第342話 ガンダム Gのレコンギスタ(2014-15年)

 さて、いよいよラスト三作品の一番手は『ガンダム Gのレコンギスタ』(以下『Gレコ』と略記)になります。前回から一気に五年も飛んでいますが、この間はほとんどアニメ自体を見ていませんでした。


 結婚して、一年ちょっとで第一子を授かり、その二年半後には第二子が生まれました。正直、アニメとか見てる余裕なんか無くなりましたね。前回書いたように、携帯ゲーム機も売ってしまいました。


 しかし、五年もたつと一番上の子は結構手がかからなくなり、その子の経験から二番目の子のお世話は労力をかけずにできるようになるなど、少し余裕が出てきたんです。


 そこで始めたの、ネット小説でした。「なろう」発の小説を読んで、まずは「なろう」で読み専になり、続けて自分でも書き始めたんです。


 その一方で、自分でアニメは見ないものの、子供たちが見てるアニメを一緒に見たりはしていたんですよ。だから上の娘が好きだった『ドキドキ!プリキュア』とかは見ていたという(笑)。


 ですので、この間にあった『ガンダムAGE』は見てませんし、アニメ版の『UC』も見ていないんですよ。『UC』の原作小説の方は最後まで読みましたが。


 しかしながら、富野監督が久しぶりにガンダムを作るということで、この『Gレコ』だけは見ようかと思って、録画して子供たちが寝静まった深夜に見ることにしたんです。本作がはじまってすぐに三人目にも恵まれましたが、それでアニメを見る時間が無くなるほど大変ではなくなっていました。


 何しろ、一人目のときは子供が夜泣きして泣きやまないだけで「どうしたんだ、何が悪いんだ?」と焦って色々やったものですが、二人目になると「まあ、赤ちゃんだから理由も無く夜泣きすることもある」ぐらいに余裕を持てるようになっていて、これが三人目ともなると「赤ちゃんは泣いてる間は死なない」になったという(笑)。


 で、見てみた結論なのですが……ギレン風に言うと『老いたな、富野』(笑)。


 いやね、富野監督については、既に『ゼータ』以降の失速ぶりから期待値はかなり下げてたんですよ。それでも『ターンA』程度に面白ければ許せるかなと思っていたんですが、そこまで行きませんでしたね。


 何というか、登場MSに全然魅力が無いのは富野監督のせいじゃないかもしれないんですが、そもそも主役ロボの「G-セルフ」自体が何か魅力的じゃないという。何であんなに目がデカいのかと。あれ見て、何となく『ガンダム』の初期タイトル案のひとつ「ガンボーイ」を思い出しましたよ(笑)。


 逆にヒロイン機の「G-アルケイン」は、何というか「フツー」感が漂っているという(笑)。ありがちな機体で斬新さがこれっぽっちも感じられなかったというか。


 じゃあ、ストーリーはどうかというと、何を伝えたかったのかがサッパリ分からないという。


 主人公「ベルリ・ゼナム」がいきなりヒロインである「アイーダ・スルガン」の恋人「カーヒル大尉」を殺しちゃって、そこでアイーダとの因縁が生まれて……という展開は、まあ悪くなかったと思うんですよ。


 ところが、そこから先が、戦争なのに敵味方とも腰が引けまくっているという。『ターンA』も牧歌的ではありましたが、でも戦死者とか犠牲者って結構出てるんですよ。ハイムの旦那とか、ギャバン・グーニーとか。


 それが、本作だと何というか、不自然に人が死なない。むしろ最初に死んでしまったカーヒル大尉の方がおかしいってくらいに人が死なない。


 これ、どんな意図でこんな変な感じになってるんだろうってくらいに、腰が引けてて人が死なない戦争やってるんですよ。


 それはそれで意図があるならいいんですが、そのせいでカーヒル大尉が死んだことに凄く違和感があるんですよね。物語構成上しょうがないっちゃしょうがないんですが、何かわざとらしさが鼻につくというか。


 まあ、中盤から終盤にかけては普通に戦死者とか出るようになるんですが、それだけに序盤の展開の奇妙さが一層目立つという。


 そして、ベルリの方はアイーダに一目惚れしてるのに、その因縁からアイーダの方はベルリを憎んでいるって展開から、一途な主人公にほだされてアイーダも軟化してきた……って状況で明かされるベルリとアイーダの出生の秘密。


 何とアイーダはベルリの実の姉だった! という衝撃的な展開には、さすがに驚きました。本作の一番のインパクトポイントはここでしたね。


 ただ、逆に言うと、ここしかインパクトが無かったんですが(笑)。


 もっとも、作中で「本当は姉弟じゃないんじゃないか」みたいな示唆もあったんですけど、結局そこが掘り下げられることはなく、最終回まで姉弟関係で終わってました。


 あと、序盤は優しくて面倒見の良い先輩だった「ルイン・リー」が、中盤から仮面のライバル「マスク」になってったのは、今までに無いパターンでしたね。


 ただ、被差別種族(それも食用だったという設定が作中でも示唆されている)の出身であるというのがライバル化の大きな動機なんですけど、そこの差別の描き方が何というか類型的というか表層的っぽくて、あんまり感情移入できないんですよ。


 この点において、直後の作品である『鉄血のオルフェンズ』の方がストレートかつ強烈に「階級間格差」と「差別」を描いているんですね。『オルフェンズ』を見たあとで『Gレコ』は「ぬるい」なと思ったんですね。


 あと、本作もオープニング、エンディングともに毎回見ていたはずなのに、全然歌を思い出せないという。


 SF的表現で言うと、ロシア宇宙船の「パイロットシートが便座を兼ねてる」みたいなリアルタイム当時の最新情報を導入してたりしてるところに富野監督らしさがあるなあと思ったりはしました。


 とはいえ、最終回まで欠かさずに見ましたけど、正直に言って「つまらない」作品でしたね。


 だから、先月末に本作の劇場版が公開されると知ったときには驚愕したんですよ。


 えっ、需要あんの? って(笑)。


 さて、次回は本作の比較対象になった『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』に行きたいと思います。

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