第二章 幼年期
修行
3歳になった。
いや、正しくは3年と半年ばかりが過ぎた。
この世界の暦は元いた世界とそれほど大差がない。
1年は12ヶ月、1月は30日、1日は24時間。
分や秒、単位や距離なんかもほとんど変わらなかった。
ただ一つ、元いた世界と大きく違っていたのは、「終わりの3日」「始まりの2日」と呼ばれる五日間における休日がある事だった。
この期間は、如何なる理由があろうとも戦争・紛争・内戦や商業・冒険者業、ありとあらゆる活動を停止し、神に対する1年間の祈りと、始まり行く新たなる年への感謝の祈りを捧げるべきだとされている。
ただ、ここアストラーゼ辺境伯領を含むエリュシャン王国と、隣国である迷宮国家ジャドゥラ等では軽い祈りをするだけで普段と変わらぬ生活をしている。
何故、と問われるなら国民は全員でこう答えるだろう。
「魔族が神に祈るのか」
───と。
その昔、対戦が激化していた時代に大陸を統一し、大陸歴を作った巨大国家があった。
その国の国王は神からの御告げがあったと言い、自らが先頭に立って魔族との戦いを勝ち抜き国を作った。
それから国王は神に感謝の祈りを告げるために5日間の感謝の日を作った。
飲み、食い、踊り、国民も含めた多くの種族は勝利に酔いしれ、神に感謝し、この安寧が永遠に続くと思っていた。
数年後、その国は北部から進軍してきた魔王軍によって都市を蹂躙され、人口の1/4を滅ぼされ、ばらばらになった。
皮肉にも、神に感謝を告げる為に作った5日間の間に今では「魔の森」と呼ばれる森を抜け魔王軍は南下して来ていたのだ。
故にそういった教訓から、今現在「魔の森」と隣接している2つの国家では、最低限度の祈りを教会で済ませ、日々と変わらぬ生活を送っていた。
だからと言って、だらだら過ごしているかと言うと全くこれっぽっちもそんな事はない。
「ぐべっ……!」
3歳になり、物心が付くや否や、魔術理論に実施訓練、戦闘における基礎的訓練とやたらとハードな訓練が始まった。
これは、何でもここエリュシャン王国や近隣の国では5歳の際の「加護の儀」を終えると最下級の魔物と戦わされるらしく、物心が付く頃には親や家庭教師から実戦訓練をつけられるからである。
最初は、もう少し後でも良いんじゃないか、なんて思ったりもしたけど、流石は剣と魔法のファンタジー世界。サボってる暇なんか微塵もなかった。
何故か。
それは、まず「自衛」が出来なければ生きて行く事すらままならないほど過酷な環境だからだ。
超常現象の要因たる魔法や、怪生物の代表格である魔物。
それらが蔓延る世界で、脆く儚い人間が繁栄するには、まず何を置いても「力」がいる。
遥か古より存在する我等がご先祖様が「生き残る力」を後世に伝えてくれた事で、今の繁栄がある。
だから、俺達もそれを学んで後世に伝えなきゃならない。
だが、全てを学ぶには時間が足り無さ過ぎる。
なら、幼い内から始めるべきだ。
そうした結果が、緩衝地帯であり戦場地帯でもあるこの辺りの風土して残ったのだろう、と俺は勝手に考えてる。
それにしても、厳し過ぎるだろ……。
いくら死なないように配慮してるからと言っても、身体も出来上がっていない子供にする事とは思えない。
これで死人が出てない事が一番の驚きだ。
「おら、さっさと立て。ちょっと木刀で小突いただけじゃねぇか」
「くそッ……。全然ちょっとじゃねぇし……」
「あ? 言いたい事があるのか?」
小声だったのに、流石の脳筋だ。しっかりと聞こえたらしい。
「いえ。何でもありませんよ、父上」
かく言う俺も、3歳になるかならないかといった頃から母さんに魔術理論を、目の前の親父に基礎体力作りを指導され、つい最近、木刀を持った実戦訓練が始まった。
今の所、回復魔法に関しては母さんが逐一使ってくれてるので、大怪我の心配はしてない。
それでも、容赦がない。
ほんっとうに容赦がない。
「父上。またメイドに嫌われますよ」
もう分かりきった事だが、親父の屋敷内での評判は地の底を突き破って最底辺だ。
元が農村の出だからか、あまりエスコートや気品という物を気にした事が無いようだし、その竹を割ったような性格から明け透けに話すので、人によっては好き嫌いが別れる。
戦さ場ではモテても、社交場では上手くいかない。
そんな典型的なタイプだろう。母さんがその部分を補ってる感じだしな。
そんな親父だから、訓練が始まるたびに野次が飛んだり、俺が負傷するたびに罵声を浴びせられたりしてる。
