第16話 喫茶店の秘密

 今の状況が、まだ私は飲みこめない。

 亜紀が、怪奇現象を起こしていたらしいことはわかった。それから記石さんが逃がしてくれたことも。

 亜紀を止めてくれたのが、車にはねられそうになった時に、助けてくれた記石さんそっくりの人で……。でも虎の姿もしてて。


「あの、亜紀やあのカラスは、入って来られないんですか?」


 まず確認するのは安全だ。万が一飛び込んで来たら、座っているとすぐに逃げられない。

 だから座席に落ち着くのが怖い。

 それに私を追いかけて来て、お店の中をめちゃくちゃにされてしまったら、記石さんに申し訳ない。

 記石さんは「何も心配ありません」と微笑む。


「大丈夫。君か僕が招かない限り、入ってこられませんよ」


「それはどうしてですか? お店のドアに鍵もかけてませんよね? それに記石さんは、どうして……」


 あまりに聞きたいことだらけすぎて、逆に言葉に詰まる。

 記石さんは、外を指差して言った。


「見てください。あなたを追いかけてきた彼女は、中に入ることすら思いつかない状態ですよ」


 言われて窓を振り向けば、亜紀がぼんやりとした表情で、左右を見回しながら、店の前を歩いて行く。

 でも私と目があったような気がしても、そのまま視線は他へと流れて行く。

 まるで、見えてないみたいに。


 ――数日前の、一度亜紀がこの喫茶店の前を通りがかった時と同じだ。

 でも今日の亜紀は、間違いなく私がお店に入ったのが、見えたはずなのに。


「どうして…」


「僕が見えないようにしているからです。正確には、美月さん、あなたを知覚できないようにしているというべきかな」


 答えた記石さんは、もう一度「座って」と私に勧めた。

 本当に亜紀が通り過ぎてしまったので、私は気が抜けたように、記石さんの向かいの席に座る。


「記石さんが…こんなことができるのは、なぜなんです?」


 前から不思議には思っていた。

 まさかと思いながらも、亜紀が通りがかった時にたまたま気づかなかったこと、交差点で記石さんによく似た人に助けられたことで、すがるような気持ちで、喫茶店を目指した。

 でもこんなにはっきりとした形で、視認されないことを知った今、理由が知りたい。それはたぶん、あの記石さんに似た人にも関係してるはず。


「鬼、のことは知っているますか?」


「童話や昔話でよく見ましたけれど……」


「僕は、鬼を飼っているんですよ」


「え?」


 目をまたたく私に、記石さんが続けて言った。


「荒唐無稽な話でしょう? でも君は、僕によく似た人間に、二度あっているはずです。交差点で轢かれかけた時と、今回と」


「そうですけれど。あれは、記石さんが……?」


「というより、あれが私の鬼なんです」


 私は声に出せないまま「おに」と口だけを動かした。

 信じられない。でも目の前で、姿まで変化する様子を見た以上は、疑うこともできない。

 しばらくぼうぜんとした後で、とにかくその鬼が、二度も私を助けてくれたのだということを思い出して言った。


「あの、助けて下さってありがとうございます」


 頭を下げる。だって私は、死にそうになったところを救ってもらえたんだもの。そうでなくとも、この喫茶店にいることで本当に亜紀に認識されないのなら、何度も記石さんには助けてもらっていることになる。

 でも記石さんは、首を横に振った。


「ああ、気にしないでください。私にも利益があってのことですから」


「利益、ですか?」


「あなたにつきまとう鬼は、早々に倒しても良かったんですが……」


 記石さんが申し訳なさそうな表情になる。


「もう少しで食べごろになるので、少し待っていたのですよ」


「食べごろ!?」


 食べごろって何? というか襲われているとわかっていながら、野放しにしていたということだろうか。


「でもあの時は、彼女はまだ完全に鬼になっていませんでしたからね。なにせ僕の鬼は、鬼を食べたくて仕方のない奴でして」


「は、はぁ……」


 何と答えていいのかわからない。

 でも鬼を食べると聞いて、さっき虎のような姿で現れた記石さんの鬼が、カラスを吸いこんでしまったことを思い出す。


「亜紀と一緒にいたあのカラスみたいなものは……鬼なんですか?」


「その通りです」


 記石さんが肯定する。


「このようなわけで、鬼が食べごろになったようなのと、本格的に美月さんが大変なことになりそうでしたので、今日はお迎えに外へ出たわけです。間に合ってよかった」


 記石さんは爽やかな笑みを浮かべた。


「あ、ありがとうございます」


 とりあえずお礼を言ったものの、微妙な気持ちにはなった。

 助けてくれたし、とても感謝している。だけど危険だとわかっていたのに、食べごろになるまで放置していたということで……。そもそも食べごろって何だろう。

 私が微妙な顔をしていたからだろう。察した記石さんが理由を話してくれた。


「食べごろになるまでそのままにしていたのは、しっかりと鬼になってからでなければ、狩ることができないからなのです。その間は、申し訳ないのですけれど、困っているとわかっていながらも、そのままにしていました」


 一応、ここにいる間と、鬼の気配が強くなってきた時は、カバーはしていたのですが。と記石さんが続ける。


「でも、僕の鬼の食料として観察させていただいていたことは間違いではないので、そこは申し訳ありません」


 なるほど、事情はなんとなく理解した。

 ちょっと何かの怪奇ファンタジーの撮影に巻き込まれたような、ものすごい自分が浮いている感じはするけれど、たぶん状況はそのようなものだと思う。


「いえ、助けてくださったことには変わりありません。何かお礼を……」


 話を聞いているうちに、落ち着いてきた私は、ようやく記石さんへのお礼にまで気持ちが及ぶようになった。

 けれど記石さんは首を横に振る。


「実は、もうすでにあなたからは多少なりと、取立てをしてしまっていて」


「取り立て」


「すみませんうちの鬼が……。勝手にあなたの記憶を覗いては、付随する感情を食

べていたようなのです」


 私は目を見開く。


「感情!? って、鬼って感情を食べるんですか?」


 鬼が鬼を食べるというのはもう、何かファンタジーなものとして納得したけど、鬼に記憶を食べるといわれると、何か薄ら寒いものを感じてしまう。

 記石さんのほうは、私の反応にもうろたえた様子すらなかった。

 もしかすると、すでに同じようなことを話し、同じようなことを説明したことがあるのかもしれない。

 彼は静かに説明を始めた。


「感情はおやつみたいなものですね。僕の鬼は、普段は思い出を食べるんですよ」


「思い出……」

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