第03話 326氏に捧ぐ

 六畳間の和室にフローリングカーペットが敷かれ、ベッドや学習机などが置かれている。


 学習机の横には同じ高さの袖机があり、またがるようにパソコン用の大きな液晶モニター。パソコン本体は机の脇、床の上。巨大なデスクトップだ。


 机とベッドだけでかなりのスペースを専有するため、残り面積は三畳分もない。

 その狭い中にやまさだとトゲリンという肥満体が二人もいるものだから、当然ながら室内はぎゅうぎゅうであり、息苦しさむさ苦しさがなんとも実に凄まじい状況であった。


 当の肥満児二人も、一種犠牲者のような八王子も、すっかりと慣れきっており、まるで気にしたふうもない様子であったが。


 さて、定夫、トゲリン、八王子、この三人が集まると、始まるのがいつもの雑談だ。

 つまりは、アニメやゲームの話である。

 学校でも帰り道でも、散々に話しているのにもかかわらず。

 青春の活力は無から生じて懇々無限に沸き続ける錬金術なのである。


「……だから作監を佐々木さんがやると聞いて、おれさあ……」


 と、いま会話の主軸にしているのは、今夏から放映開始予定の深夜アニメの数々についてである。


 中でも定夫が特に期待しているのは、

 「カーバンクルゲノム」。

 女子高生がなんらかの因子を体内に取り込んで超人化してしまい、その能力を悪用しようという謎の結社に狙われる、というSF作品。

 ライトノベル、略してラノベが原作だ。


 トゲリンこと梨峠健太郎が楽しみにしている作品は、

 「ドリルくるくる」。

 ちょっとオツムの弱そうな女子中学生が、いつか地底を掘り抜いて地球の反対側にあるはずの楽園に行こうと仲間を集める話。これもラノベ原作だ。

 主人公には、実は壮絶ないじめを受けていた過去があり、原作ラストは体内の水分がなくなってミイラになるくらい泣けると評判の作品である。


 八王子こと土呂由紀彦が観たいのは、

 「大江戸サーガ2 ごく殿でん」。

 徳川家光の時代にタイムスリップしたファンタジー好きの眼鏡女子高生が、魔王と戦うという話。

 基本はシリアスだが時折ボケる主人公や、シュールなギャグが満載らしい。


こうじよも、アニメ化すればいいのになあ」


 定夫が、オカッパ頭を撫で上げながらぼそりぼやいた。


 そうなったところで、自分が名付け作成したキャラクターが登場するはずもないが、世界観をアニメ作品として味わうことで、ゲームをプレーするにおいても深みが出るというものである。

 イメージを押し付けられるという点は弊害かも知れないが。


 不意に、定夫はなんとも悲しい気持ちになっていた。


 もう、吉崎かなえの魂は遥か雲の上なのだ、と。

 七天の彼方なのだ、と。

 是非もなし。月月火水木金金。


「航女アニメ化、レンドル殿の意見に拙者も禿同であります。同じようなブラウザゲームの『そうこうしようじよ』も、去年、『これはほうだんこんですか?』というタイトルでアニメ化されたのですからな」


 トゲリンが、特徴的な甲高いネチョネチョ声を張り上げた。


 まったくもってどうでもいい話であるが、そのアニメの作中には「砲弾痕」という言葉が、とにかく飛び交う。


 女性キャラの、後ろ四文字のみ抽出した音声データがネットに流れて、オタク男子たちを夜な夜なハアハアさせているという。


 特に人気なのが、主人公の親友であるかんざきもた子を演じるくらしげの透明な声だ。

 既に三十を幾つか過ぎているが、「永遠の七歳」を自称する人気声優である。

 先ほどのその四文字に、さらに「元気になあれ!」という第七話での台詞を繋ぎ合せた音声が、オタク男子たちの間に出回っているとかいないとか。


 まったくもってどうでもいい話は終了、本編に戻ろう。


「アニメ化はともかくさあ、レンドルは航女の新キャラは作らないの?」


 八王子が、頭の後ろで両手を組みながら尋ねる。


 定夫の、


「そう……」


 だよなあ、を遮ったのは、


「いいっ一心同体少女隊であった吉崎かなえ二等兵のッ、あいや特進して伍長のッ、魂魄が玉砕したばかりなのでありますぞおおォ!」


 ネチョネチョ声を張り上げて、唾を機関銃のように飛ばしながら猛烈に抗議するトゲリンであった。


 愛する者を亡くした気持ちを代弁してくれているのであろうが、しかし別に、定夫としてはそこまで怒るようなことでもないのだが。

 RPGでセーブデータが消えてしまったに似た一時の虚無感こそあれ、ほとぼりがさめたら、すぐさま新キャラを作成してもよかったというのに、トゲリンのせいで始めにくくなってしまった。


