違いなく神曲なのだから。
そうだよな。
と、思考が明確に定まり感情が冷静になるにつれて、どんどんと興味が沸き出てきていた。
別の方面で、どんどん冷静でなくなっていった。
つまり、わくわくとしてきていたのである。
「じゃ、やってみるか。トゲリン、描いてくれる?」
「心得たでござる!」
トゲリンは、すっかりずり上がりきって某カエルアニメの主人公少年のようになっていた眼鏡の位置を直した。
「さもあれば、まず最初に取り掛からねばならないのは、世界観の構築でござるな。いや、とりあえずのとりあえずは、どのような作品にしたいのか。四択くらいから搾って、そこから煮詰めていくのが筋道であるかと」
「ジャンルをどうするか、だよな。思いつくものとして、SF、現代、時代物、ファンタジー、とかかな。全部、年代と場所を示すものでしかないけど、とりあえずここから」
「まあ、現代でも、学園もの、格闘もの、ほんわか日常もの、ラノベ原作アニメ的なものを目指すとしても色々とあるからね」
「現代日本でいいと思うでござるよ」
「確かに。深く設定を考える手間もいらないし、背景についても『適当に作ってごまかす』は出来なくなるけど、いたるところに本物が存在しているわけだから、参考にするに困ることがない」
「むしろその方が、つまりモデルとなる場所を用意した方が、作品が成功した場合に聖地巡礼で盛り上がったりするしね」
「作品の成功って、どこまでを考えているんだ八王子は」
「どうせならでっかく、だよ」
と、このようにして定夫、トゲリン、八王子の三人は、どのようなアニメーションを作るのか、相談を始めたのである。
明日も平日、学校があるというのに、自分たちのアニメを作り上げるという興奮に話の種は尽きず、深夜近くまで話し込むことになるのであった。
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