虚像
めぞうなぎ
虚像
俺は前に歩いていた。背中にはやつがいる。逃げていた。逃げているなら取り乱して走ってもよさそうなものだが、あいつに対しては歩こうが走ろうが逆立ちしようがスクーターに乗ろうがステルス戦闘機で飛ぼうが関係ない。あいつにとっては、全てが余地なのだ。
ぶつぶつと呟いているのが聞こえる。これもまた俺の妄想なのかもしれない。
「世界中のくしゃみの音をフィクションにする」
俺はフィクションから逃げていた。どれだけ逃げても追いかけてくる。俺の頭の中に、トイレの便座の裏に、うがい薬の蓋の中に、印字されたレシートの内訳に、氷河期の或る一年に、嘘八百の中に、フィクションは隠れていた。あいつはどこにでも棲息できる。息を潜めて表に出る瞬間を今か今かと待っている。
「全ての漢字に
この瞬間には、フィクションは砂糖を運ぶ蟻の姿をしていた。直後に虫眼鏡で集めた夜光灯で焼かれ、レジ袋になっていた。
「爪はよく噛んで飲みこむんだよ」
フィクションはどこにでもいる。どこにでもいると言っていた。手渡された電話帳を一瞥しただけでも、どの見開きもフィクションで満たされていた。
「晩御飯を食べない悪い子にはシリカゲルの訪問販売が来るよ」
「パトカーの覆面をした車が雪に嬉しさを覚えて環境問題を噴出しているよ」
フィクションはなんでも繋げることができた。俺の足と電線を繋げた。塩辛とイソギンチャクを繋げた。子供騙しなんてものではなく、老若男女、老いも若きもお姉さんも多かれ少なかれフィクションの手綱をとって生きているのだと国語の教科書に紛れ込んだフィクションに朗読させられた。
キルトのヤドカリが子守歌を歌っている。
「一万円礼を出したので、すべての硬貨紙幣が一万円の価値があります」
フィクションを退治することはできなかった。実話の重みを込めた実弾を撃ってみたことがあった。あいつの不定形不定量を論難して実質に訴えかけたこともあった。足元におひねりをうっちゃる民間療法も実践してみたことがあった。フィクションにとっては、虚実織り交ぜて分別困難なゴミにして路肩に不法投棄することなどお茶の子さいさいだった。朝飯を食いながら昨日の昼飯を食うことも出来た。フィクションの目を見ていると気が遠くなった。大きな目小さな目濁った目澄んだ目閉じた目開いた目明いた目盲いた目赤い目青い目黄色い目茶色い目手書きの目CGの目壁に開いた穴から覗く目天上の木目みたいな目想い人に恋い焦がれる目種々多様な目があった。試しに一つの目を突くと涙が溢れて胡椒が出てきた。もう一つの目を突くと瞳孔に指が吸い込まれて俺の耳の穴から出てきた。
フィクションなんて。
海辺にいた。
フィクションなんて。
机の下で蹲っていた。
フィクションなんて。
消火器の中に閉じ込められた。
フィクションなんて。
工場の生産ラインが東京―大阪間に20××に開通します。
逃げようが腰を据えようがフィクションは俺を連れ回す。消しゴムに愛を囁いている。生放送に割引シールが貼られている。胸に手を置いた文鎮がエアメールを押さえている。
なんだ夢か。
フィクションの座右の銘だそうだ。
フィクションの将来の夢はパラフィクションだそうだ。将来の夢を語る作文に袖の下を握らせてそう言っていた。いつでも俺の傍にいるだけでは飽き足らないらしい。縋りついてきたフィクションを肘で小突く。
「痛いの痛いのどうにでもな~れ」
立てば妄言座れば寝言、歩きスマホはデンジャラス。
今も蟹缶の中身に殻を着せている。あったかくして寝るのよ。そう言って寝室に消えていく。黙祷したまま世界が違って見えると叫んでいる。誰が為に鐘は鳴るのか、ベルを鳴らしてベルボーイに聞いている。駅弁が駅を新設して駅弁駅駅弁を販売している。ミートボールが星形だ。曲がり角が直進している。前を見ていたバックミラーがフロントガラスを割って怒られている。
フィクションの家にお呼ばれして手料理を食べる。手には足が10本生えている。肉じゃがはハンバーグの味がする。テレビでラジオをやっている。三世代一人暮らしをしている。核家族を遠心分離機にかけて離散させている。
フィクションは次の金曜日が明けた火曜日の月曜日に水曜日で日曜日のファッションショーをやるらしい。眉に胃液をべったりつけて聞いておいた。
「ここだけの話、あっちでやってるんですよ」
肛門に耳打ちされた。俺はフィクションを粗く挽いて、フォークに巻き付けたスパゲッティを滑空しながら食べる。舌の根が渇いた。
虚像 めぞうなぎ @mezounagi
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