第227話 新世紀エヴァンゲリオン その10 おめでとう編

 エヴァ語りも10回目、今回で締めたいと思います。ということで、サブタイトルは最終回でキャラが総登場してシンジに向かって拍手しながら言うセリフからいただきました。最終回にふさわしいかなと(笑)。


 残りキャラでいうと、加持かじリョウジは「頼れるお兄さん」と「敵か味方か」を組み合わせた感じのキャラです。この二つを組み合わせたら、そりゃ死ぬよね(笑)。


 アスカの憧れの人ですが、シンジも終盤で意外に話し相手になってもらってます。一度初号機を降りたあと、この人の説得で再び乗るなど、意外にキーパーソンだったりするんですよね。


 ただ、この人、誰のために何のためにスパイしてるのか、二重三重に所属元を裏切ってるので、行動原理が非常にわかりにくいんですよね。最終的には自分自身が知りたいことを知るために、組織を利用していたということなんでしょうけど。


 部分部分を切り取るとカッコ良いのですが、最終的な結末を見ると、もっと上手く立ち回ることもできたんじゃないかなあという感もあるんですよね。


 さて、最後に語るのは冬月先生です。ネルフ副司令官で、上司にあたるゲンドウのことを「碇」と呼び捨てにしています。実はゲンドウの大学時代の恩師にあたるということが作中で明かされています。


 ゲンドウのやりたいことを理解した上で全面的に協力しているという感じでした。ただ、その原点にあるのはユイへの思いだったようで、その点でゲンドウに共感していたのかなあとか思ったり。


 作中レギュラーの中で、一番人格的に破綻してない人で、一服の清涼剤ですね(笑)。声優は『Gガン』のミカムラ博士のところでも書いたように清川元夢です。


 あと「委員長」洞木ヒカリとか、シンカリオンとのコラボについて解説している記事ではじめて姉妹の存在を知りましたよ(笑)。実は名前の元ネタって新幹線だったんですね。そりゃシンカリオンにも出るわな(笑)。作中では単なる委員長で、トウジのことを少し意識してる程度のフレーバーキャラでした。


 さて、総評に移るまえに、本作のマーチャンダイズについて少し語りたいと思います。今までの巨大ロボットアニメとは根本的に違っていたんですよ。


 まず、ロボの玩具を売る気が最初からありませんでした。むしろビデオやDVDなどの映像ソフトを売って儲けるというビジネスモデルを考えていたようです。これは成功しました。そして、この映像ソフト販売を主力とする手法は、これ以降の深夜アニメなどのビジネスモデルの基本になります。そういう意味で、本作はアニメ史においても重要な転換点だったと言えると思います。


 本作の人気は、それだけでなくさまざまなグッズ販売の展開にもつながりました。本来は販売の対象としていなかったロボ玩具でも、アクションフィギュアなどで相当の売り上げになったという。また、キャラクターのフィギュアが認知されたのは本作の成功によるものではないかということは、既に論じました。


 それ以外で非常に時代性を反映したグッズとして特に取り上げておきたいのが「パソコンのデスクトップアクセサリ」です。エヴァの電源とバッテリーについて語ったとき、ちょうど「Windows95」が発売された年であり、これが日本においてパソコンが一般に普及する元年であるということは既に説明しました。


 パソコンのデスクトップの壁紙を自分の趣味に合わせて変更することは、今でもやっている人は結構居るかと思います。その壁紙を多数収録したほか、起動音などを置き換えることができる音源や、スクリーンセーバーなどを収録したデスクトップアクセサリ集が販売されたのですよ。


 これ、実は私も買いました(笑)。壁紙とスクリーンセーバーはエヴァ仕様に変えましたし、起動音とかも少しいじったかなあ。まさに、パソコン普及期という時代性を反映したグッズでしたね。


 それから、本作はオープニング主題歌「残酷な天使のテーゼ」も大ヒットしました。これは本当に名曲と言えると思います。曲に合わせたオープニング映像も素晴らしかった。


 エンディングテーマは逆に、ジャズのスタンダードナンバーを複数の歌手(ヒロイン声優含む)に歌わせていましたね。原曲については知らなかったんですが、アニメ誌に書いてあったので由来は知っていました。


