第18話 彼女のついた嘘

 私の頭の中に、学校での噂のことがよぎった。

 槙野君にふられた人の話。


「まさか、槙野君にふられ……」


「うるさい!!」


 急に亜紀が怒鳴った。

 亜紀の体から、ぐわっと黒い煙のようなものが湧き出す。

 とたんに店の中に強い風が吹いて、私は喉の奥で悲鳴を上げて、怖くて座り込みそうになった。

 そんな私の背中を支えてくれたのは、今まで黙ってやりとりを聞いていた記石さんだ。


「僕の店の中で暴れるのは、禁止させてもらいますよ」


 彼がそう言ったとたん、赤い光が走って、亜紀と黒い煙の二つをぐるぐると縛った。

 風も止む。でも亜紀の怒りは止められなかった。


「フラれたんじゃないもの! 槙野君をだましてる女がいるのよ! 付き合っているわけじゃなかったんでしょう、とか。友達だって聞いたけど、なんでつきまとうの、とか。私に、ひどいことを……」


 そのまま亜紀が泣き出して、床に座り込んでしまう。


「仕方ないですよね」


 そこで、まだ私の背中を支えてくれていた記石さんが言う。


「あなたは、恋人だと言っていた人物と、本当はつき合っていなかったんですから」


「え!?」


 驚いて、記石さんを振り向く。記石さんは薄笑いを浮かべていた。


「友達になろうよ、でしたっけ」


「言うな、言うなあああっ!」


 記石さんの言葉に、亜紀がさらに叫ぶ。でも記石さんはやめない。


「そしてだんだん、友達のはずなのに、やたらと教室に通ってきては目線を送ってくるあなたに、彼の方が引き気味になった」


「そんなことない! あれは全部、槙野君が好きな他の女が、嫉妬でひどいことを吹き込んだから!」


反論するほど、記石さんの言葉が証明されて行くように感じる。


「知っているんですよ、僕は。あなたの分身を食べたのですから」


 分身……食べたと言うのは、亜紀の鬼だけだ。記石さんは、鬼を食べると、その人の思い出をも汁ことになるの?


「そう、振られたと言うのは少し違いましたね」


 記石さんは微笑む。


「あなたは、友達もやめたいと言われたのですから」


 亜紀は、言葉を失ったように記石さんを見つめる。

 どうして知ってるの、とも言わなかった。

 でも無言だからこそわかる。本当だから、何も言えなくなったんだ。

 ということは、噂がもし亜紀のことだった場合を予想した芽衣は、半分は当たっていたんだ。


 槙野君は他に付き合っている人がいた。

 でももう半分。というか基礎的なところで、私は完全に誤解させられていた。

 亜紀は、本当はつき合っていなかった。だけど私にだけ、つき合っていると話した。


「でもどうして……私にだけ、嘘をついたの」


 つぶやくように疑問を口にした。

 亜紀は私を睨むようにして、唇を引き結んだ。そのまま何も言わないでいるかと思ったけれど、しばらくしてぽつりと口にする。


「うらやましいと思っちゃ、いけないの?」


「え?」


 何のことを、と私は驚いて言ったけれど、亜紀はそれに背中を押されるように言葉をあふれさせた。


「いつもいつも、お母さんには美月と比べられて、せめて学業くらいはって責められてっ」


「それは……」


 亜紀の母親が、少し娘を卑下しすぎだというのは感じていた。だから目に入ると亜紀が嫌なことを言われるだろうと、あまり関わらないようにしていたのだけど、それでも亜紀の母親は私をダシにしていたようだ。


 たぶん亜紀の母本人に聞いたら「娘にもっと勉強してもらうため」とか「もっと良くなってほしいから」と励ましていたつもりだと言うんだろう。

 でもそれは励ましなんかじゃない。

 うちのお母さんも言っていた。あまりにも娘を自分の分身のように思いすぎだと。

 その間も、亜紀はだんだん涙声になっていく。


「なのに美月は、片思いをして楽しそうにしゃべってて。普通に高校生活を送ってて。私なんて好きな人がいたってわかったら、お母さんになに言われるかわからないから、そんな気にもなれないのに。でも友達も恋愛の話ばっかり!」


「亜紀……」


 彼女の苦悩は私にも理解できた。

 でも、私だって別に片想いをして楽しんでいたわけじゃない。彼を好きだという気持ちは憧れに近い感じではあったけど、私には振り返ってもらえる要素もなくて、ものすごく私って良いとこがないなって落ち込んだこともあった。

 たぶん槙野君にとっても、私は好みじゃないと思うんだ。きっと話も合わないだろうし。なんでそんな遠い存在を、ほんのりとでも好きになってしまったんだろうと悩んでた。

 他の人を好きになれれば良かったけど、どうしても気になってしまうのは槙野君のことだけで、他の男子にはそういう気持ちを抱くことはなかった。

 仕方ないから、いつか好きな気持ちが収まるまで待つしかないと思ってたのに。


「楽しくなんてなかったよ……」


 手が届かない場所に生った林檎を見上げるような気持ちで諦めることが、楽しそうに見えると言われても、私の方が困る。

 そう思ったけれど、記石さんが言う。


「悩んでいる姿さえ、楽しそうに見えたんですよ。人とはそういうものです」


「え?」


「自分は悩むような恋もしていないのに、自分より劣っていると思った美月さんが、恋愛感情を知っているなんて。そう思っていたんですよ、亜紀さんは」


「劣って……」


「だから無理に好きな人を作ろうとして、美月さんに当てつけようとした……ですよね? 亜紀さん」


 記石さんの言葉でハッとした。

 そこなんだ、私が亜紀に逆恨みされやすかった理由は。


「亜紀は、私のことを下だと思っていたのね」


 だから槙野君の側をうろつくために、私を利用した。


「それのどこが悪いの……」


 亜紀が唸るように言う。


「私よりどんくさくて、成績だって下。小さい頃だって、ドジをしては庇ってあげたじゃないの。なのにいつも褒められるのは美月で。ダメだってことを思い知らせるぐらい、何が悪いのよ」


 亜紀の言葉に、悲しくなる。

 友達だから、親切で庇ってくれたりしてたんだと信じてたのに……。


「片想いを壊してやれば、気分が晴れると思ったわ。でもなかなか、あの槙野って人は私を好きにならなかった。だけど美月のへらへらした顔を見てたらむかついて、付き合ってるって言ったのよ。そしたら泣きそうな顔をして、おっかしいったら!」


 亜紀の笑い声が響く。

 私は目が熱くなって、涙がにじんできた。

 そこで記石さんが言葉をはさんだ。


「……ただその分だけ、あなたは後に引けなくなったんですよね、亜紀さん。本当のことにしないと、美月さんに嘘をついたとバレるのが嫌だった。だからあなたは告白をして……」


「やめて! どうしてそんなに私をいじめるの!?」


 叫んだ亜紀だったけれど、今度はそよ風も吹かない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る