第222話 新世紀エヴァンゲリオン その5 逃げちゃダメだ編

 エヴァ語りも5回目、今回からキャラ編に入ります。まずは主人公の碇シンジからということで、サブタイトルは彼の性格を最もよく表しているセリフからいただきました。


 このセリフから、彼の一見引っ込み思案だけど、実は意外に前向きな性格が見て取れます。物語の最序盤ではアムロを上回る「うじうじ系主人公」っぽく沈没してるんで、かなり後ろ向きな性格だと思われがちなんですが、それを克服して前に進んでるんですよ。


 問題は、そうやって少しずつでも前に進んでる彼を後ろに押し返そうとする外圧が酷すぎることなんですよね。状況もそうなんですが、一番酷いのは父親のゲンドウなんですけど。


 普通の物語構造なら、最初は後ろ向きだったシンジが前を向いて、徐々に前に向かって進んで行って、最後は成長した姿で力強く未来に進むことを決意してハッピーエンド、って方向性になるはずなんですよ。


 実際、物語のちょうど中盤、第15話あたりまでは前に進んでいるんです。それが、第16話で反転する。


 物語の最初から、父親であるゲンドウとは確執があるように描かれていました。それが、第15話においては、一緒に母親ユイの墓参りをして、心の距離を少し縮めているように描写されているんです。それが、その次のエピソードで無残に破壊されるという。


 のちに親友になる鈴原トウジには、最初は理不尽に殴られるんですよ。初号機が使徒を倒したときに、そのせいで妹が怪我をしたからといって。これ『ザンボット3』へのオマージュですね。


 ところが、偶然の結果エヴァに乗り込むことになったトウジは、シンジが苦しみながらエヴァで戦っているのをエントリープラグ内で見てしまったんですね。それで自分の行為を謝って友達になるという。それから、日常パートでは交流が続き、一緒にエヴァに乗り込んだ相田ケンスケと共に、アスカからはシンジと合わせて「三バカ」扱いされるような親友になるという。


 そのトウジがフォースチルドレンに選ばれたことをアスカは知っていたのですが、シンジは知りませんでした。そして3号機が暴走したときに、シンジは「乗っているのがトウジであることは知らない」ものの、自分と同じ年代の少年少女が操縦しているということで戦闘を拒否します。しかし、そこでダミーシステムを使って強制的にエヴァを操られて3号機と戦うハメになるという。


 しかも、ただ3号機を倒しただけではなく、エントリープラグまで破壊してしまうんです。これ、エヴァの暴走なのか、それともゲンドウのコントロールによるものなのか、作中の描写からでは判断できないのですが、ゲンドウのコントロールによるものだったら酷い話です。


 そして、その折れたプラグの中にトウジが居たことを発見してしまうんですね。


 それで、シンジも酷すぎると思ったらしく、初号機にたてこもって反抗するんですよ。ところが、非常手段によってあっさりと鎮圧されてしまうという。これで、シンジはゲンドウに対して完全に心を閉ざしてしまうんですよ。


 これで、すっかりやる気を無くしたシンジはエヴァから降りることを決意するんですが、次の使徒に零号機や弐号機も倒されてシンジしか使徒を倒せる者がいないとなったときに、加持かじリョウジに諭されて出撃を決意するという。


 ここまでだったら、挫折からの成長と言えるのかもしれないんですよ。


 ところが、その先に進むと、今度は心を通わせはじめていたレイが「シンジ君は私が守る」と言って零号機で自爆するという。それで死んだかと思っていたレイが姿を現したものの、あきらかに「それまでのレイ」とは態度が違う。


 ここで、レイが普通の人間とは明らかに「違う」ことがシンジにも分かってしまうんですね。


 また、アスカとは最初の出会いから反発しあっていたものの、共に生活し、また一緒に戦っていくうちに距離は近づいていたんですよ。しかし、そのアスカも終盤になると自分のより所だったエヴァの操縦に自信が持てなくなったのと、使徒による精神汚染で廃人同様になってしまうという。


