流れの庭
森山智仁
序
加賀藩邸のアームストロング砲が火を噴いた。放たれた砲弾は菖蒲の咲く不忍池を越え、数日来の長雨の中、ぬかるみに足をとられている彰義隊を側面から強襲した。
江戸城西の丸で柱によりかかっていた軍師・
「皆さん、これで始末がつきました」
と言った。
勝勢の知らせが次々に届き、参謀たちは喜びにわく。先ほどまで「なぜ夜襲をかけなかったのか!」とやかましかった
これからの戦では、刀や槍は役に立たない。火力と、集団戦。兵器も兵法も異国から取り入れなければならない。
ならば、名誉や伝統にこだわる武士より、百姓の方が向いている。百姓の意外な勇猛ぶりは、
「民兵か」
と、益次郎は小さく呟いた。
今から二四年も前、九州・豊後の広々とした私塾の中庭で、塾主の老人が確かに、民兵を組織すべしと言った。
あの人ともっと話がしてみたかった――と、黒煙にいぶされる梅雨空を眺めながら、益次郎は思った。
新政府軍のアームストロング砲が彰義隊めがけて火を吹くおよそ九万年前、月も墜ちよとばかりに阿蘇山が火を噴いた。
火砕流は多くの生命を飲み込んだが、のちに肥沃な大地となって、奪った以上に多くの生命を育んだ。焦土の跡に菜の花が咲き、ミツバチが飛び、そのミツバチをスズメバチが追った。
北九州の中央に位置する
日田盆地は、長崎・福岡・中津・別府といった主要な港を結ぶ線上にあり、古くから交通の要衝であった。アマテラスオオミカミの孫、ニニギノミコトが高天原から地上へ降り立った際にも、この日田で案内役のサルタヒコに出会ったと言われている。
戦国の世を勝ち抜き、太公となった秀吉は、的の真ん中を射抜くように日田を直轄地とし、九州の大名たちに睨みをきかせた。その位置づけは徳川の時代になっても「天領」として受け継がれ、多くの人と物が集まり、繁栄を極めた。町人たちが力をつけ、やがて公金の運用を任されるほどの大商人も現れた。
関ヶ原合戦の一八二年後にして上野戦争の八六年前、江戸時代後期、日田を代表する商家「博多屋」で、額の真ん中にほくろを持つ男児が産声を上げた。
父は博多屋五代目当主・
待望の長男であったが、このとき日田を訪れていた高僧・
平八は博多屋の四代目。体が弱かったため、わずか数年勤めただけで当主の座を退いたのである。そんな兄なら寅之助の気持ちをよくわかってやれるだろうという期待もあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます