第226話 新世紀エヴァンゲリオン その9 お前には失望した編

 エヴァ語りも9回目、今回は変人揃いの本作でも最悪の性格を持つキャラクター、碇ゲンドウについて語りたいと思います。その彼を象徴するのが、このサブタイトルにいただいたセリフだと思います。


 あらかた育児放棄ネグレクトしてきたシンジを初号機パイロットとして「必要だから呼んだ」上で「乗るなら早くしろ。でなければ帰れ」みたいな扱いをしてきて、使徒を倒したときだけ「よくやったな」。それでトウジと戦わされて初号機に立てこもったシンジに対しては「子供の駄々に付きあっている暇はない」と強制停止させて初号機から引きずり下ろし、それでもうエヴァには乗らないと言ったシンジに対して言ったのがサブタイのセリフです。


 もうね、これほど酷い父親がいるかと。歴代ガンダムの父親も大概な奴が多いですし、父親や祖父が巨大ロボ博士の場合は息子や孫をロボに乗せて戦わせるなんてのは標準設定デフォルトだろうって感じなんですが、ここまで息子を「駒」扱いにしてる奴はそうはいないだろうと。


 作中でシンジがゲンドウに隔意を持ってることに対してレイが非難するんですが、これはどう考えてもゲンドウの方が悪すぎる。育児放棄ネグレクトされて隔意を持ちながらも、それでもゲンドウに認められたいと思って頑張ってる序盤から中盤にかけてのシンジの方が、よっぽど努力してるんですよ。


 そして、この態度は息子に対してだけでなく、平等に他人に対して向けられているという(笑)。唯一の例外が愛妻のユイと、その面影を残すクローンのレイです。彼女たちに対してだけは、心底から愛情を向けて心底から心配しているという。


 それでいて、前話で書いたように赤木ナオコとリツコの親子を愛人にして、その才能と身体だけ利用しているという。


 謎なのは、なんでこんな最低の性格の持ち主がユイ、ナオコ、リツコにあんなにも愛されているのかということです。


 ユイはまだいいですよ。偏屈の塊みたいな男が唯一彼女に対してだけは心を開いているという。そんな彼を理解できるのは彼女だけ。そういうカップルはあってもいいでしょう。


 何でナオコやリツコみたいに美人で才能もある女が、心を一切向けてこない、こんな酷い男にベタぼれしているのかと。謎の極みです。


 じゃあ、こいつ、そんなにベタぼれされるような凄い才能があるのかと言うと、作中では見られないんですよ。エヴァの開発責任者はリツコですし。人類補完計画の推進責任者ということですが、具体的に何をやっていたのか、今ひとつ掴めないという。


 作中でも、いろいろと陰謀じみたことをやってる感じで演出されていましたが、最終的に目指していたのは、エヴァの中に取り込まれて消えてしまった妻ユイを取り戻したいだけだったという。


 結局それにすら失敗してしまい、死ぬ間際の最後の最後に「すまなかったな、シンジ」と一言だけ残したのは父親として僅かに残っていた最後の良心からだったのか、それとも妻の面影を残すレイに裏切られてようやく正気に戻ったのか。


 ある意味、『エヴァ』という作品の狂気を象徴する人間でした。


 なお、こいつ本編では旧姓が「六分儀ろくぶぎ」と呼ばれていて、碇ユイへの入り婿なんですね。この旧姓の読み方はWikiだと「ろくぶんぎ」と書いてあるのですが、TVで見たときは「ろくぶぎ」と呼ばれていたように記憶しています。航海器具としての正式名称は「ろくぶんぎ」っぽいんですけど「ろくぶぎ」に聞こえたんだよなあ。


 キャラ的に言うと、サングラスをツイっと直したりする動きとかが非常に特徴的なんですが、何より有名な決めポーズが、椅子に座って机に両肘を突いて顔の前に手を組んで、うつむき加減に上目遣いにサングラス越しに人を睨みつけるという「ゲンドウポーズ」です。これ真似したヲタは結構居るんじゃないかと(笑)。


 ところで、ゲンドウのモデルについては、まったく信憑性の無い情報ながら、非常に面白い話を読んだことがあります。庵野監督の師匠にあたる宮崎駿監督だというのですよ。情報源ソースがネット情報だったか、何かの書籍だったかは忘れたのですが。


 宮崎駿監督については、その長年の相棒であるスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが「まったく後継者を育てることができない」「誰が相手でもケチョンケチョンにけなしてしまう」みたいなことをインタビューで言っていたのを最近読みました。だから誰もジブリには来てくれないのだそうで。なお、そのジブリには来ない後継者候補メンバーの中に庵野監督の名前もありました。そういった宮崎駿監督の態度に耐えられるのは、実の息子である宮崎吾朗監督だけなんだとか。


 なお、こういった弟子筋に対する態度は高畑勲監督の方が酷いようなことを、そのインタビューで言っていました。こちらに耐えられたのが宮崎駿監督だけだったようで(笑)。閑話休題。


 そういう話を読んでしまうと、ゲンドウのモデルは宮崎駿監督というのは、非常に説得力がある説なんですよね。


 そして、これを以前に『Gガン』の所で書いた「東方先生のモデルは今川監督の師匠にあたる富野監督」という説と比べてみると、その師弟関係の対照性があまりにも面白いという(笑)。


 もっとも、庵野監督も宮崎駿監督が最後の作品としていた『風立ちぬ』で主役の堀越二郎を演じているので、その関係性は非常に面白いなあと思ったりするのですが。


 この主要キャラのモデルの対照性については、どちらの説もまったく根拠は無いのですが、それでも面白いなあと思ってしまったのでした。


 ということで、主要キャラについては、あらかた語ってしまいました。あとは冬月先生とか、加持とかについて軽く語ってから、総評をしてエヴァは終わりたいと思います。これが最後の締めになるかな。


「この次も、サービスサービスぅ!」(爆)

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