第4品 採用決定

 アパートを出て、自室側の壁のほうへ回った。

 俺の部屋は2階だが、彼がいたのは地べただった。


 手で顔を覆っていた。先ほどよりもしゃくり上げる声がより聞こえてくる。


 俺は彼に1歩近寄った。

 そして、また1歩。


 瞬間、辺りが灼熱に包まれた。

 サウナなんて生ぬるいほどの高熱が制服越しに肌を焼く。

 息をするごとに喉が焼き焦げるように痛い。そのまま呼吸するのが辛くて、必死に制服の袖で鼻と口を押さえた。


 俺の目に映る光景は、先ほどと大きく変っていた。

 辺り一帯が炎に蝕まれている。炎越しに薄らと家具のようなものが見える。だが、それら全部既に炎の餌食になっていた。

 轟々と燃えさかる炎の中、先ほどの少年が部屋の隅で蹲っていた。


 たすけて。

 たすけて。


 繰り返されるか細い声は、炎の勢いにまかれている。当時もきっと誰にも聞こえなかったのだろう。

 俺はかき分けるようにして少年の傍に向かった。

 今更手を差し伸べてそれが救いになるのかは知らないが、これでも独りの寂しさは知ってるつもりだ。


 たすけて。

 おねがい。


 少し近づくと少年は顔を上げた。


 年相応の幼さを持ち合わせたふっくらとした頬に、純粋な瞳。

 何年もここで泣き続けたせいか、炎の中でも目と鼻頭が赤いのが見て取れた。


 建材やら外壁やらが燃えるなり崩れるなり、危機感を募らせる周囲の音が急かす。今のこの場所は燃えていないはずなのに、生々しいほど建物が崩れ軋む音がする。


 たすけて。

 くるしい。


 くらり、と視界が揺らいだ。靄が視界の至る所にちりばめられ始めた。その黒が徐々に視野を狭めていく。


 たすけて。

 僕――。


 手が届く距離だった。

 不意に横から軽く殴られたように、視界がぶれた。


 燃え朽ちた何かが落下してきたのか。

 そう思ったが、硬さがおかしい。

 木材にしろ何にしろ、こんなぬいぐるみのような柔らかさはおかしい。


 おねがい。

 僕と――。


 がばっと何かが顔に張り付いた。

 毛のような柔らかさに紛れてなにやら尖ったような固いものが頬を擦る。

 俺はそれを顔から引き離した。


 毛玉だった。

 あそこにいたはずの黒い毛玉。


 毛玉が「みー」と鳴くと、前方から突風のような風が吹いた。

 その風は俺を攫うように後方に押し出す。

 予想外の展開にとどめを刺したのは、明快な男の声だった。


「ハロハロー、昨日ぶり。無茶しちゃダメだって。困ったことがあるなら言ってって言ったのに」


 突風は俺を火事現場から引き離し、その声を確認した頃には炎はどこにも見えなくなっていた。さっきまでいたアパートの脇だ。


 バランスを崩した俺の背に手を添えたそいつの顔を見上げる。見るまでもなかったが、反射的に見上げていた。

 なんでこいつが、ここに。


「しつこくて申し訳ないんだけど、一応こっちも商売だからね」


 俺はそいつの手を借りて、崩していた体勢を整えた。

 というか、エスコートでもされるかのように整えさせられていた。


「少年、困ってることは?」


 茶髪は俺の目をじっと見据えた。

 弧を描いたその口はなんでか胡散臭くはみえなくて、少し細められたその目は柔らかく見えた。

 遊び人のような見かけのくせに、差し伸べられた手はとても頼もしく思えた。

 あれか、顔のせいか。

 年上であろうその顔つきに任せられると錯覚したのか。なんでか無駄に整っているその顔立ちができる男だと騙してくるのか。


「ねぇよ」


 ぺしん、と。取るべきはずの相手の手を払う。

 ぞんざいな扱いをしても相手は文句一つ言わなかった。


 用がなければこのまますぐに立ち去っていた。

 だが少年の姿はまだそこにある。


 困ってるのは俺じゃない。


「何でも出来るって言うなら、なんとかしてやれよ」


 困ってるのは彼の方だ。


 茶髪は「ふむ」と大きく頷いた。


「優しいねぇ、少年」


 生暖かい視線が気持ち悪い。

 小学生でも褒めるかのように頭を撫でてくるのがムカつく。


「早くやれ!」

「いたっ。蹴ることなくない!?」


 知るか。

 なんかできるってんなら見してみろ。


「OK、少年。君の『理想』を売りましょう」


 茶髪が「アルコル」と呼びかけると毛玉は「きゅ!」と短く答え、何故か俺の顔面に再び張り付いた――主に目を重点的に。


「おい、離れろって」


 引っ張るが全く離れない。接着剤でつけられたかごとく離れない。少し手荒に引き離すが、それでも離れない。というか「うぎゃぁ!うぎゃぁ!」と痛そうに鳴かれてしまってはそれ以上はもう何も出来ない。


