第二章 俺たちの、アニメだ
第01話 イシューズってなんだ!?
「万人と結婚出来るが、一人とすら結婚出来ないもの……とかは」
「うーん。じゃあ、じゃあ……無料で合法なドラッグ」
「まあ、実際のところ相当な金はかかるが、想うこと自体は無料だからな」
都立武蔵野中央高等学校。
名前の通り、東京都武蔵野市にある高校だ。
JR三鷹駅から、都営バスで十分ほどのところにある。
「魂の咆哮」
「えー、それは『なんぞや』ではなく、単なるキャッチコピーじゃない? じゃあ……地殻変動による科学変化」
「
「自己の再生」
「水の鏡で『水鏡』」
「萌えとはなんぞや」という理屈を論じていたのに、いつの間かイメージを表すフレーズ合戦になってしまっていた。
まあええわい、と構わず言葉のラリーで打ち合いを続けていると、
「イシューズだ! うつるよっ!」
女子生徒の集団が、眉をひそめてこそこそひそひそ。廊下の片端に窮屈そうに寄って、肩を縮めながら、定夫たちとすれ違った。
二歩、
三歩、
定夫は、なんとはなしに後ろを振り返ってみた。
女子生徒たちも何人か、歩きながら振り向いてこちらを見ていた。
一人と、視線が合った。
ひっ、とその女子は息を呑むと、一人足早に逃げ出した。
「待ってよ!」
「やだ、もう、ほんと、あいつら!」
「きもっ」
残る女子生徒たちも、小走りで後を追った。
北風が吹き抜けた。
ここは建物の中で季節は初夏だが、定夫の心の中に。
定夫、八王子、いまここにいないがトゲリン、この三人は、女子生徒たちから、キモオタスリー、イシューズ、などと呼ばれ、忌まれ、疎まれている。
キモオタスリーは意味聞くがごとしで理解出来るが、イシューズがなんなのかさっぱり分からない。
女子に直接聞こうにも聞けない。
犬のクソ食って下痢して死んだ方がマシというくらいの、あからさまな嫌悪の感情をぶつけてくる相手に、聞けるはずがない。
仮にそこまで嫌われていないのだとしても、女子にどう話しかけてよいのかなど分からない。
この高校での女子との会話など、「ほいプリント」「山田、キレッチョが職員室こいって」くらいしか記憶にない。会話というより、一方的に言葉を受けただけか。
八王子も同じようなことを考えているのか、お互い無言になり、それがなんともいえない気まずさを生み出していた。
そのような中、さらに追い打ちをかけるような出来事が。
さらに、というか、またもやというか。
「ギャアーー、イシューズだっ!」
先ほどとは別の女子生徒たちが、大騒ぎバカ騒ぎしながら自分たちを指さしつつ近付いてきて、すれ違う瞬間だけ廊下に張り付くようにして、騒ぎながら小走りで逃げて行ったのである。
「また、イシューズか……」
定夫は、ぼそり呟いた。
イシューズ。
いしゅーず。
異シューズ?
いいシューズ?
なんなんだ。
一体なんなんだ。
靴がどうこう、ということなのか。
他の、物理的な、なにかなのか。
それとも、
石臼、意志薄、などからの連想であるとか。
……まあ、女子ごときに、なにを思われようと、どうでもいい。
萌えない女子など、どうでもいい。
お、いいなこのフレーズ。素晴らしい。
そうだ、
萌えない女子など女子ではない。
「はにゅかみっ!」の
背景。そう、あんなやつらは、おれの人生の、単なる背景だ。
まあ、やたら激しい精神攻撃を仕掛けてくる忌々しい背景ではあるが。
ともかく、オタクであるがゆえの不利益などは、とっくに覚悟をしている。
笑いたくば笑え。
罵りたくば罵れ。
オタク人生、ただ堂々としていればいい。
天上天下唯我独尊ッッ!