 エヴァを見ていたときにはまだ気付いてなかったんですが、庵野監督って実はべらぼうに「音楽の使い方が上手い」んですよ。このことに気付いたのは庵野監督の次作『彼氏彼女の事情』を見ていたときなんですけどね。津田雅美の少女漫画が原作なんですが、アニメが面白かったので原作の方を読んでみたら、サークルの先輩が「庵野の演出は電柱と信号機だけだ」と評したくらいに、原作に忠実だったという(笑)。ところが、その「原作に忠実」な演出だからこそ、BGMとか効果音の使い方が破壊的に上手いということに気付いたんです。あと、選曲ですね。「どうしてその曲を」(笑)と思えるような選曲するんですけど、それがまたピタリとハマるという。映像監督としての庵野秀明の才能のひとつは、間違いなく「音楽センス」にあると私は思います。閑話休題。


 そして、マーチャンダイズの中ではかなり異色なものが、後年に追加されます。パチンコ・パチスロです。ただ、これは再びアニメの歴史を変えてしまったマーチャンダイズになります。初の機材「CR新世紀エヴァンゲリオン」が発売されたのが2004年になるようです。


 この、初の機材「CR新世紀エヴァンゲリオン」が大ヒットしたことによって、アニメとパチンコの歴史が変わってしまったという。これについては、パチンコとアニメの関係を考察した解説本『パチンコがアニメだらけになった理由わけ』(安藤健二著、洋泉社 、2011年)を読んで理由が納得できたという。


 別に、アニオタをパチンコに引っ張り込もうとして作ってるわけではなかったのだそうです。パチンコの方がデジタル化によって差別化できる余地が少なかったので、フレーバーとしてゲームなどから素材を持ってきやすいアニメを使って新機材を出すときの皮にかぶせたのだと。


 そして、そのフレーバーの要素の中で「暴走」というのがあったエヴァは、「突然確変」というパチンコの新しい要素を「暴走モード」で表現していたのですが、これが大ヒットしたという。


 パチンコで大当たりする確率が変わることを「確変」といいまして、主に低い確率から高い確率に移行することを指します。ただ、これはまず「大当たり」が出ないと変わらないのですが、この「突然確変」というのは、大当たりに伴う出玉が無いので、外見上大当たりがなくても確変が起きるように見えるシステムだそうです。そして、パチンコのエヴァが導入される直前(2004年)に、この確率上昇の上限が撤廃されたことで、エヴァの「暴走モード」が大ヒットしたのだとか。


 だから、アニメ的な演出の人気で大ヒットしたというよりは、パチンコの新機能が大ヒットしたという方が正しいようなんですね。それが、上手くエヴァのアニメ演出と組み合っていたと。


 ただ、理由が何であれ、それでヒットしたのなら、売れるからということで続編が作られる。また『エヴァンゲリオン』というアニメがベースの機種がヒットしたことで、アニメベースのパチンコ機が売れそうだということになり、アニメベースのパチンコ機が増える。


 そういう流れだったのだそうです。


 しかし、これがパチンコ機の歴史だけでなく、アニメの歴史も変えてしまったのは、そこから派生する理由がありまして。


 版権使用料が高いんですよ。また、アニメパートの制作費も支払われます。そこでパチンコ業界からアニメ業界の方に支払われる金額がバカにならなかった。庵野監督が新劇場版を作る資金源はパチンコの版権使用料だったという噂があるくらいです。


 懐具合が苦しいアニメ制作スタジオにとっては、パチンコ化の版権使用料やアニメパート制作費はバカにならない収入だったんですね。


 このことを知っていると、なんで『ルパン三世』のPART4が深夜枠でパチンコメーカー「平和」がメインスポンサーになって放送されたのか、よくわかるという。いや、それ以前に既に『マクロスフロンティア』の時点で、パチンコメーカーが『マクロス』のパチンコのCMを散々流していましたね。この『マクロス』とパチンコの関係については、実は『創世のアクエリオン』も関係しているので、そこで書こうかと思います。閑話休題。