「うっす、終わったよー」


 再び茶髪の声がすると、毛玉は嘘のようにあっさりの離れた。

 というか、終わった?何したのかは知らないが、物音一つ聞こえなかった気がしたけど。


「すまんねぇ、俺の仕事Rついちゃうから」

「はぁ? Rいくつよ」

「R15」

「ほざけ。とっくに超えてるわ」

「あ。じゃあ、R18で」


 これならどうだ、と言わんばかりの決め顔が腹立つ。なんだその顔。言ってることは割とひでぇぞ。


「お駄賃は格安にしとくけど、俺にお金払うの嫌でしょ?」


 なんで変に自虐的なんだ。


「だから、バイトしよーぜ!」

「そうくると思ったわクソ狸め」


 グッ! と親指を立てるそいつにドロップキックをかました。



 ◆




 あの少年の正体は実は前々から知っていた。

 あの一室に住み始めたその日にもう彼の声は聞こえていた。だからネットで調べた。

 もう何十年も前の話だ。

 このアパートが建つ前、というかこのアパートが建つある種のきっかけ。

 ここの前の建物も似たような集合住宅だったらしいのだが、とある一室の寝たばこを火の元とした火災が原因で崩壊したらしい。

 数名死亡した大火事だったらしく、あの少年はそのうちの1人だ。


「千里ちゃーん、ゲームしなーい?」


 どちらにせよ、過去の話だ。

 これ以上膨らましようがない。あの茶髪こと万屋の店主が何をしたのかは知らないが、あの日以来声もノック音も聞こえなくなったことを考慮すると、祓ったのだろう。奴が陰陽師なのかは知らないけれど。


「アクションとFPSどっちがいーい?」


 茶髪が何故その祓う瞬間を俺に見せなかったのか、という件だが。

 それも実は予想がついている。


 あの少年は助けを求めていた。

 体を焼く炎の痛みに耐えきれず、助けを求めていた。彼の遺体がどうなっていたかは言うまでも無い話だろう――そりゃもう無残だったらしい。


 彼はそれが耐えきれなかったのだ。

 体を蝕む燃える傷跡に耐えれず、身代わりを探していた。


 おねがい――僕と変わって。


 その痛さが未練に代わり、ずっとあの場に縛られていたのだ。

 あの日、茶髪が来なければ俺は彼に呪われ――焼き殺されたかもしれない。

 どのような経緯があろうと、生きている人間に手をかけようとする霊は、例を洩れず悪霊だ。

 奴曰わくR15だかR18だかというのは、彼の焼けただれた素顔のことだろう。顔だけならマシか。きっと指の境目すら曖昧なほどに全身が焼けただれている。

 あの子供らしい顔は人の同情を誘うためのフェイク。


 以上が余談だ。


「千里ちゃーん、ゾンビゲーでいい?」

「うるせぇなぁ! 誰もやるなんざ言ってねぇだろ! しかも勝手に決めてんじゃねーか! あと、気持ち悪い呼び方するんじゃねぇ!」


「え?」とすっとぼけた顔をするグラサン野郎はちゃっかり据え置きゲームを起動させ、コントローラーを2つ用意していた。


「ゾンビ嫌?」と言いながらコントローラーを1つ俺に差し出してくる。

「やだつってもこの家ゾンビゲーばっかじゃねぇか!」

「だってぇ、俺好きなんだもーん」


 こいつはゾンビと銃火器をこよなく愛する変人である。バイト初日に知った。

 ゾンビっていうかスプラッタ?

 店主のほうも同じ趣味があるらしく、この絵本から出てきたような洋館はたまにスプラッタ映画が流れている。どんなカオスだよ。メルヘンチックなものを大の男が見るのは気持ち悪いので見ろとは言わないが、それにしても極端すぎやしないか。


 しかもどんな場面でも悲鳴一つあげずに淡々とした顔で見てるのだから、尚更カオスである。

 それどころか、「ここはもうちょっとこうした方がグロい」とか「実際はこうはならないんだぜ」とか冷静に意見を述べるのだから、もう手のつけようがない。楽しみ方間違ってんだよ、根本的に。

 一番人外のアルコルだけが唯一その映画に怯えている。

 お前は怯えられる側じゃないのか。


 とまぁ、スプラッタ愛好者にゲームを勧められる余裕があるほど、この店は特殊故にしょっちゅう客が来るわけではないらしい。閑古鳥が常連だ。じゃバイトがいるのかよという疑問が湧くが、とりあえず借りがあるのでその辺りは触れていない。


 そんなこんなで、俺は毎日のようにこの店に足を運んでいる。



 ……どうでもいいことを言っておくと。

 茶髪こと店主の偽名は頼人ライトで、グラサンこと変人の渾名はロックである。

 どちらも本名は伏せているらしい。

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