「知ったことか! てめぇばっかちやほやされやがって! 魔法でもなんでも使っていいから、俺に攻撃を当ててみろ!」
案の定キレた。
でも、それはそれで悪手だと思うんだけどなぁ……。
「いいんですか? 母上お墨付きの
やれと言われたならやってやろう。
この二年、俺は遊んでた訳じゃない。
スキルを把握したり、魔法の基礎を学んだりと色々あったけど、一番苦労したのは新たに覚えたユニークスキルを使いこなせるようになる事だったかも知れない。
「はっ! 3歳やそこらのガキに負けるほど落ちぶれちゃいねぇよ」
「そうですか。では、遠慮なく」
訓練で使うもんでも無いと思うんだ、コレ。
俺がスキル名を口にする前から、既に視界が二分割され始めている。
「『
そう一言口にすると、二分された内の片方に、横長のボードを持った小さな女の子が姿を現した。
言うまでもないと思うけど、並列思考の一種で、俺が考えずともこの小さな女の子が代理で色々と考えてくれるのが、このスキルだ。
ボヤけていた視界がクリアになり、思考が冴えわたる。
『マスター。準備、完了しました』
やけに達筆な字で書いてあるボードを頭上に掲げた女の子が、ニコリと笑って手を振っている。
『また今度、名前を一緒に考えましょうね?』
こてんっ、と小首を傾げた女の子の首元に現れたボードにはそう書かれていた。
そうだな。いい加減決めないとな……。
そう思いながら、続けてスキルを発動する。
「『
そう唱えた俺の手元に現れたのは、鎖やら何やらで雁字搦めになっている、黒く禍々しい一冊の本。
つい最近発現したユニークスキルで、効果は「魔法の発動補助」。
ここで注意して欲しいのが、「『世に現れた全ての』魔法の発動補助」が正しい説明だと言う事だ。
廃れた魔法も禁忌指定の魔法も、一子相伝だろうと神や悪魔の使う魔法だろうと、そのページを読み解けるなら、魔力さえ与えれば、後は勝手に発動してくれる。
欠点らしい欠点は、本を出してるだけで馬鹿みたいに魔力を吸われる事ぐらい。
今の俺で一時間持てばいい方だろう。
母さんに相談したら、『あまり大っぴらには使わないように』と、一頻り悩んだ後に言われた代物。
本に巻き付いていた鎖が一瞬で腐り、ボトボトと地面に落ちる。
相変わらずの仕様だ……。
どう見ても、悪魔の書にしか見えないのが難点だよなぁ。
このシーンだけ見ると、俺が何か禁術でも使うんじゃないかと思われても、何も弁解出来ない。
鎖が全て外れると、次は本の中から破れたページが飛び出て俺の周りを囲むように漂う。
「……なぁ、おい。なんだよ……それ……」
初めて見せた『
「………本ですよ?」
俺は正直に言った。
「ちげぇよ! なんだよ、その今から黒魔術を使いますよ感が満載の本は!!」
「黒魔術なんて………いやぁ、そんなぁ」
親父の叫びに、ハニカミながら俯いてあげた。
「照れてんじゃねぇ! 否定しろ、馬鹿!」
その声を聞き流しながら、ぐるぐると俺の周りを巡る紙の切れ端に魔力を与えていると、今まで観戦しているだけだった母さんの声が聞こえて来た。
「ルード。その本を出して負けたら、魔術理論の論文作成は倍にしますね」
…………。
振り向いた先にいた母さんは、中庭の隅で優雅に紅茶を飲みながら微笑んでいた。
ふぅ……。仕方ない、か。
家族の絆とは、こんなにも脆く儚い。
「先に謝っておきます。僕に殺されて下さい」
「は……?」
「【『
宙を漂っていた紙切れの内、何枚かが本に戻って行く。
そうして残ったのが古代魔法であり、俺が読み解けているページという事だ。
その中から一枚を選び、魔力を込めて唱える。
別に唱えなくても使えるが、ここは気分的な話だ。
「鎖爆魔法『鉄鎖爆破』」
ジュッ、と音を立てて紙が燃え尽き、親父の足下に魔法陣が展開される。
その間、およそコンマ数秒。
「ちッ──!」
後ろに飛び去り距離をとろうとするが、もう遅い。
魔法陣から出てきたのは、直径15cmを超える黒い極太の鎖と、それに絡み付くように貼り付いている「爆」の文字が入った札。
「らァ──ッッ!!」
手に持つ木刀で鎖を叩き切ろうとするも、鎖の方が意思を持つかのように蠢き、その一振りを上手く躱して親父の体に巻き付いた。
「おい! ちょっと!!? ルード! 嘘、だよな……?」
鎖によってぐるぐる巻きにされ、身動きが取れなくなった親父は、俺の顔を見て信じられないと言った顔をする。
仕方ないんだ。
だって、お母様の論文は四百字詰数枚とかじゃないんだぞ?