と、己が惨めさを吹き飛ばすべく脳内ハイテンションになって、右手の人差し指を天井へと立てようとした瞬間であった。
どんっ。
定夫のぶくぶく肥満した肉体は、四、五十キロは軽いと思われる男子生徒との衝突に、あっけなく吹っ飛ばされていた。
そして、後頭部を廊下の床にごっちと強打した。
「うぎゅううう」
「うぎゅうじゃねえよ。てめえ、どこ見てんだよ、デブ! ブタッ!」
罵声と同時に、脇腹を蹴飛ばされていた。
「つつっ、つっつ、ちゅみみみみ」
定夫は驚きと激痛に混乱して、わけの分からない呻きを発した。
その激痛の中、なんとか薄目を開けると、ぶつかった相手は
「もも、申し訳ありませんでした」
苦痛をこらえなんとか立ち上がると、山崎林太郎に深く頭を下げた。
お辞儀をするとお腹が非常にキツイ。しかし背に腹は変えられない。もしも背に変えられたら、とんでもなくデブな背中になってしまうというだけだが。
「なにが申し訳ないだ。太ってんじゃねえよ、てめえ!」
「ぜぜ、善処する所存でございます!」
「デブがぶつかってくるから、肩を複雑骨折したじゃねえかよ。治療費出せよ、てめえ」
吹っ飛ばされたのは定夫なのだが。
「おお、お金、ないんでむーん」
ペコペコ頭を下げながら、いかに金がないかを伝えようと、がま口の財布を取り出す定夫。何故か言葉の語尾が、「るりりりり」に出てくる狂言回しの妖精になっていたが。
「きったねえ財布。……いくら持ってんだよ」
山崎はひったくるなり、パチンとがま口を開いた。逆さに持っていたものだから、中身が落ちた。
チャリンチャリンチャリンと、二、三百円ほどの小銭が廊下に落ち弾んだ。
正確には、二百五十八円。
「アイドルドリーム」二代目センターである
通常百円のカードであるが、キャラデザイン担当である
「ここ、これは、古乃美ちゃんのプレミ手ギャアア!」
とっさにしゃがんで小銭を拾おうとした瞬間、山崎に手を踏みつけられ、ぎゅいっとねじられたのだ。
「貧乏野郎。オタク野郎。そんな気持ちの悪い金なんかいらねーよ。バーカ、デーブ」
山崎は靴底でズビンズバンと硬貨を蹴飛ばしてあちらこちらに散らばらせると、定夫の顔にツバを吐きつけ、いかり肩で去って行った。
「たた足りないと買えなイイっ!」
這いつくばって手足しゃかしゃかタガメのように小銭をかき集めた定夫は、硬貨の枚数を数えて無くなっていないことを確認すると、古乃美ちゃんのトレカ代を守りきった安堵と、いくばくかの惨めさの入り混じった、なんとも複雑な表情で立ち上がった。
「やま ざき りん た ろう……抹殺!」
声の方を見ると、騒ぎの間に廊下の陰に隠れていた八王子が、「デスリスト」とマジックで書かれた大学ノートを広げて、ペンを持った手を大きく払った。
書いた名前を、線でかき消したのであろう。
彼、八王子は、不良生徒のことが人一倍どころか人百万倍も嫌いなのである。
中学時代、そのような生徒に「目つきが気に入らない」という理由で集団リンチを受け、アゴを蹴り砕かれた。そのことにより、東京八王子市から逃げるように転校してきたのだから。
「あいつの髪の毛、落ちてないかな。まったく、なにが林太郎だよ、昭和みたいな名前しやがって。むーん、じゃないよバーカ。『るりりりり』かっての」
廊下にしゃがんで、林太郎の髪の毛を探している八王子の姿に、少しくらいはおれの心配をしろよ、と思う定夫であった。
いの一番に逃げ隠れてしまったことは、責めるつもりはないが。
それはそれとして、むーんといっていたの、確かおれではなかったか。まあいいけど。
「うわ、キモオタスリーだ」
「今日はオタツーだね」
「ほんとキモっ」
「空気感染しちゃう」
女子生徒が、腫れ物に触るような目つきで、ひそひそこそこそ通り過ぎていく。まるで定夫たちに円形のバリヤーが張られているかのように、肩を縮ませながら。
林太郎の髪の毛を探していた八王子であるが、バッと勢いよく立ち上がるや否、去りゆく彼女らの背中をギロリ睨みつけた。
手にしたノートの上で、カリカリとペンを動かしたかと思うと、大声で叫んだ。
「抹殺ッ!」
「最近、ノートに書き込むレベルが下がってないか?」
以前は不良ヤンキー限定だったのに。
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