 だからといって、装甲少女に鞍替えするつもりもないが。

 愛着ということだけでなく、ゲームシステムを覚え直すのも面倒だからだ。


「八王子は自分がやってないから、玉砕時のショックが分からないんだよ」


 新キャラ作りますともいえず、そうごまかす定夫なのであった。


「だってぼく、ドラプリ派だもん」


 八王子が自宅で日々興じているのは、定夫たちとはまた別のネットゲーム「ドラゴンプリンセス」、略してドラ姫。いわゆる、剣と魔法ものというジャンルのものだ。


 PC専用ではあるがWebブラウザを使ったゲームではなく、専用アプリをインストールして遊ぶタイプだ。

 3Dにより描かれた緻密な世界を、ネット上の仲間とある時は協力し、ある時は反目したりして、冒険を重ね、成長していくのだ。


 現在リリースされているのはPC用だけだが、今年の秋にブレイブステーション3略してブレステ3でも発売される予定だ。


「おれは、とりあえずのところは、燃え尽きたよ。航女」


 これもまた、定夫の正直な気持ちであった。

 ほとぼりが冷めたらまたキャラ作るかも知れないが、現在はただただ空虚。ずうっと育てていたキャラを、つい先ほど失ったばかりなのだから、当然といえば当然だろう。


「『玉砕』と震える赤文字で表示された時は、脱力のあまり両肩が脱臼してぼとり床に落ちそうなくらいだったもんな」


 ぼとり落ちるのがお腹の肉なら玉砕ダイエットが出来るのだろうが、肩ではどうしようもない。


「分かります。分かりますぞ、レンドル殿ぉ! 拙者は、初プレーで初陣即玉砕だったので、作り直すにあたっての精神的葛藤はさほどではなかったとはいえ、されど気持ちはお察ししますぞお!」


 トゲリンが黒縁眼鏡のフレームをつまみながら、ネチョネチョとした声を張り上げた。


「おれの場合は、最初に作ったキャラを、今日までずーっとだったからなあ。この半年間、学校から帰ると、ひたすらずーっとやってたからな」


 東京TXテレビで放映中のアニメ「はにゅかみっ!」を観ている時以外はずーっと。

 あと、録り貯めていた「きらりらリズモ」を無性に観たくなった時以外。


「なかば放心状態のうちに、思わずごちゃんに呟いたもんな。誰かおれを慰めるアニソン作ってくれ、とかわけの分からないことをさ」


 山田定夫はななてんつまり天国にいるであろう吉崎かなえを思い浮かべ、寂しそうな笑みを浮かべた。


「酔狂な誰かが、アニソン作ってくれてるかもよ」


 八王子が、からかうように笑う。


「まさか」


 といいつつも定夫はマウスを手に取り、先ほど書き込みをしたネット掲示板「ごちゃんねる」をチェックした。



 487

 20××/05/12/17:33 ID:246759 名前:かぶとこじ

 >>326


 こんな歌作ってみたけどどう?

 http://www.icoico.com/....

 