羊皮紙のスクロール丸々だぜ? 何メートルあると思ってるんだよ。絶対いやだ、アレの倍とか……。
「短い間でしたが大変お世話になりました。母上の事は心配しないで下さい。訓練に関しては、シャルとウィズがいるので大丈夫だと思います」
尊い犠牲に感謝して、別れの挨拶を告げる。
細かくヒクついている親父の顔を見ていると、何だが優越感が満たされていく気がする。
因みに、先程の会話に出てきた「ウィズ」というのは、今まで名前の無かった精霊に付けた名前だ。
知恵とか、そういう感じの言葉を意味する「wisdom」より取っており、精霊としての博識さを遺憾無く発揮して欲しかったので、この名前にした。
「おい、待て! いや、待ってください! あっ、ちょっ、まっ───」
鎖でグルグル巻きになった親父は、空高く舞い上がり汚い花火となって散った……。
「ふっ、汚ねぇ花火だ」
おっと、危ない。
思わず、七つの玉を揃える事で有名なあのアニメが出て来てしまった。
それよりも、この勝負で親父はスキル一つ、剣技一つ使わなかった訳だから、実質俺の負けだな。
ボロボロの服装でも、体は無傷の状態で遠くの地面に倒れている親父を眺めて、そんな事を思う。
まぁ、後十数年でいい勝負出来るかな?
この体は思っている以上に高スペックだ。
何せ、大英雄の両親の元に生まれた子だし、潜在能力はピカイチ。ライオンからチワワが産まれるような、そんな展開にならなくて良かった……。
理解力と、抜けているとも言える大らかさを持つ両親に感謝しながら振り返ると──。
「「「「きゃぁぁぁぁ、ルードさまぁぁぁぁ!!!」」」」
黄色い歓声が俺を出迎えた。
屋敷の窓から訓練風景を見ていたメイドさん達に、手を振って応える。
「お疲れ様でした、ルード様。お怪我はありませんか?」
筆頭メイドでありながら、戦闘・暗殺・家事・教育。
ヴィアルリィ家という出自でありながらも、未だ知識を貪欲に求め、最近ではますます隙が無くなってきたシャルが、清潔なタオルと桶一杯の冷えた水を持って近寄って来た。
「んっ……。あぁ、本気じゃなかったしな。父上はスキルを使ってなかっただろ?」
従者に敬語は不要と言われ続けてどれくらいだろうか。
今では気にならなくなったけど、3歳児に求める事じゃないと、何度思った事か……。
切っていた
「そうでしたか。それはようございました」
恭しく一礼をして、俺からタオルを受け取った後は右斜め後ろに控える。
そんなシャルを引き連れ、訓練開始からずっと庭の一角で寛いでいた母さんの下まで歩く。
「よく出来ました。今日の訓練はこの辺りにしておきましょうか」
まったりとした口調で母さんが言う。
「はい。それなら、アレはどうしましょう?」
遠く離れた地で地面にめり込みながらプスプスと煙を上げ、『何事か!?』と出てきた民衆に突っつかれている親父を指差して聞く。
「……放っておきましょう。慢心が如何に愚かか、あの人にも知って欲しいですから」
「分かりました」
「全く。何度注意しても変えようとしないんですから……」
そう言って、溜息をつきながら家の中に戻って行く。
「じゃあ、戻るか」
見えなくなった背中を追うように、後ろに待機しているシャルに言う。
「はい。お供いたします」
一礼してからシャル達全員が後ろから付いてくる。
「ルード様は本当にお強いですね」
家に入る直前、近衛メイドの1人が俺にそんな事を言って来た。
「いや。全然だな。ステータスは高いけど、所詮それだけだ。せめて、父上にスキルや剣術を使わせてからじゃないと話にならない」
「はっ! いや、でも……?」
その疑問は何に対する疑問だろうか。
それだけ出来たら十分だ、か?
それとも、それはまだ早いのでは、か?
どちらにせよ、潜在能力として両親を越え得るだけの力があるんだ。
俺の従者だって言うのなら、メイド達にも相応の力を付けて欲しいんだけどな。
そう思ったので、振り返って全員を視界に収めるようにして話す。
「『加護』を授かろうが、『精霊』と契約しようが、俺に待ってるのは両親以上に過酷な未来だ。いつまでも俺と轡を並べて戦いたいって言うなら、妥協はするなよ。最低でも、俺の考えを理解し、それを遂行出来るだけの力は必要だ」
指示をせずとも勝手に跪く彼女達に言う。
「歩みを止めるな。
時刻は夕暮れ。跪いた彼女達の影は夕陽に照らされて長く伸びていた。
『御身の為に』
淡々と紡がれる言葉は彼女達の覚悟と姿勢を表しているようだった。
「忘れるなよ」
そう言って家の方に体を向け直す。
沈み行く夕陽は夜の帳が訪れる事を俺達に教えてくれていた。
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