第149話 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア その2 ララァ・スンは私の母親になってくれたかもしれない女性だ編

 さて、逆シャア語りの2回目です。本作の「主人公」シャアについて語りましょう。それ以上は語る必要は無いかなと思っています。サブタイは過去最長かと思うのですが、これにした理由はすぐに書きます。


 アムロが非常にカッコ良いのに対して、本作のシャアは非常に情けない男として描かれています。その象徴が、作中でもラスト直前に言われた、このセリフでしょう。


 お前、三十三歳にもなる大の男が宿命のライバルへの恨み言として叩きつけるのが、よりにもよってコレかと。


 シャアにとって、結局のところアクシズ落としによる世直しなんて、大して意味がなくて、本当はアムロにララァを殺されたことに決着を付けたかっただけじゃないか、というのは、作中で部下のギュネイ・ガスにすら指摘されていることではありました。しかし、それが実際に本人の口から語られるとなると、また情けなさがひときわ目立ちます。


 あの、初代ガンダムの最初の頃にカッコ良かったシャアはどこへ行ってしまったのかと嘆きたくなるくらい、逆シャアのシャアは情けない男に成り下がっています。そのあたり、カッコ良い大人の男になったアムロとは、まさに対照的です。


 そもそもが、なぜ逆シャアの段階で、シャアはシャアと名乗っているのかということ自体が問題になります。ジオン・ダイクンの息子として立つなら、キャスバル・ダイクンと名乗るべきでしょう。それが、どうしてザビ家の軍人としての偽名である「シャア・アズナブル」を名乗っているのか。どうしてザビ家の軍人としての最終階級である「大佐」と呼ばせているのか。


 確かに、名声ということでは「赤い彗星のシャア」の知名度は高いでしょう。しかし、0087の時点でカミーユ・ビダンという一介の高校生すら「シャア=キャスバル」ということは知っていたんです。まあ、カミーユは一年戦争の英雄に興味を持っていた(ブライトのサインを欲しがっていましたし)ので、そのあたり調べたのかもしれませんが、それにしても調べれば分かる程度の衆知の事実だったということは言えるでしょう。


 また、Zガンダムの作中でのダカール演説でも、既に本人がクワトロ=シャア=キャスバルであることは公表しているんです。この時点で、完全に衆知の事実になったはずです。また、その演説の中で当のシャア自身が「ジオン公国のシャアとしてではなく、ジオン・ダイクンの子として」ジオンの遺志を継ぐと明言しているんです。


 要するに「キャスバル・ダイクン」と名乗って何の問題も無いはずなんですよ。それなのに、なぜ「シャア・アズナブル大佐」と名乗っているのか。このあたり、覚悟が中途半端な気がしてならないのです。


 また、世直しに立った動機というのも、微妙だったりします。


 エウーゴのリーダーとして戦う中で地球連邦の首脳部に絶望したんだろう、というのはアムロが作中で語っていました。


 それで、時間のかかる道ではなく、小惑星を地球に落とすという荒療治によって、地球に固執する連邦上層部を粛清すると同時に、地球に核の冬を起こして、物理的に住めなくすることで全人類を宇宙に移民させ、強制的にニュータイプ化を促すという。


 これ、前に初代ガンダムのところでも書いたんですが、自分が半生をかけて否定したはずのザビ家のギレンと同じような方法論なんですよ。そして、それを自分がやらないといけないと思っているという所も同じだったり。


 作中でも「私、シャア・アズナブルが粛清しようというのだ」とアムロには言い、愛人で副官のナナイ・ミゲルには「人類全体をニュータイプにする為には、誰かが人類の業を背負わなければならない」と言っています。


 ところが、これを「キャスバル・ダイクン」としてではなく「シャア・アズナブル大佐」としてやっているという。


 やっぱり、やり口として「ジオン公国」=「ザビ家」と同じだと自覚してるんですよ。あくまで政治運動として改革を志したジオン・ダイクンの遺児にふさわしいやり方ではないと。だから、キャスバルではなくシャアなんでしょう。


 シャアの悲しいところは、それを自覚してしまっているところだと思います。「これでは道化だよ」というセリフは、それも含めた自嘲の言葉に思えてならないのです。


 そして、そんな自分を誰かに止めてもらいたかった。いや、よりはっきり言えばアムロに止めてもらいたかった。そういう気持ちもあったのかなとも思えます。そうでなければ、アムロにサイコフレームを渡すという意味がわからない。


 アムロと互角の条件で戦って勝ちたいという気持ちもあったことは事実でしょう。でも、シャアほどの男が、それでは勝てないということを理解していなかったはずがないんです。


 その一方で破滅願望もあったように思えます。スィートウォーターでの演説の最後に「私は父ジオンの元に召されるであろう」と明確に自分の死を予告していますし。


 「ララァを殺したアムロへの恨み」「アムロと正々堂々と戦って勝ちたいという男としての意地」「地球連邦の腐った首脳部を粛清し人類をニュータイプへの導かなければならないという使命感」「それが道化でしかないという自嘲」「自分の愚かな好意を止めて欲しいと思う理性」「破滅願望」……これらが渾然一体となって逆シャアのシャアを動かしていると私には思えます。


 だから、部分部分を見ると矛盾してるとしか思えないような言動になってしまうんじゃないでしょうか。


 そして、最悪なことに、シャアの中ではララァ以外の女性は存在感がまったく無いという。本作でもナナイ・ミゲルという愛人が居ますが、どう考えても大事にしていません。女扱いの下手さはZガンダムでも見せていましたが、本作でも変わっていません。


 さらには、自分を慕ってきたクェスも口先だけでたぶらかして兵隊として使い捨てにするという。やり口としてはシロッコ以上に汚いことをやっています。シロッコは、あれで自分が手を出した女にはきちんと責任取ってますし、サラを失ったときは激昂していますから。


 結局、アムロにはMSパイロットとしてもニュータイプとしても完敗し、自分が汚れ役となって行おうとした「アクシズ落とし=連邦首脳部の粛清と全人類のニュータイプ化」も失敗に終わり、アムロと共に行方不明になるという。


 要するに、逆シャアでシャアが成そうとしたことは、自分自身の死以外はひとつも成らなかったんですよ。最終的に総括すると「地球連邦首脳と地球環境を巻き添えにしようとして、結局アムロしか巻き込めなかった心中」という形になるのかなと思います。


 逆シャアでは、ほかにもハサウェイとクェスとギュネイとかの人間模様もあったりするのですが、まあ枝葉なので語る必要も無いかと思います。


 これで初代ガンダムから続く第一次ガンダムサーガは完結します。しかし、ガンダムシリーズ自体は、このあとも延々と続いていくことになります。それらについては、また改めて語りましょう。

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