「おれへのレスだ。……なんか、これ開くの怖いんだけど」


 定夫は、おでこにどっと浮いた脂汗をシャツの袖でごしごしと拭いた。


 トゲリンが黒縁眼鏡のフレームをつまみながら、ふんふんと画面を覗き込んで、


「イコイコ動画のURLに相違なし、最後の拡張子もavi、基本的に安全であるとは思いますが」

「分かってるよ。そういうことでなくて」


 レスが早すぎるし、それに、匿名者が自分宛に開示しているURLなのだ、なんだか怖いと思っても不思議ではないだろう。


「そういうことじゃないんなら、別にいいじゃん。じゃ、ぼくが代わりにっ」


 八王子が、定夫の手の中にあるマウスを素早く引ったくると、画面上のそのURLをクリックした。


「なにゆえにお前が押すんだあァ! こないだもアメアニ最新号の袋綴じを許可なく勝手に開けただろーーっ!」


 無数のつばを撒き散らしながら、定夫は顔を真っ赤にして、声を裏返らせながら怒鳴った。


「まあ、別にいいじゃん」


 八王子、へえともない顔だ。


 まあ確かに、どうでもいいことだが。

 マウスをクリックされたことくらい。……あの、アメアニの一件に比べれば。

 というよりも、その件を思い出したからこそ、つい激昂してしまったのかも知れない。


 さて、八王子が勝手にリンクをクリックしたことにより、28インチの液晶モニターにブラウザが全画面表示で開いた。


 ぱ、と真っ暗な画面になった。

 下のステータスウィンドウにデータ蓄積を示すバーが伸び、しばらくすると真っ暗な画面のまま音楽が流れ始めた。

 なにかの歌の、イントロのようであった。


 画面中央に、昔のカラオケのような、荒くギザギザな黄色い文字が表示された。



 「326」氏に捧ぐアニソン



 イントロが終わり、続いて歌が始まった。

 それは爽やかな、軽快なリズムの歌であった。


 声は、男性であろうか。

 男性が高い鼻声を出しているような、そんな歌声だ。


 真っ暗な画面のまま、下段にはカラオケ式に歌詞が表示されて色が左から右へと塗り変わっていく。

 


  ♪♪♪♪♪♪


 ねえ 知ってた?

 世界は綿菓子よりも甘いってことを

 ねえ 知ってた?

 見ているだけで幸せになれる


 わたしって、天才音楽家

 かもね

 だってこんなにも

 ほらね

 ときめきのビートを刻んでる

 こんなのはじめて YEAH! YEAH!


 もしもこの世が終わるなら

 後悔なんか したくないから


 たどり着いた世界

 それ本物だと思っている

 偽物だって構わないでしょ

 自分で見つけた宝なのだから

 The world is full of treasure!!


 君と一緒にいられるなら

 どんなパワーだって出せそうだよ


 なんにもない世界、上等

 わたしと君で全部作れるから

 偽物だって構わないでしょ

 自分で見つけた宝なのだから

 The world is full of treasure!!


  ♪♪♪♪♪♪



 テレビアニメサイズ、ということか曲は一番きりでフェードインしながら終了した。


 画面から文字はすべて消え、

 残るは静寂。


 なんだか、どことなくふざけた感じの歌声であったろうか。

 おそらくは、やはり歌い手は男性であり、女子っぽい歌を男が歌うということによる照れ隠しが出ているのであろう。


 定夫は、そうした歌い方に対してちょっと不快感は覚えたものの、曲自体は悪くないのではないかと思った。

 いや、悪くないどころか、かなりいいのではないだろうか。


「これはなかなかに、秀逸な調べでありますなあ」


 トゲリンは曲そのものを素直に気に入ったようで、腕を組み目を閉じうんうん頷いている。


「さっきの今でしょう? レンドルがごちゃんに書き込んだのはさあ。凄いなあ、この人。曲が作れるだけじゃなくて、ぼくたち以上にヘビーなアニメオタクでさ、即興でイメージ浮かべてぱぱっと作り上げたんだろうね、きっと」


