第三章 敦子、目覚める

第01話 腐らずとも遠からず

 ベッドの上で、ゆーっくりと、目を開いた。

 こしこしと、寝ぼけまなこをこする。


 んー。

 なんか、納得いかない。

 低血圧お嬢様キャラのように、とろーんとした感じに起きようと思ったのに。

 なかなか難しいもんだな。


 傍から自分を見ているわけではないので、もしかしたらちゃんとやれているのかも知れない。

 でも感覚的に、どうにも納得出来なかった。


 やり直そ。


 と、さわはなあつは、そっと目を閉じ、そして、ゆっくりと開いた。

 焦点の合わない目で、ぼんやり天井を見上げた。


 ゆっくりと、こしこし軽くまぶたをこすった。

 手のひらで、目を隠したままの敦子。

 その口元に、じんわりと笑みが浮かんでいた。


「うん、今度はいい感じに起きることが出来たあ」


 満足げな表情で上体を起こした彼女は、今度は両腕を上げて大きな伸びをした。


「あ、あ、いまのもやり直しっ」


 ばったり倒れると、ゆーっくりと上体を起こして、

 う、うーん、と、ちょっと気だるそうに、ちょっとだけ色気を出して、伸びをした。

 にんまり会心の笑みを浮かべると、


「よおし、完璧っ。合格だあーい」


 大声をあげ、ようやくベッドから降りた。

 スリッパを履いて床に立つと、学習机の上に置かれた黒縁眼鏡を手に取り、掛ける。


 くるりと身体を回転させ、日々見慣れた部屋を見回した。

 出窓の、薄桃色のカーテンの隙間からは、朝日が差し込んで、部屋の中を淡く照らしている。


 そのカーテンの下には、たくさんのかわいらしいぬいぐるみが置かれている。

 くま、うさぎ、ロボット、兵隊さん、餓○伝説2のクラ○ザー、等など。


「おはよっ、ラビくん。青い空に、ぽっかり綿菓子の雲。今日もとってもいい天気だね。彼女とは、仲直り出来たのかな。……ええっ、そうなんだあ。それは困ったね。そうだ、手紙でも書いたら? うまくいくといいね」ちょっと視線をずらして、「ルーセルくん、お勤めご苦労様です。ルーセルくんが守衛をやっているから、町のみんなが安心して暮らせているよ。立ちっ放しは大変だけど、健康に気をつけて頑張ってね。でも、たまにはお休みもらって、田舎に帰ってお母さんに顔を見せてあげたらいいんじゃないかな」さらに視線を動かして、「ロボくん、ご機嫌いかがですか? わたしね、今日はね、とってもいいことがあったんだよ。ロボくんに聞いてもらいたいな。あのね……」


 ぬいぐるみの一体一体に、丁寧に、やわらかい微笑みと、言葉を投げ掛けていく。


 先ほどまで寝ていた木目を生かしたお洒落なベッドに、ふわっふわのカーペットに、天井からぶら下がるキラキラ装飾のシャンデリア、フリルふりふり薄桃色のカーテン、と、ことごとくが洋風のこの部屋であるが、異なる点をあげるならば部屋主である敦子自身であろうか。


 やや小柄の、にきびとそばかすの混じった面に、黒縁眼鏡、どこからどう見ても東洋人というか日本人なのだから。


 顔立ちは特段褒める要素もなければ、さりとて特段けなす要素もなく、ただひたすらに、地味。

 常に微笑んでいることによる愛嬌はあるものの、これは顔の造形という基礎評価とは無関係であろう。


 敦子は、ぬいぐるみを倒さないようそっとカーテンを開けると、朝日を上半身全体に浴びながら、また大きく伸びをした。


 ここ、敦子の部屋は一軒家の二階にある。

 窓の外を見回せば、彼女にとっての本意か不本意か完全なる日本的風景。東京都武蔵野市の住宅街であり、視線を走らせればこの家と同じような家がびっしりと並んでいる。


 視線をすぐ目元に落としたところ、玄関上の屋根瓦に一羽の雀がとまっているに気がついた。


「ツバメさん、ツバメさん、もう王女様へいばらのつるは届けたの?」


 どうやら彼女の脳内では変換フィルターが働いているらしく、相当にメルヘンチックな光景になっているようである。


 と、そんな敦子を、ドアの向こうに立っている兄のさわはなゆういちが、腕組みしながら胡散臭そうな表情でじーっと見ていた。


 ふと振り向いた敦子は、それに気付いてビクリと身体を震わせると、


「ちょ、なに勝手に見てんのおお! やだもう、最低兄貴! 変態兄貴! 超変態兄貴! 超兄貴!」


 顔を赤らめながら、恥ずかしさをごまかすように罵倒絶叫乱れ打ち。


「やかましい。お前がドア全開で寝てただけだろ! バカ」

「嘘だあ。絶対に閉めてたよ。さっき起きて見た時もちゃんと閉まってた、気がする。……それより、あたし着替えるんだけど」

「はいはいはい」


 祐一は、なんら照れた素振りもなく、心底どうでもいいどころかむしろげんなりといった表情で、部屋のドアをぱったん閉めた。


「うーん。ああまで全然照れのない態度をとられると、むしろなんか腹立たしいなあ。……そんなことより、兄貴に恥ずかしいところを見られてしまったな……」


 まさか、ぬいぐるみたちに話し掛けているところを見つかってしまうとは。

 アニメ好きであることや、声優を目指していることは知っている兄貴だけど、まさか妹が日々こんなことをしているなどとは思いもしなかっただろう。


 嫌いでやっているわけでもないが、とにかくこれは訓練なのだ。

 そう、アドリブ力、右脳左脳を結びつける力を養うための、特訓なのだ。

 だから仕方ないじゃないか。

 度胸つけるために電車の中で叫ぶ、とか、そういうのはさすがに無理だけど、なら、やれることをひたすらやるしかないじゃないか。

 わたしには天性の才能なんかないのだから。


 しかし、一体いつから開けっ放しにしていたのだろう。

 ひょっとして昨夜、寝る直前の、人形劇の「ピュリピュール」の声真似練習しているところも、しっかり聞かれていたりして。オイオイ、フザケンナプリプリプップップーー、とかあ。


 ま、いいや。どうでも。

 それより学校学校。

 早く着替えないと、ご飯を抜かなきゃバスに間に合わなくなっちゃう。


「サンサンソーラーパワーーッ! メイクアップー!」


 急いでいるのか余裕なのか、大声で叫びながら素早くパジャマを脱ごうとして、足をもつれさせて、転んで頭打った。

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