第17話 話そうと決めてみた
「美月さんからいただいていたのは、苦しい感情とか、そういうもののようです」
「あ……」
記石さんの言葉に、心当たりがあった。
喫茶店に来た後、学校で悩んでいたのが不思議なほど、亜紀のことについて軽く考えられるようになっていたり、忘れていることもあったのだ。
芽衣達にも不思議だと言われたおぼえがある。
亜紀からメールを送られてきたりすると、また思い出してしまうので、一時的なものだけれど。
それでも忘れていられる時間は、とてもありがたかった。
「じゃあ、鬼さんにもお礼をしなくちゃいけませんね。おかげで私、このお店に来るとほっとしましたし、勉強もできたので」
精神的に重たいことがあると、どうしても勉強には集中できなくなってしまう。
その上テストの点まで落とすようなことになったら、どうしようもないとわかっていても、余計に落ち込んで何も手につかなくなっていたかもしれない。
すると記石さんが目をまたたいた。
「……珍しいですね」
「え?」
「鬼の話を聞いて、お礼を言いたいと言う人は初めてですよ。普通は冗談でも引かれますし、下手をすると怖いからと理解を拒否されますからね。そんな時には、騒がれると困るので、聞いたという思い出を鬼に食べさせてしまうのですが」
最後の言葉を付け加えた時の記石さんの表情に、あの鬼と似た、毒をもった妖艶さが漂っていた。
少し私はぞっとする。
「まぁこの話はここまでとして。美月さん、彼女をどうしますか?」
「彼女……亜紀のことですね。放置しておいたら、あのままなんですか?」
ずっとああやって、さまよい続けるのだろうか。
でも様子がおかしいとはいえ、女の子があのままさまよっていては、危険なことに巻き込まれかねないので、そのことについてもハラハラする。
「今の状態のままだと、美月さんが外へ出ると追いかけてきます。そのうちにまた、心の中にある妄執から鬼を作り出すでしょう。鬼は、人の心から生まれるものですから」
「また、同じことが繰り返されるんですね……。どうにかする方法をもしご存じでしたら、教えていただけませんか?」
記石さんは「そうですね」と解決策になりそうなことを教えてくれた。
「彼女の思い出を鬼に食べさせることで、妄執の元を断ち切ることはできます。ただまぁ、色々問題はありますので、即決で選択するのはお勧めしません。できるわけ僕としても、本人の同意が欲しいところです。どんなにひどい思い出でも、失くしたくない人はいるでしょうから」
「そうですね……」
確かにきっかけを失ってしまえば、悪感情も好きだという気持ちも湧きようがなくなるだろう。
「だからまずは、彼女がどうしてそうなったのか、なぜ美月さんを追いかけまわすのかを知ることですね。知られることで、妄執を手放す人もいます。もしくは話し合いで解決と解消ができれば、一番いいのでしょう。彼女も正気に戻るでしょうし、鬼を作り出すこともなくなる」
記石さんはそこで、頬杖をついて私を見る。
「彼女と話してみますか? ただ、彼女があなたの言葉を何一つ受け入れない、という可能性もあります。鬼を作り出す人の中には、耳に痛い言葉を頭の中で都合よく変えてしまう人も多い。そういう方だった場合、話すだけ無駄ということにもなってしまいますが……」
でも最後に付け加える。
「けれど話さない限りは、彼女がなぜあなたを排除しようとしたのかも、納得できないままになるでしょう」
それで私の気持ちが決まった。
なにせ亜紀は私を殺そうとした。
階段のことだって、打ち所が悪ければ死んでいたかもしれない。もし亜紀がそうしても構わないと心から思っているとわかったら、辛い気持ちになるだろう。
それでも理由を知りたい。
「彼女と話したいです」
だから記石さんにそうお願いした。記石さんはうなずいてくれる。
「では彼女を、中に招きます。この中にいる限りは、私がある程度暴れないようにはできますので、そこは安心してください」
私は「はい」と返事をする。
けど亜紀が中に入ってくるかと思うと、緊張する。睨まれたり、急につかみかかられたら、と不安は尽きない。でも決めたのだ。
でも私の気持ちを感じたのか、記石さんが私に立ち上がるように言い、隣に並んでくれた。
「さ、入ってきますよ、彼女が」
彼が言った数秒後、カランと軽いベルの音を鳴らしながら扉が開く。
明るいベルの音とは正反対に、亜紀の足音は、ひきずるような重苦しいものだった。
うつむきながらのそりと店の中に入って来た彼女は、上目遣いに私を見た。
……こんなに怖い上目遣い、初めて見た……。
怖さのあまりなのか、変な方向に思考が飛んでいきそうになる。
亜紀は玄関から二歩、三歩と進んだところで立ち止まった。
「見つけた……美月」
名前を呼ばれると、怖さで身震いしてしまう。
「どうして私をさけるの……」
一歩踏み出して亜紀が口にした言葉に、ぞっとする。
でも気づいていて当然だと思う。私はあからさまに、亜紀とだけ会わないようにしてたんだから。
「どうして話を聞いてくれないの……。こんなに辛い気持ち、美月にしか話せないのに」
でも次の言葉に、私も少しかっとなる。
「なんでさけたと思うの? 本当にわからないの?」
ついケンカ腰の口調になってしまう。
「亜紀が、私が槙野君のことを好きだって知っていながら、ずっとのろけ続けたからでしょう? どうして好きな人が、別な人と付き合ってる話を聴き続けなくちゃいけないの!?」
「だって、知ってるのは美月だけ……」
「私にも、さける自由があるわ。我慢しない自由だってある。それを放り投げて、亜紀のために我慢して、苦しみ続けなきゃいけないの?」
かわいそう、という気持ちだけじゃ我慢できない。大事だと教えたものを、取られてまでは。
でも亜紀は理解できないようだ。
「だって、確かに美月が好きだって聞いたけど、私もいいなって思っちゃったんだもの」
だってだってと繰り返す亜紀。
……これは話し合いを続けても、あんまり理解してもらえないかもしれない、という気がした。
その一方で、それならと少しためらいが吹っ切れる。
今の亜紀は、なんだか幽霊みたいで怖いけれど、私は自分の思っていたことをそのまま伝えた。
「本当は、私が好きだと打ち明けた時に、彼からは遠ざかって欲しかったよ。それに槙野君と恋人になったことまで、話してほしくなかった。だって、もし亜紀がとても食べたいって言ってたけど、値段が高くて手が出ないケーキを、私が買ったとしたらどう? 買ったのは仕方ないかもしれない。けど、毎日あのケーキがどんなに美味しかったかを話されて、でも二度も同じケーキは買えない、辛いって言われ続けたら、嫌な気持ちを持たずにいられる?」
「だって苦しかったんだもの。友達なんだから、聞いてくれたっていいでしょう? 美月は告白しないでいるから、辛くないからそんなことが言えるのよ」
……ん? とそこで私は違和感をおぼえた。
あれ? 今、何か変なことを言っていなかった?
「苦しいってどういうこと? 付き合って幸せだとか言っていたじゃない」
そんな単語が出てくるってことは、まさか。
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