※このパチンコに関する部分については、「なろう」の感想欄においてsamon様からご指摘があったことで追記と再修正を行っております。感謝。


 さて、最後に改めてエヴァの総評に移りたいと思います。最初に書いたとおり、私はエヴァは「名作」だと思っています。特に「TV版」については間違いなく名作だと評価しています。


 実のところ、リアルタイム当時は、あの最終回については「風呂敷を広げすぎてたたみ損ねた」と思っていたんですよ。


 しかし、劇場版を見たり、そのあとの制作スタッフ側のインタビュー記事とかを読んだりしていくうちに、アレは「確信犯」だったと思うようになりました。最初からたたむ気の無い風呂敷を意味深に広げていただけだったんだなと。


 そこを非難するのは、わかります。私もそのことに気付いた当初は、あまりいい気持ちはしませんでしたから。


 ただ、これも前に書いたのですが『ラーゼフォン』を見たあとで、その見解は変わりました。


 「作品を面白くする」ためになら「たたむ気の無い風呂敷を広げる」手法はアリだと思うようになったんです。


 ただ、これは多用するものではないでしょう。禁じ手に近い。


 それを「最初にやった」というパイオニアとして、エヴァは評価しています。


 ただ、それを安易に真似するとどうなるか。意味不明の作品ばかり生み出されることになります。しかも、そうした「安易なフォロワー」は「肝腎要かんじんかなめの部分」でエヴァに遥かに劣っているという。


 そう、「面白くない」んです!(爆)


 エヴァは、間違いなく面白かった!!


 だから、一般的な評価では「竜頭蛇尾」であっても、私はTV版エヴァは総合的に見て名作だと評価しています。


 じゃあ「劇場版」はどうか?


 アレは、TV版に飽き足らなかった人のためのファンサービス以上のものではないです。TVだと描けなかった絶望エンドをきちんと描いてみせたという点では評価しています。


 そして、あの劇場版を見たときの私の感想は、前に『イデオン』のところで書きましたので、それを再録したいと思います。


 『ガンダム』での「人はわかりあえるか?」という問いに「死にでもしなきゃわかりあえない」と富野監督がセルフアンサーしたのが『イデオン』で、「死んだってわかりあえない」と庵野監督がツッコみ入れたのが『エヴァンゲリオン』。


 ここで補足すべきことは、この「死んだってわかりあえない」は「劇場版」エヴァンゲリオンでのことなんですね。


 TV版エヴァンゲリオンでは、そこが「(別にわかりあえなくたって)君はここに居ていいんだよ」だったという。


 そのことに気付いたシンジに対して贈られる言葉が「おめでとう」なワケですよ。


 エヴァの登場人物は、表面上は『ガンダムW』のキャラほどエキセントリックではないのですが、内面が「病んでる」人が多いという。


 そこに、過剰なまでに「他者とのコミュニケーション」と、「そのコミュニケーションによって傷つくこと」を恐れる心が投影されているように思えます。「ATフィールド=心の壁」というのは、その象徴ですね。


 これ、1995年という時代性を反映すると同時に、今日までも引きずられている傾向だと思います。そこが、視聴者の心情にピタリとハマった。だから、エヴァは大ヒットしたし、今でもその人気が続いているんじゃないかと思えるのです。


 そういう時代性をえぐり出したという面からも、エヴァはやはり名作だったと言うことができるんじゃないかと思えます。


 さて、エヴァ語りについては今回で終わりまして、次回からは96年の作品に入ろうと思います。最初は『勇者司令ダグオン』かと思っていたんですが、今調べてみたら『機動戦士ガンダム第08MS小隊』のビデオリリースの方が少しだけ早かったので、次回は『08小隊』に行きたいと思います。


 ガンダムやマクロスほどではないにせよ二桁に乗ったエヴァの最後の締めは、次回予告のセリフではなく、やっぱりこれで終わりましょう。


「おめでとう」(拍手)

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