第3品 仕事内容不明瞭


 ◇


 そのまま特に通報もせずに帰宅した俺は、狭い自室の床に鞄を投げ、ベットに身を落とした。安物且つ長年使っているため、柔らかさはない。

 家の中はしん、と静まりかえっている。この部屋にいるのは俺だけだ。俺が動かなければ音はしない。


 俯せにしていた体を横に向ける。

 制服とシーツが擂れて音がする。

 また静寂。

 ドン、と軽く壁を叩く音がした。

 俺の両手は枕代わりに頭の下だ。

 また、ドン、と壁を叩くような音。荒々しくはない。ドアをノックするような、そんな音。


 ここは角部屋で。

 その壁の向こうには何もないのに。


 トン、と壁をノックする音。


 ――困ってること。

 これは別に困ったことではない。幽霊物件なのか知らないが、ここに住んでから毎日のように繰り返されている。別に支障は無い。


 今日、課題はあったっけ。

 そういえば、確か英語のプリントがあった気がする。授業終わる5分前ぐらいに配って終わんなかったら宿題ね、って終わるわけねーだろ。

 あと、飯も食わなきゃ。洗濯も。今日は体育があったから体育着洗わねぇと。ってか、制服着替えないと皺になる。


 でも、まぁ、別に怒る人は誰もいないし。


 俺は視界が狭まるのを感じながら眼鏡を外した。

 帰宅部員を運動部員と混ぜてサッカーやらせるとか鬼畜の極みだろ。


 目を閉じる。

 眠りに落ちる。


 その間際。

 壁を叩く音が盛った。壁を打楽器と勘違いしてるんだか知らないが、バンバン!という音がしばらく続く。叩かれるのは一点ではない。壁の全面でもないが、とある箇所を集中的に叩かれている。それに何の意味があるのかは知らない。そんなこといったら、なんで叩いてるのかも知らないし、何が叩いているのかも知らない。


 騒音被害に俺は困っていない。

 困っているのは俺じゃない。




 ◇




 翌日。

 朝も例の4丁目の通りを通ったが、例の不審者どもはいなかった。

 あの店が何時から開いてるのか知らないが、流石に朝は忙しくしているのだろう。


 帰りのホームルーム中、担任からの連絡に耳を多少傾けながら帰りのことを少し考える。もし連中がまたあそこで張っていたら、それは面倒臭い。

 帰路はあの道を通る以外もある。だが、俺は

 他の道を通るぐらいなら、あの不審者たちとエンカウントするほうがマシだ。

 滅茶苦茶な奴でも人間なら言葉は通じるだろう。


 どうしたものかと考えていると、前からプリントが回ってきた。

 保護者宛の手紙だった。

 俺は自分の分を取って、紙だけ後ろに回す。


 だが一向に受け取る気配がない。

 まさか、と思って振り返ると案の定だった。

 つむじがこっちを向いてやがる。

 部活が忙しいのか知らないが、後ろのこいつは大体惰眠を貪っている。突っ伏しているあたり、もはや清々しさすらある。

 俺はそいつの頭部にプリントを被せた。落ちるだろうが、知ったこっちゃない。


 俺は前に向き直る。

 件の連中のことが思った以上に利いているのか、心なしか頭が痛い。体がだるい。朝はそうでもなかったのだが。

 もしかして……体育の筋肉痛が時間を空けて現れてる?まさか、そんな馬鹿な。そこまで歳じゃねーぞ。


 ・

 ・

 ・



 結局、その日は連中と遭遇することはなかった。

 もしかして、あれが最初で最後だったのか。

 それならそれでいい、と俺はどこか割り切れないでいた。


 家に着く。

 俺が済んでいるのは3階建てで各フロアに4つずつ部屋がある建物だ。


 部屋に入り、鞄を床に置く。

 そのままいつものようにベットに体を寝転がせる。疲れてようが、疲れていまいが、帰宅後はこうするのがいつの間にか出来上がっていた習慣だった。

 もう夕方だが、まだカーテンを閉めるのは早い。

 特にすることもないので図書室で借りた読みかけの本でも読もうか。なんてこの後のことを考えていると、冷蔵庫が空だったことを思い出した。

 作れないこともないが、作る必要もない。近くのコンビニで今日の分の飯を買ってこよう。

 そう思って体を起こそうとするが、どうも面倒臭い。そういえば学校にいる間は不調を訴えていた体は今はもうなんともなくなっていた。筋肉痛でもない。


 静かな空間。

 また隣からトン!と叩く音がする。

 トントン!と連続で数回叩く音。


 晩飯は何にしようか。

 普通にコンビニ弁当とかでいいか。いや、それも面倒だからおにぎりかパンで十分か。


 行くなら日が落ちる前にしよう。

 立ち上がろうと腕に力をこめると、壁の向こうから滅多に聞こえない音がした。


 誰かのすすり泣く声。


 俺は中途半端に立ち上がった姿勢のまま、耳を澄ました。

 ひっくひっくとしゃくり上げる嗚咽。ぐずぐずと鼻を啜る音。

 向こうにいるのが誰なのかは知らないが、どんな顔をしているのかは分かる。


 たすけて。

 ここから。


 その声は俺なんかよりもずっと幼く、消えかけた声。


 俺は鞄を指に引っかけるようにしてたぐり寄せ、そのまま適当に手に提げまた家を出た。手ぶらで向かう――なんて、柄にもないことは俺には出来ない。建前上、買い物に行くついで。そういう体だった。


 あいつの言葉がよぎった。

 何者かは知らないが、下手したら多分このことも見越しているだろう。

 もし本当にこのことを言っていたのなら、なんとか出来る手立てがあるってことなんだろう。そう思ったらいてもたってもいられなかった。


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