 淡々と、しかし楽しそうに語る八王子。


「五分ではない、四十六年と五分で作ったのだあ、とか」


 曲の提供者を中年オタと決め付けている定夫であった。


「それ、す○やま大先生の台詞でしょ?」


 日本で一番有名なRPGの、作曲家だ。ほとんど知られていないが、日本で一番有名な特撮巨大ヒーローの作曲も手がけたことのある人だ。


「そう。まあ即興などでなく、もともと作ってあった曲を提供しただけという可能性も否めはしないが」


 とはいうものの、これが自分へと捧げられた作品であることに違いはない。

 なんともこそばゆい気持ちにかられる定夫であった。


「これさあ、おれのアニソンってことで、貰っちゃっていいのかな」


 いちおう、聞いてみた。

 駄目だといわれても、どう変わるわけでもないが。


「それがしは、別段問題はないかと考えますが」


 と、ネチョネチョ声のトゲリン。


「ぼくも。……でも、こいつの照れたような歌声、バカにしてるみたいでなんかイライラするからさあ、メグで作ってみようよ」


 八王子は、いうが早いか、ニコニコ笑みを浮かべながら定夫のPCを借りた。


 うたメグミ、通称メグという有名な音声合成作成ソフトを使って、テキパキと、先ほどの曲の歌声部分を作り上げていく。


 途中を聞かれるのは恥ずかしいから、とイヤホンを使って、定夫たちに聞かれないようにしながら。


 オリジナルを聞いてはメグの画面操作に戻って打ち込み、打ち込んではオリジナルを聞いて、

 それをひたすら繰り返すこと約一時間。


「できたあ!」


 八王子はイヤホンを耳から取り、ジャックから抜くと、満足げな表情で叫ぶような声を出した。


「一緒に貰ったオケだけの方と合成してみた。再生してみるね」


 と、マウスボタンをカチリ。

 また、先ほど曲いたのとまったく同じイントロが流れ始めた。


 先ほどと違うのは、イントロ後に女性の歌声が聞こえてきたことだった。

 恥ずかしくて布団の中で吹き込んでいるような、もにょもにょぼそぼそした男性の声ではなく、堂々とした歌いっぷりの、明るく元気な女性の声。


 抑揚の面など、まだ荒削りではあるものの、とりあえず上手くオケと合成音声をシンクロさせたことに、八王子はニンマリ笑顔である。


 定夫とトゲリンは、ぽかんと口を開けて、なんとも間抜けな表情になっていた。

 二人とも、すっかり聞き入ってしまっていたのだ。


 曲が終了し、

 再び、部屋には静寂が訪れた。


 それから、どれくらいが経っただろうか。


「すげえ」


 ようやく我に返った定夫は、肥満したお腹をさすりながら、こそり唇を震わせた。


「まさに……神」


 トゲリンは、なにを思ったか胸の前で十字を切った。


「いや、これ凄いな、凄くなったな、おれのアニソン。女性の声だとこうも素晴らしいとは。いい曲を貰ったよ」


 と、喜ぶ定夫であったが、


「しかし、何故なのであろうか。胸の奥に拭いきれない、そこはかとない虚無感があるのは。それはメグの声だからだろうか」


 間違いなく、一つの要因ではあるのだろう。

 もともと定夫は、ポカロ曲つまりコンピュータ合成音による歌が、あまり好きではないからだ。


 いや、好きではないどころか、確固たる否定的なポジションだ。今回は、自分へ捧げられた曲ということもあり、思わず興奮してしまったが。


 よくよく考えてみるまでもなく、メグはしょせんメグなのだ。

 唄美メグミは擬人化されて3DCGによるライブビデオなども販売されているが、定夫としては、そんなものに萌えているやつの気が知れない。


「確かに、メグでは味気ないものはある。レンドル殿に同調することに、拙者もやぶさかではない」

「だからこそ、普通のアニメキャラに萌えるわけだからな。つまりは、生身の声優が演じているからこそ」

「拙者も同意でござる」


 軍人言葉から、いつの間にかサムライ言葉になっているトゲリンであった。

 それはさておき、とにかくこのように彼らはアニメオタクであり、声に対するこだわりは半端ではなかった。

 どの声優が好きかで、掴み合いの大喧嘩に発展したこともあるくらいだ。


 だからこそ、そのくらい好きだからこそ、定夫は憂いに思うことがある。

 もしもアニメの声優が、将来すべて合成音声に置き換わってしまったら、と。


 どんなに声が天使のように可愛らしかろうとも、キーボードをカチャカチャ叩いているむさ苦しいオヤジが脳裏に浮かんでしまい、幻滅どころではないだろう。

 実際、その天使の声を、おそらくはむさ苦しいオヤジがキーボードをカチャカチャ叩いて作るわけだから、当然であるが。


 と、合成音声への不満を顔に、口に、浮かべていると、声優も好きだが合成音声も好きな八王子が、ちょっとつまらなさそうな表情で、


「べっつにメグでもいいと思うけどなあ。くそ、頑張って作ってみたのになあ。……あ、そうだ、そんだったらさあ、誰かに頼んで歌ってもらう、ってのはどう?」

「誰かに?」

「また、ごちゃんでござるか?」

「いや、匿名掲示版で頼むよりも、そういう人をこちらから探すんだよ。といっても結局はネットでだけど」

「それでは、『歌います』、『女性』、『料金』と入れて、これでどうだ」


 定夫は脂肪のつまったぶっとい指でキーを叩き、マウスクリック、検索を開始した。


 出てくる出てくる。

 これは、と思えるものを見つけるのに、さほどの時間はかからなかった。


 それは、楽譜でも鼻歌データでも、曲さえ分かれば歌います、という歌手志望二十代女性のホームページであった。

 金額は、三千円。


「ぼく、カンパしてもいいよ、千円」


 八王子がバッグから財布を取り出した。

 どうでもいいが、「はにゅかみっ!」のことのりことの制服姿がプリントされた通販限定財布だ。


「ならば拙者は、二千両」


 トゲリンが、迷彩柄の財布から、懐かしの二千円札を出した。


「ありがとう。でも千円でいいよ。三千円だから、みんなで千円ずつだ。では……いい、いら依頼、して、みるみるかっ」


 定夫は急に焦り出して、言葉つっかえつっかえ黒縁眼鏡のフレームをつまんでカタカタ調整しながら、カチカチの表情でごくりつばを飲み込んだ。


 はたして一体どんな感じの作品に仕上がるのか、という興味や興奮もなくはないが、直接は会わないにせよ生身の女性と接点を持てることにドキドキ興奮していたのである。

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