Case15.出口のない迷宮
指令が早かったこともあり、和紙とうろこは死者を出すことなくニワトリのストレセントを撃破した。生体隕石は回収され、イドルレとオヴィラトは取り逃したという報告を聞き達成感のないまま帰投した。
それが昨日のことで、日が明けてからもうろこは悩んでいた。あんな境遇にいただなんてつゆ知らず、幸せそうな同年代の少女たちの写真を見せてしまったことを大いに後悔していた。恨まれてもしかたないことだ。何より、結礼がああなった決め手は自分なのではないかと不安になる。
うろこはずっと、うろこが思うやり方で妹たちを育ててきたし、妹たちも文句は言えど大事には発展しなかった。今回のように一緒にいられなくなるなんてことはないし、家出なんてうろこ自身もない。両親がいなくても、それだけ満足して暮らしてきたのだ。だから結礼のことなんてわからなかったし、怖くなった。
朝の食堂。きょうは二度寝もできなくて朝早く起きてからずっと朝食作りを手伝っており、うろこは疲れていた。朝ご飯の時間まで仮眠をとってもいいだろうと机のひとつに突っ伏して眠っていたところ、いきなり起こされて飛び起きた。
「早起きして食事作りの手伝い。まったく面倒見がいいというか、おせっかいなのね」
「ジョーカーか、あたしの気分転換だよ……ん?あれ?」
驚くべきことだった。ふだんなら城華は一番最後に寝坊ぎみになってやってくるはずなのに、きょうはいきなり彼女からだ。驚くしかない。
「なによ、そんなに驚かなくたっていいじゃない。オヴィラトにやられた傷が痛んでよく眠れてないだけよ。あとジョーカーじゃなくて城華だわ」
城華も早起きが得意ではないという自覚はあるらしい。そして、今回もそれを直したわけではない、と。オヴィラト、つまり結礼にやられたということは、彼女と交戦したか、一方的に襲われたかだ。城華はやさしい子だ。きっと、結礼と話をしようとして攻撃されてしまったんだろう。
「なぁ、あいつと戦えると思うか?あたしは、結礼を敵だとは思えない」
「私は敵だと思ってるわ。現に戦ったし。オヴィラトは自分の唯一の肉親をその手でストレセントに変えてしまったのよ」
うろこは言葉を失った。彼女が水戸倉家の人間であったなら、真っ先にあのチキンにされていたのはうろこだったかもしれなかったのだ。衝撃の事実を伝えられ、その上で城華は彼女を敵だと割りきった。それは三品結礼を見捨てたくないうろこにとっては、とても悲しい決断だった。
「……いい?うろこ。三品結礼はこの世からいなくなったのよ。あれはオヴィラト・ストレセントなの。肩入れしちゃいけないの」
「んな訳あるかよ。自分の意思でああなったんだ、戻る方法だってあるはずだろ」
「殺人者は殺人者よ。罪は消えないの」
うろこは他人のために死んだ。けれど、城華は両親の後を追っての自殺だった。守らなければならない相手がいたか、いなかったか。それだけでも、心の内側は大きく解離する。
「じゃあ、城華は不二のことをその手で消せるのかよ」
思わず、心ない言葉を浴びせてしまった。口に出してから後悔の念に襲われ、うろこは城華に謝ろうとした。けれど、城華の返答は早かった。
「不二があんなふうになったなら。助ける方法がなくて、本人がああしたくてなったなら。私は死んでも彼女を止める。私にできることがあるなら、そのくらいだもの」
想像の何倍も固く、彼女の意思は決まっていた。うろこがぐずついているあいだに、皆はオヴィラトを倒すだろう。そうなったら。三品結礼だった彼女自身の幸せは、どこへ行ってしまうのだろう。
「……あぁ、クソったれが。あたしがあまっちょろいだけかよ」
うろこは甘い。まだ善性を信じたいと思ってしまっている。それでは何も守れない、ただの夢見るお姫さまでしかないというのに。
◇
今日は珍しく城華が先に起きていて、食堂に赴くのはなんと不二が最後であった。唯一変化のない和紙は、なぜか趣向を変えて朝からメロンソーダを飲んでいる。いつもは炭酸など飲まないのに。
さらに朝食の用意はうろこが手伝ってくれたらしく、リノがなぜかしら嬉しそうだった。確かにこの結礼の件で暗くなっている雰囲気の中では、微笑ましくていいとは思うのだが。当のうろこが一番悩んでいるようすだから、喜ぶにも喜べなかった。
朝食を食べているあいだは静かだったのに、ストレセントにも食後の運動というものがあるのか、オヴィラトの反応があると知らされた。もう、ユリカゴハカバーの場所へ食堂から直通のエレベーターなんかを作ったらどうかと思った。
「よし、じゃあ今日のミッションも頑張っていこうじゃないか。街の平和を守るのは私たちなんだから!」
ユリカゴハカバーを駆るリノは、いつもよりどこか無理して明るく振る舞っているように見えた。
人払いを担当するリノと別れ、現場に急行した。到着して最初に見たのはオヴィラトの姿と、その足元に転がっている下着姿の少女だった。オヴィラトと同年代だろう。ひどく涙を流していて、怯えている。
理由はすぐにわかる。そこらに捨てられている布のきれはしは女児ものの服の残骸らしく、また少女のお腹にはいくつもあざができている。オヴィラトが殴ったということは、容易に想像がついた。加虐者は楽しそうにしており、とても同年代の少女を殴るときにしていい表情ではなかった。
「あ。きょうは早かったじゃないっすか。もったいないなぁ、まだぜんぜんなのに」
「それ以上はさせない」