 親友や、友達以上恋人未満の仲間二人を事実上失ってしまうんですね。この頃になると、学校の同級生もどんどん居なくなっていくという描写がされています。もうひとりの親友だったケンスケもシンジの気持ちを理解しないまま去って行きます。日常が欠落していくんですよ。


 そんな中に現れたのが、フィフスチルドレンである渚カヲルでした。失った友達や仲間のかわりにカヲルとの交流にのめり込んでいくシンジ。


 しかし、そのカヲルこそ実は最後の使徒だったという。ただ、この展開は作中ではバレバレでした。もうね、「シンジ逃げてー!」って言いたくなるくらい、見てて「こいつ実は敵だろ」感が充満してたんですよ(笑)。


 そして、最後はそのカヲルを初号機が握りつぶすことで第24話は終わります。


 この、あまりにも先が見えない絶望感の中で、TV版は伝説の最終回二話をやっちまったんですね。


 唐突に始まる「人類補完計画」としての「碇シンジの心の補完」。さまざまな心象風景やパラレルワールド的に展開される「シンジが望んでいた日常」。その結果として最後に登場キャラ全員による「おめでとう」と拍手。そして「僕はここに居ていいんだ」というシンジの独白によって、この伝説のTVアニメ『エヴァンゲリオン』は終わります。


 私はこの最終回を見て、前に『オーガス』の所でも書いたように、「ああ、このオチは『オーガス』だな」と思ったんですよ。結末をうやむやにしながらも何となくハッピーエンドにするという技法は、別に『エヴァ』が最初じゃないんです。


 そして、のちに『イデオン』を劇場版まで見終わったときに、改めてこの「エヴァの最終回」がイデオンでもあったことに気付いたという。


 しかし、まあ、この「謎を投げっぱなしジャーマン」にした終わり方は、リアルタイム当時は非難囂々ごうごうでしたよ(笑)。それで劇場版が作られることになったという。


 この劇場版が公開に間に合わなかったことで二作に分かれてしまい、また「劇場版商法」と非難されることになるわけですが(笑)。


 そして、公開された劇場版の内容が、また何というか、期待通りといえば期待通り、期待外れといえば期待外れでして。


 物語の謎自体は解明されているんですよ。人類を群体としてではなく一個の個体に再統合しようというのが「人類補完計画」だったという。


 その一方で、ゲンドウはそれを望まず、ただ己が失った愛妻・碇ユイを復活させようとしていただけだった。それでネルフと、その上位機関であるゼーレとの戦いになるという。


 ただ、ユイ復活のためのクローンだったレイは、しかしゲンドウを拒絶してシンジの方を選んじゃうんですね。


 結局、人類補完計画が発動して人々が溶け合い出すという。しかし、シンジはそれを拒絶して「個体としての人」として残ることを選ぶんですよ。


 ところが、それで最後に残った新しいアダムになるはずのシンジは、イブになるはずのアスカの首を絞めて殺そうとするんですね。


 それに気付いたアスカは、一言吐き捨てるんですよ「気持ち悪い」と。


 この、どうしようもない絶望感と終末感に満ちたシーンで劇場版『エヴァ』は終わります。


 これ、結局第24話までの先の無い絶望感って、どうしようもなかったってことなんですよね。ハッピーエンドが無理だった。結局、真面目に終わらせようとしたら、こう作るしか無かったってことでしょう。


 TV版の唐突な「存在の全肯定」によるハッピーエンドか、劇場版の「真面目に最後まで描いた」バッドエンドか。


 それとは違うエンディングを目指しているのが、リメイク作の新劇場版『ヱヴァンゲリヲン』なのかもしれませんが、こちらは途中までしか見ていないですし、まだ終わってもいないので講評は差し控えます。


 結局、シンジって「逃げちゃダメだ」と頑張っていたにも関わらず、「前に進みたくても進ませて貰えなかった」キャラなんですよ。本人の責任に帰しちゃうのは可哀想かなと思います。


 それでは、次はエンタメのヒロイン像に多大な影響を与えたヒロインズについて語りたいと思います。今回も締めはこれで。


「この次も、サービスサービスぅ!」(爆)

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