和紙はすでにナイフを抜いていた。しかしオヴィラトはにやりと笑い、和紙など眼中にもないように今度は少女のお腹を踏みつける。
「おい、なんで、なんでそんなことするんだよ!?」
うろこが耐えきれずに叫んだ。うろこの妹さんもあのくらいだ。だから、きっと自分の妹に重ねてしまっているのだ。
「どうして守られるべき弱い奴が犠牲にならなきゃいけないんだよ、誰だって誰かの友達なんだ!んな奴に死なれたら、誰かが悲しむことくらい!」
「こいつが、守られるべき?はぁ、反吐が出るっすよ。じゃあ彼女が自分に何したか語りましょうか?」
うろこの言葉を遮って、オヴィラトはつらつらと怨みを述べはじめた。小学生とは思えない、耳を塞ぎたくなるようななまなましいことばかりが告げられ、うろこは立ち尽くす。
「……前科何犯なんすかね?ま、いくつでも自分が下す刑は変わりませんけど」
「い、いや!やめて、たすけてよ!わたし、あなたと、ともだちに」
「えぇ?じゃあ毎日のように自分のことを『親無しの呪われた女』っつってたのもツンデレっすか?デレの割合ゼロじゃないすか。お前が人生詰んでるんすよ」
うろこが銃を抜く、和紙がナイフを振り降ろすより先に生体隕石が少女のあざだらけのお腹に埋め込まれた。
「あ、い、いや、なにこれ、きもちわるい」
「気持ち悪いっすよねぇ。でもしだいに気持ちよくなってくるんすよ。尾てい骨折れても気づかないくらいには」
少女の小さなシルエットが膨れ上がり、しだいに巨大な影を成す。真っ黒な羽毛に包まれた、いつも見ている動物。此度の敵はカラスのストレセントであるらしい。くぐもった声で鳴き、上空へと飛び上がる。
幼い少女が変貌したストレセントを前に、うろこは呆然とするのみだ。不二は近くの建物にワイヤーを突き刺して、うろこを抱いて巻き取った。変身を行いつつの緊急離脱だ。
「あ、なんで、助けられないんだよ」
「今は考えるな、もっと殺し出す前に潰すしかない!」
不二だって出来ることなら手を伸ばしたかった。結礼にだって、手を差し伸べたかった。それでも彼女はもっと遠いところにいた。手が届かないのなら、もう撃ち殺すしかないのかもしれない。
「ストレセントは私が引き受ける、不二と城華はオヴィラトを追って。うろこは黙ってリノ社長の方へ」
「で、でも」
「そんなことを言っている場合じゃない。役に立てないでくちばしに刺さってるよりは気分がいいだろう」
うろこが戦線を離脱させられ、残ったのは和紙と不二と城華だ。相手は飛行する、対空射撃での援護が受けられないのは痛いが、きっと戦える。
和紙は建物の壁を伝って飛び回るカラスを追い、残ったオヴィラトをふたりで並んで睨み、一気に飛び出した。
オヴィラトに向けて射ったワイヤーは地面に刺さり、城華の飛行と合わせて彼女を高速でオヴィラトのもとへ送り届ける。城華の掌からは霧状の毒が撒かれ、まともに吸い込んでしまったオヴィラトは涙を伴いはげしく咳き込む。そんな隙を逃していいわけがなく、不二が滑り込んで蹴りを食らわせる。オヴィラトの身体が軽く浮いて、咳き込んだまま後方へ飛んだ。様子がおかしい。
「あら、戦意喪失かしら?まともに身体が動いてないわよ?」
「う、うぅ……なにするんすか……?」
「なにって、あなたは私たちの」
「せっかくイドルレもエイロゥもいない状況で会えたのに、自分はもう敵っすか……?」
まさか。彼女が今抵抗していなかったのは、他にどのストレセントもいないこの状況でなら話せることがあったから、なのか。
「お願いっす、城華お姉ちゃん、不二お姉さん。自分の話を聞いてほしいっすよ」
彼女を信じたい気持ちは少なからずあった。オヴィラト、いや、結礼とまともに話せるだけの位置、さきほど全力で攻撃したことでばつが悪そうにしているに城華の隣で彼女の話を聞こうとした。
「おふたりとも、お優しいんすね」
「話って何?もしかして、今の結礼のこと……?」
「えぇ、そうなるっすかね。ま、ちょっと前のことと言いますか」
そういって頭を掻く結礼。彼女がストレセントになったときのことだろうか。思い出すのはエイロゥの歪んだ笑顔と、すべてを否定してきたオヴィラトの眼だ。あれが演技だとしたら、どれだけ救われるだろう。
「ここだけの話、っすよ。社長さんには黙っててほしいっす」
「わかったよ、黙ってる。それだけ重要なんだろうから」
「ありがとうっす。実のところ、自分は」
ここで、敵のことを探るためにじぶんを犠牲に潜入しただとか、自分は敵ではないと言ってくれると思っていたのに。
「……お前ら二人が一番嫌いなんすよ」
飛び出してきたのは、彼女の悪意だった。
「ッ、不二!危ないッ!」
城華が不二を突き飛ばして前に出て、結礼がかざした掌から放たれるなにかをまともに受けた。何が起きているのかわからない不二は突き飛ばされてから黙って見ているしかなくて、城華が口だけを動かして何を言おうとしているのかを読み取れなかった。
無情にも、城華の胸部はきれいにきらめく硝子へと変えられていく。オヴィラトの特殊能力だろうか。硝子だったら、簡単に砕け散ってしまう。
不二は気づくのがあまりにも遅かった。城華の胸が砕かれて、決して戻ろうとはしないのを見て、弱々しく呼び掛けるしかできなかった。オヴィラトの笑い声が耳に入ってこないほどの衝撃を受け、不二から見た世界はその瞬間無音になった。
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